数年前に亡くなった友人に後ろ姿が似ている人が歩いているのがバスの車窓越しに見えた。追い越しざまに振り返って確認したけれど、やっぱり全くの別人だった。
他人のそら似というが、良きにつけ悪しきにつけ、自分にとって印象深い人にはそういうことがよくある。人の集まる街の交差点で、行き交う人のなかにそんなことがあったりするけど、あっという間にすれ違ってしまう。
昨日、中学高校の同窓会があって、物故者の名前の中にその友人の名前もあって、葬式の日のことを思い出し、早すぎる死を悼んで、黙祷を捧げた。中学校に入ったときから少なからず因縁のあった奴で、なんとなくずっと関わっていた。けれども亡くなってしまうと、それきりとなってしまった。どこかの空の下で元気にやってくれたらそれでいいなどという願いはもはやむなしい。それなのにそんな友人に似た姿を見かけるとハッとしてしまうのはなぜだろう。互いの心の整理をしてわかり合いたかったのかも知れない。でも、きっと生きていたら生きていたで互いに面倒で、そんなことはしないで過ごしただろう。
恩師や同窓生の顔をみながら、自分を含めてこのうち何人と次の回で会うことができるだろうかと思った。
生きることは難しい