kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

なぜリレーにこだわるか2

2016-05-24 | 陸上競技
続き。

というか、昔書いた記事を探してみたらめちゃくちゃ長かったので同じだけの事は書けないなと感じたのでその記事を貼っておきます(笑)

昔のこと過ぎるのですが。現役の頃の話はすでに「昔話」でしかありません。今の状態に活かせるかどうかは別物だと考えています。だとしてもここに示しておく意味がはあると。

大学2年生の時の話です。これが私の「リレーに対するこだわり」の原点だと思います。

今の自分があるのは・・・

今の自分があるのは・・・2

どれだけ当時の自分が小さかったか。恥ずかしい限りです。先輩方の最後のリレーを1人で台無しにしてしまった。この事は一生かけても償えないと思っています。そしてこのリレーがあったから今の私がいる。1人では出来ないことを他の仲間と一緒にやってきた。個人種目と言われる陸上競技でも「チーム」としてやる事で初めて分かることがある。

「チームの看板を背負う」という意味。1人ではなく多くの人の想いを背負っている。誰かを否定するのではなく「チーム」として同じ方向を向いていたら「失敗」も次につなげるための「種」となる。

もちろん今年はすでに「勝負」だと思っています。失敗を糧に強くなるという段階は過ぎている。毎回毎回が初めてのことになります。だからこちらからあれこれ指摘することになる。

リレー。これほど多くのものを獲る種目はないと思っています。そのために個人がどれだけ強くなれるか。チームのためい自分が出来ることをしっかりとやれる選手に育って欲しいと思います。

全ては「想い」です。記しておきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜリレーにこだわるか

2016-05-24 | 陸上競技
ちょっと思うことを。

私は指導をする前から「リレー」に対してのこだわりがありました。現役最後の時には「個人種目」と「リレー」の狭間で悩むことはありました,が、やはり「リレー」に対する想いは大きなものがあります。

高校時代、それなりにリレーをやっていました。指導者もいないので自分達で勝手にやっていた部分があります。当時の私は「我」が強く自分さえ良ければという感じがありました。それでも先輩たちが「リレーに出るぞ」と言えばそれに従う。1年生の県新人ではヨンパで決勝に残りましたがマイルがあるから棄権しました。専門種目にしようと思っていたヨンパの決勝を棄権してまでリレーに出る。リレーに対する想いが強かったからではなく「出るぞ」と言われていたから出たという感じでした。今考えると本当にもったいない。もっと真剣にリレーに取り組めば良かった。

何となくリレーをやって過ごした高校時代。大学に進んでヨンパで全国を目指したいと思っていました。大学は地元の大学へ。ここを決めた理由は中学時代の先輩が「大学でやるなら一緒にやらないか?」と言われたから。尊敬する先輩でしたから「誘われた」とはしゃいでいました。必死に勉強しました(笑)。単純ですね。

大学に進学して400mを走ったら高校と同じくらいで走れました。それなりにブランクがあったのですが思ったよりも身体が動く。地元の大会に参加して走ったら50秒くらいで走れました。それによりいきなり大学のマイルメンバーに入れてもらいました。先輩方がどのような想いでやってこられたのかはわかりません。いきなり私が走って良いのか?という気持ちがありました。

高校時代はマイルは1走でした。間違いなく自分のことしか考えていなかったですね。それもあって大学でも1走が良いという話をしましたが却下(笑)多分2走を走ったと思います。当時、決勝に残ることが出来ない年が続いていたと聞いていました。とにかく決勝に残りたい。そういう想いで先輩方が競技をされていました。私はその中で「与えられた役割を果たす」ことしかできません。これまでの流れを把握しているわけでもない。それでも尊敬する先輩と一緒に走ることができる喜びがありました。

与えられた役割を果たし決勝に残りました。決勝のレースはほぼ記憶にありません。高校時代にリレーで決勝を走ったことはありませんでした。更には地区インカレの決勝です。雰囲気が尋常ではない。レースが始まる前から応援合戦。記憶に残っているのはそこまで。与えられた役割は果たしたと思っています。

そのレースが終わって地区インカレの「打ち上げ」が全体でありました。1年生ですから話をしたことのない先輩方もいらっしゃいました。入賞した選手はみんなの前で一言話をする。もちろん何を言ったかは覚えていません。話終わってみんなが適当に話を始めました。その時に当時4年生だったマネージャーさんから話しかけられました。それまでほとんど話をしたことがないからビビりまくり(笑)

その先輩から「本当にありがとうね」と言われました。最初何のことか分かりませんでした。「kanekoの走り、感動したよ」と涙を流しながら言われました。その時、やっと意味がわかりました。4年生の先輩方にとっては最後の地区インカレ。その最後の種目が男子マイルです。そこの舞台にメンバーが立つというのは陰ながら支えてこられたマネージャーさんにとって本当に嬉しいことだったのだと。微力ですがその力になれた。初めて「感動した」と言われました。私にとって大きな転機だったと思います。自分が一生懸命に走ることで誰かの心を動かすことができるんだという感覚。

それも1人ではなく「リレー」で勝ち取ったものだから更に意味がある。この時初めて「チームの看板を背負って走る」事の意味を知りました。1人ではなく。チームみんなの「想い」を背負って走る。その「責任」も含めてです。自分のことしか考えていなかった私の存在が初めて「意味を持つ」感じでした。忘れられないですね。

リレー。実はこれがスタートなんですが翌年、もっと色々とあって私の「リレーに賭ける」という想いは強くなりました。個人が強くなるためにリレーの存在がどれだけ大きいか。それを痛感したのが翌年の地区インカレでした。ここはどうしても書いておきたい(笑)。前から何度も書いているんですけどね。せっかくなのでまた書きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする