kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

過去を振り返る2

2018-06-12 | 陸上競技
ここ2年のことを。もっと詳しく知りたいと思えば当時のblogを見てください(笑)ここに書いている以上に衝撃だと思うので(笑)

2年前、かなり力のある選手達がうちの学校を選んでくれました。通常であれば絶対に選ぶことはない状況。私の指導を受けたいと言ってくれうちを選んでくれた。本当に感謝しています。とはいえ、すぐにインターハイを狙えるレベルになるのかというとそうではない。まだまだ磨くところが多くあるという感じでした。

3人来てくれましたがもう1人はいない。当時の2年生が1人スプリントにいたのでその子と一緒にリレーを組む事にしていました。当時は13秒台に入るか入らないかという感じだったと思います。それでも可能性があるのだからインターハイを狙おうと言ってやってきました。さらには支えてくれているマネージャーを中国大会に連れて行く。それを目標にやっていきました。

春先の練習からMの調子がかなり良くてこれは面白いなと思っていました。が、県記録会の直前に足を痛める。肉離れではないのですが。スピードに身体がついてこなかったのだと思います。筋力的にもかなり低かったので仕方ない部分はあったのかなと。支部大会は個人種目のみ出場して県選手権はリレーで。この時の49秒5くらいで走ったと思います。悪い記録ではない。この記録であと2ヶ月で1秒短縮できればインターハイ路線に引っかかる可能性もあるなと思っていました。

県総体の前日、最後の1本のスピード刺激を入れた時に再びMが足を痛める。衝撃的でした。このタイミングで?!当然、県総体は出場させません。高跳選手に無理を言って走ってもらう。バトン練習もほとんどやっていません。1走に入ってもらってバトンの回数は極力少なくしましたが予選の時にいつも通りNが出てしまいリレーゾーンの端で完全に止まってもらうという感じでした。ギリギリでセーフ。そのまま決勝まで進みなんとか3位に入って中国へ。

Mの治療を最優先にしました。肉離れではない。それでも痛みが出る。身体のバランスの問題もあったと思います。かなり時間をかけて調整していきました。実際に走れるようになったのは中国大会の1週間前くらいだったでしょうか。ほとんどバトン練習もできない中でのレースとなる。バトン練習も出来ていませんが走る練習自体を全くといっていいほどやっていません。これで戦うというのは難しい。

予選を49秒36でギリギリ通過。準決勝は49秒35だったと思います。組の最下位。インターハイどころか戦うことさえできませんでした。やはりきちんと準備ができなければ戦えないなと痛感しました。

そこから1年かけて走順を少し替えてやっていきました。一番最初の支部大会で49秒15を出す。すごいタイムだとは言えませんが準備万端ではない中でこのタイムというのは手応えを感じるものがありました。早い段階から「支部大会」「県選手権」「県総体」できちんとレースをしていって初めてインターハイが見えるという話をしていました。単純に支部大会で記録を出したからといってそれがそのまま次に繋がることはないからです。最低でも1秒は上がるだろうなという感覚があったのでインターハイが視野に入るタイムだったと思います。

続いて県選手権。このblogを以前から読んでいる方は既に知っている話だと思います。本気で狙っていたのですがなんと「リレーオーダー提出忘れ」がありました。もう信じられない(笑)。戦うことさえできずに終わりです。狙いとしてはこのレースで48秒台に入っておきたいというのがありました。十分可能性があっただけに流れがある止まってしまう感覚がありました。

そして県総体。予選でいきなり48秒66を出す。いや、驚きました。バトンパスはまだ余裕を持ってやっている段階でこのタイム。48秒2くらいは出せそうな勢いがありました。もちろん油断せずという話はしていましたが。

リレーの予選が終わってからしばらくして男子棒高跳の競技が始まる。うちの選手が出ているので遠目に見ていました。一番最初の高さを難なくクリア。これで中国大会進出決定です。が、何故か起き上がってこない。ん??何かあったのか?急いで近づくとなんと額から出血。落下した時に自分の膝が額に当たったとのことでした。引率2名。どちらかが救急車で病院について行くという話になる。もう私が行くしかありません。リレーメンバーには「後は任せたからきちんと決勝に進んでよ」と言い残し病院へ。

幸い本人は大きな怪我ではありませんでした。数針縫って終わり。が、その途中で選手から電話が。「準決勝のアップでSが肉離れしたみたいで走ることができません」との緊急電話でした。いや、場所も離れているので何も出来ない。棄権するという選択肢も頭に浮かびました。しかし、諦めがつかない。何も準備をしていない女子ポールのmmに急遽走るように指示を。ノーアップです。バトン練習を1回もしたことがない。更には走練習さえほとんどやっていない状態でした。選手もほぼパニックになっていた様子でした。なんせ私がその場にいないのですから、落ち着かせるにも全くできません。女子キャプテンAが「大丈夫だから」と笑顔で対応していたとのことでした。

走順も変更。Mを4走から3走へ。NとMの2-3のバトンなんてやったこともありません。Mが右手でバトンをもらうのも初めて。シャレにならないレベル。mmもどの距離でどのタイミングで出たらいいのかさえ分からない。それでもしっかりとバトンが繋がりました。49秒26(笑)。案外速い。いや、笑い事ではないのです。決勝もmmに走ってもらう。棒高跳びの競技の合間を縫って走る。タイムは49秒76。大きくタイムを落としました。それでもなんとか中国へ。

そこから2週間はひたすらSの治療。肉離れなので気功で対応していました。温熱もやりながら。それでもなかなか痛みが引かない。単純な肉離れというよりは身体のバランスが崩れているため痛みが出ていたのかもしれません。治療を続け、全力で走れるようになったのは中国大会の開催される週の月曜日でした。数日後には中国大会。なかなか厳しい状態。

それでも中国は予選で48秒65のチームベスト。準決勝では48秒59で全体の7位。厳しい状態でした。決勝は48秒69で8位。インターハイには届きませんでした。急ごしらえで仕上げたSは決勝のアップの時に再びハムストリングを痛めていたようです。心配をかけまいと周りには言わなかったようですが。

基本的に全てが順調にいく大会はないと思っています。しかし、何故か分かりませんが私の周りには信じられないくらいハプニングというか大きなことが起きます。経験はたくさん積んでいますが全く慣れることはありません。

こうやって2年間を過ごしてきました。上手くいかないことの方が圧倒的に多い。それでも少しずつ進んできているなと実感はしています。

この手の内容を書くと延々と書ける気がします。興味があれば是非過去の県総体や中国の記事を読んでみてください。衝撃的なことのオンパレードです。
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過去を振り返る

2018-06-12 | 陸上競技
これまで何度も中国大会で勝負をしてきました。リレーに関しては様々な思いがあります。その事に少しだけ触れておきたいと思います。

前任校で4継でインターハイを目指した。makinoとkanaという強烈な2枚看板がいました。2年生の時点で12秒20と12秒35を出していました。この2人を中心にインターハイへ。その想いを持ってやっていました。当時の1走は高跳選手。安定感が0でした(笑)1年生の時に何故か分かりませんが13秒1で走りました。それまでのベストが14秒台(笑)。たまたま走れたのではないかという噂ですが。

冬の練習ではそれなり。が、シーズンに入るとなかなか走れない。13秒5くらいだったのではないかと思います。更に3走。かなり力を付けていてこれは面白いと感じていました。が、県総体の数日前に「遠足」があり40キロ以上歩く事に。その翌日からハムストリングの張りを訴え走れない。洒落にならない状態でした。

県総体前日もまともに走れない。急遽メンバー変更をするか?とはいってもほぼ走れない1年生のみしかいない。中国大会に進むだけならそれでも可能かもしれない。が、kanaが「manaじゃないと安心してバトンパスができない」と言っていました。メンバー固定でやってきていました。そういう信頼感は大きかったのだと思います。

なんとか走ってはくれました。4継での初優勝。この時のタイムが48秒68だったと思います。この時点でランキング7位。「このまま7位でインターハイに行けないというのは絶対嫌だから死ぬ気でやる」と日誌に書いていました。が、そこから中国大会まではひたすらmanaの治療でした。師匠に身体を調整してもらったりしながら進めていきましたがなかなか改善できず。ほとんど走練習はしていません。鳥取への移動時間もひたすら治療器を当てて治療。予選も痛みがあり3走のところでかなりやられる。準決勝でも同様。アンカーのmakinoがカバーしてくれましたがプラスでギリギリ決勝へ。

レースが終わって戻ってきた3走のmanaは足を引きずっている。歩くこともままならない。危機的状態でした。治療器を駆使してひたすら弛める。kana達は夜に「これ、やばいんじゃない?」という会話をしていたそうです。本人の前では出さなかったようですが。治療を続けましたが、それでも翌日の朝は走る段階にならない。各方面に力を貸してもらいながら治療するも思うように動けない。一本走ると張るので私が弛める。その繰り返し。kanaは「私がmanaの分まで速く走るから大丈夫」と声をかけていました。

こうなったらチャレンジするしかない。3走の走る距離を極力短くするためにマークの位置の変更。ほぼブッツケ本番です。それくらい追い詰められていました。レース直前まで本当に走れるのかどうかという状態。レース前の一本、めちゃくちゃスピードを出して走っていました。実際のレースも2走のkanaが爆走して前を走るチームに追いつく。3走も遜色なく走っていました。最後はmakinoが走ってなんと4位。48秒28の大幅なチームベスト更新でした。3位も視野に入る走り。驚きました。選手の持つ力の凄さです。

まーそこから数週間、manaは一切走ることが出来ませんでしたが(笑)火事場の馬鹿力だったのかもしれません。直前までの状態からすればとてま走れる姿は想像できませんでした。よく走ったと思います。本当にギリギリでした。こんな状態で良く走り切ったなという感じですね。インターハイでは48秒6くらいかかったでしょうか。戦えずに終了でした。

これにより前任校で初めてのリレーでのインターハイ出場。歴史的な事だったと思います。

簡単にインターハイに行けるとは思っていませんでしたが本当にギリギリでした。走る直前まで走り切れるかどうか分からない状態でのレース。全く落ち着かない状態でしたが。それでもレースで力を発揮してくれる選手たちの強さに涙が止まりませんでした。この時は前回の鳥取中国大会でマイルで7位になったリベンジを果たしたという感覚がありました。

とにかくこんな感じで中国を迎えています。また記事を替えてこの2年間のことも触れておきます。追憶です(笑)
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最終刺激

2018-06-12 | 陸上競技
月曜日。この日朝から雨。予報としては前日の午後から雨でこの日の午前中までだったと思うのですが。嘆いても仕方ないので事前に雨対策をしてくるようにだけ指示を出していました。結果的には練習前には雨が止んで問題はなかったので問題なかったのですが。

こんな状態だったので朝は室内で軽く。距離感の確認をしました。バトン練習のための距離感の確認。何度もやっていますがちょっとマークに頼りすぎているのではないかと。ペアワークとして何度もやっていますがマークではなく前走者との距離感をつかませなければいけない。少しだけこの辺りも意識して確認をしました。

月曜日は7時間授業。これにより練習にかなり制約を受けます。授業終了後にすぐに移動して練習開始。限られた時間の中でやらなければいません。といっても丁寧にやる。ここのバランスは難しいのですが。アップはいつもの流れで。身体の状態としてはほぼ万全かなと。先週は少し重いという日もありましたがこの日は全く問題なし。

10バトン3本、カーブ直線2本。カーブ直線は3本行くのかなと思っていたのですが(笑)。細かい指示は出しませんでした。本人たちの感覚の部分だと思うので。アップ段階での動きはすごく大切だと思いますが、走りの本数に関しては任せていいと思っています。アップ段階で珍しく向かい風になっていました。場所移動して動くかを聞いたところ「ここで構わない」との返答。任せました(笑)普段は基本追い風の中で練習をします。この日は意に介せずやっていました。

その関係でバトンも同じようにやりました。どちらも同じ場所で。風の関係も考えてやるのですがこの日はどちらも向かいの中で実施。まだまだ精度を上げることができると思います。総じてバトンがスムーズに渡ります。ここの部分でもタイム短縮をしたいと思います。

久々にNが追い風でのバトンをやっていました。眼を見張るものがありました。いつも向い風で耐えています(笑)。パワータイプではないので強風には強くない。が、追い風が吹いた時の強さはすごいと思います。この走りができれば個人の100mはかなりのものだと思いますね。目標記録に近づく。それくらいのスピードでした。
Mと話をする中で「前に人がいる方が絶対速く走れる」と言っていました。県総体のリレーの予選、不可能ではないかという距離を追いつきました。確かに走力差はあったと思います。それでも加速0の所からあれだけ追いつけるというのはなかなかできません。中国、これまでのレースと違って周りに人がいると思います。アンカーにMがいるというのはうちとしては心強いなと思います。

そういえば2-3のバトンでSがつまづきました。かなりバランスを崩す。こちらも苦笑い。が、やめずにきちんとバトンの受け渡しをしました。「あれだけ崩れたのによく止めなかったね」と声をかけると「試合の時につまづいてもバトンは繋がないといけないからやめるわけにはいかない」と。ごめんなさい(笑)。言われる通りです。当たり前の話。これは私自身がいつも言う話です。どんな状況であっても試合を想定して走る。私が甘かったですね。選手の方がシビア。

バトン後はスタート練習とカーブ練習に分かれて。スタートに関しては問題ないと思います。これまでの大きな課題であったスタート。向かい風の中でも安定して出れるようになっています。もちろんその局面だけではなくその後もです。風が吹いてもしっかり取れるなら力を出せる。本当に強くなっているなと感じていまし。

最後に120+60。これは追い風で。全体的に良い動きができていました。特に中国大会組は進んでいました。全く問題なし。私としては珍しく順調に最終刺激が終わりました。もちろん今後も油断できないのですが今の選手たちであれば安心して任せられるかなという気がしています。私が思う以上にタフになっていますし、勝ち上がるための準備ができているのではないかなと感じています。

やれることはやりました。あとは身体の状態を整えて心を整える。これをしっかり出来れば結果は自ずと付いてくるはずです。

また書きます。記憶を遡ってこれまでの中国大会を迎えるまでの「事件」を書いておきたい(笑)。今年ではなくこれまでのですが。波乱万丈ですからなかなかの記事になる気はします(笑)書けたらですが(笑)
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