これもよく話すことですが、「結果」には必ず「原因」があります。ほとんどの場合、「結果」だけで判断してしまいます。実はその前の段階で「結果」に結び付く事柄が必ず起きています。そこから学ぶ事は多いと思います。
上手くいかない時の「予兆」はかなり前にあります。前日とかではなくもっともっと前の段階で「失敗するかも」という感じはあります。blogを始めて5年は経っていると思いますが、過去の記事を見るとやはり「原因」となる事件が起きていたりします。こちらの伝えようとしている事が上手く伝わらずに指導者に対しての「不満」を抱えていたり、自分達の行動を「正当化」しようとする行為があった時は必ず失敗します。事前に「事件」が起きますし、その「事件」の前に「指摘」していることが必ずあります。たいていの場合は「指摘」した部分から崩れています。全く面白くはない(愉快ではない)ですが、非常に面白い(興味がある)ですね。
うちは日誌を毎日書かせていますが、その提出が出来ないときは100%に近い確率で上手く行きません。内容を見ると「私が言った事を書くだけ」という者も必ず失敗をします。「今日は頑張った」と書いているだけでも進歩はありません。
最近は全く無くなりましたが、学校に来てから休み時間の間に書くという時はダメですね。私に見せるために書いているだけで「書かないと怒られる」から書いている。内容を見たら分かります。これは意識の問題が大きいと思いますね。何のために書いているのかが全くわからない。無意味です。ルーズリーフ1枚で出したり、ノートをちぎって出すというのは問題外。次元が違います。この辺りでも「言われている事の意味が分かっているのか」は判断できます。大切な場面で自分の取り組みを振り返る事ができません。その場しのぎの取り組みをしている選手は「失敗」する確率がその時点で高い。
日誌に関しては「約束」です。毎日提出するなら指導をするという「約束」です。これは選手に「指導してもらうのが当たり前」という感覚を無くそうというのと「約束を守る」という当たり前の事を伝えるために始めました。守れない者はその程度の意識だなと私も分かりますし、チーム内でも分かります。これも結局は「本人の意識」の問題です。私との約束をきちんと守れない者が「何が何でも強くなろう」と考えているとは思えません。それでも選手は「自分は本気だ」と言い切れるのか?示すモノがないのに信じる事は出来ません。意識レベルが高くなればかなりの内容を書きます。書く事で自分自身の考え方を見直す事も出来るので更に意識が上がります。「差」は激しくなります。「日誌を書く」という作業がまともに出来なければうちの取り組みとしては、「強くなれない」というのが分かります。かなりの確率でつながっています。
また内容の変化もかなりの確率で「結果」につながります。これまで「1日だけ」まともな日誌を書く選手を何人も見てきました。しかし、「一時的な感情」で書いているので続きません。だから大事な場面ではその時の気持ちは忘れてしまって、「上手くいかなかったのは指導者や仲間が悪い」という感情になります。絶対に上手くいきません。継続して「心」の動きを示せるようになると見違えるように変わっていきます。以前5年位前は「お遊び状態」から始まりましたが、「心」を示した日誌を続けているうちにかなり成長しました。すごかったですね。
内容が「毎日同じ事を書く」状態だったり、こちらが伝えている事に目が向かず「自分の事ばかり」書いている時は近いうちに必ずミスをします。周りが見えなくなって「自分だけはやっている」という思いが出てきますから、間違った方向に考え方が偏る確率が高い。日誌内容を見る事で選手が本当に考えている事が分かってきます。私に認めてもらいたいという日誌は見たらわかります。だから認めません。意図が見えているから…。
最近も日誌を通じて選手の考え方の偏りを感じたので先手を打って厳しい対応をしました。確認すると「日誌内容を見直してみると自分でも分かった」と話していました。崩れてからでは遅いので早目に対応できます。意識レベルの成長も日誌を見ると感じます。
日誌を見ていると「これは駄目かもしれない」と感じる時がある。かなりの確率で駄目になる。日頃の意識が現れるのでしょうね。本当に目指すモノがあるなら「心」を示せる日誌を書けるようにならなければいけないと思います。別に日誌で無くてもいいと思いますがうちのチームはそれを指標にしています。変化を読み取るモノを持っておきたいですね。
上手くいかない時の「予兆」はかなり前にあります。前日とかではなくもっともっと前の段階で「失敗するかも」という感じはあります。blogを始めて5年は経っていると思いますが、過去の記事を見るとやはり「原因」となる事件が起きていたりします。こちらの伝えようとしている事が上手く伝わらずに指導者に対しての「不満」を抱えていたり、自分達の行動を「正当化」しようとする行為があった時は必ず失敗します。事前に「事件」が起きますし、その「事件」の前に「指摘」していることが必ずあります。たいていの場合は「指摘」した部分から崩れています。全く面白くはない(愉快ではない)ですが、非常に面白い(興味がある)ですね。
うちは日誌を毎日書かせていますが、その提出が出来ないときは100%に近い確率で上手く行きません。内容を見ると「私が言った事を書くだけ」という者も必ず失敗をします。「今日は頑張った」と書いているだけでも進歩はありません。
最近は全く無くなりましたが、学校に来てから休み時間の間に書くという時はダメですね。私に見せるために書いているだけで「書かないと怒られる」から書いている。内容を見たら分かります。これは意識の問題が大きいと思いますね。何のために書いているのかが全くわからない。無意味です。ルーズリーフ1枚で出したり、ノートをちぎって出すというのは問題外。次元が違います。この辺りでも「言われている事の意味が分かっているのか」は判断できます。大切な場面で自分の取り組みを振り返る事ができません。その場しのぎの取り組みをしている選手は「失敗」する確率がその時点で高い。
日誌に関しては「約束」です。毎日提出するなら指導をするという「約束」です。これは選手に「指導してもらうのが当たり前」という感覚を無くそうというのと「約束を守る」という当たり前の事を伝えるために始めました。守れない者はその程度の意識だなと私も分かりますし、チーム内でも分かります。これも結局は「本人の意識」の問題です。私との約束をきちんと守れない者が「何が何でも強くなろう」と考えているとは思えません。それでも選手は「自分は本気だ」と言い切れるのか?示すモノがないのに信じる事は出来ません。意識レベルが高くなればかなりの内容を書きます。書く事で自分自身の考え方を見直す事も出来るので更に意識が上がります。「差」は激しくなります。「日誌を書く」という作業がまともに出来なければうちの取り組みとしては、「強くなれない」というのが分かります。かなりの確率でつながっています。
また内容の変化もかなりの確率で「結果」につながります。これまで「1日だけ」まともな日誌を書く選手を何人も見てきました。しかし、「一時的な感情」で書いているので続きません。だから大事な場面ではその時の気持ちは忘れてしまって、「上手くいかなかったのは指導者や仲間が悪い」という感情になります。絶対に上手くいきません。継続して「心」の動きを示せるようになると見違えるように変わっていきます。以前5年位前は「お遊び状態」から始まりましたが、「心」を示した日誌を続けているうちにかなり成長しました。すごかったですね。
内容が「毎日同じ事を書く」状態だったり、こちらが伝えている事に目が向かず「自分の事ばかり」書いている時は近いうちに必ずミスをします。周りが見えなくなって「自分だけはやっている」という思いが出てきますから、間違った方向に考え方が偏る確率が高い。日誌内容を見る事で選手が本当に考えている事が分かってきます。私に認めてもらいたいという日誌は見たらわかります。だから認めません。意図が見えているから…。
最近も日誌を通じて選手の考え方の偏りを感じたので先手を打って厳しい対応をしました。確認すると「日誌内容を見直してみると自分でも分かった」と話していました。崩れてからでは遅いので早目に対応できます。意識レベルの成長も日誌を見ると感じます。
日誌を見ていると「これは駄目かもしれない」と感じる時がある。かなりの確率で駄目になる。日頃の意識が現れるのでしょうね。本当に目指すモノがあるなら「心」を示せる日誌を書けるようにならなければいけないと思います。別に日誌で無くてもいいと思いますがうちのチームはそれを指標にしています。変化を読み取るモノを持っておきたいですね。