稼プロ18期の杉山です。
静岡県が生んだ人気少女マンガ家でエッセイストのさくらももこさんが8月15日に亡くなりました。53歳の若さでした。突然の訃報に驚かれた方も多いと思います。かくいう私も同じ静岡県人として(私は静岡市出身、さくらさんは隣の清水市出身、今は市町村合併で同じ静岡市になっています)、親しみを感じていただけに非常に残念です。
追悼の意味を込めまして、幅広い世代に愛されている国民的マンガ“ちびまる子ちゃん”のヒットの要因について、日ごろ私が感じていたことを綴りたいと思います。
①コドモの中のコドモにターゲッティング
今回ブログを書くにあたり、中1の次男に「まるちゃんってどんなところが面白いって思う?」と質問したところ、しばし沈黙の後、帰ってきた答えは、ひと言「日常…」でした。我が子ながら、的確な表現!確かにちびまる子ちゃんで描かれるのは、あり触れたコドモの日常生活です。当たり前ですが、コドモ時代を過ごしていない人はいません。丁寧に描写された日本人の郷愁に訴えかける物語が、幅広い世代に共感=“あるある”をもたらします。マーケティングでは、顧客一人ひとりの個性や好みに合わせて市場を細分化していきますが、誰もが経験のあるコドモ時代の思い出をターゲットに、いわばコドモの中のコドモを描写することで、国民的なヒットにつなげたといえないでしょうか。
(余談ですが、少年マンガの大家である本宮ひろし先生は、「コドモは自立を求めている」と、“コドモ社会の中で自立している主人公”=“コドモの中のオトナ”を描いてヒット作を世に送り出しました。同じマンガ家でも、作品づくりのアプローチは大きく異なっており、こうした作者のネライの違いを比べることも面白いのではないかと思います。)
②世界観を守るこだわり
マンガはマンガ家が描きますが、アニメはアニメ制作会社が作るもの。したがって両者は別物で大好きだった作品がアニメ化されるとき、原作と合わない脚色が施され、ガッカリしたことのある人は意外と多いのではないでしょうか。
その点、ちびまる子ちゃんは、原作の雰囲気を損なわず、アニメ化に成功した稀有な事例といえます。それもそのはず、原作者のさくらさんがアニメ番組の脚本に参加しています。作品の世界観を守るために、さくらさんがこだわった点です。
また、1990年に放映開始したちびまる子ちゃんは、3年ほど放送した後、人気絶頂にも関わらず、約2年間休止しています。この理由は、「どんな作品でも3年以上人気は続かない」と考えていたさくらさんの思い切った判断によるものです。しかし、休止期間を経て、作品のクオリティを保つ体制ができると判断した後は、一度も途切れることなく放映が続いています。このように世界観を守るための強いこだわりが作品のブランドイメージを高めたと私は考えています。
③リアルなローカル情報の発信
ちびまる子ちゃんを観ていると、静岡ご当地ネタがこれでもかと出てきます。“フェスタしずおか”(昭和40年代後半から約30年間、毎年8月に開かれていたお祭りイベント。芸能人が出演する歌謡ステージが目玉で、西城秀樹さんがほぼ毎年出演)や“巴川”(静岡~清水を流れる2級河川、ちびまる子ちゃんでは洪水のエピソードあり)、“いちばん星みつけた”(地元のテレビ局が放送していた、ちびっ子のど自慢大会。これに出演することが静岡のコドモの憧れで、ちびまる子ちゃんでは、花輪くんが出演する回があり)などなど。
今でこそ、地方のローカル情報は全国放送でも数多く流されています。しかし、こうしたローカル情報が、地元の人だけでなく、誰もが楽しめる面白いコンテンツだと世に気付かせたのはこの作品の功績であると、私は密に思っています。視聴者に一体なんだろう?と不思議な印象を残すと共に、作品にリアリティを与えて、さくらさんがこだわった世界観を守ることに一役買ったと推察します。
さくらさんの訃報の翌日、近所の書店に駆け込み、未読であったエッセイ3冊をまとめ買いしました。簡潔な文体、絶妙な言葉のチョイス、1ページ目から読者を引き込む文章力。改めてお見事と感じました。奇しくも稼プロでは「書く」をテーマに講義の真っ最中。ビジネス小論文とエッセイは異なりますが、執筆の合間の息抜きに、はたまた文章表現の参考に、「現代の清少納言」とも評された希代のエッセイの名手の文章をぜひ一読されるのはいかがでしょうか?
静岡県が生んだ人気少女マンガ家でエッセイストのさくらももこさんが8月15日に亡くなりました。53歳の若さでした。突然の訃報に驚かれた方も多いと思います。かくいう私も同じ静岡県人として(私は静岡市出身、さくらさんは隣の清水市出身、今は市町村合併で同じ静岡市になっています)、親しみを感じていただけに非常に残念です。
追悼の意味を込めまして、幅広い世代に愛されている国民的マンガ“ちびまる子ちゃん”のヒットの要因について、日ごろ私が感じていたことを綴りたいと思います。
①コドモの中のコドモにターゲッティング
今回ブログを書くにあたり、中1の次男に「まるちゃんってどんなところが面白いって思う?」と質問したところ、しばし沈黙の後、帰ってきた答えは、ひと言「日常…」でした。我が子ながら、的確な表現!確かにちびまる子ちゃんで描かれるのは、あり触れたコドモの日常生活です。当たり前ですが、コドモ時代を過ごしていない人はいません。丁寧に描写された日本人の郷愁に訴えかける物語が、幅広い世代に共感=“あるある”をもたらします。マーケティングでは、顧客一人ひとりの個性や好みに合わせて市場を細分化していきますが、誰もが経験のあるコドモ時代の思い出をターゲットに、いわばコドモの中のコドモを描写することで、国民的なヒットにつなげたといえないでしょうか。
(余談ですが、少年マンガの大家である本宮ひろし先生は、「コドモは自立を求めている」と、“コドモ社会の中で自立している主人公”=“コドモの中のオトナ”を描いてヒット作を世に送り出しました。同じマンガ家でも、作品づくりのアプローチは大きく異なっており、こうした作者のネライの違いを比べることも面白いのではないかと思います。)
②世界観を守るこだわり
マンガはマンガ家が描きますが、アニメはアニメ制作会社が作るもの。したがって両者は別物で大好きだった作品がアニメ化されるとき、原作と合わない脚色が施され、ガッカリしたことのある人は意外と多いのではないでしょうか。
その点、ちびまる子ちゃんは、原作の雰囲気を損なわず、アニメ化に成功した稀有な事例といえます。それもそのはず、原作者のさくらさんがアニメ番組の脚本に参加しています。作品の世界観を守るために、さくらさんがこだわった点です。
また、1990年に放映開始したちびまる子ちゃんは、3年ほど放送した後、人気絶頂にも関わらず、約2年間休止しています。この理由は、「どんな作品でも3年以上人気は続かない」と考えていたさくらさんの思い切った判断によるものです。しかし、休止期間を経て、作品のクオリティを保つ体制ができると判断した後は、一度も途切れることなく放映が続いています。このように世界観を守るための強いこだわりが作品のブランドイメージを高めたと私は考えています。
③リアルなローカル情報の発信
ちびまる子ちゃんを観ていると、静岡ご当地ネタがこれでもかと出てきます。“フェスタしずおか”(昭和40年代後半から約30年間、毎年8月に開かれていたお祭りイベント。芸能人が出演する歌謡ステージが目玉で、西城秀樹さんがほぼ毎年出演)や“巴川”(静岡~清水を流れる2級河川、ちびまる子ちゃんでは洪水のエピソードあり)、“いちばん星みつけた”(地元のテレビ局が放送していた、ちびっ子のど自慢大会。これに出演することが静岡のコドモの憧れで、ちびまる子ちゃんでは、花輪くんが出演する回があり)などなど。
今でこそ、地方のローカル情報は全国放送でも数多く流されています。しかし、こうしたローカル情報が、地元の人だけでなく、誰もが楽しめる面白いコンテンツだと世に気付かせたのはこの作品の功績であると、私は密に思っています。視聴者に一体なんだろう?と不思議な印象を残すと共に、作品にリアリティを与えて、さくらさんがこだわった世界観を守ることに一役買ったと推察します。
さくらさんの訃報の翌日、近所の書店に駆け込み、未読であったエッセイ3冊をまとめ買いしました。簡潔な文体、絶妙な言葉のチョイス、1ページ目から読者を引き込む文章力。改めてお見事と感じました。奇しくも稼プロでは「書く」をテーマに講義の真っ最中。ビジネス小論文とエッセイは異なりますが、執筆の合間の息抜きに、はたまた文章表現の参考に、「現代の清少納言」とも評された希代のエッセイの名手の文章をぜひ一読されるのはいかがでしょうか?