街路樹が雨に濡れて、もの悲しさが体にしみます。
さっき、(叔母の初めての)往診の先生と看護婦さんが帰りました。
問診と血圧・脈拍・サチレーションを測り薬の処方箋を書いて、嵐のように帰って行きました。
お茶を出そうかと思いましたら・・・
先生たちはトイレの事があるので・・・ お茶は飲まない、との事。
3時間以上水分もとらずに、ご苦労なお仕事だ。
叔母は、なにも問題なく、安心。
徐々に体力をつけて元気になってもらいたいものです。
今日は、私が信仰している‘真言宗'高野山教報の記事をご紹介します。
「田村さん」
愛媛県四国市 常福寺住職 田中鐘暁
田村さんには、小学校1年生と幼稚園の年子の兄弟がおりました。
男の子で活発です。奥様は毎日、戦争のような日々を送っていました。
そして、心が疲れてきていたのです。心の病を患い、快復のの兆候が見え、みんなが気を許したとき、奥様は子どもを道連れにして亡くなられました。
田村さんは会社人間でした。奥様から体調の不良を訴えられても、その場限りで真剣に立ち向かってはいませんでした。その日、深夜に帰宅すると、真っ暗な家の中で奥様は1階、子どもたちは2階で発見されました。
悔やんでも悔やんでも、悔やみきれません。
あの時、話を聞いていればよかった。時間を戻してほしい、懇願しましたが、かなうわけもありません。
3人の告別式を終えると、呆然と夢遊病者のように過ごしました。
少し落ち着いてくると、虚脱感と悲壮感に襲われました。たまたま地元京都を何気なく歩いていると、たくさんの人の列に遭遇しました。
その日は21日でお大師様のご縁日、近くの弘法さんに向かう人の列でした。
流れのままに進むと、みんなが一心に拝んでいます。
たちこめる線香の煙、ひたすら手を合わせている姿、そんな中おばあさんの横に小さな子どもがいました。小さな手で拝むその姿を見て、はっとしたのです。あの世の子どもたちも、こんな風に拝んでいるのだろうか。
それに引きかえ、自分は毎日ただ呆然とその日を暮らしている。
今一度、大師堂の前に進み、3人が成仏できるように拝みました。
拝み始めると、自分自身が落ち着いてくるのがわかりました。お大師様に導いていただこうと考え、お大師様が修行された四国の道を歩んでみようと思い立ったのでした。
歩き始めると、四国の人々の遍路に対する気持ちがうれしくて泣けてきたそうです。小さな子どもまでが、お母さんからもらった百円玉を渡してくれる。まったく知らない方が優しい顔で挨拶してくれる。家族を亡くした田村さんには、何気ない挨拶でさえ優しいお大師様の声に聞こえてきました。
苦しくて、悲しくて、後を追って逝ってしまおうかと考えたとき、亡くなった子どもたちの声が聞こえてきたのです。
「おとうさん、いまこっちへ来たらおかあさんを拝む人がいなくなる。
ぼくらを道連れにしたおかあさんはよく思われていないから、このままではおかあさんがかわいそう。ちゃんと拝んでから来てね」
そんな声でした。そうだ、わがままに生きてきた自分はどうでもいい。
お大師様に、家内と子どもたちを導いていただけるよう、ひたすら祈るしかないと心に決めました。
『虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、わが願いも尽きなん』
というお大師様のお誓いの言葉があります。
苦しくて、悲しい、田村さんですが、四国遍路を通して、ずっと一緒にいてくださるお大師様を感じ、少しずつですが供養され、安心(あんじん)の
道をお進みになられることでしょう。
☆書きながら・・・・・・・ 泣けました。
悔やんでも悔やみきれない! 心が痛くなります。
時間は、戻せません。今日一日を大切に頑張ろうとまた思いました。
● こっち も遊びに来てください。