浦和時代の河合竜二選手のプレーを覚えている私の印象は、「身体能力は高いがそれを生かしきれていない。ファウルが多いし、特に攻撃力は皆無に等しい。」というものでした。しかし、横浜FMに移籍していろいろ変わったようです。
最初に移籍した当時はCBで、手堅いサッカーを身上としていた岡田監督の構想にうまくマッチした河合は、松田、中澤と組んだ3バックの一角として起用されました。2003年9月の埼スタで、横浜FMの一員として初めて浦和と対戦した河合は、浦和相手に3-0の勝利を収め、古巣にリベンジできた思いからか会心の笑みを浮かべていました。
また、河合といえば2004年のチャンピオンシップの活躍も忘れてはいけません。第一戦で先発出場した河合は、お互いが相手の良いところを消し合う消耗戦の中、セットプレーで貴重なゴールをヘディングで奪っています。結果的に、第二戦を終えて同点となり、PK戦で横浜FMがリーグ王者になりましたから、この河合のゴールは値千金でした。
ただ、これだけ活躍しても、背番号はなかなか最初につけた35番を変えようとしませんでした。しかし、今年、ついに一桁の6番をつけ、しかもチームキャプテンという重要な役割を任されます。昨年、早野監督に1ボランチを任された河合は、今季は負傷で出遅れたものの、負傷が癒えるとボランチのポジションに収まります。
しかし、今日の横浜FM対名古屋を見たところ、河合の位置はなんと「攻撃的ボランチ」でした。ダブルボランチを組んでいた相手が、本来CBの松田ですから、押し出された格好なのかもしれませんが、浦和時代を知る私にとっては永遠にありえない役割だと思っていたのでびっくりしました。
しかも、攻撃的ボランチに入った河合は、積極的にミドルシュートを放ち、低い弾道に抑えたいいシュートでした。パスの精度も悪くないし、これだけできるならなぜ浦和時代にできなかったのかと思うほどです。
ただ、河合が浦和に在籍していた当時は、サテライトの練習環境が悪く、着替え場所もない東農大グラウンドの野球場の外野で練習をするほどでした。今はレッズランドになり、クラブハウスも建ちましたが、当時はそういう時代だったのです。もう少し、いい環境でやらせてあげれば、河合は浦和で育ったかもと思うと、もったいない話でもあります。
最初に移籍した当時はCBで、手堅いサッカーを身上としていた岡田監督の構想にうまくマッチした河合は、松田、中澤と組んだ3バックの一角として起用されました。2003年9月の埼スタで、横浜FMの一員として初めて浦和と対戦した河合は、浦和相手に3-0の勝利を収め、古巣にリベンジできた思いからか会心の笑みを浮かべていました。
また、河合といえば2004年のチャンピオンシップの活躍も忘れてはいけません。第一戦で先発出場した河合は、お互いが相手の良いところを消し合う消耗戦の中、セットプレーで貴重なゴールをヘディングで奪っています。結果的に、第二戦を終えて同点となり、PK戦で横浜FMがリーグ王者になりましたから、この河合のゴールは値千金でした。
ただ、これだけ活躍しても、背番号はなかなか最初につけた35番を変えようとしませんでした。しかし、今年、ついに一桁の6番をつけ、しかもチームキャプテンという重要な役割を任されます。昨年、早野監督に1ボランチを任された河合は、今季は負傷で出遅れたものの、負傷が癒えるとボランチのポジションに収まります。
しかし、今日の横浜FM対名古屋を見たところ、河合の位置はなんと「攻撃的ボランチ」でした。ダブルボランチを組んでいた相手が、本来CBの松田ですから、押し出された格好なのかもしれませんが、浦和時代を知る私にとっては永遠にありえない役割だと思っていたのでびっくりしました。
しかも、攻撃的ボランチに入った河合は、積極的にミドルシュートを放ち、低い弾道に抑えたいいシュートでした。パスの精度も悪くないし、これだけできるならなぜ浦和時代にできなかったのかと思うほどです。
ただ、河合が浦和に在籍していた当時は、サテライトの練習環境が悪く、着替え場所もない東農大グラウンドの野球場の外野で練習をするほどでした。今はレッズランドになり、クラブハウスも建ちましたが、当時はそういう時代だったのです。もう少し、いい環境でやらせてあげれば、河合は浦和で育ったかもと思うと、もったいない話でもあります。