カンレの日記

還暦の年から始まったブログ、いつの間にか古希そして喜寿を迎えた日々のこと。思いのままに。

本日の烏ヶ森公園の花は

2008年05月18日 | まち歩き

公園の花は、今日もきれいに咲いていました。

Photo 公園西側の

奥のほうです。

これは池の周り。

Photo_2黄色のアヤメも咲き出して

とってもきれいですよ~(^O^)/。

コメント (6)
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ご無沙汰しておりました

2008年05月18日 | 健康・病気

4月26日は、劇団四季(ミュージカル、キャッツ)観劇のチケットを

取って、楽しみにしていたり

GWには、孫が来るし

連休の後も、沖縄旅行を申し込み、お金も払い込んでおりました。

その頃は、とても気分はハイになっていました。

そんな、4月23日の夜、娘から電話があって

なぜか、、、このときばかりは・・・ドキッ!としたのです・・・

娘は、淡々と話し始まりました。

「あのさぁ・・・この間から胃の検査をしていたんだけど、検査の結果が出てね。痛みがあったのは、十二指腸潰瘍なんだけど、そのほかにもポリープがあって、そのポリープの検査の結果、癌だったんだって

「えー!・・・」・・・まさかぁ?・・・

「ほんとなの~?」

・・・・・

「それでね。急いで手術をしろといわれたわけではないんだけど、この連休なら仕事に影響なく入院できるので、手術することにしたから・・・」

もう、あまりのことに、私のほうが取り乱して電話口で涙声になってしまい

受話器を夫に渡した。

どうやら、検査結果の報告と、手術のときの保証人になってほしい、そんな電話だった。

いろいろ詳しい話を聞いていくと

胃が痛くて病院に行ったら十二指腸潰瘍と診断され

それは治ったのだが、そのとき別の場所にポリープが見つかり

検査の結果、初期の癌だった。

ごく小さなものなので、内視鏡の手術で済むかも知れない。

早期発見できたのは、とてもラッキーだったとのことでした。

そんな訳で、30日が手術の日でした。

北海道に住む娘は「来なくても大丈夫」と、言うが・・・

とにかく、娘に会いたい、そばについていたい、その思いがこみ上げてきて

夫とも話し合い、二人で北海道行きを決意したのでした。

連休にもかかわらず安めの航空券が取れた。

幸い娘が、ひょうひょうとしていて

「そんな心配しなくても大丈夫だよ」と、反対に励まされてしまう始末。

その頃には、私の心も落ち着いて

初期ならば治る病気なんだ、と、頭の切り替えがつくようになりました。

でも、ブログに集中できなくて

ブログを断って、結果を待とうと思ったのでした。

手術の前日、4月29日羽田空港から千歳空港に行き娘たちと落ち合った。

手術となれば、しばらくは絶食しなければならないので

「思いっきり食べたいものを食べたい」

娘のそんな思いから、寿司屋さんで思いっきり寿司を食べて

ガン患者とは思えない食べっぷり、デザートの甘いものもたらふく食べて

いつもより明るく、はしゃいでいるような感じさえする娘の態度。

食後には、すし屋さんのテーブルで自分のガンの位置、進行の度合いなど

医師からもらった図入りのメモで、私たちに説明をしてくれた。

保証人の書類もすし屋さんのテーブルで署名して

なんともあわただしく、その足で入院となったわけです。

病院は、大きな病院だし、病室は清潔な印象、

スタッフの方も優しくテキパキと対応してくれて

病院に関しての不安はなくなった。

4月30日手術の当日がきた。

前日から、点滴をしたり手術に関しての準備が始まっていて

病院で準備されているパジャマを着ていると、やっぱり病人なのか?

患者なのかと現実を認めざる終えない、複雑な心境になってきた。

手術の時間は、午後3時頃ということではっきりと時間が決まっていない。

やっと、午後3時45分、娘は車椅子に乗り点滴を持って

ニコニコと、を振って手術室に入って行った。

その頃には、婿殿の両親も来てくれて、大人が5人待合室で手術が終わるのを待った。

・・・・・

当初の説明では、2時間くらいと言われていたので

2時間までは平常心でいられたが、2時間半になっても出て来ない。

予定外のことが・・・何かあったのでは?とか、余計なことを考えてしまい心配になってきた。

手術室のすぐ横に近づいてみると

ピコピコと電子音

「もうすぐ終わるからねぇ~頑張ってね~」と

看護婦さんの声も聞こえる。

(全身麻酔ではなく、局部麻酔と意識がもうろうとする麻酔程度と知らされていた)

今、娘が、苦しんでいる、そう思うと・・・

なぜ?娘が?・・・私がガンになったほうが良かったのに・・・

そんなことを繰り返し思った。複雑な思いがこらえきれなく涙になる。

内視鏡の手術とはいえ2時間半を過ぎた頃には、5人とも落ち着かない。

そして、3時間近く(午後6時45分ごろ)にやっと終わった。

婿殿だけが呼ばれ、切り取ったガンを見せてもらったようでした。

(そのとき、娘もわかっているような顔でうなずいていたらしいが

後から聞いたら覚えてないという)

さすがの娘も術後は、病室に入ってからもぐったりして苦しそうだった。

その夜は、一緒に泊まれれば泊まろうと準備をしていったが

娘は 「子どもじゃないんだからいいよ」 と言う。

病院側でも 「完全看護ですから大丈夫ですよ」 と言う。

仕方なく、病院を後にしたが、その夜は眠れなかった。

次の日は、もうすっかり元気になって明るい表情をしていて、一安心。

手術の局部が胃の入り口と言うことで、癒着の恐れがあるため

しばらくは、定期的にカメラを飲んで

癒着防止の処置をしなければならないようなのですが・・・

5月1日と2日は、私が病院に残り夫と婿殿は庭作りができるまでに

お互いの心に少しずつゆとりができ始めた。

で、私と夫は3日の朝、もう一度娘に会い

その足で、千歳→羽田→栃木へと戻ってきました。

栃木では、孫が来ており久々の再会でした。

娘のほうはその後、5月8日退院して食事も普通の食事が取れるようになって

9日には仕事を始めたと言う。

まずまず、一安心です。

しかし、手術で摘出した部分の病理検査で、

下の層までガンが進行してないかどうかの検査も行われ

その結果が出るまではまだ心配は尽きない状況です。

でも、とりあえず、手術も一段落したことですし

仲間と申し込んでいた10日出発の沖縄旅行は

「大丈夫だから思いっきり楽しんできてよ」

と、娘も言うので行って来たのでした。

人生って、ほんとにいろいろあるものですねぇ~・・・・・・

娘もこのブログは見ていまして

ブログを休んでいること

皆さんが待っていてくださること、などを気にしていて

当初から、「私のことを書いてもいいよ」と言っていたのですが

親としては複雑な心境で今日まで悩んでおりました。

どうぞこの話は、ここだけの話にしていただけるとありがたいです。

でも、カキコミは大歓迎、うれしいです。

私も娘も、もちろん家族のものにはとても励みになります。

直接優しい言葉をかけられると

このところ涙腺が弱っておりまして、人前で涙が出てしまうのです。

かと言って、いつまでも、めそめそはしていられませんので

「カンレの日記」は書いていきたいと思っています。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。<m(__)m>

コメント (8)
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