小山田左兵衛尉信茂と岩殿城。🏯
小山田氏は甲斐の国の東部である郡内地方を武田信玄と同じころ領有しており、武田氏と数回の婚姻関係を結ぶなど武田氏の友国として終始、甲斐の国の発展に尽くしました。
武田三代のころ小山田氏は武田軍の有力な軍事力として連戦を共にし、常に戦の旗頭として活躍した。
小山田氏の主城、岩殿山は周囲が嶮崚な岩壁状となり、更に外堀として深い断崖を囲いめぐらす桂川、葛野川を構え、現在も要害の名をそのままに残している。
広い山頂には岩殿城跡の跡地を示す案内板があちこちに見られた。
岩殿城跡で 35分ノンビリし 9時 15分、浅利登山口に向け出発。
岩殿山から浅利地区に向けての下山口には大岩が現れ、その大岩の間に造られた道を下る。
大岩の間に城門が造られていたという揚城戸(あげきど)跡を下る。9時 20分。
揚城戸跡を過ぎると一気に急な下りが始まり、勢いづかないように慎重に下る。
道案内板が現れ、木の根に注意して進む。
9時35分、標高473mの築坂峠を 通過し、天神山に向け登り返しである。
クサリ場に向かう岩場コースとクサリ場を避けた林間コース分岐を通過。 チョッと冒険してみようと岩場コースを選択し直進する。
岩と岩の狭い登山道にクサリが2ヵ所設置され、慎重に取り付く。
岩を登り進むと、その先に登山道崩落につき通行止めとの標示があり、北側の林間コースに廻る。
この岩が兜岩と言うのだろうか❓ 尾根から北側に入ると急斜面にロープが添えられ、滑り易い土の斜面に先行者の方々が悪戦苦闘しながら下っておられ、「ゆっくりで良いですよ。」と声を掛けた。
下から見上げると、それほど難儀する様に見えないが、バランスの取り難い所であった。
北側を迂回して尾根に出たら、岩殿山が見えた。
陽当たりの良い尾根道ではダンコウバイ やミツバツツジ が出迎えてくれた。
10時 25分、小祠のある天神山(標高 597m)に着いた。
天神山を過ぎると北に進路を取り 、こちらも下ってから稚児落しへ登り返す。
やっと稚児落としが見えた。 一見して、この断崖絶壁は凄いと感動したが、余り左に寄り過ぎると断崖で覗けない。
下から見上げると稚児落としの上に人影が見え、あの上が登山道になっているのが判った。
見晴らしが良くてウキウキしながら稚児落しの山頂に向かう。
稚児落しの上部尾根道に出る。10時 45分。 覗いてみたいが下から断崖絶壁を見たので、手摺りは無いし体の重心は自然に右寄りになった。
稚児落しを過ぎてからは、一気に浅利登山口への下りである。最後の下りは慎重に下った。
浅利地区から県道 512号線を南東に進み、大月駅手前の陸橋より大月駅と岩殿山を望む。
大月駅を 11時 40分通過、岩殿山市営駐車場に 11時 55分、無事戻りました。 標高は低い山だが桜並木を歩いたり、岩のクサリ場や土で滑り易い下りがあったり、断崖絶壁を眺めながら越えていったりとスリル満点の楽しいコースでした。
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