また少しばかり会津に話を戻してみたい。
奥会津に足を入れてから数カ月、会津地方がとても魅力的な土地なのだが、只見川や只見線のほか沿線の町も魅力が詰まっている。
奥会津の玄関口は柳津町と以前書き込んだが、ベースキャンプとなるのは会津坂下(あいづばんげ)町と言っていいのではないか?
只見線が会津坂下を出ると、利用者が極端に減り、超ローカル線となること。国道49号から国道252号で奥会津に入る地先が会津坂下であり、磐越道のインターもある。
会津若松方向からだと、七折峠を超えたところから奥只見に入ることになるが、坂下の市街地は会津盆地の北西の際。
国道49号から市街地に入ると、直線でかなり広い道路に商店街を要している。昔ながらの匂いをさせながらも何か開けた感じがする場所だ。
この通りが「ライヴァン通り」といって、平成の初期に整備された通りということだ。(写真上:会津坂下の中心街である「ライヴァン通り」と、通勤通学に地元の方が利用するJR只見線の会津坂下駅。)
しかし、「ライヴァン」とはハイカラな名前。その名の由来を地元の方に取材することを失念してしてしまい、家に戻ってからどうしても気になって仕方がない。
思い切って町の商工会に問い合わせると、主任経営指導員の方が丁寧に教えてくれた。「来客」と「坂下(ばんげ)」からきているとのこと。商店街に千客万来を願って付けられたのだ。
もしかして、安積疎水のドールンのように、ライヴァンさんという外国人との接点があったのでは?とも考えたのだが、洒落たひねりでもある。
坂下の名物というと、以前紹介した冷やしラーメン(本年6月22日記事参照)。そのほかには桜刺し、そう会津の馬刺し文化はこの町から広がったといっても過言ではない。(写真下:冷やしラーメン(再掲)と桜刺し(馬刺し))
新潟県の阿賀町を紹介した時も津川の馬刺しを紹介したことがあった(2020年11月3日記事参照)。津川は会津藩。この地の食文化が新潟にも影響を及ぼしていたのだ。
新潟と会津、切っても切れない縁があるようで、新潟の人たちにも会津坂下に「ライヴァン」してほしい。
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