火曜日の夜、中学時代の陸上部の同窓会が開催されることになっていました。どこかで「集まろう」という話になったようです。私達の学年から3学年集まるとのこと。こういう仕事をしていますから「お付き合い」という意味でも参加をしないといけないと思っています(笑)。中学時代の恩師にご挨拶させて頂く機会も少ないのでこういう機会にという気持ちもありました。
集合場所に時間の少し前に到着。会場に行ってみましたがだれが誰か全く分かりません。失礼な話ですね。中学を卒業してから25年経過しています。その間全くと言って良いほど会っていません。さらに同級生は私を含めて3人。中学時代陸上部員は80人近くいました。下級生と親しく話したというのはあまりなかった気がします。それでもお付き合いとしては参加しないといけないですからね。
本当に全く分かりませんでした(笑)2つ下の学年はほぼ分からず。名前を聞いても思い出せません。中には同じ職場同士、ご近所さんという繋がりがあったりするようです。2つ下の学年は今でも仲良く1年に1度は集まっているとのこと。私達の学年は一度も集まったことがありません(笑)。私自身がそういう感覚が少なくて目の前のことしかやっていなかったのも大きく影響していたと思います。今更ながら反省です。
たまたま大学の後輩と結婚した2つ下の子がいるのですがその子は今は県外にいます。今回も参加していませんでした。少し繋がりがある子がいたら違うんですが(笑)。これはかなり厳しい。となりに座った後輩と話をしてみると相手は私の事を知っていました。うーん、中学時代はほぼ無名選手ですからそれでも覚えていてもらえるというのは有り難いことです。
中学時代の陸上は私の中ではかなり「ダメな記憶」です(笑)。本当に競技をしていたのか?と言われるとほぼしていないというレベルです。最後にやる気になった時は秋の県体の直前。時すでに遅しです。私はそんなに強い選手ではありませんでした。県大会で決勝に残るか残らないかのレベル。4×200mリレーのメンバーにも入れませんでした。この日参加してした3000mの選手がリレーメンバーに入っていました(笑)。長距離よりも遅い短距離選手ってどうなんでしょうね。まー全国で入賞するような選手でしたから仕方ないという部分も有りますが。
ほぼ怒られた記憶しかありません。恩師が話していましたが「お前は一番怒った気がする」とのこと。うーん、否定しません。今考えたら恥ずかしい話です。一番覚えているのが「怒って立たせていたが忘れて帰ったこと」だと言われていました(笑)。酷い(笑)。「お前、色が黒かったから暗くなって忘れていた」と。単なる悪口です(笑)。まーそれくらい常に怒られていましたからね。それが今では「教える立場」で陸上競技に関わっているのですから世の中はわかりませんね。
恩師とは今の仕事について何度もお会いしています。他の人たちよりは頻度が高かったと思います。国体関係などで実際に指導現場に来られたこともあります。練習を見に来られた時には「kaneko、選手を怒っていたらダメだ」と言われました(笑)。あれだけ私は怒られていたのに~_~;、という気持ちがありました。当時のことを聞いてみると「お前が指導している姿をみて視野が狭くなっていると感じたからそういう言い方をした」との事でした。駆け出しの指導者であった当時の私に対して「もっと違うやり方がある」というアドバイスだったのだと思います。まだ20代の私にはそこの真意を理解することができなかった。甘かった(笑)。
今の指導を見てもらいたいなという気はします。当時とはずいぶん変わったかなと思っています。恩師が我々の指導をされていた年代が今の私です。どこかのタイミングで指導する姿を見てもらえたら幸せかもしれません。
また、これも恩師は覚えていないと思いますが「合宿などの指導」に関して色々と話を聞いた事があります。合宿では相手が「学びたい」と思ってきている。来る前と来た後で「明らかに変わった」というモノを与えないといけない。それだけの責任があるんだと。中学時代に気付けなかった事が今の仕事に就いてから教えてもらえるというのは大きいと思っています。今でもそこの部分は意識して指導しています。
縁。これも大きなものだと思っています。私が10年間同じ職場で競技の指導をしてきた我がBOSSは私の恩師の1つ上の先輩となります。高校時代一緒に競技をされていました。私が指導するようになって同じ職場で恩師の先輩から毎日のように様々なことを学びながら指導に関わる。偶然というよりは「必然」だったのかなと思っています。私みたいなアヤフヤな人間を1人で指導出来るようになるまで育てないといけないという部分があったのだと思います。その10年間が私の指導の土台を作ったと思っています。
何人かと話をしました。高校時代に専門的な指導を受けられなかった、という話が大半でした。それでも中学時代に陸上競技に対しての基礎を教えてもらっていたのは本当にありがたかった、と。当時は「なんでこんな事をやっているんだ」という感覚が強くありました。しかし、その後で力となっていたのです。私自身高校では指導を受けたことは一切ありません。中学時代の実績はなし。それでも高校時代は県チャンピオンになれました。自分で「強くなりたい」と思ってやっていたからです。その土台はやはり中学時代にあったのだと思います。
大学まで行って陸上競技をやっていたのは私だけかもしれません。死ぬほど怒られて忘れて帰られるような私がです(笑)。大学では一応日本選手権や全日本インカレに出場させてもらいました。当時も全て我流でやっていましたがそれでも「陸上が好き」というのがあったのだと思います。そして今では高校で陸上競技の指導をしている。こんなウソみたいな話があるのでしょうか(笑)。
恩師の存在があるから学生時代もやってこれたのだと思います。真剣に怒ってくれていましたから。まーそんなに怒られるような事をしていたのか?という話ですが(笑)。本当に出会いというのは大切だと思いますね。
今、指導をしています。今はそのことが上手く伝わっていないかもしれません。今回恩師に会って「見えなくても伝わっている」と言うのが分かりました。他の子達もそれを感じているから集まって来たのだと思います。まー私が今の仕事をしていると想像できる同級生や後輩はほとんどいないと思いますが。どんな中学時代を送っていたのか?!恐ろしい話です(笑)
貴重な時間でした。こういう場を設けてくれた後輩達に感謝しなければいけません。私も原点に帰った気がします。自分がやろうとしている事を信じて選手と向き合っていきたいと思います。ブレずに進んでいきます。
集合場所に時間の少し前に到着。会場に行ってみましたがだれが誰か全く分かりません。失礼な話ですね。中学を卒業してから25年経過しています。その間全くと言って良いほど会っていません。さらに同級生は私を含めて3人。中学時代陸上部員は80人近くいました。下級生と親しく話したというのはあまりなかった気がします。それでもお付き合いとしては参加しないといけないですからね。
本当に全く分かりませんでした(笑)2つ下の学年はほぼ分からず。名前を聞いても思い出せません。中には同じ職場同士、ご近所さんという繋がりがあったりするようです。2つ下の学年は今でも仲良く1年に1度は集まっているとのこと。私達の学年は一度も集まったことがありません(笑)。私自身がそういう感覚が少なくて目の前のことしかやっていなかったのも大きく影響していたと思います。今更ながら反省です。
たまたま大学の後輩と結婚した2つ下の子がいるのですがその子は今は県外にいます。今回も参加していませんでした。少し繋がりがある子がいたら違うんですが(笑)。これはかなり厳しい。となりに座った後輩と話をしてみると相手は私の事を知っていました。うーん、中学時代はほぼ無名選手ですからそれでも覚えていてもらえるというのは有り難いことです。
中学時代の陸上は私の中ではかなり「ダメな記憶」です(笑)。本当に競技をしていたのか?と言われるとほぼしていないというレベルです。最後にやる気になった時は秋の県体の直前。時すでに遅しです。私はそんなに強い選手ではありませんでした。県大会で決勝に残るか残らないかのレベル。4×200mリレーのメンバーにも入れませんでした。この日参加してした3000mの選手がリレーメンバーに入っていました(笑)。長距離よりも遅い短距離選手ってどうなんでしょうね。まー全国で入賞するような選手でしたから仕方ないという部分も有りますが。
ほぼ怒られた記憶しかありません。恩師が話していましたが「お前は一番怒った気がする」とのこと。うーん、否定しません。今考えたら恥ずかしい話です。一番覚えているのが「怒って立たせていたが忘れて帰ったこと」だと言われていました(笑)。酷い(笑)。「お前、色が黒かったから暗くなって忘れていた」と。単なる悪口です(笑)。まーそれくらい常に怒られていましたからね。それが今では「教える立場」で陸上競技に関わっているのですから世の中はわかりませんね。
恩師とは今の仕事について何度もお会いしています。他の人たちよりは頻度が高かったと思います。国体関係などで実際に指導現場に来られたこともあります。練習を見に来られた時には「kaneko、選手を怒っていたらダメだ」と言われました(笑)。あれだけ私は怒られていたのに~_~;、という気持ちがありました。当時のことを聞いてみると「お前が指導している姿をみて視野が狭くなっていると感じたからそういう言い方をした」との事でした。駆け出しの指導者であった当時の私に対して「もっと違うやり方がある」というアドバイスだったのだと思います。まだ20代の私にはそこの真意を理解することができなかった。甘かった(笑)。
今の指導を見てもらいたいなという気はします。当時とはずいぶん変わったかなと思っています。恩師が我々の指導をされていた年代が今の私です。どこかのタイミングで指導する姿を見てもらえたら幸せかもしれません。
また、これも恩師は覚えていないと思いますが「合宿などの指導」に関して色々と話を聞いた事があります。合宿では相手が「学びたい」と思ってきている。来る前と来た後で「明らかに変わった」というモノを与えないといけない。それだけの責任があるんだと。中学時代に気付けなかった事が今の仕事に就いてから教えてもらえるというのは大きいと思っています。今でもそこの部分は意識して指導しています。
縁。これも大きなものだと思っています。私が10年間同じ職場で競技の指導をしてきた我がBOSSは私の恩師の1つ上の先輩となります。高校時代一緒に競技をされていました。私が指導するようになって同じ職場で恩師の先輩から毎日のように様々なことを学びながら指導に関わる。偶然というよりは「必然」だったのかなと思っています。私みたいなアヤフヤな人間を1人で指導出来るようになるまで育てないといけないという部分があったのだと思います。その10年間が私の指導の土台を作ったと思っています。
何人かと話をしました。高校時代に専門的な指導を受けられなかった、という話が大半でした。それでも中学時代に陸上競技に対しての基礎を教えてもらっていたのは本当にありがたかった、と。当時は「なんでこんな事をやっているんだ」という感覚が強くありました。しかし、その後で力となっていたのです。私自身高校では指導を受けたことは一切ありません。中学時代の実績はなし。それでも高校時代は県チャンピオンになれました。自分で「強くなりたい」と思ってやっていたからです。その土台はやはり中学時代にあったのだと思います。
大学まで行って陸上競技をやっていたのは私だけかもしれません。死ぬほど怒られて忘れて帰られるような私がです(笑)。大学では一応日本選手権や全日本インカレに出場させてもらいました。当時も全て我流でやっていましたがそれでも「陸上が好き」というのがあったのだと思います。そして今では高校で陸上競技の指導をしている。こんなウソみたいな話があるのでしょうか(笑)。
恩師の存在があるから学生時代もやってこれたのだと思います。真剣に怒ってくれていましたから。まーそんなに怒られるような事をしていたのか?という話ですが(笑)。本当に出会いというのは大切だと思いますね。
今、指導をしています。今はそのことが上手く伝わっていないかもしれません。今回恩師に会って「見えなくても伝わっている」と言うのが分かりました。他の子達もそれを感じているから集まって来たのだと思います。まー私が今の仕事をしていると想像できる同級生や後輩はほとんどいないと思いますが。どんな中学時代を送っていたのか?!恐ろしい話です(笑)
貴重な時間でした。こういう場を設けてくれた後輩達に感謝しなければいけません。私も原点に帰った気がします。自分がやろうとしている事を信じて選手と向き合っていきたいと思います。ブレずに進んでいきます。