またまた会津へ逆戻り。言わずと知れたことだが会津は歴史深い土地である。東北地方で最も早く仏教文化が開花したのも会津である。
平安初期、山の神・磐梯明神を守護神として、磐梯山の麓に開かれた慧日寺(えにちじ)によって仏教は会津地方に広められたという。(現在は「慧日寺跡」として、資料館などで歴史を紹介している。)
厳しい冬の気候や磐梯山の噴火などもあってか、会津の土地に信仰心が深まり、全国でも広められた三十三観音めぐりがこの地の進行から娯楽へと人々に根付いたということだ。(「日本遺産・会津三十三観音めぐり」より。)
実は「会津三十三観音」のほか、会津盆地の東西南北、会津若松市内など、信仰の広がりによってなのかいたるところで三十三観音めぐりが紹介されている。こりゃ巡るのはのは大変だなーと思いながら調べると面白い信仰が目に留まる。
「ころり三観音」。三つの観音様を巡拝することにより、人の心にはびこる三毒(よこしまな心、怒りの心、不平不満の心)を罪障消滅し、寿命安楽にて大往生を迎えることができるというもの。
自分に分にぴったりの信仰だし、死に向き合う時も近い、近いというとこの三観音は新潟からも近い会津盆地の北西方向にある。せめて会津をウロウロする間にお参りしたいと考えたのだ。


もしかして、巡る順序があるのかもしれないが、まずは磐越道・会津坂下インターからも近い「立木観音(恵隆寺)」へ(写真上)。
ご本尊は十一面千手観音。観音堂とともに国の重要文化財だ。立木の根が付いたままの状態から掘った本尊であることから「立木観音」と名付けられ親しまれている。
抱きついて願い事が成就するという「だきつき柱」などがあるが、堂内は撮影禁止、拝観料も必要のことで、外からのお参りになる。信仰心の薄い自分には、この時点でご利益は期待できない。


立木観音から15分ほどのところに「中田観音(弘安寺)」がある(写真上)。会津美里町だが、会津高田の町から少し外れたところの住宅密集地にひっそりとした場所にある。
何でも観音様を本尊とするときは、不動明王と毘沙門天の三体の配置になる一般的だが、ここでは毘沙門天ではなく地蔵菩薩という全国的にも珍しい配置。こちらも国の重要文化財。
こちらの観音様は、野口英世の母・シカも信仰していたといい、野口英世とともに参拝した写真なども収められている。


最後三番目にお参りさせてもらったのが新潟に最も近い西会津町にある「鳥追観音(如法寺)」。国道49号から大山祇神社方向へ数分、磐越道をくぐり小高い丘を登ると見えてくる(写真上)。
県の重要文化財である仁王門を入り本堂へ。左甚五郎作と言われる「隠れ三猿」の彫刻があるお堂は、「東西向拝口(東から入り、西から出る)」を持つ珍しい造りになっている。
「隠れ三猿」の三匹目の猿は隠し彫りが施されており、探すのが大変だとか。三猿を探せれば「福マサル」と言って幸運が開くという。団体向けの住職の説明をこっそり聞いてしまいました。
拝観料をケチったり、住職の話をこっそり聞いたりと、心の穢れが拭い去れない自分。
いずれも本堂には福結びの「だきつき柱」がることが共通でもあるが、こちらも完全に確認を怠り、抱きつくどころか確認もしていない状況。間違いなく私は「ころり」とはいけないことを悟った三観音の拝観の旅だった。
平安初期、山の神・磐梯明神を守護神として、磐梯山の麓に開かれた慧日寺(えにちじ)によって仏教は会津地方に広められたという。(現在は「慧日寺跡」として、資料館などで歴史を紹介している。)
厳しい冬の気候や磐梯山の噴火などもあってか、会津の土地に信仰心が深まり、全国でも広められた三十三観音めぐりがこの地の進行から娯楽へと人々に根付いたということだ。(「日本遺産・会津三十三観音めぐり」より。)
実は「会津三十三観音」のほか、会津盆地の東西南北、会津若松市内など、信仰の広がりによってなのかいたるところで三十三観音めぐりが紹介されている。こりゃ巡るのはのは大変だなーと思いながら調べると面白い信仰が目に留まる。
「ころり三観音」。三つの観音様を巡拝することにより、人の心にはびこる三毒(よこしまな心、怒りの心、不平不満の心)を罪障消滅し、寿命安楽にて大往生を迎えることができるというもの。
自分に分にぴったりの信仰だし、死に向き合う時も近い、近いというとこの三観音は新潟からも近い会津盆地の北西方向にある。せめて会津をウロウロする間にお参りしたいと考えたのだ。


もしかして、巡る順序があるのかもしれないが、まずは磐越道・会津坂下インターからも近い「立木観音(恵隆寺)」へ(写真上)。
ご本尊は十一面千手観音。観音堂とともに国の重要文化財だ。立木の根が付いたままの状態から掘った本尊であることから「立木観音」と名付けられ親しまれている。
抱きついて願い事が成就するという「だきつき柱」などがあるが、堂内は撮影禁止、拝観料も必要のことで、外からのお参りになる。信仰心の薄い自分には、この時点でご利益は期待できない。


立木観音から15分ほどのところに「中田観音(弘安寺)」がある(写真上)。会津美里町だが、会津高田の町から少し外れたところの住宅密集地にひっそりとした場所にある。
何でも観音様を本尊とするときは、不動明王と毘沙門天の三体の配置になる一般的だが、ここでは毘沙門天ではなく地蔵菩薩という全国的にも珍しい配置。こちらも国の重要文化財。
こちらの観音様は、野口英世の母・シカも信仰していたといい、野口英世とともに参拝した写真なども収められている。


最後三番目にお参りさせてもらったのが新潟に最も近い西会津町にある「鳥追観音(如法寺)」。国道49号から大山祇神社方向へ数分、磐越道をくぐり小高い丘を登ると見えてくる(写真上)。
県の重要文化財である仁王門を入り本堂へ。左甚五郎作と言われる「隠れ三猿」の彫刻があるお堂は、「東西向拝口(東から入り、西から出る)」を持つ珍しい造りになっている。
「隠れ三猿」の三匹目の猿は隠し彫りが施されており、探すのが大変だとか。三猿を探せれば「福マサル」と言って幸運が開くという。団体向けの住職の説明をこっそり聞いてしまいました。
拝観料をケチったり、住職の話をこっそり聞いたりと、心の穢れが拭い去れない自分。
いずれも本堂には福結びの「だきつき柱」がることが共通でもあるが、こちらも完全に確認を怠り、抱きつくどころか確認もしていない状況。間違いなく私は「ころり」とはいけないことを悟った三観音の拝観の旅だった。
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