22期の杵渕です。
私は健康のために夜は最寄りの2駅前で降りて家まで帰るのですが、歩きながらポッドキャストを聴くのを習慣にしています。私がフォローしているのが人間の行動心理学を題材にしている「超リアルな行動心理学」というポッドキャストです。そこで愚痴を言うことに対して面白い視点で語っていたのでご紹介します。
人間はどうして愚痴などの否定的な発言をしてしまうのか。
それは太古の昔、野生動物から襲われて命を落とすリスクがあった時代に、防衛本能から、状況や場所に人は善し悪しのレッテルを貼っていました。危ない前兆をできるだけ察知し生き残るための脳の仕組みだったというわけです。
現代に置きかえて考えると、犬に噛まれてしまうという経験を持った人は、次回は犬を見たら逃げようという意識が脳に刻まれます。犬は危険だという悪いレッテルを貼って、備えようという気持ちが働くわけです。
ただ、職場の上司等の仕事上付き合う人や気乗りしない仕事には逃げて解決するということは簡単にはできません。フリーランスの方だって仕事を断ってばかりはいられませんよね。嫌だというレッテルを貼ったとしても、その感情を引きずるだけで、何の得にもならない。自分にストレスをかけ続けているだけ無駄です。大昔ならまだしも現代にとってはあまり意味がないので、マイナスのレッテルを張る行為である愚痴というのは、自身のモチベーションにも関わるのでできれば言わない方が合理的です。
この話を聞いたとき、私は思いました。とはいえ、自分のネガティブな部分をさらけ出すことで相手との距離を縮める狙いで使ったり、同じ思いをしている相手に共感してもらって仲間意識を高めたりといったように、コミュニケーションの一部として使われることもあるじゃないか。相手から愚痴を聞かされた時にそれを否定してばかりというわけにもいかないし、ポジティブ発言しか言えない空気も逆に窮屈だろうと。(といっても自分自身はあまり愚痴を言わないようにしている方だと思います。)
ポッドキャストでは、コミュニケーションの一部として愚痴に対して同調して返すのはそう悪くないと言っています。ただし1回だけで、続けなければいいと。そこからプラスの方向に話を転じるようにできたらいいそうです。脳の機能でいうとプラスのレッテル貼りですね。
このブログを書きながら思いだしたのですが、昨夜知人に対して無意識にこれをやっていました。知人は愚痴だと前置きした上で、不快に思ったことがLINEにつづられていました。私は知人が不快に感じた場に居合わせていたため、1ターン目では思いをくみ取り同調しました。その後は愚痴に愚痴を重ねることはせず、2ターン目以降はポジティブに捉えようという話に展開したところ、前向きな気持ちになってくれたようです。今後の知人のことを考えるとやはりその選択肢の方がずっといいと、今日になって思います。でも愚痴飲みには笑って付き合いたいと思います。(笑)
みなさん、普段ついつい愚痴言っていませんか。