Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

攻撃的ボランチ!(河合竜二)

2008-10-19 20:23:49 | 他チーム
浦和時代の河合竜二選手のプレーを覚えている私の印象は、「身体能力は高いがそれを生かしきれていない。ファウルが多いし、特に攻撃力は皆無に等しい。」というものでした。しかし、横浜FMに移籍していろいろ変わったようです。

最初に移籍した当時はCBで、手堅いサッカーを身上としていた岡田監督の構想にうまくマッチした河合は、松田、中澤と組んだ3バックの一角として起用されました。2003年9月の埼スタで、横浜FMの一員として初めて浦和と対戦した河合は、浦和相手に3-0の勝利を収め、古巣にリベンジできた思いからか会心の笑みを浮かべていました。

また、河合といえば2004年のチャンピオンシップの活躍も忘れてはいけません。第一戦で先発出場した河合は、お互いが相手の良いところを消し合う消耗戦の中、セットプレーで貴重なゴールをヘディングで奪っています。結果的に、第二戦を終えて同点となり、PK戦で横浜FMがリーグ王者になりましたから、この河合のゴールは値千金でした。

ただ、これだけ活躍しても、背番号はなかなか最初につけた35番を変えようとしませんでした。しかし、今年、ついに一桁の6番をつけ、しかもチームキャプテンという重要な役割を任されます。昨年、早野監督に1ボランチを任された河合は、今季は負傷で出遅れたものの、負傷が癒えるとボランチのポジションに収まります。

しかし、今日の横浜FM対名古屋を見たところ、河合の位置はなんと「攻撃的ボランチ」でした。ダブルボランチを組んでいた相手が、本来CBの松田ですから、押し出された格好なのかもしれませんが、浦和時代を知る私にとっては永遠にありえない役割だと思っていたのでびっくりしました。

しかも、攻撃的ボランチに入った河合は、積極的にミドルシュートを放ち、低い弾道に抑えたいいシュートでした。パスの精度も悪くないし、これだけできるならなぜ浦和時代にできなかったのかと思うほどです。

ただ、河合が浦和に在籍していた当時は、サテライトの練習環境が悪く、着替え場所もない東農大グラウンドの野球場の外野で練習をするほどでした。今はレッズランドになり、クラブハウスも建ちましたが、当時はそういう時代だったのです。もう少し、いい環境でやらせてあげれば、河合は浦和で育ったかもと思うと、もったいない話でもあります。
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1985年の阪神

2008-10-19 10:24:56 | 他スポーツ
当時、中学生だった私にとって、1985年の阪神は印象的なチームでした。数字を見ても、投手の防御率が4点台後半で優勝したチームの記憶はほとんどない(ほかには2001年の近鉄くらいかな)ほど、打って打って打ちまくったチームでした。阪神次期監督候補に挙げられている真弓明信氏は、あの当時の一番バッターでした。

真弓は、もともとは西武の前身のクラウンライターライオンズに入団し、西武ができたときの大型トレードで田淵らと交換で阪神に入っています。そのため、1985年の「ダイナマイト打線」の当時はもうベテランの域に入っていましたが、出塁が主な役割と見られていた一番打者の役割を革命的に変えた人でした。

だいぶ薄くなってきた記憶が頼りですが、真弓といえば先頭打者ホームランの多かった印象があります。セリーグの場合、9番打者は投手ですから、一番打者のところにチャンスが回ってくる機会は、9番に野手を置けるパリーグに比べると少ないのですが、そんな真弓は3割30本を誇る強力な得点源でした。

当時の選手でホームランが出なかったのは、せいぜいショートの平田くらいで、後の選手はどこからでも一発が出る、規格外のチームでした。バース、掛布、岡田のクリーンアップの破壊力は今でも伝説に残るほどで、1985年の阪神優勝にかかわる記念品は、今でもスポーツ系お宝鑑定で高額の値段がつくほどです。

ただ、そんな阪神の黄金時代は想像以上に短く、掛布はこの年が最後の活躍になりましたし、バースも子供の病気で帰国を余儀なくされました。真弓は長く現役を続けましたが、守備範囲が狭くなったベテランに甲子園のラッキーゾーンの撤去は逆風になり、最後は代打要員になっていました。

今、振り返ると、先ほど出た「ラッキーゾーン」は若いファンはご存知ないと思いますが、外野のレフト側とライト側に、フェンスを設置してスタンドまで届かなくてもホームランにしてしまうルールでした。こういうルールは、打線の力で勝つチームには追い風になるルールで、それと打力を売り物にする選手の全盛期が見事に一致したのが、あの伝説のチームを生み出した要因でしょう。

今は、野球は広い球場で、守備と足を競うスタイルに変わっています。今や、大リーグ規格を満たさない球場は横浜スタジアムと広島市民球場だけというほどで、野球は同じでも、少しずつ質は変わっています。ただ、やはり身体能力が高く守備範囲の広い外野手を見たいという気持ちはあって、この変更はいい方向なのではと思っています。
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