建長寺は巨福山(こふくさん)建長興国禅寺といい、鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派の大本山です。 このお寺は父が眠るお寺の本山であり、鎌倉訪問の際は必ず参拝しているお寺です。
今から約760年前の建長5年(1253年)に鎌倉幕府五代執権「北条時頼」(1227~1263)が建立した我が国最初の禅寺です。 建長寺の開山(創始者)蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)は、中国の高僧「無明慧性」(むみょうえしょう)に学び、寛元4年(1246年)33歳で来日し、九州、京都を経た後、鎌倉に入り北条時頼に請われて建長寺に迎えられました。
蘭渓道隆は、中国宋時代の純粋で厳しい禅をそのまま導入し、建長寺を天下の禅林として多くの僧を集め、中国文化の受容、勉学の場として、一時は千人を超える修行僧を指導されたとの事です。
その後は、京都の建仁寺、甲斐の東光寺等にも移り、弘安元年(1278年)に再び建長寺へ戻り、66歳で亡くなり、後宇多天皇より大覚禅師という禅師号を賜りました。 これは日本で最初の禅師号だそうです。 尚、『建長汁』(けんちんじる)は建長寺発祥の料理との事です。
創建当時の伽藍配置は、中国宋時代の禅宗寺院を模したもので、総門・三門・仏殿・法堂・方丈などの主要な建物が一直線に並び、左右に大禅堂・大食堂(だいじきどう)を有する寺院であったようです。 その後、14、15世紀に起こった数度の火災により、その多くが焼失してしまいました。 江戸時代に入り、高名な沢庵和尚や金地院崇伝(こんちいんすうでん)の進言、徳川幕府の後援などによって、再建・復興し、平成15年の創建750年事業によって 現在の姿を迎えました。本山の他に塔頭12院を数えるそうです。
私たちは、13時頃に三門近くに行ったら、僧侶による辻説法が始まっており、最初は50名ほどの拝聴者であったのが、気付いたら私たちの後ろにも沢山の参拝者が耳を傾けていた。三門下が人で埋まっていました。 お話はテレビなどによる道理・道徳を欠く話題ばかりであり、世の中このままではいけません。 過去は反省の薬とし、不確定な未来には頼らず、今・現在を大切にしましょうと言う内容でした。
縁あって両親の元に生まれ、縁あって会社勤め・農業従事・漁業従事をし、縁あって結婚し親となり、縁あって今日ご参拝下さり、皆さんにこうしてお話が出来る。 その縁を生かし、会社で与えられた仕事に精進する。 親となったら親の務めを果たす。 それぞれに皆さんが自分に与えられた立場・仕事を全うされれば、会社も、家庭も、町も、国も良くなると言う事でした。 全てに通ずる事であり、僧侶に合掌、一礼をしてきました。
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