カンレの日記

還暦の年から始まったブログ、いつの間にか古希そして喜寿を迎えた日々のこと。思いのままに。

被災から5ヶ月半経った石巻は

2011年08月26日 | 東北関東巨大地震

H23年8月23日のこと

被災地の石巻の親戚(兄姉)のところへ行って来ました。

こうして穏やかに流れる北上川を見ていると

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あの津波の惨事は嘘のようですが

まだまだ復興はされていないところばかりです。

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瓦屋根の家は津波で流されないで残っているものの

家の中の物はすべて流されてそのまま無残に残っていました。

↓ 壊れた堤防も作り直されてはいましたがこの先に・・・

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すっかり有名になってしまった大川小学校があります。

行方不明の子ども達の手がかりの

どんな小さなものでも見つかることを信じて

↓ がれきや土の撤去作業に神経を遣っている様子が伺えました。

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重機の奥のほうに見える茶色の建物が大川小学校です。

夫の母校である小学校ですが

ここから海まで数キロ、街が開けておりました。

子ども達を連れて何度海水浴に行ったことか・・・

娘の安産祈願、出産報告と安全祈願を

亡き義母と一緒にお参りしたお寺さんも

この奥のほうにありましたが

今では、だれもが住めない海と地域になってしまいました。

悲しいことです・・・これを書いていてもまた涙があふれそうです。

↓ 少し視線をずらすと

震災前は、穏やかな田園風景だったところ

5ヵ月半経った今は、草が生えて一見緑になっていますが

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ここは、ずいぶん遺体が見つかったところでもあったそうです。

ただ、この辺りは車もたくさん流されていたところでしたが

車やがれきだけは、何とか片付けがしてありました。

しかし、稲作はまだまだ無理のようです。

一方、海抜0メートルになった渡波地区も

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とりあえず道路兼堤防を作り、土嚢での防波堤は出来て

満潮時の浸水はなくなったとのことです。

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いつ漁が出来るのか?

ずうっとここに住めるのか?

不安はいっぱいのようです。

一時元気なった義姉も

今回はとても元気なくなっていました。

気がかりです。

街の復興はもとより、心身ともに復興するのは

まだまだ時間がかかるようです。

こう言う体験を風化せずにこれからも

援助の手を出来る範囲でさしのべていきたいと思います。

でも、兄姉たちは古い人間ですので

その度に、気を遣ってくれるのが心に残ります。

互いに思いやることは

お互いに気を遣い大変なことかもしれませんが

続けていかなければならないこと

そんなことも感じながら、兄姉宅訪問の日でした。

間接的な援助も考えていきたいですね。

間接的な援助と言えば

今回は高速道路が平日にもかかわらず混雑していました。

経済効果などの援助も考えてのことかもしれませんね。

それに、あれだけのトラックの往来は、復興に向けて

活気がでてきたとも思えました。

こうして車が多くなると、交通事故が怖いと思っていましたら

その帰り道、案の定交通事故の為の渋滞にあいました。

交通事故も気をつけたいですね。

厳選ブログ集「ひととき」 OCNブリエ認定ブロガー

コメント (2)
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