筑波山は双耳峰 で、標高としては女体山の 877mで表示されています。 日本百名山の中で標高が 1000m以下の山は筑波山と九州の開聞岳(標高 924m)のみであります。
周囲から抜きんでた山容と信仰や詩歌に登場する歴史・文化を深田久弥が高く評価し選定されたとのことです。
山頂の展望もすばらしく、北関東で最も人気の高い山であります。
男体山から御幸ヶ原に戻り、東に延びる電波塔のある稜線上を進む。
御幸ヶ原の広場から登り出し(出発 10時 35分)小さなアップダウンを繰り返しながら女体山へ。
まず最初に《せきれい石》と表示された大岩が目に付いた。 10時 43分。 案内には、「この石の上に鶺鴒(せきれい)という鳥が止まり、イザナギノミコトとイザナミノミコトの二神に夫婦の道を教えたという言い伝えがある。」と書かれていました。
せきれい石の前にたたずむせきれい茶屋さん。通過、10時 44分。
この尾根沿いは女体山から、その先の弁慶茶屋跡辺りまで奇岩怪石が沢山現れます。
《ガマ石》通過、10時 47分。 あの筑波山名物「ガマの油」ガマ 口上を考案した永井兵助が、この石の上で口上の文句を考えたと云われております。
筑波山は山頂から中腹が 約 7500万年前につくられた斑レイ岩、中腹より下が 約 6000万年前につくられた花崗岩でできています。 古来、これらの岩石は筑波山に暮らす動植物の営みだけでなく、山麓の人々の暮らしをも支えていました。
筑波山は関東各地から遠望できる立地にあり、気象観測所(1902年)や電波中継塔などが古くから立ち並んでいます。 電波塔の下を通過、 10時 50分。
電波塔を過ぎたら、その先に女体山の御本殿が見えた。
女体山山頂の御本殿に到着、 10時 55分。
こちらの山頂も男体山同様、岩場の上に御本殿が建ち、狭いうえ危険防止の柵の建設工事な進められており、邪魔をしないよう 短時間で参拝を済ませ、10分ほどで下山した。
山頂で工事を進められる作業員の方々。ご苦労様です。
素早く工事の裏側を覗かせて頂いたら、遠く霞ヶ浦を見ることが出来た。
下りながら、男体山を遠望す。
御本殿横の天浮橋(あめのうきはし)を渡り、白雲橋コースへの下山道に入る。 11時 05分。
山頂から中腹で見られる斑レイ岩の巨石や奇岩は長い年月をかけた風化や浸食によってつくられたものです。
私は下りですが、下には筑波山ロープウェイのつつじヶ丘駅があり、そこに大きな 駐車場があるので、そこから岩場の急な登りに挑戦してくるファミリーを含め沢山の老若男女が頑張っていました。
屏風岩通過、11時 22分。
屏風岩の上を筑波山ロープウェイが下って来ました。逆光で白黒です。
《北斗岩》通過、11時半。
天に聳え立つ岩で、天空に輝く北斗星の様に、決して動かないことを意味しているのだそうです。 その脇には祭神の月読尊(つくよみのみこと)を祀る筑波山神社の摂社「小原木神社」があります。
この尾根には、まだまだ裏面大黒石、出船入船石、母の胎内くぐりなどの奇岩・怪石が続き、高天原を過ぎ弁慶七戻り石をくぐると終わります。
《弁慶七戻り》通過、11時 55分。
古くから、神々の世界と現世とを分かつ場所とされてきた石門とのことであります。 頭上の岩が今にも落ちそうで、 恐れおののいた弁慶が「七戻り」したと云われています。
弁慶茶屋跡の東屋を通過、12時丁度。
ここが 筑波山ロープウェイのつつじヶ丘駅と筑波山神社へ下る分岐点であり、自分は神社へ戻るため白雲橋コースへと進みました。
《白蛇弁天》通過、12時 50分。
白い蛇が棲んでいると云われ、この白蛇を見かけると財を成すとの伝説があります。
酒迎場(さかむかえば)分岐通過、13時丁度。 ここは白雲橋コースと筑波山ロープウェイのつつじヶ丘駅からの迎場コースとの合流地点です。
女体山登山口に無事下山しました。13時 05分。
この登山口から10分で筑波山神社に到着し、ゆっくりと参拝を済ませました。
※ この1年、ありがとうございました。 ご訪問くださいました皆様、良き新年をお迎え下さい。
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