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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

日本の町

2020-08-29 18:00:20 | 丸谷才一

丸谷才一・山崎正和 一九八七年 文藝春秋
これはたしか2018年の秋に古本まつりで買ったもののひとつ、やっと読んだ。
ほかにも一緒につくった仕事がいろいろありそうなお二人による対談集、タイトルのとおり、日本の都市論。
京都生まれの山崎さんが、金沢について、
>よく京都と金沢というのは似ている、金沢は北陸の京都だなどといわれるけれども、あれは金沢に対する大変失礼ないい方であってね、(略)金沢は金沢という特殊な町であって、およそ京都じゃないという気がする。(p.12)
なんて言ってるけど、京都は文化を売り物にしてるけど、金沢の人は文化を自分で使って楽しんでいる、というのがその根拠。
初めて北海道に行ったという丸谷さんが、小樽について、
>ぼくの印象でも、衰退していく町という感じがずいぶん強い。(p.40)
とか
>(略)いったいこの市の管理者たちは何をやっているのかという感じでした。(p.41)
とか厳しいんだけど、「東京・横浜」とか「大阪・神戸」と同じように「札幌・小樽」というのはペアの都市なんだが、横浜や神戸は前からあった大都市に吸収されない特色があるけど、小樽は持ってた機能を全部札幌が大きくなったときに吸い上げられてしまったんではと考察してる。
港町なのに外国人の姿がない、なんて観察もしてるけど。
宇和島からは詩人が輩出されてるいっぽうで、法学者も続出してることについて、山崎さんは、
>季節はそれぞれに激しい、厳しい、はっきりしている。南国的なものと北国的なものとが結びついているそういう矛盾しているところから、詩と理屈という二種類のタイプの人間が出てくるんじゃないか。(p.79)
と「牽強付会」とことわりながら言ってたりする、おもしろい。
長崎の道が複雑で、ほかの城下町とかみたいに中心を決めて整備されたようなとこがないことについて、山崎さんは、
>(略)人口四十万という大都市にもかかわらず、おそらく日本の都市の中で最も自然発生的で、そのことをちっとも恥じていないという感じですね。それは一つには、町の歴史というものを長崎の人々が非常に誇りに思っているからでしょうね。日本で一番ユニークな町なんだと思っている。そのプライドの強さが、あの町の混乱状態をちっとも制御しないことになったと思いますね。(p.98)
なんて言っている、そういうものかもしれない。
西宮・芦屋とかの阪神間について、近世都市で巨大な城下町の大阪と、明治以降の近代都市で港湾都市の神戸という、違う性質の町に挟まれて両方の影響を受けながら不思議な性格の住宅地ができたんだという山崎さん。
編集部からの、京都と大阪のあいだにはなぜ住宅地が出来なかったのかという問いには、
>(略)京都と大阪は、江戸時代には、江戸と並んで三都と呼ばれていましたね。したがって、江戸と大坂の距離と、京都と大坂の距離は、心理的には同じだったのです。それほど京都と大阪は互いに遠い町であり、また異質の町だった。これを、関西は一つだとか、あるいは近畿圏といってひとまとめにするようになったのは、明治以降の虚構なんですよ。(p.121)
と答えてるんだが、日本都市文明史について蒙を啓かされるいい意見だなあと思う。
あと、やっぱあのへんの町の文化については、男たちは大阪へ昼間働きに出掛けてって夜も大阪で遊んでるんで、残った女性たちがつくったものではないかという。
そういやあ、やたら仕事の用で人が集まってる町よりも、女のひとが残っててランチ行っても店んなか女性ばっかなんて町のほうが、オッシャレーと言われることが多いような気がしないでもない。
弘前には京都の文化が伝わっていることについて、山崎さんは、
>(略)江戸が一時期、非常に反京都的で、関東武士の健康にして質実なる文化をつくろうとしていた時期に、かつての宮廷文化というのを受け継いだのは、むしろ日本海沿岸の港町及びその後背地なんです。私は津軽というのはまさにそういうところだったんだという気がします。(p.158-159)
と北前船の沿岸貿易による文化の伝わりについて解説してくれる。
同じことは日本海側の松江でも言われるんだけど、不便な交通手段の陸路に比べて、船の文化というのはスピードがありすぎて、町をつくるんだけどつながりがないと指摘する。
そこんとこで、丸谷さんが、日本で散文が成立しなかったのは航海日誌が書かれなかったからだという、意外な文学史を提唱してくれる。
>航海日誌がないというのはなぜなのか。それは船の乗り方が口から口への秘伝だったからでしょう。西洋の場合は、航海日誌を書くことによって後輩である航海者に伝えるというのが一つ。それからそれを書くことによって、船主に報告するという義務、その二つがあったと思うんですよ。それが日本の船乗りにはなかった。(p.210)
という事情から始まって、
>西洋の散文ってものは、まず航海日誌によってでき上ったものらしいんです。(略)そうすることによって、具体的に、詳しく、しかし簡潔に、描写力に富んだ書き方をする散文というものが成立した。(略)そういう富の集約の結果、成立したものが十八世紀のイギリス小説、つまりデフォーとか、スウィフトとか、そうした小説であるわけです。(p.210-211)
という小説の成り立ちを説明してくれる、いつものことながら、学校の文学史とかはこういうことを教えていただきたいものだと思う。
さんざ、いろんな地方都市に実際に出かけて論じてきたけど、最後の東京論が実はいちばんおもしろいんぢゃないかという気もする。
東京には坂が多く、しかも神戸とか函館とかの山と海をつなぐ一方的な坂とちがって、あちこちでこぼこ上がり下がりのある坂の多い土地に大都市をつくったのは珍しく不思議だという。
>東京が非常にユニークな町だというのは、単に現状がユニークだというだけじゃなくて、日本史の中でも例外的な町だし、ひょっとすると世界史の中でも異例な町かもしれませんね。港があったからとか、川沿いだとか、街道筋だとか、門前町だとか、われわれは人文地理学の都市形成の原理をいろいろ読みかじりますがね、しかし、尾根伝い、谷伝いに町をつくって、しかもそれが巨大な大都市になるというのは、いままでの人文地理学の本に書いてないようですね。(p.232-233)
という山崎さんは、自らこのことを「大発見」だという。
一方の丸谷さんは、江戸の中心は江戸城ぢゃなくて富士山をランドマークにしているという説の書いてある、陣内秀信「東京の空間人類学」という本に刺激を受けたというけど、うむむ、それは読んでみなくてはって気にさせられた。
コンテンツは以下のとおり。
金沢――江戸よりも江戸的な
小樽――「近代」への郷愁
宇和島――海のエネルギー
長崎――エトランジェの坂道
西宮芦屋――女たちがつくった町
弘前――東北的なもの
松江――「出雲」論
東京――富士の見える町

二年くらい前に買った丸谷さん関係の古本はいっぱいあったんだけど、これでようやく一区切りついたみたい。ふう。

コメント
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