変形性股関節症に負けない『心と身体』を目指して -運動指導士 彦坂惠子-

踊りが命と舞台と指導に明け暮れていた私が突然変形性股関節症と言われ、手術をし引退したが現在運動指導士として活躍中

母は“戦友"

2009-11-20 19:33:08 | Weblog
 叔母が、退院して家での介護が一週間経ちました。

 毎日「痛い!痛い!」 (腰の左側が痛むようで)
で、15分も椅子に座っていられません。

 結果、デイサービスも行けません。
入院中に在宅支援の往診に切り替えを頼みました。
 初往診は25日に来ます。

 お風呂も10日間入っていません。
体を清拭すると、皮膚が乾燥して ポロポロとむけます。
 骨の1本1本が痩せていてむき出しの骸骨のようで、痛ましくかわいそうです。

 血の循環も悪くなり、このままでは良くないと思ったので、今日、在宅医療マッサージというのを受けさせようと、マッサージ師二人に説明に来てもらいました。

 院長と実際に叔母を担当する施術士です。
その院長という方が、(30代と思われるが)偉そうな態度で、しばらくぶりに
むかつきました。

 玄関を入り、弟子の施術士はジャンバーを脱ぎました。
院長は、顔もえばっている様でいつまでたっても、ジャンバーを脱ぎません。
15分くらい我慢していましたが・・・

「上着を脱ぎませんか?」 と言ってしまいました。

あわてて、「どうもすいません」と言いましたが・・・・

 いい気持ちはしません。この人が担当だったら断ります。
でも、お弟子さんは人のよさそうな優しい感じだったので・・・

契約しました。

 保険(後期高齢)が利いて 一割負担で一回20分 423円(交通費込み)
たった20分で 4000円  交通費 230円  高い!

 (これを週に2~3回 やる必要が効果のためにある、と言われましたが、今でさえ私のスケジュールの中(月、木のデイサービスのお迎え。行きは迎えに来てもらい、叔母は体力がないので4時間デイにいるのが、精一杯のため私がお帰りは迎えに行く。水曜日は医者の往診が月に2回。以外に毎週訪問看護婦さんの見回りがあり、家を空けられない。)というように 叔母の介護の占める時間は、多大なものがあり、これ以上はストレスになり、自分の体に即、きます。保険適用だからと何遍も言われましたが、週一でダメならお断りします、と言いました。)

 週一でやってみて、負担に感じなければ増やしてもいいし、また後でゆっくり考えればよいし。。。。

 そんなに何回も、保険が使えなかったら、頼めないですね!
私たちの病気、変形性股関節症も対象になっていましたが、保険を使用するには、医者の処方が毎月いるようでした。


 実際に12月から施術が始まりますので、詳しいお話はまたさせていただきます。




 今日は、車椅子で頑張っている方のお話です。
◆岩淵大起(いわぶちだいき)  1984年岩手県生まれ。2002年、高校2年でエッセー
 「まだ17歳だけど、人生って面白いと思う」 (ポプラ社) を発表。

            [母は戦友] 支えられ挑戦

 父はおもちゃ屋の経営者。母は経理、営業、店番と一緒に働きながら、家事もこなしていました。一人息子の私は生後2ヶ月目に肝臓障害が発覚。さらに3歳のとき、第二頸椎脱臼になり一生歩けないことが分かりました。

 年長で幼稚園に入るまで、付っきりで面倒をみてくれたのは母でした。こと障害に関しては、健常者の母は「人生の先輩」とはいきません。だからこそ、手探りで一生懸命ぶっかってくれました。仕事や家事で忙しいのに、入院中の病院で夜中一時間おきに体温を測ったり、手術準備で一週間絶食した時は、絶食に付き合ってくれました。一緒に歯を食いしばってきたのは母も同じ。私の“戦友"ですね。

 がむしゃらでちょろちょろ動き回る母と比べると、父は
「黙って大起を信じろ」という寡黙タイプ。高校の時、トラブルを起こし、学校から言われて、相手の生徒宅に父と謝罪に行きました。納得のいかない私は
「なぜ謝るのか」と尋ねました。父は
「当たり前だ」としか言いません。余計なことは言わず、他者のせいにもしない。
 何か問題を起こしたとき、まず自分の責任として引き受けることを、この時父から学びましたね。

 生まれながらに歩けませんが、小学校から大学まで通って勉強し、さらに色々な事に挑戦しました。スキー、水泳、テニス、ピアノ、バイオリン、絵、車椅子陸上、オートバイ、ピアス、アメリカ留学・・・。

 両親は「障碍者だから外に出さない」というのではなく、一人の人間として扱ってくれました。ダメでもやってみよう。そこから学ぶことがある。そんな前向きな性格になれたのも、両親の方針があったからこそです。

 昨年春、愛知県の日本福祉大学4年の時、大手メーカーから入社の内々定をもらいました。会社から通知があってすぐ、母の携帯を鳴らしました。
「合格したよ」そう言うと、母は突然泣き出し、おえつが数分続きました。新幹線のホームにいたので、周囲に母の泣き声が聞こえそうで、そのまま切りました。恥ずかしさもありましたが、実はもらい泣きしそうだったのです。
 私の将来を本当に心配してくれていたんだなと、痛感しました。

 障害のことで、親を責めたことはありません。むしろ車椅子でなかったら、今の私はない。つらいことがあったからこそ、幸せをかみしめることができたと思います。本当に愛情を注いで育ててもらった。両親には感謝だけです。

 25歳になり、今年から社会人。一生懸命働くことで自身をつけ、その姿を両親に見せる。そんな親孝行を続けていけたらと思っています。

                   〜東京新聞より〜


 ただただ涙が出ました。
私たち、頑張れる!  頑張りましょう!



 
                 
                  
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