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役割の重さ歴史の深さを背負って、福島「荒川」の砂防堰堤群がある

2024年12月25日 | 土木構造物・土木遺産


米沢に通っているときから気にはなっていた。今回紹介するのは、福島の阿武隈川の支流の「荒川」だ。第四世代の「萬世大路」である東北中央自動車道の長大な栗子トンネルを使うと、米沢から1時間弱でたどり着ける場所だ。
荒川というだけあって昔から暴れ川。その流れは2000メートル級の吾妻連峰峰から阿武隈川合流地点までの26キロほど延長で1800メートルの高低差で駆け下ることになる。豊かな大地を育む反面、豪雨の際には土石流や氾濫の被害が多発した川である。
ここには、古くから霞堤や水防林がといった洪水対策が施されてきたが、大正期から砂防堰堤や床固工が設置されており、その基数は支川の須川、塩の川、東鵜川などを含めると数えきれないほど施されている。勾配はかなわないけど、あの常願寺川上流と似ている?
(写真上:荒川の小富士橋から上流・下流の風景)



常願寺川の場合、カルデラ出口に白岩堰堤、扇状地のかなめ部分の岩峅寺付近に狭さく箇所がある(まあ、これも厄介者ではある)が、流れを右に左に変える扇状地の先に富山市があり、海抜の低い大都市に洪水被害をもたらしていた。
一方、荒川の場合は、土湯温泉付近から一直線に県都・福島市に向けて流れていて、結局阿武隈川がその水を飲み込めずに合流地点である福島市周辺にたびたび洪水被害をもたらしていた。(阿武隈川は、福島市下流にも上流にも狭くなる場所多い川なんですよねー。)
ここに大正期に設置された「地蔵原堰堤」のほか、昭和期に入って国の直轄事業となり、荒川本流に9基の堰堤、塩の川・東鵜川の支川に5基、そのほか荒川第四床固が施工され、その後も須川流域を含めて堰堤・床固・階段工・流路工などの工事が現在も進められている。
(写真上2枚:地蔵原堰堤は1925年完成、その後の補修などにより様々な石積み工法が見れる、砂防の父・赤木正雄お墨付き!写真下2枚:東鵜川第一堰堤は温泉街の通りから容易に見ることができる。)



ただ、谷が深く、かなり険しい山中に設置されており、設置工事も大変な苦労があったとは聞くが、中流部の床固工施工か所以外はなかなか見ることがかなわない。クルマ移動だと地蔵原堰堤と土湯温泉街の東鵜川第一堰堤しか拝めなかった。
コロナの影響でこのところ開催されいないというが、年に一度だけ川沿いを伝ってトレッキングツアーなどが開催されていたそうである。こちらもなかなか厳しそうな行程のようであるし、重装備も求められるのではないだろうか?
堰堤ほか近世の治水事業を含め「荒川流域治水・砂防事業」として土木学会選奨の土木遺産に認定。1957年(昭和32年)までに設置された堰堤・床固工15基は、歴史的な景観も寄与しているということで国の登録有形文化財でもある。確かに役割の重さ、歴史の深さを感じさせる福島の守り神である。
(写真下:クマ出没の看板脇にクルマを止めて地蔵原堰堤へは徒歩5分。飯坂温泉が福島の奥座敷なら、土湯・高湯温泉は福島の離れ(写真は温泉街遠景、土湯展望台から撮影))





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