kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

細かく指摘しながら3

2015-10-18 | 陸上競技
木曜日、この日は中間考査3日目。1・2年生ともに3教科の考査がありました。科目的にもかなりしんどい3教科だったようです。本当はもっと早い段階から準備を進めておけばよかったのではないかと思います。更にいうと3日間練習を休んでいた時に本気で勉強をしていたかどうか。進学校では毎日の勉強は当たり前。考査期間中は一切練習禁止というところもあると聞きます。うちは実業高校ですから「一生懸命努力する」という感覚を身に付けてもらいたいと思っています。それができなければ将来的に何も生み出さない。

これは完全な私見です。進学校では「暗記型」の形が多いと思っています。大学受験のために「パターンで覚える」とか「用語を記憶する」というような内容がメインになる。私たちのような専門高校で同じことを目指したら太刀打ちはできないと思っています。そうではない部分で「明確な差」を持たないといけない。それが何かを考えながら指導してくことが必要なんじゃないかと思っています。進学校の選手は「集中」がすごい。だからここ一番の強さがある。うちの選手が今と同じようなスタイルでやっていたら「勝てる要素はない」と思います。言い訳をせずに自分がやるべきことを最大限にやる。それが私が求めていきたいことです。それほど難しくはないと思っていますが。

前置きが長くなりました。3時間の考査の後できるだけ早く体を動かして帰宅させようと思っていました。長時間は難しいですから。そのため「ダイナマックス&プレート」の練習としました。これだと上手くいけば30分程度で終わります。ん??こうやって書いていたらひょっとしたら練習が水曜日と木曜日が逆だったかもしれないという気になってきました(笑)。いい加減なものです(笑)。まー2日間で基礎的なトレーニングをやったということには変わりないので問題はないと思っていますが。

一応プレートに関しても書いておきます。あーやっぱりプレート前の日ですね。思い出した。まーいいや。プレートの練習の中でもきちんとやるべきことがたくさんあります。これは前から思っていた部分です。プレート歩行は効果が高いと思っています。その練習を前任校で他の部活が「マネ」をしていたことがあります。これに何の狙いがあるか。その部分を考えずに「見よう見まね」でやる。ポイントを知ってやれば絶対に効果があるのですがそれはやらない。もちろん、それだけでも強くなる選手はいると思います。やらないよりはやったほうがよいでしょうから。しかし、本当の狙いとなる部分がきちんとできるかどうか?ここは大きな問題だと思っています。

体幹補強として位置付けています。更には股関節の柔軟性。もっというと重心の移動の感覚、体幹を固める感覚。やろうと思えばいくらでもできる練習です。以前この練習をしていたら小さなエースが「スイング歩行」がめちゃくちゃ上手くなっていました。腕で回すのではない。いつも師匠やBOSSが言われますが「やればいいわけじゃない」という部分です。狙いとする部分が明確でなければどれだけやっても意味がない。疲れるだけで終わってしまうのです。その感覚を身に付けてもらいたい。でも、前の記事にも書きましたが「きつくなると負けてしまう」のです。ここを身に付けさせるためには「強制的にでもやらせる」しかない。意識が甘くなったときにはこちらが細かく細かく指摘するのです。そうやって意識付けをするしかないのではないなと思っています。

この日は放課後、転任してから初めての中学校訪問。勧誘活動です。公立高校ですから挨拶をさせてもらうことしかできません。まずは学校や指導スタイルを知ってもらうことから始めないといけません。非常に難しい。師匠から「普通は見向きもしてもらえないものだ」と言われました(笑)。前任校の指導実績云々ではない。その学校がこれまでどのような競技結果を残しているのかで周囲は判断すると思います。そういう部分を打破していくためには可能な限り時間を作ってもらって挨拶をさせていただくしかない。そうやって認知してもらうしかないと思っています。

私学とは異なり挨拶回りをして受験してもらっても「確実に合格する」という保証はありません。それでも「うちで陸上競技をやりたい」と思ってもらえるか。進路の部分も含めて「kanekoのところで競技をやろう」と思ってもらえるか。絶対的なカリスマ性があるわけでもありませんし、強い選手が自然に集まるような風土もありません。だから開拓していくしかない。それがきっと学校全体のためになると考えている部分もあります。部活動が活性化すればもっともっと学校全体が元気になる。それがこれから先の生き残っていくための道筋ではないかと思っています。

競技面だけを考えているわけではありません。その子たちが「自己実現」ができるようにサポートしていきたいと思っています。比較的選手との距離は近いと思います。「やれ」だけで練習をさせることはしません。近くにいてその様子を見ながら練習を進めていきます。それが今のスタイル。良いか悪いかは分からないですが。このあたりに関してはまた別に書きたいなと思っています。

ひとまずこれくらいで。時間を見つけてあと3つくらいは書きたいと思っています(笑)。←自己満足ですから。
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細かく指摘しながら2

2015-10-17 | 陸上競技
前の記事の続き。水曜日はトレーニングとしました。前の日に感じた事をこの日から徹底しておきたいと感じたので。あえてのトレーニング。

シャフト補強にしました。前任校とは異なる形でやっています。様々な形と組み合わせての補強です。この日はその中からシャフト補強だけを抜き出して行いました。1時間はかからないメニューだと思いますね。私が不在の時にもやっていたはずですがやはり細かい所が曖昧になっていると思います。テスト週間中に一度やっていますがその時は種目の内容さえ変わっていました(笑)。恐ろしい話です。これも悪気があってやっているのでなくいつの間にか変わってしまう部分がある。

それに加えて前日の練習で感じた事を早速実施。練習の様子をずっと見ていました。シャフト補強はずですがキツイですからやはり甘くなる部分が出てきます。練習のきつさに知らないうちに楽をしようとしてしまう。それにより可動域が小さくなってしまう。下手をするとやればやるほどパフォーマンスが下がってしまうことになるかもしれません。だからこそこちらが「正しい方法を示す」という感覚が必要なんだと思います。やれば良いという練習とは大きく異なるから。

意識をしてやりなさい!というのは簡単。だからこそしつこくても選手に繰り返し繰り返し動きを徹底していかないといけないと思っています。走りの動きは徹底していてもそれ以外がきちんと徹底できていない。これも取り組みの姿勢を身につけるという意味では大切なことだと思います。特にキツイ時の動きは明らかに差が出ます。気持ち的にキツイ練習が苦手な選手にはこの辺りがポイントになると思います。だからこそきちんと練習に付き合って声かけをしていかないといけないんじゃないかと。

強くなりたかったらやれ!だけでなかなかできない。だから動きが甘くなった時には個別に指摘してやらせる。できなかったらやり直しさせるくらいの気持ちでいないといけないと思います。見ているとやはり動きの雑さが目立ちます。ここですね。ここを本当に変えていければ絶対に変わる。力が上がるという部分もありますが取り組みの姿勢が変わるというところです。強い選手が勝手に強くなるという部分ではなく、少しずつ積み重ねて強くなる方が圧倒的に楽しい。

こういう書き方をするから巷では「kanekoは強い選手が嫌いだ」という噂が流れていると聞いたことがあります。だから話しかけにくかったと(笑)。どんな噂ですか(笑)。私は強い選手だけを見るという指導方法はしません。力はなくても一生懸命にやっている選手に対してはきちんと指導しています。こういう噂が流れていたら実績がある選手が来てくれなくなるじゃないですか(笑)。力がある選手も好きですよ。でもそれだけじゃないから。強い選手が努力してもっと強くなる姿も見たいです。

だからこそこういう練習をきちんとやらせていきたい。普通の選手でもきちんとしたトレーニングと動きを徹底していくと確実に変わっていくと思います。同じような練習メニューをやるのではなく「意図した部分を鍛える」という感覚でやっていくことの必要性を感じますね。

前日のことにより私自身が学ばせてもらった感じがあります。どうすれば選手を育てていけるのかという感覚。これを常に意識しておきたい。そのためには毎日練習の中で動きを見ないといけないと思います。メニューそのものではなく「どんな意識でやっていくか」の方が大切なんだと改めて感じました。ありがたいことです。

毎日が勉強。自分が常に正しいという感覚は持ちたくない。そして全てを否定的に捉えて生きていくのは絶対にしたくない。それがどれだけ続けていけるかなんだと思いますね。これから。これから。
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細かく指摘しながら

2015-10-17 | 陸上競技
練習に関して書こうと思っていたのにあれこれ雑記を書いていたらタイミングを逃してしまった。こちらも記しておかないと。これまでの流れを示すためにこのblogを書いている部分もあるので。

火曜日に山に行って練習をしました。1時間程度と決めていたので今後の練習のための確認として。私が高校生だった20年前とは山の様子が変わっていました。色々と道ができていましたし、階段なども新しく設置されていました。これだけで練習のバリエーションが増えます。そしてその練習の中で三連休に全く身体を動かしていなかったんだろうなと感じる選手が複数。これまでの話が伝わらないという難しさを痛感。

自主的な練習。理想かもしれませんがある程度軌道にのるまではこちらが強制的にでもやらせていかないといけないのかなと感じました。半年間話をしてきたのである程度はこちらの考えが浸透したかなと思っていましたがまだまだでした。「強くなるための道筋」示し、「強くなるための姿勢」を身につけさせないといけない。口頭で「やっておけ」ではダメだ。これはこちらの甘さでしたね。ある程度までは「強制的にやらせる」ことで身につけさせていかないといけない。選手云々ではなく私自身がもっとシビアに考えていかないといけないなと感じました。

選手は今できると思うことを来た時にはやってくれている。が、それ以外の時にどうするかの方がもっと大切になる。普段の練習は3時間程度。それ以外の時間の方が長い。テスト週間なんかは本当に1時間しかやらないからそれ以外の時間をどう使うかで結果は大きく変わってくる。チーム作りの基礎なんだと思う。うちはこれからのチーム。来年度選手が少しでも来てくれたらその時に勢いに乗りたい。そのためには今いる選手達が強くなっておかないと、という気持ちがある。新入生に期待するだけではなく、今いる選手がチームの中心になるのだから。

だからこそ上手くいかないところも何とかしていかないといけない。家での補強などもしつこく言ってきたつもりですが今回のことで「きちんとできていないだろうな」という感じがしました。こういう部分は競技力に比例するとは限らない。強くてもできない選手はいますし。まずは「強くなるためにはきちんとやらないとダメだ」という感覚を身につけてもらいたい。それができるようになると大きく変わると思っています。

同じような記事になっていますね。面白くなくてすみません(笑)
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その時、その時

2015-10-16 | 陸上競技
続きを書こうと思っていたのですがそこまで届かず。公人として個人として思うこともあります。なかなか。こうやってblogを書くことで頭の中をまとめる作業をしていますがそれもなかなか難しかったりする。頭を整理する前の整理が必要になるから。

12年前、前任校で陸上競技部の顧問に就いた。そこまでの2年間は硬式野球部の部長。私が陸上競技をやっていたのある程度知ってもらっていたが「うちは陸上競技部には力を入れていない」と言われて野球部へ。このことに関してはめちゃくちゃ思うことがある。書いたら色々と問題になるのだろうから止めておく。

2年後、私が顧問になった時には部員は3人。1人はすでに幽霊部員。2人は長距離。そこに素人男子4人と15秒台の女子が入ってきた。そこがスタート。このころも日記は書いていたがblogが始まる前だったので掲示板形式のものを自分で作って書き込んでいた。懐かしい。当時の記憶をきちんと残しておけたら面白かったのになーと思う。本当に0からのスタートだった。毎日練習に来ること、練習中にゲームの話で勝手に盛り上がらないこと、走っている他校の選手に突然話しかけたりしないこと。試合に麻雀を持って行って遊ばないこと(笑)。どれだけなんだという部分から。当時はストレスを感じていたが1からチームを作っていくという感覚の中での取り組みだった。

今考えると恥ずかしいが当時は自分の中で「専門的な指導ができる」と勘違いしていた。当時のblogを読み直すことはないが読んでみたら恥ずかしくて人前に出られないくらいの感覚。勘違い甚だしい(笑)。一生懸命にやっていたことには間違いない。が、やっぱり競技者としてやっていた部分から抜け出せなくて自分の経験論でしか練習が出来ていなかった。情報を得ることが指導の中心だと思い込み、新しいことに飛び付いていた。それでも一生懸命やっていたのが功を奏したのか3年目にして初めて個人種目、リレーで中国大会に進むことができました。

この年、色々なつながりの中で師匠と出会う。これがなかったら今の私はいないと思います。完全な勘違い野郎で終わっていたと思います(笑)。この時から様々な事を教えてもらいました。それこそ今ほど親しくなかったのにパソコンからひたすらメールをして色々な事を聞く。教えてもらうことの一つ一つが新鮮で目からウロコ。素直で一生懸命な選手達との出会いもあり本当に勉強させてもらえました。この数年間は本当に毎日が勉強だった気がします。何かあれば師匠に電話して質問をする。大変な迷惑をかけました。

それでもまだまだ視野が狭くていつも諭されていた。もっと冷静にならないとダメだ。何度も言われて分かったつもりになっていた。けど、本当は分かっていなくて選手達に死ぬほど辛い思いをさせてしまった。悔やんでも悔やみきれない。昨日も偶然学校の前で初めてインターハイに進んだ教え子に会った。この子達との出会いと師匠から言われた事。それが私の中での指導につながっている。

何の話か分からなくなっていますが(笑)。今でも師匠に諭される。あんたが前の学校で指導を始めた時とは自分自身の求める水準が明らかに変わっている。そこをいつの間にか見失っているんじゃないか、と。自分自身の感覚がその時その時で変わってきている。そこは常に頭に入れておかないといけないんだと思う。

悔しくて悔しくて涙した日と同じ気持ちは持ち続けたい。でも、同じ事を求める気はない。私自身が変わってきているから。当時の教え子達と話をすると「先生は本当に怖たった」と言っていた。そんな感覚はないが。この辺りも今とは違うかもしれない。

新天地で6ヶ月が過ぎた。もう一度チーム作りをしていきたいと思う。私が前任校で始めたジョギング部の時より始めた選手の数も多い。1年目は県総体に出られなくて長距離選手を無理やり4継を走らせて何とか参加したくらいのレベルだったから。やはり取り組みの姿勢を身につけるのには時間がかかる。それだけは確か。一瞬で変わるほど甘くはない。それでも変わってきている。そこを評価しつつ、出来ないところを変えていきたい。だからといって根本的に求める事は変わらない。がきちんと出来ないと何も変わらないから。

まとまりがありませんねー。すみません。思うがままに書きました(笑)
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徒然なるままに・・・

2015-10-15 | 陸上競技
色々なことを書いています。それに対する評価もあれば、批判もあるでしょう。何度か書いていますが「雉も鳴かずば撃たれまい撃たれまい」です。自ら撃たれる要因を作っている感覚はあります。何らかのアクションを起こせば何らかのリアクションがある。当然の話です。そこを度外視きてやっていくのは不可能。それなりに覚悟の上でやっていかないと思います。

前の記事にも書きましたがチーム作りをしていく中でやはり理想と現実のギャップが生じます。徒然草の中に「仁和寺にある法師」という作品があります。多分題目は違う気がしますが。

ある法師が著名な寺院を参拝する。そこでお参りをするのだが他の参拝者は山の上の方に上がっていく。この人たちは山の上に上がって景色でも眺めるのだろう、自分は参拝に来たのだから上がる必要はないんだ。「自分はこの人達とは違ってやるべきことをやっている」と思い帰郷して他の人に自慢する。すると実はその寺院の本殿が山の上にあることを他の人から教えられる。自分はきちんとやっているんだという思い込みがあったが実は全く違っていた。

このことに対して少しのことにも、先達はあらまほしき事なりと言っている。これはほんの少しの事でもそれを知っている先輩や先生がいて教えてくれる、手本を示してくれる人の存在の必要性を示している。考えてみればこれほど当たり前の事はない。先達の存在によりその後ろについていく人達は無駄な事をしなくて済む。諸先輩方の話に耳を傾ける事で自分が経験した事のない内容であっても身につける事ができる。

この事は徒然草に記載されているだけの話か?ここから学ぶ事はたくさんあると思う。チーム作りにおいても「ある程度の競技意識」のチームであればあとは早い。先達の様子を見ていきそれを真似するだけである程度の水準まで伸びるからです。「競技志向」だけでやるつもりはありません。「物事に取り組む姿勢」から身に付けてもらいたいと考えています。そのためには「自分が何をすればよいか」を学ぶ必要がある。そしてそれを学ぼうとする姿勢が必要となる。孔子の言葉に「憤(ふん)せずんば啓(けい)せず」というものがある。自分で必要と思いそれを示さなければ結局何も得ることはないのです。孔子の言葉は学問に対する取り組みの姿勢を示している。しかし、全てのことにおいてそれはあてはまるものだと思う。教えてもらうことを待っていたら誰も教えてくれない。仁和寺にある法師と同じではないか。

チーム作りをするうえで「先達」がいてくれるのはありがたい。がそれが不在であればやはり自らが「先達」になる必要がある。これまでやってきたという「枠」だけで物事を考えるのではなく、求められるモノを理解しそれが本当に自分にとってプラスになるのだという意識を持たなければ何も変化は生まれない。受け身の姿勢のままで待っていたら誰かが何かしてくれるという感覚から抜け出さなければいけないと思う。「これまで通り」を抜け出すのには勇気がいる。異なる環境の中で何をするかだから。

私自身、これまでと異なる環境の中で活動をしている。そこに戸惑うことは多い。それでも今の環境下で自分に何ができるかを考える。今までの自分の取り組みが正しいかどうかは私自身も考えないといけない。だから「先達」に相談をしながらやっていく。いつも自分が正しいとは思わない。自分自身の「枠」越えていけるように自分自身が変わらないといけない。選手に変われと求めるのであれば私自身も変わっていかなければいけない。間違いなく10年前とは指導スタイルが異なる。これだけは間違いない事実。もちろん昨年とも違う。今のスタイルが正しいかどうかは分からないが。

考えていることを少し記しておく。もう少し書いておきたい。
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理想と現実

2015-10-14 | 陸上競技
前の記事の続きになるでしょうか。こういう内容を書くと微妙な評価を受けるかもしれません。それでも理想と現実の差を考えていく必要があると思います。

「理想」としては「自分達のためにやる」ことです。こちらから言われてやるのではなく「自分のためにやる」という感覚を持つことで選手は自分たちで自然に強くなります。なぜなら行動の一つ一つをこちらがコントロールするのは不可能だからです。勉強に対しても競技に対しても基本的な「姿勢」というのは同じだからです。これを身に付けてもらう。これが今の部活における最大の目標となっています。「全国で戦う」ということをいきなり目指すわけではありません。取り組む姿勢について学ぶのです。この部分ができなければこれから先の社会生活においても何の成長もないまま終わってしまいます。

「現実」はなかなかそうはいきません。これまでの経験の中で「一生懸命に一つのことをやる」ということが少ない。中学時代に部活などをやっていたと思いますがそれほどではないと思います。私自身、中学時代は「どうやってサボろうか」を考えていました。自分のためにやるという感覚を持てない。かなり甘いままでやっていました。当時は自分が「甘い」ということにさえ気づけないでいた。きっかけは何だったか分かりませんがいつの間にか「自分自身が望んでやる」という感覚になっていました。教えられたわけではない。単純にその気になっただけだと思います。

理想論で話をする。簡単です。が、現実は大きく異なる。その中で何をするのか。3日間の「自主練習」期間、どれだけの選手が練習をしたでしょうか。火曜日に1時間程度の練習をしました。が、ほとんど体が動きません。これは私が見た感じで思っただけかもしれません。実際はかなり体を動かしているかもしれない。強い負荷をかけたわけではありません。が少しやった時点で座り込む。3日間身体を動かしていなければ当然のことかもしれません。

前から話をしていました。強い選手でも休みの時に自主練習をしている。それに追いつくというのは簡単なことではない。現時点ではそこの水準に勝とうは思っていません。少しずつ物事に対する取り組む姿勢を身に付けてもらいたい。何かに対して少しずつ自分で努力を重ねることで人は変わっていけるのです。それを感じてもらいたい。が、そこまで到達できるかどうかは指導する側の部分もあります最後は「本当にそれを欲しているか」だと思います。

最初は無理やりかもしれない。それでもこちらとしては「求めていく」姿勢を持ちたい。最初はできないことで少しずつできるようになっていけばよい。半年経ちますがなかなか浸透しません。当然の話だと思っています。これまでやってきたことから一歩踏み出して変わっていかなければいけないと思います。今は分からないかもしれない。しかし、これから先に必ずつながっていく。そう信じています。

こちらも一個人としてそれなりの「信念」を持って取り組みたいと思っています。万人に受け入れられないかもしれない。でもやっていくしかない。自分の時間を自分のために使う。テスト週間全てを勉強に充てているとは思えません。逆に自分で時間を作って体を動かせるくらいの効率の良さがなければ他のことをやっても同じことになる。当然の話だと思います。そういう部分を学ぶためには「口うるさく言う」人間も必要になるでしょう。それが受け入れられるかどうかは分かりませんが。

信念無き指導はしたくない。部活動だけではなく全てにおいてですが。「綺麗事を言うな」と批判されるかもしれません。しかし、本心です。指導することの難しさを感じています。教員はどのような状況においても難しい立場におかれます。それでもやるしかない。考えながら少しずつ進んでいけたらと思っています・・・。
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自分のためにやるという感覚

2015-10-13 | 陸上競技
土曜日からの3連休、あえて練習は「自主練習」としました。これに対してはこちらも思うことがあります。意図的に「自主練習」としました。何人かは「勉強を教えてほしい」ということだったので時間を作って個別に教えるようにしましたが。身体を動かす部分に関してはノータッチ。

金曜日の練習後にあえてそういう話をしました。練習計画表にも「自主練習」と記して競技場などが使える時間も示しています。チームとして成熟していない状況で「自主練習」ができるとは思っていません。たぶんほとんどの選手は家で少し腹筋をしたというレベルだと思います。自ら服を着替えて家の周りで身体を動かしたりするというのは「競技に対する気持ち」の部分でも実現は難しかったと思います。「テスト週間だから勉強さえすればよい」と思う選手も保護者もいるかもしれません。が、積み重ねて来たモノは数日間で簡単に崩れ去ります。

金曜日の練習終了後に「自分で家の周りで身体を動かすこと」「勉強の合間に補強を繰り返しやっておくこと」という指示を出しました。各自の意識レベルが高くなってくるとこの指示で十分だったりします。3日間全く体を動かさなかったらどうなることか。想像に難くない話です。「元に戻る可能性がある」というのであればあえてこちらが主導権を握って「練習に参加させる」という方法もあったと思います。が、それで本当に意味があるのか。繰り返し話をしていますが無理やりやらされている練習では効果は出ないと思っています。本当に結果を出したいと思えば自分のためにやるという感覚を持たないといけない。高い水準のことを求めているのかもしれません。が、最終的に選手が強くなるかどうかは顧問の問題だけはないと思っています。

物事に取り組む姿勢を教える。技術的な指導に関して教える。その部分はかなりやっていると思っています。しかし、これがやれと言われているからやるという感覚であればやはり強くはならないと思います。「頑張ります」という言葉。それに見合うだけのことができるか。きつい場面になるとどうしても「走りたくない」「きつい」というマイナスな発言が聞こえます。あえて言いません。そのような気持ちで練習をしていたら結果は見えています。上述のように無理やりやらされる練習でしかないから。自分たちが「やっていて楽しい」練習で強くなれるのであればもっともっと簡単に強くなれます。が、本当はそうではない。

時間を与えられる。そこは私には見えない時間です。毎日家に帰ってからの行動を私がつきっきりでコントロールするわけにはいきません。きちんと体を動かしているかどうかを全員に確認をするほどの余裕はありませんし、そのような練習をしていたら試合では絶対に走れないからです。結局は試合で走るのは自分自身です。与えられた時間の中で「それなりに過ごす」のに試合で結果を出したいというのはあまりにも都合のいい話ではないかという感じでしょうか。本当に結果を出したいのは誰なのか?私ではないはずです。前の記事にも書きましたが「私がインターハイに行きたい」と強く願っても意味がないのです。本人たちが自分のために自分自身で努力するから意味がある。

強くなりたい。そう願う。が、それに見合う行動は取れない。この状況を打破できるのは他の誰でもない。自分自身だと思います。だからこそこういう時間を自分で使ってほしい。難しいことでしょうか。

私は中学から高校に上がるときに弱かったですが「高校でも陸上をやりたい」と思っていた。だから自分一人で夜走っていた。長時間走るのは無理だったから1キロか2キロの距離で練習をしていた。電信柱から電信柱までのダッシュ(笑)。次の電信柱までは歩く。次までは走る。これを繰り返していた。誰かに言われたわけではないが「高校では少しは戦えるようになりたい」という想いがあったから「自主練習」をやっていた。これは自分の中で「強くなりたいならやるのが当たり前」という感覚があったからできたのかもしれない。こういう感覚を全員に求めるというのは間違っているのかもしれない。でも本当に強くなりたいと思えばやるべきことは見えてくる。最後は本気になれるかどうかだと思う。それ以上でもそれ以下でもない。

私は弱かったくせに自分のためにやるという感覚だけはあった。だから気が付いたらそれなりに強くなっていた。指導なんて受けたことはない。技術指導もないし、練習メニューもない。自分たちで勝手にやっていただけ。それでも県チャンピオンになることはできた。自慢ではない。本当にきちんとした指導が受けられていたらひょっとしたらもっと強くなれていたかもしれないという後悔はある。でも時間は戻せない。自分のためにやる。その感覚だけが高校時代、大学時代の自分の競技を支えていたと思う。

本当に身に付けなければいけないもの。それは技術などではないのかもしれない。自分のために練習を積み重ねよう。強くなるためには自分で練習をするしかない。こういう「感覚」なのかもしれない。それを促す話はする。が、それを受け取ってもらえるかどうか。何人かは感じ取ってくれるかもしれない。何人かは受け取れないかもしれない。そんな中でどうしたら強くなるのか。

「移行期」だから難しいと言われる。まさに。それでもこちらの「指導スタイル」や選手に身に付けてもらいたいことを伝え続けたい。少し遠回りになるのかもしれない。それでもやっていかないとチームは作れないから。私の独りよがりにならないようにしたい。「強いチーム」を目指すのではなく「自立したチーム」を目指したい。その中で「コーチングをする」部分で競技力を上げていく。理想ですね。それが最終的に「強いチーム」へとつながっていくと信じています。

自分のためにやるという感覚。勉強も同じだと思っています。見極めていきたいですね。そして身に付けてもらいたい。
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思うことを書く

2015-10-13 | 陸上競技
blogを書き始めてすでに10年以上が経過しています。すでに唯一の趣味になっている感じがあるのかもしれません。が、こういう部分というのは言葉を選びながら書いていかないといけないので大変です。言葉尻をとらえられる可能性もあるからです。こちらが意図していることではない捉えられ方をする。それにより不快に思われる人も出てくるのだと思います。非常に難しい部分ですが。思うことをツラツラと書くことが許されない部分もあります。そう考えるともっと閉鎖的な部分で自分の思いを書くというのも一つの手なのかなと感じています。自分自身の頭の整理をするだけであればそこの部分をあえて公開する必要はないですからね。

色々な場面で色々なことを感じる。それをすべて言葉にすることはできない。国体に行ったり普段の練習の中で感じることをすべて言葉にするとやっぱり難しい。極端なこといえば「他者批判」にもなるから。こうやってblogに書いていくことで自分自身についても見直すことができる。いつの間にか「自分が正しい」という感覚になってしまい他者からの意見やアドバイスを素直に聞けなくなるから。他者に求める行動と自分が行う行動が全く異なるようになるから。「裸の王様」にはなりたくない。もちろんん、我々の行動が全て高校生や選手の手本になるとは思えない。完璧に全てができるということはない。

指導に関しても同様なのだと思う。今やりたいこと、これからやりたいことは沢山ある。だからといってそれが本当に正しいのかどうかは分からない。ひょっとしたら間違っている可能性だってある。私が本気で「マイルでインターハイ」を狙っていた時期がある。私自身指導する中でインターハイに進んだことがない。まして、中学時代にずば抜けた戦績がある選手が集まってくる学校ではなかった。県で決勝に残れるか残れないかの選手たちが何かをきっかけに大きく伸びた。初めて本当にインターハイが狙えると思った時期。

当時は「この方法が正しい」と思って指導していた。師匠からは「とにかく冷静に」と言われていた。一緒に練習する機会があれば「少し方向性がずれてはいないか?」と何度も諭された。師匠に言われている言葉、自分の中で理解して消化しているつもりだった。でもいつの間にか選手は「先生をインターハイに連れていきたい」という気持ちになっていた。私が「インターハイに行きたい」という気持ちが大きくなりすぎていて素直な選手たちはそれを感じ取っていたのだろう。深い反省をしたが時すでに遅し。

私自身がもっともっと冷静にいなければならなかった。そう感じたときには・・・。準エースが故障してしまい、中国大会であろうことか7位となりインターハイを逃す。唯一インターハイに進んだ選手が「マイルで行くってみんなで約束していたのに自分だけがインターハイに進んでもいいのか?」と涙ながらに話す。こういう想いをさせてしまったのは全て私が悪い。私を信じてついてきてくれたのにそれに応えることができなかった。あの鳥取での絶望感はどんなことがあっても忘れない。選手たちが泣き崩れて立てなくなる姿・・・。あの時の想いを絶対に忘れないように「もっと自分を客観視する」ということを心がけていた。簡単ではない。

今、私は「指導者」として前を向けているだろうか。足りない部分を高めることに力を注げているだろうか。こうやってblogを書くことに満足して本当に大切なものを見失っていないだろうか。この状況で本当に指導ができるのだろうか。常に頭の中には不安に思うことがある。それを全て吐き出すのは難しい。それが何かを生み出せるかどうかとなるとまた違ってくるから。毎日のことをきちんと振り返りながらやっていきたい。それができなければ同じことの繰り返しになってしまう。

自分の中に何とも釈然としない思いがあります。特に何かがあったというわけではなく・・・。自分自身の内面についてもっと考えていきたいと思います。
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負けを認めた時から始まること

2015-10-11 | 陸上競技
面白い内容が書けなくてー。まー別に気にする必要はないんですけどね。私が好き勝手に書きたい事を書いているだけなので。それでも言葉は選びますし、極力個人が特定できるような書き方は避けています。文字として記すと「自分のことではないか」とか「見る人が見たら分かる」というような批判を受けます。このblogで私個人がほぼ特定されているので私が発する言葉はそれなりに特定されるのは致し方ないのではないかと思っています。これに関してはどこかのタイミングで周囲には説明をしておかなければいけなくなるのかもしれません。そこまで私の考え方や行動が制約を受けるのかどうかは分かりませんが。「個人情報保護」と言われるとまーそうですねという話になりますから。

前置きが微妙に長くなりました。まー思う事を。世の中には「才能」という如何ともしがたい部分がある。これに関してはblogでも書いてきています。100mを14秒で走る男子が世界記録を持つボルトに勝てるのかと言われたらそれは不可能だと思います。そこには絶対に越えられない壁がある。だからといって14秒の選手が速くならないかと言われると違う。速くはなります。が、それがどれだけのレベルになるかは分かりませんが。無責任に「ボルトに勝てる!」と選手を鼓舞するのは間違っていると思います。

国体の時に中国地区で女子の一番手の学校の指導者の方と話をすることができました。インターハイでも活躍されています。その中で「うちにも15秒台の選手がいるんだよ」と言われていました。全国大会で個人でも複数入賞していますし、リレーでも決勝を走るようなチーム。その中に15秒台の女子選手がいる。力の差は歴然としていると思います。それでもチーム内にその子の居場所があるんだと思います。もっというと走力だけではない。その選手が少しずつでも強くなろうとする意欲があるからチーム内でやっていけるのだと思っています。

陸上は他の種目と比べてシビアです。走力やタイムという客観的な指標によりその選手の実力が評価されます。球技などではテクニックなどで対応できる部分もあると思いますが、陸上は体一つで勝負しますから技術だけて対応できる部分が少なくなります。だからといって「やらなくても良いや」という判断をするならば競技をできるのは世界で一番の選手だけになる。ほとんどの選手は「負ける覚悟を持って練習に取り組む」必要があるのです。負ける可能性の方が高いがそれでも努力をしないと勝てないという感覚を持たないといけない。負けることから逃げてはいけないのです。

選手によっては自分よりも強い選手と走る事を避ける傾向があります。特に練習の中で負けたくないから言い訳をしてしまう部分がある。速い選手と走ると実力差が明確になってしまうから避けてしまうのです。人は誰もがプライドを持っています。常に自分が一番でありたい。だから練習で負けたら面白くない。他のスポーツとは明確に異なります。対抗戦の形ではなくても「足が速いかどうか」は日々の練習の中で見えてくるからです。毎日「負ける」ことを受け入れないといけない。そこで「負けても仕方ない」とい思うような選手であればそこからの伸びは終わってしまうのです。

先日ある選手と話をしました。いつの間にか自分が練習で負けることを避けている感じがありました。普段は練習で負けることはない。そしてその選手を中心にメニューが組まれている。が、他の場面ではそうではない。負けることもある。そこを避けていた。実際は時々一緒に練習する選手もそういう部分が以前はありました。負けたくないけど負けてしまう。だからそういう部分を避ける。でも、そこを受け入れることができた時から少しずつ変化をしてきた気がします。その感じがあったので個別に話をしました。変わらないといけないからです。

負けたくない。比較されたくない。そこにこだわっていたら絶対に前に進めないのです。大学生が高校生に負けることだってある。高校生が中学生に負けることだってある。高校生同士、中学生同士でも勝ち負けは存在する。そこに無駄にこだわっていたら前には進めないと思う。言葉で示すほど簡単なことではない。それを受け入れる本人は「自分は負けている」ということを受け入れないといけないからです。人は誰でも他の人よりも劣っているのを認めるのは嫌なものです。私自身、師匠や先輩に勝てないという感覚がずっとあってそれがトラウマのようになっている。でも、そこから目を背けたら前には進めない。今は勝てない。でも必ず勝つんだという気持ちを持とうと思っています。

その日の練習、これまで見てきた中で明らかな変化がありました。強くなりたいという気持ちがこちらにも伝わってきました。一緒に練習した選手達の方が今は強いかもしれない。しかし、油断していたらすぐに追いつかれてしまう。そんな雰囲気を感じました。もちろん、一緒に練習していた選手達も最初の頃と比べると全くの別人。追われる立場へと変わってきていますから、これまで以上に緊張感はあると思います。

最後に個別に話をしました。絶対に強くなってやるんだという気持ちを感じました。まだまだこちらが全てできることをやっているとは思いません。それは関わっている全ての選手に対してですが。でもこちらが「やったほうが良いよ」と話した内容をこれから絶対にやり続けると宣言していました。この子だけではなく他にも「この練習をやったほうがいい」と伝えて本気でやってくれている選手もいます。だから確実に力が上がる。


負けることを避けない。学年は関係ない。負けたら勝つために何をすれば良いかを考えれば良い。いつも一番になれるわけじゃない。今は一番でも明日は2番かもしれない。だから勝てるように何かをしていかないといけないんだと考えている。才能という枠を超えていけるのはこういう感覚なんだと思う。それをきちんと伝えていくことが大切。
まとまらないですねー。文才がない(笑)
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ツラツラと2

2015-10-11 | 陸上競技
前の記事の続きになるでしょうか。これまたどうでも良い部分かもしれません。書きたいので書いておきます。まー読み飛ばしておいてください。

「練習の意図」に関して。これも分かってもらえるかどうか微妙なところです。また、やっている選手達にはなかなか分からない部分もあると思います。「与えられた事をやる」というのが選手ですからその距離にしても重さにしても高さにしても「決まっているからやる」というのがあります。そしてそれを見て何も感じないままやるというのも多々あります。

これも師匠からよく聞く話。あると練習道具を使っての練習。20年くらい前にある道具を使った練習が流行りました。これはもう全国どこでも使っているような道具です。が、この道具を使う中で「疑問」を感じたようです。こちらがやりたい動きとこと道具を使った時の動きが異なる。「流行っている」からやるのではなく「意図するもの」があるからやるのです。明らかに「足が回る」のにその練習を継続している所もある。これを見て「分からないのかな?」と疑問に思ったとのこと。今でも同じようなことがあります。何を目的にその練習をやっているのか?

私が考える練習とは「目的」があってそれを取り入れる。先に「練習」ありきで後付けで「説明」をするのではないと思っています。強豪校がやっているからその練習を取り入れるというのではなくこちらが「やりたい」「改善したい」と思う部分があるから取り入れるのだと思います。前の記事にも書きましたが「同じようなことをする」のではないと思っています。他校がやっているからと真似して「足が回る」ようになるのであれば必要ないのかなと。

「足が回る」という表現には2つあると思っています。足の回転が速いから「足が良く回る」という言い方をすることもあります。が、ここでいう「足が回る」というのは足運びの際に身体の後ろで足が回ってしまうという意味です。私としてはやりたくないなと思っている動きですが、結構な所でこのでは動きをやっています。ひょっとしたらそちらの方が正しいのかもしれません。私は今やっていることが正しいと思っていますから周りに流されずやっていきたいと思っていますが。

これは国体の時に先輩と話をしていた時のこと。「とにかく前に進むためにどうするか」という話になりました。決まりきった練習をするだけではなく、ひょっとしたら遠回りかもしれないけど全く異なる方法で「狙いとする動き」を身につけさせていければそれで良いんじゃないかと。まさに。が、これも上述のように「練習の意図」があるからこそ。やりたい動きや前に進むためにどうするかを考えた上での練習であればどんな形の練習であっても問題はないと思います。意図があればですが。そんなことは当たり前だと言われるかもしれません。当たり前です。

私の練習の中ではメディシングボールを投げたりします。ハードルを使う練習も多くあります。先日ある選手と一緒に練習をした時に「ハードルの高さ」について話がありました。普段やっているハードルと高さが異なるとのこと。そこに関してはある程度説明しました。ハードルに関しても「やれば良い」というわけではないと思います。男子と女子であればその高さも距離も異なります。指導者によっては「すべて同じ」の形で行ったりします。マーク走なども同様です。何となく一律で決めてそれをやる。ここも判断だと思います。私はマーク走では広い、狭いを見るようにしています。当たり前ですが。明らかに異なる動きをしても意味がなくなるから。本当は選手一人一人で設定を変える方が望ましいと思いますが、場所の関係で同じような走力でまとめるようにはしています。それくらいの配慮は必要になると思っています。

メディ投げ。これもやれば良いというわけではない。狙いが何か??BOSSと一緒に練習をしている時にあれこれアドバイスをもらってきました。その中で今の練習スタイルになりました。メディ投げもやれば良いわけではない。ダイナマックスを使った練習も同様。何を狙いとした練習なのかを明確にしていきたいと思います。ここは重さを考えながらやらなければいけないと思っています。これがなければ本当に「やるだけ」になってしまうから。

が、これと相反するようなこともあります。前任校で女子の間にある話がありました。武道場にロープがあり、ロープ登りができるようになっていました。何の根拠もないのですが彼女たちはこのロープ登りが腕だけで上がれるようになったらインターハイに行けると決めていました。一番最初にインターハイに出場した選手がロープ登りを達成したからだと思います。確かに個人で出場した4人のうち3人は腕だけの力で上がっていました。根拠はないのですがそれを「共通の目標」として取り組んでいたのです。それくらいの上半身の筋力があるからインターハイに届くようになるというのもあると思います。明確な根拠はありません。

練習の中でこちらが意図する部分を明確にすることは必要不可欠だと思っています。やるだけの練習にしたくないので。ハードルをまたぐ動きにしても「越えれば良い」というのではない。股関節の使い方に注目したり、重心の移動を考えて取り入れていかないといけない。合理的な練習といえばそうなります。無駄なことを省いていきたい。

が、時として「理由なき練習」が存在しても良いのかなと感じています。全てがこの形の練習では絶対にダメだと思いますが、メニューの中に「根性論」的な要素が入ることも必要なのではないかと。分かりにくい内容かもしれませんが、私はその部分に注目して取り組んでいます。意味のある練習をしたい。全てではないですが。狙いを持った練習を進めていきたいという気持ちはあります。ここの部分をどう考えていくか。それほど難しい話ではないと思っています。

こういうスタイルでやるから1つ1つの練習に対するエネルギーが大きくなります。まだまだ甘い部分の方が多いですができる限り見逃さないようにしたい。そういう部分がきっと大切なんだろうなと。

あれこれと考えながら自分の練習を組み立てていけるようになりたいと思います。やれば良いという練習はないと思っています。強くなるための特効薬はないから。これからどうしていけばより効率良く力を上げることができるかを考えたいと思います。もちろん、時には遠回りすることも必要だとは思っています。やることはたくさんあります。一つずつ一つずつ。そして、やろうとしていることを1人でも多くの選手や保護者、中学生に理解してもらいたい。やっている練習に対する信頼だと思います。

しっかひと考えてやっていきたいと思います。中身がないかもしれませんが思うことをツラツラ書いています。面白くないかもしれません(笑)お許しを(笑)
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