奥会津紀行、二つ目の町は、奥会津への入り口にあたる柳津町を紹介する。国道252号が只見川に絡み始める町だ。
只見川は水量豊富な上、いくつものダムで堰き止められていることから、満々と水を湛え川幅も広い。柳津の市街地と言える場所は、川べりの僅かな土地に公共施設や商店が並んでいる。
以前は、旧道は狭かったようだが、今は国道のバイパスが完成し、柳津橋、瑞光寺橋の二つのアーチ橋が町のシンボルとなって、交通の便を図っている。(6月8日の記事参照)
「赤べこ」の発祥の地ということだが、柳津と言えば「福満虚空蔵菩薩・円蔵寺」。日本の三大虚空蔵尊で、空海作の虚空蔵菩薩を安置しているとの謂れがある寺院で、参拝者も多いことから観光の中心でもある。
崖の上に立つ円蔵寺、そこへ続く急な階段がシンボルでもあるが、階段を登り切った境内に「開運・撫牛」が置かれている。これが赤べこの由来ともなっているのだという。
400年ほど前の1611年、会津地方を襲った大地震の際、どこからともなく表れた赤牛の大群が本堂再建のための資材を運ぶのを手伝ったのだとか。赤べこといえば円蔵寺といったところか。
この地の名物と言えば「あわまんじゅう」。ヒエやあわというと、土地がやせている場所や平地の少ない山間部で栽培されるというイメージがあるが、神仏への供物にもなるもので、イネより早く日本に伝来した由緒ある穀物だ。
粟ともち米を混ぜて、こし餡をくるんで蒸したものが名物・あわまんじゅうで、狭い市街地に数件の店がひしめき、昔ながらの製法により造り提供している。粟のつぶつぶ感ともち米の柔らかい触感が絶妙で、とっても素朴な味がする。
こちらは1818年、柳津が大火に見舞われたときに、「もう二度と災難に『あわ』ないように!」と円蔵寺の和尚が門前の菓子職人造らせたのが始まりだといわれている。
つまりは、赤べこもあわまんじゅうも、円蔵寺監修により現在、会津を代表する名物になってきた。made in Ennzouji!
地震の時に材木を寄進した上流部の方々や大火で疲弊する町人たちを大事にしてきた所以が虚空蔵さまの信仰にも興にもつながっているのではないだろうか?
苦難を幾度も乗り越えて奥会津を守り続けた、その入り口にふさわしい本尊。仏の導きっと深い慈悲に包まれた奥会津の旅、ここからが本番!
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