高度経済成長の頃、鶴岡八幡宮の裏山に住宅地を建てるという計画が持ち上がった。
その計画に従っていたら、鶴岡八幡宮の風景はこのようになるのだったそうだ。さすがにこれはない。
せっかく、米軍が爆撃しないでくれたのに、それ以上に醜怪なものになっていたかもしれない。
(これは今年のお正月に撮った写真。だけど、それが・・・)
(こんなになっていたかもしれないと考えるとゾッとする。)
その時、鎌倉の多くの人たちが反対に立ち上がり、現在のような姿は残った。その石碑が八幡宮の裏山、御谷(おやつ)の森にある。
鎌倉は空襲を免れたおかげで、古い家が多く残っている。でも、最近それらが、次々と失われている。
昭和レトロな感じの家で、庭も素晴らしかった。鎌倉に住んだら、こういうお家に住みたいと思っていたが、手に入れることはできなかった。
風情のある表札もいつの間にか消え去った。捨てるほどだったならば、もらっておけばよかった。
あっという間に更地になって、この後十数軒の家が建つそうだ。
この家の近くでお気入りの家があった。柳と松が立派な家で、近くにある古い神社の周囲の緑の一つとなっている。
こういったものは、一度失われてしまったらもう元には戻らないが、鎌倉市の財政状況では文化財として残すことは難しそうだ。
なんとかならないか