こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

死出の旅立ちのお手伝い(5/5)よりよい死を模索する医療

2016年01月12日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

樹木希林が小川に横たわる、宝島社の企業広告に触発されて書き始めたこのシリーズ、始めてみたら難しい問題で、このままでは収拾がつかなくなってしまうので、今回いったんまとめて終わらせる。

ところで、企業広告を出した宝島社の意図は何だったのだろう、以下に引用しておく、(宝島社 企業広告2016年)

日本の平均寿命は年々更新され、今や世界一。
いかに長く生きるかばかりに注目し、
いかに死ぬかという視点が抜け落ちているように思います。
いかに死ぬかは、いかに生きるかと同じであり、
それゆえ、個人の考え方、死生観がもっと尊重されてもいいのではないか、
という視点から、問いかけています。

「生きるのも日常、死んでいくのも日常」
ご出演いただきました樹木希林さんの言葉です。
「死というのは悪いことではない。それは当たり前にやってくるもので、
自分が生きたいように死んでいきたい。最後は、もろとも宇宙の塵になりて。
そんな気持ちでいるんです。」
死について考えることで、どう生きるかを考える。
若い世代も含めた多くの人々の、きっかけになればと思っています。

医療の中で絶対的 なタブーであった“死"、現代社会ではこれがタブーではなくなってきている。超高齢化社会の到来により医療費には限界が迫り、すべての人がじゃぶじゃ ぶと医療費を使うことのできる時代ではない。限られた医療費を分け合いながら“死んでいく”ことが求められる。現代社会では、生きるために死を考えなくて はならない。そして医療者はそのことを常に考えながら仕事をしていかなくてはいけない。

だから、これからの社会で死を語ること、考えることはタブーであってはいけなくなる。

すべての医療者は患者の命を巡って死神と切り結んできたが、これからは手を結んでいくことも必要になる。そして医療者のなかで、生と死の両側を診ることのできる存在は病理医以外にはいない。それが病理医に課せられたミッションなのだ。

そして、病理医が行なうことができる医療とは、良く死ぬことを模索していく医療の一つかもしれない。そして、病理解剖はその可能性を開くものだ。

 

病理医が病理解剖をコロ健なりに5つにまとめてみたい。

1.病理解剖とは、病気で亡くなられた方のおおもととなった病気(主病変)に対する診断、治療の検討とそれ以外の病気(副病変)の検索、さらに直接の死因となった病態を解明すること。

2.病理解剖の目的は、病気の評価だけではなく、亡くなった方が受けた治療、生きていた時の生活の質、それらがバランスの取れたものだったかの評価も検討すること。

3.病理解剖を行うときの要件。病理解剖は病理医が行い(これは法律で決まっている)、臨床経過を把握している臨床医が立ち会って、適宜ディスカッションしながら、介助者(主に臨床検査技師)の助けを得ながら進める。

4.病理解剖診断を行う際には、肉眼所見、電子顕微鏡による検査を含めた顕微鏡検査を行ない、これに各種のタンパク診断(免疫染色)、遺伝子診断を合わせて病気の診断を行う。さらに治療経過を臨床医と検討して、治療行為の質的診断も行う。

5.病理解剖診断の報告では臨床医への報告とは別に、病理外来などを通じて遺族にもわかるような報告を必要に応じて行うことができるよう準備をしておく。

 

なお、一般の方への病理解剖の説明が日本病理学会のホームページに掲載されているので、興味のある方は是非、ご一読ください。

市民の皆さまへ「病理解剖について」(by 日本病理学会)

 

 なお、病理解剖にかかる費用はすべて医療機関の持ち出しだ。だからお金の取れる外科病理診断で忙しい病理医は解剖をしたがらないし、医療機関も病理解剖は不採算行為と考える。
儲けにならない病理解剖を取り巻く環境は厳しい。

明日からまた通常どおりに

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