東京都中小企業診断士協会中央支部認定!「稼げる ! プロコン育成塾」ブログ

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2014年を振り返って

2014-12-31 12:53:23 | 塾長からのメッセージ

こんにちは。塾長の鴨志田栄子です。
大晦日となりました。 皆様、どのようにお過ごしでしょうか?

2014年を振り返って、私自身、心に残った3つの出来事について紹介します。 

1.マイナス35度のロシアを体験、16時間(18時間?)の列車移動も経験

 1月末から2月にかけて1週間ほど、モスクワ、ペルミ、イジェフスクでセミナー講師をしてきました。(場所は、地図で確認をしてください)
モスクワはマイナス5度~10度ぐらい、ペルミは、明け方はマイナス35度まで記録したようです。イジェフスクは、マイナス25度、さすがにマイナス35度の時は、ホテルにこもっていました。到着した日、夜、有名なバレエの公演を見に行こうと通訳の方が誘ってくださったのですが、マイナス30度近い屋外に出る勇気はありませんでした。
 そして、2度の夜行寝台での移動も貴重な経験でした。1度は夜11時半にペルミを出発して早朝5時にイジェフスクに到着。そしてこの日、ホテルにチェックインして仮眠?をとったのち、朝から講義でした。翌日イジェフスクを午後4時に出発、翌日の朝10時にモスクワに到着。ホテルの室温も汽車の中も25度、でも屋外はマイナス25度、その差は50度です。街中を車で走ると、窓についた雪がどんどん凍っていきます。
 帰国のためにモスクワに戻ると、マイナス10度とのこと、「たいしたことない」という気温感覚麻痺の状況で、1時間強、市内を徒歩で観光してしまい、手袋をしていても手がかじかみ、やっばりマイナス10度は身体には過酷な温度であることをあらためて認識した貴重な体験でした。

2.足のはく離骨折、でも仕事に穴を開けずに乗り切りました。

 自転車で転倒して、左足膝じん帯のはく離骨折。捻挫もしたことがなかったのに、人生で初めての骨折です。その瞬間、頭をよぎったのは仕事のスケジュール。金曜日に骨折、月曜日からは、新規受注の研修が予定されていました。
 自転車で転倒したのに、そのまま起き上がって自転車をこいで整形外科に行き、レントゲン検査。その段階では、骨に異常なし。そのまま自転車に乗って、郵便局、銀行を廻って帰宅。私の事務所と自宅はエレベータなしのビルの3階です。午後になると、足が曲がりにくくなり、接骨院に行きました。そこで、ロッキング現象(膝を曲げると、元に戻らない)が確認され、すぐに救急病院への指示。診療終了直前に接骨院から一番近い整形外科に飛び込み、そこで、はく離骨折が発見されました。
 その日は、とりあえず、足を固定し、翌日土曜日に、ギブスを装着、そしてその翌日日曜日から、予定どおり、東北新幹線で4泊5日の出張に出かけました。一番の繁忙期にケガをしてしまい、ほぼ1か月にわたり、17日間の登壇、16泊のホテル滞在、予定していた仕事は穴をあけずに乗り切れたこと、これらの経験は今後の教訓となりました。 

3.悲しいお別れ・・・でも、教わったことはこれからも実践して後輩に伝えていきたいです

 お世話になった方が、続けてお亡くなりになりました。1人は、「人を育てる、人と向き合う」ことを教えてくださった方です。その方は、いつも、受講生のレポートに熱心にコメントを書かれていました。育成塾の振り返りに、今年は、提出者全員にコメントを書かせていただいていますが、その大切さはこの方から教わったものです。昨年まで、気になりながら実現できていなかったのですが、今年はそれを実践しています。
 もう1人は、実務補習でお世話になった先生のお1人です。12月中旬に届いた訃報、私の心に大きな穴があいてしまいました。大きな心をお持ちの方でした。実務補習のメンバーの中で私への褒め言葉は「歩くのが一番早い」でした。とてもお身体の大きな方で、その先生も歩くのが早かったのですが、いつも、そのペースについて行っていました。「他の人は、すぐに距離があいてしまうのに、鴨志田さんはいつもついてきていた」というのを何回も言われました。そして診断士になってからも、多くのご縁を作ってくださった方です。おおらかなお人柄で見守ってくださったその姿勢を私も持ち続けたいと思います。
 お二人の先生のご冥福をお祈り申し上げます。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

 最後になってしまいましたが、今年は、この育成塾14期生との出会いがありました。

14期生は、お1人おひとりが、良い意味で個性があると思っています。その個性をお仕事で発揮できることが大切だと思います。13期生と比較すると、13期生はどちらかというとチームワークの醸成が早く、団体での行動力がありました。14期生は、前述したように素晴らしい個性をお持ちで、いろいろな輝きをもっていると思います。イベントも回数を重ねるごとに、チームワークも生まれ、残りの講義も楽しみです。  
 1期生として学んだ育成塾。育成塾は、私自身の独立診断士としての歴史でもあります。来年は15期生を迎えるべく、年末には、運営メンバーで打ち合わせを行いました。育成塾のネットワーク、ただ大きいだけではなく、塾生の皆様お1人おひとりにとって有意義なつながりであってほしいと考えています。少しでも、皆様のご期待やご要望に応えていきたいと思います。振り返りでいただいた声は、当塾の運営に反映し、伝統を守りつつも、柔軟に時代のニーズに応えていきたいと思います。

この1年間、有難うございました。心から、感謝申し上げます。どうぞ、良いお年をお迎えくださいませ。

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保険のCS

2014-12-30 10:31:39 | 14期生のブログリレー

10月の25日に母が交通事故に遭い、重傷を負いました。

約1ヶ月の入院をし、退院してはや1ヶ月が過ぎました。

入院費や治療費は加害者の方の保険で対応していただい

ています。

私は別途家族を対象に、入院1日10,000円、通院1日

2,000円の保険をかけております。これまで、息子が

自転車で転倒した時や、私がトライアスロンレースで事故

に遭った時など治療費の足しになったものです。

 

そこで、早速保険代理店に電話をしました。

その時のやり取りはざっと下記のようなものでした。

(佐藤)「家族が交通事故に遭いまして、障害保険の

     支払いを申請したいのですが」

(代理店)「承知しました。書類をお送り致しますので、

     治療が終了したら記入して送り返してください」

(佐藤)「承知しました」

(代理店)「ところで佐藤さんは自動車保険に入られて

      いますので、そちらで保険金が出ますよ」

(佐藤)「自動車保険は私の車が対象で、しかも私と妻の

     運転者限定ですが」

(代理店)「そうなのですが、実はこの自動車保険には

      特約がついています」

(佐藤)「特約、それはどんなものですか?」

(代理店)「それは同居の親族、あるいは別居でも独身の

      お子様が、第三者によって交通事故の被害に

      遭われ、入院された時にいろんな諸費用を

      負担するものです」

 

要約すると下記のようなものらしいのです。

 

特約名:入院時選べるアシスト

対象:差額ベッド代(1日2万円限度)、

   病院で暇をつぶす書籍代(月3万円限度)、

   TVやDVD機器とDVDレンタル代(月5万円限度)

   留守宅の清掃代(1回当たり10万円限度)、

   子供の家庭教師代(1日あたり1万5円限度)、

   お見舞い交通費(1利用あたり2万円限度)

   新幹線も可能)、などなど。

さらには、退院してからも1ヶ月を限度として、

お見舞い返し(12万円限度)、退院祝い(10万円限度)、

ヘルパー代等が保険でまかなえるのです。

 

入院中にいくつか使わせて貰い非常に助かりました。

また退院後も何回か、期限が迫っているので、退院祝い

をお使いくださいと電話迄かかってきました。

店に行くもよし、自宅でいろんなところで購入したものを

持ち込んでもよしとのこと。

 

そんなこんなで、年末に家族がそろう場で、退院祝いを

させていただく事となり、料理店から取り寄せの鍋料理を

を囲む事となりました。

 

私は2つの事を学びました。

 

第一には、保険の加入内容を以外と知らないことです。

結構無駄や得られる利益を逸失しているケースも多い

のではと思います。

いちどきちんと整理しようと思っています。

 

第二には、今回の保険代理店の高いCSの意識です。

私はこの自動車保険で、貰い事故の保証があることを全く

知りませんでした。また、他の保険の申請の情報から、

この保証の存在や手続きの仕方、はたまた期限の予告と

使用のおすすめ、といったことまで密に連絡をくれました。

 

長い期間加入し続けている保険代理店ですが、

改めてここへのロイヤリティーが高まり、今後とも

継続してゆく意思を固めました。

 

CSの満足感と大切さを実感した貴重な体験でした。

 

最後迄お読みいただき有難うございました。

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ネットスーパーの実状

2014-12-29 15:28:10 | 講師田村からのメッセージ

こんにちは。田村隆一郎です。

先週の日経新聞に『試練のネットスーパー』という2日連続の特集記事が載っていました。

ネットスーパー。
皆さんは利用していますか。

首都圏のスーパーでは、大半の店舗でネットスーパーが展開されています。

ネットスーパーは、クリック一つで店頭と同じものが買え、しかも自宅まで届けてくれるという利便性があり、利用する人が増えています。
一定金額以上(2~3千円程度)では、配達の送料が無料になるため、お得感もあります。

そのため、売上の増加を狙い、スーパー各社はネットスーパーを展開しているのです。

ところが、日経の記事にもあったように、ほとんどのネットスーパー事業は赤字です。
(サミットネットスーパーは赤字が続いたため、今年の10月にすべてのサービスを停止しました。)

その理由は明確で、
・店舗でのピッキング~梱包コストが掛かる
・配達コストが掛かる
からです。

ネットスーパーでは顧客から注文があると、店舗の担当者が配送便ごと(約2時間ごと)に一括でピッキングをします。
その後、バックヤードで、顧客別の仕分け、検品、梱包作業が行われます。
このピッキング、仕分け、検品、梱包のコストが、1件当たり数百円。

そして、軽トラックに積んで、顧客まで配達するコストが1件当たり数百円。

合計で、1件当たり1,000円程度(もしくはそれ以上)のコストが掛かっています。

それらのコストは、通常の店舗販売では発生しません。

通常のスーパーの買い物では、
・商品のピッキング(=商品をカゴに入れる行為)は顧客自身が行います。
・検品(=選んだ商品に間違いはないか、品質に問題はないかの確認)も顧客自身で行います。
・梱包(=レジでお金を支払った後、レジ袋に入れる行為)も同様です。
・そして、配達(=店から自宅まで運ぶ行為)も顧客が行います。

つまり、本来顧客が行う作業を、ネットスーパーでは店舗の従業員や配達員が行われなければなりません。
しかも無料で。

そのため、大抵のネットスーパー事業は赤字となっているのです。

現在、各社は配送効率化のために物流体制を整備したり、在庫の拠点を見直したりしています。
しかし、赤字の解消にはほど遠い状況です。

今後、より一層ネットスーパーを拡大するのか、もしくはサミットのように撤退するのか。
しばらく、各社の動きに注視していきたいと思っています。

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PR戦略

2014-12-28 09:24:43 | 14期生のブログリレー

皆さんこんにちは。富岡です。

 

12月5日(金)東京新聞夕刊の一面トップに、私が支援している商店街、

西糀谷商店会の記事が掲載されました。

 

羽田の隣町 西糀谷商店会改め

五輪でも立ち寄って

「OIDE」通りに

 

以前にこのブログにも書きましたが、商店街の名前を変えちゃおうプロジェクトで

決まった新ネーミング「おいで通り」。羽田国際化、東京五輪をにらんだ商店街の

取り組みを紹介、という論調でした。

 

近隣のお客様からの反響も大きく、商店街は盛り上がっています。

大田区商店街連合会や大田区産業振興課での評価も高まりました。

そして理事の皆さんの私に対する信頼にもつながったような気がします。

 

今回私はこの件のプレスリリースをテレビ、ラジオ、新聞各社に送りました。

まあ毎日おびただしい数のファックスが送られてくるわけですからダメもと

だったわけですが、この手のニュースが好きな東京新聞が取り上げてくれたと

いうわけです。

 

商店街の取り組みは今後も続くので、リリースを出し続け、話題づくりに努めます。

 

富岡 淳

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年賀状

2014-12-27 13:34:55 | 14期生のブログリレー

皆さん、こんにちは。三好康司です。
いよいよ、今年もあと5日となりましたね。

そういえば、まだ年賀状を書いていない、と考えていたら、そもそも年賀状っていつ頃からあるのか気になり調べてみました。

はっきりしたことは分からないものの、我が国では7世紀後半には「年賀の書状」が取り交わされていたようです。7世紀と言えば、646年大化の改新、672年壬申の乱、694年藤原京遷都といった時代です。

 「年賀の書状」が成り立つには「暦」と「紙と文字」の普及が不可欠ですが、日本に百済から中国式の暦が伝わったのは6世紀中頃、その暦が大和朝廷に正式採用されたのは7世紀初めです。また、漢字の伝来は紀元前後、紙が比較的容易に手に入るようになったのが、6世紀中頃と言われています。
7世紀中盤の大化の改新により、政治的な伝令書を届けるために畿内各所に駅馬を置く「飛駅使」制度が始まり、7世紀後半に貴族階級の中で、離れた人に「年賀の書状」を送る習慣が広まったようです。

戦後の昭和24年(1949年)には、「お年玉付き年賀はがき」が発売され、年賀状を送る習慣が一気に広まります。この「お年玉付き年賀はがき」は郵政省など官から出たアイデアでなく、京都在住の林正治氏(当時42歳)という民間人が「年賀状が戦前のように復活すれば、お互いの消息もわかり、うちひしがれた気分から立ち直るきっかけともなる」と考え、思いついたものです。

同氏は、自ら見本のはがきや宣伝用のポスターを作成し、郵政省に持ち込みます。
当初、郵政省の会議では「国民が困窮している時代に、送った相手に賞品が当たるなど、のんびりしたことを言っていられる状態ではない」との反論もあったようですが、紆余曲折を経て採用が決定、「お年玉付き年賀はがき」は発売と同時に大ヒットします。

 ちなみに、第1回の「お年玉付き年賀はがき」の賞品は、
  特等:ミシン
  1等:純毛洋服時
  2等:学童用グローブ
  3等:学童用こうもり傘
であったとか。

ということで、これから年賀状を書こうと思います(笑)

皆さん、今年一年大変お世話になりました。
良いお年をお迎えください。

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