駒場スタジアムが2万人収容になった1995年にシーズンチケットを手に入れて、いまだに持ち続けている私にとっては、駒場時代にも良い応援があったことは忘れていません。
1995年の横浜M戦のPK戦で、突然浦和レッズコールが大きくなり、相手キッカーの野田がミスをして浦和が勝った試合や、1999年の残留争いの大一番の市原戦のスタンドをボール紙で赤と白で染めた演出、2000年の最終戦の鳥栖戦のルシアノのPK失敗を誘った大声援と、思い出に残るものはたくさんあります。
しかし、埼スタでの最高の応援だったのは、昨年のACL準決勝の城南一和戦だったと思います。城南一和は決勝戦で対戦したセパハンより強かったチームで、何度でも諦めずにクロスを次々上げてくるプレースタイルに、浦和の選手は相当消耗させられました。
それでも先制点は浦和に入ったのですが、城南一和が長身の9番のFWを入れて、持ち味のパワーサッカーの傾向を強めると、立て続けに2点を入れられて逆転されます。普段の浦和の応援だったら、ここでトーンが落ちることもありますが、この日はその後の盛り上がりがいつもと違っていました。
その応援が効いたのか、浦和はすぐに同点に追い付き、この苦しい試合を延長戦に持ち込みました。しかし、選手の体力は既に限界で、PK戦になるしか勝つ可能性はないと、選手たちはまとまっていたそうです。
その狙い通り持ち込んだPK戦ですが、リーグ戦でPK戦が廃止された1999年から、相当の歳月が過ぎています。以前のPK戦の応援は、大旗を持っている人がほぼ全員、PK戦の行われるゴール裏に集結して、相手のPKでは全員で旗を振り、逆に浦和のPKでは旗を振らないどころか、スタンドの全員が沈黙してPKに集中させるというルールで行われていました。
ただ、当時とはサポーターも相当入れ替わっているはずで、この応援が本当にこの大一番でできるか、半信半疑でした。しかし、この伝統は若いサポーターにも受け継がれていました。昔の国立を思い出すPK戦の前に、城南一和の選手がミスをして浦和が勝ちました。
あさってのG大阪戦、チーム状態を考えたら不利でしょう。しかし、この城南一和戦のような応援ができれば、初戦引き分けで一発勝負になりましたからどんな可能性もあるでしょう。悔いのない試合にしたいです。
1995年の横浜M戦のPK戦で、突然浦和レッズコールが大きくなり、相手キッカーの野田がミスをして浦和が勝った試合や、1999年の残留争いの大一番の市原戦のスタンドをボール紙で赤と白で染めた演出、2000年の最終戦の鳥栖戦のルシアノのPK失敗を誘った大声援と、思い出に残るものはたくさんあります。
しかし、埼スタでの最高の応援だったのは、昨年のACL準決勝の城南一和戦だったと思います。城南一和は決勝戦で対戦したセパハンより強かったチームで、何度でも諦めずにクロスを次々上げてくるプレースタイルに、浦和の選手は相当消耗させられました。
それでも先制点は浦和に入ったのですが、城南一和が長身の9番のFWを入れて、持ち味のパワーサッカーの傾向を強めると、立て続けに2点を入れられて逆転されます。普段の浦和の応援だったら、ここでトーンが落ちることもありますが、この日はその後の盛り上がりがいつもと違っていました。
その応援が効いたのか、浦和はすぐに同点に追い付き、この苦しい試合を延長戦に持ち込みました。しかし、選手の体力は既に限界で、PK戦になるしか勝つ可能性はないと、選手たちはまとまっていたそうです。
その狙い通り持ち込んだPK戦ですが、リーグ戦でPK戦が廃止された1999年から、相当の歳月が過ぎています。以前のPK戦の応援は、大旗を持っている人がほぼ全員、PK戦の行われるゴール裏に集結して、相手のPKでは全員で旗を振り、逆に浦和のPKでは旗を振らないどころか、スタンドの全員が沈黙してPKに集中させるというルールで行われていました。
ただ、当時とはサポーターも相当入れ替わっているはずで、この応援が本当にこの大一番でできるか、半信半疑でした。しかし、この伝統は若いサポーターにも受け継がれていました。昔の国立を思い出すPK戦の前に、城南一和の選手がミスをして浦和が勝ちました。
あさってのG大阪戦、チーム状態を考えたら不利でしょう。しかし、この城南一和戦のような応援ができれば、初戦引き分けで一発勝負になりましたからどんな可能性もあるでしょう。悔いのない試合にしたいです。