浦和サポにとっては、流れの中ではあまり効かなくても、点さえ取ればいいというFWを目にしたのは、2005年のマリッチが初めてだと思います。ただ、札幌や大宮で毎年のように結果を出しているのに、流れの中では効かないというFWを、私はそれ以前に見たことがあります。
それは、日本に長く在籍しながら、そのほとんどがJ2(もしくは以前のJFL)だったバルデスというパナマ人ストライカーです。双子の弟がセリエAやスペインリーグでプレーしていたのと比べると、極めて地味なキャリアです。
しかし、パナマ代表には弟と共に、常に招集されるほど、母国では英雄でした。そんなバルデスをじっくり見たのは、大宮時代が最初ですが、目に付くのは足の遅さです。相手DFにピタリと付かれたら、決してスピードでは振り切れません。
しかし、そんなバルデスは、当時のJFL東芝(現札幌)では圧倒的な差で得点王に輝くFWでした。その秘密はどこにあるか、注意して見ました。それは、クロスボールやCKへの反応が誰よりも優れていたことでした。どんなに良い選手でも、ボールと相手FWを同時に見ることは、かなり難しいことです。
そのため、クロスが上がったタイミングは、バルデスにとって大きなチャンスでした。相手DFとうまく駆け引きしてフリーになり、頭で合わせたシュートは全盛期ならほとんど外さない迫力がありました。
そんなバルデスの力で、大宮が首位を走り、J1昇格を視野に入れたのが2001年でした。ただ、まだ当時の大宮はバルデス一人が頼りのチームでした。バルデスが不運なことに、パナマ代表の試合で重傷を負ってしまうと、代役のバレーは当時18歳でバルデスの代役は荷が重く、大宮は失速してしまいました。
バルデスは翌2002年に復帰を果たしますが、13ゴールと彼にしては少ないゴールに終わり、最後は川崎Fでスタメンからも外され、36歳で現役を引退しました。しかし、こういうタイプのFWは、ポストプレーでも効かず、サイドに走り込んでキープもできないのですから、とにかく点を取り続けないといけません。
バルデスが36歳まで現役だったのは、それだけ毎年のように点を取り続けたからです。日本では、こういうタイプはあまり評価されませんが、そういうFWがいてもいいのではと、日本代表の決定力不足を見ると思います。
(代表戦は埼玉スタジアムへ行ったので、即日更新は勘弁してください。)
それは、日本に長く在籍しながら、そのほとんどがJ2(もしくは以前のJFL)だったバルデスというパナマ人ストライカーです。双子の弟がセリエAやスペインリーグでプレーしていたのと比べると、極めて地味なキャリアです。
しかし、パナマ代表には弟と共に、常に招集されるほど、母国では英雄でした。そんなバルデスをじっくり見たのは、大宮時代が最初ですが、目に付くのは足の遅さです。相手DFにピタリと付かれたら、決してスピードでは振り切れません。
しかし、そんなバルデスは、当時のJFL東芝(現札幌)では圧倒的な差で得点王に輝くFWでした。その秘密はどこにあるか、注意して見ました。それは、クロスボールやCKへの反応が誰よりも優れていたことでした。どんなに良い選手でも、ボールと相手FWを同時に見ることは、かなり難しいことです。
そのため、クロスが上がったタイミングは、バルデスにとって大きなチャンスでした。相手DFとうまく駆け引きしてフリーになり、頭で合わせたシュートは全盛期ならほとんど外さない迫力がありました。
そんなバルデスの力で、大宮が首位を走り、J1昇格を視野に入れたのが2001年でした。ただ、まだ当時の大宮はバルデス一人が頼りのチームでした。バルデスが不運なことに、パナマ代表の試合で重傷を負ってしまうと、代役のバレーは当時18歳でバルデスの代役は荷が重く、大宮は失速してしまいました。
バルデスは翌2002年に復帰を果たしますが、13ゴールと彼にしては少ないゴールに終わり、最後は川崎Fでスタメンからも外され、36歳で現役を引退しました。しかし、こういうタイプのFWは、ポストプレーでも効かず、サイドに走り込んでキープもできないのですから、とにかく点を取り続けないといけません。
バルデスが36歳まで現役だったのは、それだけ毎年のように点を取り続けたからです。日本では、こういうタイプはあまり評価されませんが、そういうFWがいてもいいのではと、日本代表の決定力不足を見ると思います。
(代表戦は埼玉スタジアムへ行ったので、即日更新は勘弁してください。)