素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

🐾 桜時を歩く 🐾

2022年04月09日 | 春景色

河津桜は終わり、染井吉野に変わりつつあり、地元を歩いて来ました。

暖かな陽気の中の山道を歩いていると、沢山の花が出迎えてくれる、この時期ならではの良さである。

普段は中々歩くことをしていないので、付近の桜を見て歩くことにした。

御殿場線の松田駅を8時 20分、出発。

まず、西平畑公園を目指す。  到着8時 35分。                              こちらの桜は河津桜で、足柄平野では逸速く春の訪れを知らせてくれる。4月2日の訪問時には既に葉桜に変わっていた。

菜の花やチューリップ、白モクレンなどが綺麗であった。

自然館を抜け農道を登り最明寺史跡公園を目指す。意外と遠く約1時間掛かった。      史跡公園到着、9時 50分。 標高 456m。

街中の桜は満開となっていたが、こちらは6~7分咲きで枝垂れ桜の方は、まだ蕾であった。

人里離れた山中で、密教の奥義を追求する真言宗の名刹として鎌倉時代の承久3年(1221)松田郷を治めていた大庭平太景義が、この地に招いた源延という僧侶により現在地に建立されたものだそうです。(当時は西明寺)

その後の文明元年(1469)、隣の大井町金子に移転しており(現 最明寺)、なぜ移転したのか?など謎も多いようです。

中央にある池の北側斜面を登り、山北町の高松集落を目指す。 10時半発。

最明寺史跡公園から高松集落にある高松分校には、なだらかな道を30分で到着した。11時。

校舎横の桜も満開であり、新しいランドセルを背に入学式や卒業式などが賑やかに行われていた往時が偲ばれ、壷井栄の長編小説『二十四の瞳』が浮かんだ。

                           

場所が山と海の違いは有れど、瀬戸内海の小豆島に生まれた大石先生が新卒の女性教師として島の岬の小学校に赴任、そこで受け持った12人の子供を可愛がる。                 しかし、第二次世界大戦の嵐はこの小さな島の子供たちをも巻き込み、ある少女は紅灯の巷(ちまた)へ、ある少年は戦場へと行ってしまい、戦争が終わった時には大石先生も子持ちの未亡人となっていた。・・・・・

                            

自分の小学1~2年の担任の女性教師が、この高松分校から赴任されて来られ、優しい先生であり大石先生と重なり、一度どんな学校か見て見たかったので、とても満足した。

高松分校から戻り、尺里峠(第六天)への登り道に進む。尺里峠着、 11時 40分。

100m南側に富士山展望台の標示板を見つけ立ち寄る。

青空でなく雲の多い日であったが、富士を望むことは出来た。

11時 55分、尺里峠より高松山を目指す。登りの途中、樹林帯の中にミツマタが群生していた。

土曜日であり高松山(標高 801m)山頂には沢山の登山者が休憩されていた。 12時 55分着。

高松山登山の途中で昼食 は済ませたので、5分の休憩で13時下山開始。

ビリ堂通過、13時 15分。

新東名高速道路の工事現場を通過し、眼下に山北町の向原集落が見えてきた。 14時。

尺里川通過、14時 25分。上流の桜。

尺里川下流は桜のトンネルの中を流れていた。

岩流瀬(がらぜ)橋到着、 15時 05分。酒匂川左岸の桜が見事でした。

福沢神社のある文命堤に到着、15時 20分。

怒田運動公園に到着、 15時 40分。こちらの桜も満開で多くの家族連れが見えていた。

サクラの映える青空を思いながら出発したが、ノンビリ歩きながらまずまずの桜狩りを楽しむことが出来ました。

 

 

     ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

 

 

コメント (4)
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