今日の京都戦は、平日夜の試合なので、例によって即日更新は勘弁していただき、今回も穴埋めネタで失礼します。今日、話題にするのは、J2広島のCB、盛田剛平選手です。
今では、若いサポーターはご存知ではないと思いますが、盛田は駒澤大学を卒業後、即戦力FWの期待を受けて浦和に入団しています。盛田にとって不運だったのは、その前の年に新人として入団した小野伸二が、いきなり大活躍して、盛田にも同じような期待が寄せられてしまったことです。
極端な話、新人王とか得点王とかの過度な期待もありました。そんな期待を受けた開幕戦では、3トップの真ん中に入り、ボールを頭に当てる力はあるとサポーターには思われました。しかし、盛田よりもっとヘディングの強いハーフナー・マイク(福岡)の例を見ても、単にボールを頭に当てるだけでは不十分なのがポストプレーヤーの宿命です。
点を取るか、うまくフリーの味方に合わせる折り返しができなければ、せっかく高さで勝っても何の意味もないことになってしまいます。盛田のヘディングはそんなプレーが多く、サポーターの信頼を失うのに時間はかかりませんでした。
結局、このシーズンは1点も取れなかった盛田は、J2降格の戦犯扱いにされてしまいます。その後はC大阪、川崎F、大宮と渡り歩き、大宮では年に数点は取れるFWになりました。しかし、そのレベルの選手なら若手にいくらでもいると判断されたのか、2004年に完全に出番を失います。
しかし、サテライトリーグで活躍していたのが目に留まり、盛田は当時J1の広島に移籍します。最初はFWでしたが、DFの層が薄かった広島が盛田をCBにコンバートしました。最初は高さだけと思われていた盛田は、結構足技もあることがわかり、ベテランの小村からポジションを奪いました。
そんな盛田にとって、サッカー人生最大の晴れ舞台がやってきました。今年元旦の天皇杯決勝です。今まで日陰のサッカー人生だった盛田に、何とか優勝の栄誉を得て欲しかったですが、試合巧者の鹿島に敗れ、タイトルはなりませんでした。
しかし、現役を続けるだけでもぎりぎりの思いをしてきた盛田にとって、正月の天皇杯は良い記念になったでしょう。あきらめなければ、何かは得られるという例かもしれません。
今では、若いサポーターはご存知ではないと思いますが、盛田は駒澤大学を卒業後、即戦力FWの期待を受けて浦和に入団しています。盛田にとって不運だったのは、その前の年に新人として入団した小野伸二が、いきなり大活躍して、盛田にも同じような期待が寄せられてしまったことです。
極端な話、新人王とか得点王とかの過度な期待もありました。そんな期待を受けた開幕戦では、3トップの真ん中に入り、ボールを頭に当てる力はあるとサポーターには思われました。しかし、盛田よりもっとヘディングの強いハーフナー・マイク(福岡)の例を見ても、単にボールを頭に当てるだけでは不十分なのがポストプレーヤーの宿命です。
点を取るか、うまくフリーの味方に合わせる折り返しができなければ、せっかく高さで勝っても何の意味もないことになってしまいます。盛田のヘディングはそんなプレーが多く、サポーターの信頼を失うのに時間はかかりませんでした。
結局、このシーズンは1点も取れなかった盛田は、J2降格の戦犯扱いにされてしまいます。その後はC大阪、川崎F、大宮と渡り歩き、大宮では年に数点は取れるFWになりました。しかし、そのレベルの選手なら若手にいくらでもいると判断されたのか、2004年に完全に出番を失います。
しかし、サテライトリーグで活躍していたのが目に留まり、盛田は当時J1の広島に移籍します。最初はFWでしたが、DFの層が薄かった広島が盛田をCBにコンバートしました。最初は高さだけと思われていた盛田は、結構足技もあることがわかり、ベテランの小村からポジションを奪いました。
そんな盛田にとって、サッカー人生最大の晴れ舞台がやってきました。今年元旦の天皇杯決勝です。今まで日陰のサッカー人生だった盛田に、何とか優勝の栄誉を得て欲しかったですが、試合巧者の鹿島に敗れ、タイトルはなりませんでした。
しかし、現役を続けるだけでもぎりぎりの思いをしてきた盛田にとって、正月の天皇杯は良い記念になったでしょう。あきらめなければ、何かは得られるという例かもしれません。