最近、通勤途中での失敗が続けてあった。
電車がホームに入ってきたので、急いで乗ろうと、階段を駆け上ったのはよかったのだけど、最後の一段でつまずいてしまった。すねをぶつけて、ズボンが破けてしまった。今はまだ、かさぶたが痛痒い。
また別の時には、ドア近くに立って、目の前の手摺りに掴まろうと思ったら、寄りかかっている人がいて、掴めない。あきらめてつり革に掴まろうと思った途端、電車が揺れて後ろにひっくり返ってしまった。それで後ろに立っていた人にぶつかってしまった。すぐに謝ってことなきを得たけど、とても申し訳ないことをしてしまった。
駆け込み乗車をしなければいいのだし、乗ったらすぐにつり革を掴めばよかっただけの話だけど、以前はこんなことなかった。こういうのが、老化の始まりなんだろう。いや、もっと以前から始まっていたのだろうけど、いよいよ症状となって出現してきたということなんだろう。
妻にこのことを嘆いて話したら、「そういうことがあると、弱い人の気持ちがわかるでしょ?よかったじゃない。」と返された。
近所を歩いていたら、以前住んでいたマンションの住人の男性が両手に杖を持ってゆっくりゆっくり歩いていた。いつのまにか随分と歳をとられていた。私より、30歳ぐらい上、親父と同じぐらいのお年のはずだ。生老病死。いつもそんなことの現場にいるはずなのに、実際は他人事だったのか。障害者の問題を憂えていたようでも、どれほど本気で考えていただろう。自分は身勝手だったのではないかと、反省する。
体に出始めたガタを自覚するようになり、やっと自分が弱い立場に移りつつあるということがわかってきた。身の丈に応じた生き方というものがあるのか、探しながらやっていけたらいい。
卑屈にはならないで