話しが常願寺川から信濃川・大河津分水にいっているが、富山・常願寺川から新潟に戻る際に、ちょっと寄り道をして信濃川「妙見堰」に立ち寄ったので紹介しておきたい。(常願寺川の話は、また後日紹介したい。)
妙見堰は信濃川本川が小千谷市から長岡市に入るところに位置する(正確に言うと長岡市妙見町)。この堰の目的は、新潟県第二の都市・長岡の上水道の安定供給のため、右岸の長岡市東部のかんがい用水(福島江用水)に利用するためというほか、河床の安定のためという役目も担う。
1990年の完成。実はこの堰、建設省北陸地方建設局(現・国土交通省北陸地方整備局)とJR東日本(建設計画は、当時の国鉄)の共同事業により建設された。なぜJRが?と私自身も思った。(写真上:妙見堰の全容を下流右岸からと、堰の管理用歩道から上流部の風景。写真下:併設される国道17号(右)と、長岡市水道局妙見浄水場や福島江用水路への取水口)
というのも以前このブログでもご紹介したとおり、JR東日本はこの堰の上流・十日町市や小千谷市に信濃川発電所(千手・小千谷・新小千谷の各発電所)を保有している。巨大調整池を含めて、信濃川の水をもの凄い量を利用して水力発電を行っている(合計最大出力44万9千キロワット)。
堰の目的で「河床の安定」と記載したが、これは発電用の水量逆調整のための機能のことである。発電のために利用された放流水が、下流の河床や流量に影響を与えないように安定化させるということが、実は最大の目的でもある。
また、この堰には国道17号の小千谷バイパスが併設されているため、国土交通省北陸地方整備局信濃川河川事務所越路出張所妙見堰管理支所と同整備局長岡国道事務所、そしてJR東日本エネルギー管理センター信濃川発電所の三者が共同管理するという、国土交通省直轄ダムとしては異例の管理体制となっている。
右岸側にある管理事務所には「妙見記念館」が併設されている(土曜・休日は閉館、以前訪れた時は休館日だった。要注意!)。3階の展望室からは、堰全体が眺められるほか、上下流の美しい信濃川の流れを眺望することができる。(写真上)
展示物は信濃川の役割やそこにすむ生物などを紹介したもの。その中に「震える大地の記憶・妙見の崩壊」というパネルが目に留まる。そう、平成16年(2004年)の中越地震の際に親子が乗ったクルマががけ崩れに飲み込まれ、奇跡的に2歳の男の子が救出されたという、あの「妙見」の崩壊現場がこの堰のすぐ上流である。
レスキュー隊が男の子を抱えたときには日本中が感動したが、母親と姉が亡くなったことに落胆もした。以前紹介した、山古志へ向かう唯一の道・国道291号もこの現場の近くにあり、山古志の人々の避難路になった。「妙見」という地名は。我々の災害記憶を風化させないための場所でもある。(写真下:記念館の内部と「妙見の崩壊」のパネル)