ここ2年のことを。もっと詳しく知りたいと思えば当時のblogを見てください(笑)ここに書いている以上に衝撃だと思うので(笑)
2年前、かなり力のある選手達がうちの学校を選んでくれました。通常であれば絶対に選ぶことはない状況。私の指導を受けたいと言ってくれうちを選んでくれた。本当に感謝しています。とはいえ、すぐにインターハイを狙えるレベルになるのかというとそうではない。まだまだ磨くところが多くあるという感じでした。
3人来てくれましたがもう1人はいない。当時の2年生が1人スプリントにいたのでその子と一緒にリレーを組む事にしていました。当時は13秒台に入るか入らないかという感じだったと思います。それでも可能性があるのだからインターハイを狙おうと言ってやってきました。さらには支えてくれているマネージャーを中国大会に連れて行く。それを目標にやっていきました。
春先の練習からMの調子がかなり良くてこれは面白いなと思っていました。が、県記録会の直前に足を痛める。肉離れではないのですが。スピードに身体がついてこなかったのだと思います。筋力的にもかなり低かったので仕方ない部分はあったのかなと。支部大会は個人種目のみ出場して県選手権はリレーで。この時の49秒5くらいで走ったと思います。悪い記録ではない。この記録であと2ヶ月で1秒短縮できればインターハイ路線に引っかかる可能性もあるなと思っていました。
県総体の前日、最後の1本のスピード刺激を入れた時に再びMが足を痛める。衝撃的でした。このタイミングで?!当然、県総体は出場させません。高跳選手に無理を言って走ってもらう。バトン練習もほとんどやっていません。1走に入ってもらってバトンの回数は極力少なくしましたが予選の時にいつも通りNが出てしまいリレーゾーンの端で完全に止まってもらうという感じでした。ギリギリでセーフ。そのまま決勝まで進みなんとか3位に入って中国へ。
Mの治療を最優先にしました。肉離れではない。それでも痛みが出る。身体のバランスの問題もあったと思います。かなり時間をかけて調整していきました。実際に走れるようになったのは中国大会の1週間前くらいだったでしょうか。ほとんどバトン練習もできない中でのレースとなる。バトン練習も出来ていませんが走る練習自体を全くといっていいほどやっていません。これで戦うというのは難しい。
予選を49秒36でギリギリ通過。準決勝は49秒35だったと思います。組の最下位。インターハイどころか戦うことさえできませんでした。やはりきちんと準備ができなければ戦えないなと痛感しました。
そこから1年かけて走順を少し替えてやっていきました。一番最初の支部大会で49秒15を出す。すごいタイムだとは言えませんが準備万端ではない中でこのタイムというのは手応えを感じるものがありました。早い段階から「支部大会」「県選手権」「県総体」できちんとレースをしていって初めてインターハイが見えるという話をしていました。単純に支部大会で記録を出したからといってそれがそのまま次に繋がることはないからです。最低でも1秒は上がるだろうなという感覚があったのでインターハイが視野に入るタイムだったと思います。
続いて県選手権。このblogを以前から読んでいる方は既に知っている話だと思います。本気で狙っていたのですがなんと「リレーオーダー提出忘れ」がありました。もう信じられない(笑)。戦うことさえできずに終わりです。狙いとしてはこのレースで48秒台に入っておきたいというのがありました。十分可能性があっただけに流れがある止まってしまう感覚がありました。
そして県総体。予選でいきなり48秒66を出す。いや、驚きました。バトンパスはまだ余裕を持ってやっている段階でこのタイム。48秒2くらいは出せそうな勢いがありました。もちろん油断せずという話はしていましたが。
リレーの予選が終わってからしばらくして男子棒高跳の競技が始まる。うちの選手が出ているので遠目に見ていました。一番最初の高さを難なくクリア。これで中国大会進出決定です。が、何故か起き上がってこない。ん??何かあったのか?急いで近づくとなんと額から出血。落下した時に自分の膝が額に当たったとのことでした。引率2名。どちらかが救急車で病院について行くという話になる。もう私が行くしかありません。リレーメンバーには「後は任せたからきちんと決勝に進んでよ」と言い残し病院へ。
幸い本人は大きな怪我ではありませんでした。数針縫って終わり。が、その途中で選手から電話が。「準決勝のアップでSが肉離れしたみたいで走ることができません」との緊急電話でした。いや、場所も離れているので何も出来ない。棄権するという選択肢も頭に浮かびました。しかし、諦めがつかない。何も準備をしていない女子ポールのmmに急遽走るように指示を。ノーアップです。バトン練習を1回もしたことがない。更には走練習さえほとんどやっていない状態でした。選手もほぼパニックになっていた様子でした。なんせ私がその場にいないのですから、落ち着かせるにも全くできません。女子キャプテンAが「大丈夫だから」と笑顔で対応していたとのことでした。
走順も変更。Mを4走から3走へ。NとMの2-3のバトンなんてやったこともありません。Mが右手でバトンをもらうのも初めて。シャレにならないレベル。mmもどの距離でどのタイミングで出たらいいのかさえ分からない。それでもしっかりとバトンが繋がりました。49秒26(笑)。案外速い。いや、笑い事ではないのです。決勝もmmに走ってもらう。棒高跳びの競技の合間を縫って走る。タイムは49秒76。大きくタイムを落としました。それでもなんとか中国へ。
そこから2週間はひたすらSの治療。肉離れなので気功で対応していました。温熱もやりながら。それでもなかなか痛みが引かない。単純な肉離れというよりは身体のバランスが崩れているため痛みが出ていたのかもしれません。治療を続け、全力で走れるようになったのは中国大会の開催される週の月曜日でした。数日後には中国大会。なかなか厳しい状態。
それでも中国は予選で48秒65のチームベスト。準決勝では48秒59で全体の7位。厳しい状態でした。決勝は48秒69で8位。インターハイには届きませんでした。急ごしらえで仕上げたSは決勝のアップの時に再びハムストリングを痛めていたようです。心配をかけまいと周りには言わなかったようですが。
基本的に全てが順調にいく大会はないと思っています。しかし、何故か分かりませんが私の周りには信じられないくらいハプニングというか大きなことが起きます。経験はたくさん積んでいますが全く慣れることはありません。
こうやって2年間を過ごしてきました。上手くいかないことの方が圧倒的に多い。それでも少しずつ進んできているなと実感はしています。
この手の内容を書くと延々と書ける気がします。興味があれば是非過去の県総体や中国の記事を読んでみてください。衝撃的なことのオンパレードです。
2年前、かなり力のある選手達がうちの学校を選んでくれました。通常であれば絶対に選ぶことはない状況。私の指導を受けたいと言ってくれうちを選んでくれた。本当に感謝しています。とはいえ、すぐにインターハイを狙えるレベルになるのかというとそうではない。まだまだ磨くところが多くあるという感じでした。
3人来てくれましたがもう1人はいない。当時の2年生が1人スプリントにいたのでその子と一緒にリレーを組む事にしていました。当時は13秒台に入るか入らないかという感じだったと思います。それでも可能性があるのだからインターハイを狙おうと言ってやってきました。さらには支えてくれているマネージャーを中国大会に連れて行く。それを目標にやっていきました。
春先の練習からMの調子がかなり良くてこれは面白いなと思っていました。が、県記録会の直前に足を痛める。肉離れではないのですが。スピードに身体がついてこなかったのだと思います。筋力的にもかなり低かったので仕方ない部分はあったのかなと。支部大会は個人種目のみ出場して県選手権はリレーで。この時の49秒5くらいで走ったと思います。悪い記録ではない。この記録であと2ヶ月で1秒短縮できればインターハイ路線に引っかかる可能性もあるなと思っていました。
県総体の前日、最後の1本のスピード刺激を入れた時に再びMが足を痛める。衝撃的でした。このタイミングで?!当然、県総体は出場させません。高跳選手に無理を言って走ってもらう。バトン練習もほとんどやっていません。1走に入ってもらってバトンの回数は極力少なくしましたが予選の時にいつも通りNが出てしまいリレーゾーンの端で完全に止まってもらうという感じでした。ギリギリでセーフ。そのまま決勝まで進みなんとか3位に入って中国へ。
Mの治療を最優先にしました。肉離れではない。それでも痛みが出る。身体のバランスの問題もあったと思います。かなり時間をかけて調整していきました。実際に走れるようになったのは中国大会の1週間前くらいだったでしょうか。ほとんどバトン練習もできない中でのレースとなる。バトン練習も出来ていませんが走る練習自体を全くといっていいほどやっていません。これで戦うというのは難しい。
予選を49秒36でギリギリ通過。準決勝は49秒35だったと思います。組の最下位。インターハイどころか戦うことさえできませんでした。やはりきちんと準備ができなければ戦えないなと痛感しました。
そこから1年かけて走順を少し替えてやっていきました。一番最初の支部大会で49秒15を出す。すごいタイムだとは言えませんが準備万端ではない中でこのタイムというのは手応えを感じるものがありました。早い段階から「支部大会」「県選手権」「県総体」できちんとレースをしていって初めてインターハイが見えるという話をしていました。単純に支部大会で記録を出したからといってそれがそのまま次に繋がることはないからです。最低でも1秒は上がるだろうなという感覚があったのでインターハイが視野に入るタイムだったと思います。
続いて県選手権。このblogを以前から読んでいる方は既に知っている話だと思います。本気で狙っていたのですがなんと「リレーオーダー提出忘れ」がありました。もう信じられない(笑)。戦うことさえできずに終わりです。狙いとしてはこのレースで48秒台に入っておきたいというのがありました。十分可能性があっただけに流れがある止まってしまう感覚がありました。
そして県総体。予選でいきなり48秒66を出す。いや、驚きました。バトンパスはまだ余裕を持ってやっている段階でこのタイム。48秒2くらいは出せそうな勢いがありました。もちろん油断せずという話はしていましたが。
リレーの予選が終わってからしばらくして男子棒高跳の競技が始まる。うちの選手が出ているので遠目に見ていました。一番最初の高さを難なくクリア。これで中国大会進出決定です。が、何故か起き上がってこない。ん??何かあったのか?急いで近づくとなんと額から出血。落下した時に自分の膝が額に当たったとのことでした。引率2名。どちらかが救急車で病院について行くという話になる。もう私が行くしかありません。リレーメンバーには「後は任せたからきちんと決勝に進んでよ」と言い残し病院へ。
幸い本人は大きな怪我ではありませんでした。数針縫って終わり。が、その途中で選手から電話が。「準決勝のアップでSが肉離れしたみたいで走ることができません」との緊急電話でした。いや、場所も離れているので何も出来ない。棄権するという選択肢も頭に浮かびました。しかし、諦めがつかない。何も準備をしていない女子ポールのmmに急遽走るように指示を。ノーアップです。バトン練習を1回もしたことがない。更には走練習さえほとんどやっていない状態でした。選手もほぼパニックになっていた様子でした。なんせ私がその場にいないのですから、落ち着かせるにも全くできません。女子キャプテンAが「大丈夫だから」と笑顔で対応していたとのことでした。
走順も変更。Mを4走から3走へ。NとMの2-3のバトンなんてやったこともありません。Mが右手でバトンをもらうのも初めて。シャレにならないレベル。mmもどの距離でどのタイミングで出たらいいのかさえ分からない。それでもしっかりとバトンが繋がりました。49秒26(笑)。案外速い。いや、笑い事ではないのです。決勝もmmに走ってもらう。棒高跳びの競技の合間を縫って走る。タイムは49秒76。大きくタイムを落としました。それでもなんとか中国へ。
そこから2週間はひたすらSの治療。肉離れなので気功で対応していました。温熱もやりながら。それでもなかなか痛みが引かない。単純な肉離れというよりは身体のバランスが崩れているため痛みが出ていたのかもしれません。治療を続け、全力で走れるようになったのは中国大会の開催される週の月曜日でした。数日後には中国大会。なかなか厳しい状態。
それでも中国は予選で48秒65のチームベスト。準決勝では48秒59で全体の7位。厳しい状態でした。決勝は48秒69で8位。インターハイには届きませんでした。急ごしらえで仕上げたSは決勝のアップの時に再びハムストリングを痛めていたようです。心配をかけまいと周りには言わなかったようですが。
基本的に全てが順調にいく大会はないと思っています。しかし、何故か分かりませんが私の周りには信じられないくらいハプニングというか大きなことが起きます。経験はたくさん積んでいますが全く慣れることはありません。
こうやって2年間を過ごしてきました。上手くいかないことの方が圧倒的に多い。それでも少しずつ進んできているなと実感はしています。
この手の内容を書くと延々と書ける気がします。興味があれば是非過去の県総体や中国の記事を読んでみてください。衝撃的なことのオンパレードです。