行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

鹿瀬の山の謎のトンネルは、先人の偉業を伝える水路だった

2020年10月28日 | 旅行記・まち歩き


阿賀町の鹿瀬を紹介するのは、鉄橋シリーズを含めると今回が4回目となる。(実際、足を運んだのは、ここまで3回。)
前々回、鹿瀬ダムを紹介したが、その時に見つけた隧道を紹介しておきたい(決して、廃墟・廃道マニアではないのだが、やっぱり気になってしまうんです。

鹿瀬大橋から向鹿瀬に渡り、新潟昭和の工場をぐるっと迂回しながら山道を駆け上る国道459号。登り切ると鹿瀬ダムに通じるがその手前、新潟昭和の工場の裏側付近で、すぐ道路の側にその隧道が見える(写真上)。
すでに廃道。単管パイプでしっかりと進入できなくしてある。安全のためだろうが、中を覗いて見てみると、意外にきれいで新しい。しっかりと壁面にはコンクリートが塗られている(写真下)。
しかも、交通標識は、高さ1.8メートル制限、速度10キロ制限、一時停止?クルマが走っていたということですよね?厳しい山道を恐る恐る低速走行しながら、反対の出口にも行ってみたが、標識等も同じ感じ(写真下)。



新潟昭和(旧・昭和電工鹿瀬工場、写真下)に電気を送るため設置されている鹿瀬ダム・鹿瀬発電所(写真下)用の管理道路か?川沿いの旧道は遠回りな上、かなり危険か所も多い。向鹿瀬から鹿瀬ダムまでの新しい国道459号がいつできたかは分からないが、これとて雪が降るとかなり厳しいはずだ。(未整備区間の多い国道459号は、「シゴク(至極)厳しい路線)」と言われているとか?)
ただ、この隧道に関する資料は少なく、インターネットでもなかなか有力なものがヒットしない、謎に包まれて、心霊スポットなどとも言われているようだが、その用途に使われていたことには間違いなさそうだ。



ただ、上流・発電所方向の出口付近に、石碑と看板が設置されていました。なんと新田開発のために水を引き入れる水路用の隧道だったのです(写真下)。
200歳の導水路?149間?メートルにすると350メートルですよ!これは、近代土木遺産以前の凄い代物ですよ、大発見!当時は素掘りだったはずですが、発電施設の管理のために移管・改修されたのだと考えられる。少し残念。
東北電力の発電所、ダムをはじめとする発電施設の管理上、あまりオープンにしたくないのだろうし、また安全管理・メンテナンスのことを考えると通行させるわけにもいかない。分かりますけどねー。(あくまでも、私の推測です。)

それにしても、枝村甚兵衛さんは偉い!7年間をかけて、向鹿瀬の新田(今の新潟昭和の工場敷地)に水を引き入れて、開田に成功した。
どうしても、銅山の閉山、美田開墾したものの工場に売り渡し、戦中の工場は捕虜収容所、企業城下町として繁栄を極めたものの赤字が続き、有機化学肥料にシフトしたものの新潟水俣病の被害をもたらす、何か「負」の歴史の中で、先達の偉業が見えなくなっているのはないかと思うと、複雑な気持ちになってしまう。
ところが、その先にもまだあった!(続く)




コメント
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