Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

昭和記念公園のコスモス

2007-10-21 16:53:39 | 雑記
今日はいい天気だったので、春のGWにポピーを見に行った昭和記念公園に、秋のコスモスを見に行ってきました。春の季節は、ポピーの他にもいろいろな花が咲いていて、花の季節のずれで既に花が散っていたり(たぶん菜の花畑)、まだ花が咲いていないお花畑(シャーレポピー)がありました。

しかし、どうやら秋の主役はコスモスで一本化されているようです。昭和記念公園の園内に何箇所かあるお花畑は、ほとんどコスモスの花が咲いていました。コスモスは秋桜とも書きますが、写真のピンク色の花ばかりではなく、オレンジ色のキバナコスモスや黄色のイエローキャンバスなどもありました。

園内を歩けば、優に2kmは軽く歩けるという広い公園ですが、もしこれから行かれる方がいらっしゃいましたら、公園の奥の「コスモスの丘」はおすすめです。確かに、西立川駅から歩くと、ここへ行くのは大変なので、思わずショートカットしたくなる気持ちはわかりますが、この丘を見ると感激します。

丘のてっぺんに至るまで、一面コスモスの花が並び、まるで絵を見ているかのような風景が広がってきます。これを見れば、きっと近くに行って見てみたいと思うことでしょう。白と赤とピンクがモザイク状に並んだ丘は、間違いなくこの日一番の感激でした。これだけで入場料の400円は元を取ったと言っていいでしょう。
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90分持った集中(10/20大宮対広島)

2007-10-21 12:21:17 | 他チーム
フクアリのチケットが取れなかったため、私は写真のオレンジに染まった駒場へ行ってきました。カードは大宮対広島で、来年も埼玉ダービーを見たいという気持ちがあるので、何となくですが大宮応援という気持ちで見ました。

大宮ですが、今季は立ち上がりはいいサッカーをしても、それが90分続かないのが課題というチームです。その通り、立ち上がりは大宮のペースでした。広島が1ボランチでは守備が持たないと判断して、森崎浩司とストヤノフのダブルボランチに変更してきたため、唯一の攻撃のキーマンの柏木に強烈なプレッシャーを掛けて、完全に柏木の存在を消しました。

ただ、押し気味でも点を取れないのも、今季の大宮の課題です。右SB西村卓朗の出場停止で代役に入った村山のクロスの精度が良くなかったり、遠めから強引に打って外したりという悪循環で、前半の大宮には点が入りそうな場面はありませんでした。

これに対し、Jリーグでも有数のレベルにある、ウェズレイと佐藤寿人の2トップを持つ広島は、少ないチャンスでも決定機に結び付けます。駒野のクロスに、ウェズレイが頭であわせたプレー(ゴールには入った)がオフサイドと判定されなければ、広島の勝利に終わっていた可能性は高いです。

そんな展開で、前半は0-0で折り返しましたが、逃げる立場の広島は引き分けでも良く、追う立場の大宮は勝たなければなりません。そういう心理状態がそうさせたのか、後半も大宮の方が攻めました。大宮の右MF、小林大悟が相手の左ストッパーの槙野のところを集中的に狙って仕掛けました。

小林大悟から上がったクロスには、藤本が詰めていましたが、なかなかゴールを割れず、時間だけがどんどん過ぎていきます。大宮は、森田に代えて若林を投入して最後の勝負に出ました。若林は、26歳までJFL以下のアマチュアリーグで過ごした遅咲きで、技術などは足りなくてもゴールだけは決められる不思議な選手です。

そんな若林が、ドラマを起こしました。直接の仕掛け人はデニス・マルケスで、強引に左サイドを割って入ってあげたクロスでした。それを、平野、小林大悟とシュートも相手DFやポストに阻まれ、こぼれたところに若林がいて、右足ボレーで決勝点です。若林の持っているドラマ性が、重要な勝ち点3を得る結果につながりました。

しかし、真のMVPは若林ではなく、中盤で献身的に動き回り、空いているスペースを埋めて好パスを供給した、小林慶行だと思います。東京V時代から、地味ながらいい選手だと思っていましたが、この日のプレーがいつもできれば、大宮をJ1残留に導いてくれそうな気がします。
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よく走った好ゲーム(10/20千葉対浦和)

2007-10-20 23:00:55 | 浦和レッズ
今日の試合を一言で言うと、両者ともよく走った好ゲームだったと思います。プレーの切れる時間も少なく、無駄なパスも少ない、両者が運動量を生かして走り回った試合です。ただ、この試合の勝敗を分けたのは、ゴール前のターゲットの有無です。千葉は、ネネの守る左サイドを突こうとして、右アウトサイドに入った羽生を意欲的に上げてきました。

しかし、それを受けるべき巻の位置が、ゴールから離れたポジションでした。そのため、千葉はクロスは良くても、それがなかなか味方の選手に合わないというシーンが目につきました。それに対し、浦和はワシントンという強力なターゲットがいました。アマル監督になってからの千葉はそれほどは見ていませんが、イビチャ・オシム前監督当時ほど極端にはマンツーマンで来ていません。

そのため、必ずしもワシントンに斎藤、田中達也に水本というマークではなく、マークを入れ替える場面もあるように見えました。この不徹底さが、田中達也やポンテが生きるスペースを与えたように感じました。スペースに流れることができれば、1点目の巧みな個人技、2点目のヘディングと、ワシントンの強さが生きることになりました。

その後もポンテが加点して3-0になって安全圏に逃げたように見えましたが、千葉はレイナウドの投入が効果がありました。個人技のあるドリブラーは、浦和は比較的苦手にしています。特に最終ラインに坪井がおらず、スピードに不安のあるネネのいる左サイドはどうしてもドリブラーには弱いです。

そのため、早々と巻を諦めて青木を投入したアマル監督の采配も正解でした。イビチャ・オシム監督時代の「走る千葉」の威力がじわじわと効いてきて、2点返したあたりは、この試合は浦和の負けもありうるのではと思っていました。山岸のオフサイドでのゴール取り消しは、肝を冷やしました。

ただ、浦和も引いてからのカウンターは決して苦手な形ではありません。田中達也がなかなか決められませんでしたが、動きが落ちてからもカウンターで何度もチャンスを作るあたり、厳しいACLの戦いで得た勝負のノウハウのようなものを感じました。

最後でカウンターで実際に点を取れたことは、相手が攻めてくるであろう、城南一和戦に向けて、良い兆候になったと思います。
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千葉戦プレビュー

2007-10-19 22:44:26 | 浦和レッズ
明日は、浦和はフクアリで千葉戦です。チケットが取れなかった私はテレビ観戦ですが、テレビ観戦でもゲームレポートは書きます。

今の浦和にとっては、一番恐ろしいのはポンテのイエローカードです。あと一枚もらうと二試合出場停止になり、よりによって小野伸二が負傷しているという最悪のタイミングです。代役ができそうなのは山田がいますが、相当チーム力を落とすことになるでしょう。

また、この千葉戦は永井が出場停止です。2トップは必然的にワシントンと田中達也になるでしょう。マンツーマンのマークが基本の千葉は、斎藤がワシントンに、水本が田中達也に付くことになると予想します。水本と田中達也の対決は互角に思えますが、斎藤でワシントンが止められるかは疑問に思えます。

ワシントンが昨年見せたように、得意の個人技で斎藤と勝負する展開を期待したいです。また、千葉というチームは、浦和ならポンテ、川崎Fなら中村憲剛というように、特定の選手を抑えれば勝てるというチームではありません。誰がどこから突っ込んでくるかわからないという緊張感を持って試合に臨む必要があるでしょう。

ただ、エースストライカーの巻は今季はあまり良くありません。闘莉王をつけておけば、大体止まるように思えます。むしろ、得点感覚に目覚めた感のある新居や、スーパーサブの青木の方が恐ろしいように思えます。

ポンテをマークするのは下村でしょうが、ポンテならマンツーマンで来られても、二、三度は振り切ってチャンスを作ってくれます。それを、一つでも決めてくれれば、浦和の勝利に終わりそうな気がします。相手に合わせて動く千葉からは、なかなか大量得点は期待できないと思うので、ワンチャンスを確実に決める勝負強さが鍵に思えます。
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今更ながら、啓太の特徴(10/17日本対エジプト)

2007-10-18 20:51:06 | ワールドサッカー
昨日のエジプト戦、テレビ観戦しました。まずはエジプトがどんなチームか、探ってみました。布陣は4-4-2で、サイドからのクロスにFWが合わせる形を、最もやりたがっているように感じました。また、SBの位置が前目なのも目立ちました。時間帯によっては、2バックのこともある強気な布陣でした。

ただ、今回のエジプト代表には代表の多くを占めるアルアハリの選手がいません。そのため、このメンバーでコンビを合わせる機会はほとんどなかったと推測できます。それは、オシムジャパンが得意にしている3人目の動きや、スペースを狙う動きに対応が遅れた事実に現れています。エジプトのボール支配率は決して低くなかった印象がありますが、組織的にはある程度まとまっていても、最後の仕上げをする強力なFWがいません。

それに対し、日本は大久保がリーグ戦の好調さを、そのままこの試合にぶつけました。1点目のミドルシュートは、もう一度やれと言われてもできないような見事なものでした。これで、代表20試合ノーゴールという、FWにとっては不名誉な記録を止めることができました。

また、前田の動きも良かったです。1.5列目の動きで、ちょっと気の利いたパスを出す動きが良かったです。ただ、絶好の1対1を外したのは、試合後にオシム監督から注意を受けたと思います。また、浦和サポの私は、どうしても鈴木啓太の動きをチェックしてしまいます。この日の相棒は、いつもの中村憲剛でしたが、レッズのときより強気に前に出ている印象を受けます。

中村憲剛は、後ろに残ってパスを散らせるボランチですから、ある程度後ろを任せても安心して良いと判断したのでしょう。ただ、鈴木啓太が上がるときはいつも左右のサイドです。プロになる前のプレーは知りませんが、過去にサイドアタッカーだったことがあると推測できます。

元トップ下の中村憲剛だと、真ん中を割って入るように上がりますから、以前のポジションの癖は確実にあると思います。ただ、鈴木啓太はACLの影響もあって疲れているはずです。途中で代えてくれたから、まだましですが、今回は代表に呼ばないで欲しいと思った浦和サポは私だけではないと思います。
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悲運の好打者(片平晋作)

2007-10-17 18:03:06 | 他スポーツ
今夜は代表のエジプト戦ですが、平日夜の試合の即日更新は、勘弁して頂いていますので、中継ぎ記事の野球ネタです。

昨日、西武ライオンズの来期のコーチングスタッフを見ていたら、懐かしい名前が二軍監督にありました。その監督の名前は片平晋作さんと言います。片平は元西武の選手で、長身でひょろっとした体型で、毎年2割8分、15本は期待できる安定したバッターでした。ただ、西武の生え抜き選手ではなく、南海ホークス(現ソフトバンク)からトレードで西武に来た選手でした。

片平はその安定した好成績と、3度の日本シリーズ出場の実績があるにもかかわらず、私のイメージは悲運の好打者というものがあります。まず、最初の不運は、初めて日本シリーズに出場した1982年でした。片平が守るはずの一塁のポジションは、当時は日本シリーズにDH制がなかったため、普段DHに入っている田淵をコンバートされてしまい、片平はスタメンを外されてしまいました。

3度の優勝を果たしながら、片平の印象が薄いのはそのためです。また、片平は1987年に西武からトレードされて大洋(現横浜)に移るのですが、その理由も不運なものでした。それは、当時のドラフト1位、清原の入団でした。清原も一塁しか守れませんから、必然的に弾かれるのは片平になります。

それでも、その年は片平もDHで試合に出て、何とか頑張っていたのですが、DHにはもっと打てる外国人をという球団の方針で、トレードに出されてしまいました。結果的には、清原は1年目から3割30本の活躍で、当時の森監督の起用は正解だったのですが、片平の悲運さは、これでよりイメージが強まりました。

ただ、片平も一塁しか守れないことが不運を招く要因になったことは、わかっていると思います。外野ができればポジションは三つありますし、二塁や遊撃がこなせれば内野の四つのポジション全てをこなせることになり、出場機会を増やせますが、一塁しか守れないと、打撃で相当高いレベルを要求されます。

一般的には良い成績に見えても、一塁しか守れない選手にしては不十分ということになったのでしょう。しかし、今回二軍監督の話が来たのは、片平の西武時代の活躍を、球団が認めていたということでしょう。是非、二軍から良い選手を送り出して、指導者としても良いことを証明して欲しいものです。
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エジプト戦プレビュー

2007-10-16 20:28:23 | ワールドサッカー
明日は日本代表のエジプト戦が大阪の長居スタジアムで行われます。ただ、この試合は両チームとも本腰を入れた対戦ではなく、新戦力の発掘がテーマになります。日本代表は、まず欧州組がいません。また、闘莉王ら主力の一部も外されています。ただ、初代表の選手はおらず、代表当落線上の選手にチャンスを与えた格好です。

注目は神戸で得点を量産している大久保が代表21試合目(出番があれば)の初ゴールを決められるかです。対戦相手のエジプトですが、私がサッカーファンになった1993年以降、一度もW杯に出場していないため、どんなチームかのイメージすらありません。

過去には1998年のトルシエ監督の初戦で対戦したことがありますが、当時も大阪開催でテレビ観戦だったため、記憶にはまったく残っていません。ただ、クラブW杯で来日したエジプトのチームのアルアハリは印象に残っています。バラカトという7番を付けた俊足のウイングは覚えています。アルアハリはクラブW杯の前の公式戦で30試合以上無敗だったという、強豪チームです。

そんなアルアハリの選手を見たいと思っていましたが、アルアハリはアフリカCLで決勝に勝ち残ったため、今回の代表チームからは外されています。また、ドイツのハンブルガーSVに所属する、モハメド・ジダンもいません。そのため、日本協会はエジプトがメンバーを落としたことによる出場料の減額は行うと思います。

どうも、直前まで来日メンバーにベストメンバーを呼ぶと言っておいて、ぎりぎりのところで実は来ませんというのは、日本協会をだます手法の一つになっているようです。チケットを買うサポーターが一番迷惑する話です。本来なら、エジプトはW杯こそ遠ざかっていますが、地元開催のアフリカ選手権で優勝するなど、地力は十分のチームのはずですが、想像以上に弱い可能性もあります。

やはり、サッカーの中心は欧州と南米で、このどちらからも遠い日本は(遠すぎて主力選手の派遣を相手が嫌がるという意味で)、代表チームの強化という意味では大きなハンデを背負っています。いつか世界相手に互角に戦う日本代表を見たいですが、その道は想像以上に険しいと思います。
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ミラノの思い出

2007-10-15 20:44:40 | 雑記
今日もサッカーネタはお休みにして、10年ほど前に卒業旅行で行ったイタリア北部の街、ミラノの思い出です。私は、当時セリエAの試合を見に行くツアーでミラノを訪れましたが、ミラノの空港が夜霧に煙って、何も見えなかったことは忘れられません。あとで聞いた話では、ミラノは霧の都と言われているようで、早速最初からミラノのイメージが決まりました。

また、私がミラノへ行ったのは、真冬の2月で、連日どんよりと曇った空が続きました。ちょっと憂鬱になりそうな空で、冬の欧州に滞在すると気分がすぐれないという人は多いようです。ただ、この時期に行って良かったこともあります。それは、キリスト教の祝祭の復活祭とちょうど重なったことです。

街に仮装した多くの人が繰り出して、陽気に紙吹雪を撒く姿には、イタリア人のお祭り好きが現れています。もっとも、調子に乗って整髪料の白い泡を撒く人がいて、私はコートに直撃を受けましたが。

ミラノはイタリアが統一されるずっと前から、都市国家として栄えた街で、中世の建物が今でも残っています。最古のアーケードと言われているガレリアや、派手な彫刻に彩られた大理石のドゥオモ、レンガの塀と堀に囲われたスフォルツェスコ城を見てきました。この街は非常に歩きやすい街で、古い建物の並ぶ旧市街には幹線道路は一切通していません。

そのため、車が少なく、石畳の街を堪能することができました。イタリアのように伝統のある街では、旧市街には車は入れないというのが一般的だそうです。ただ、やはりイタリアですから、治安は日本と同じ感覚では通用しません。新聞を大きく広げて立っている人を見たら要注意です。その新聞を通行人の体に押しつけて、その隙にズボンのポケットを狙うからです。

海外旅行では、ホテルの部屋に帰って鍵を掛けるまでは安心できないので、精神的に疲れますが、外国の文化を直接生で見るのはいろいろな感動を与えてくれます。もう一度機会があれば行ってみたいものです。また、当時見たセリエAの試合はユベントス対ACミランでした。その試合のことは、また別の機会に書きたいと思います。たぶん、クラブW杯でACミランが来日する直前に書くと思います。
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大宮公園と氷川神社

2007-10-14 20:21:48 | 埼玉
大宮サッカー場(現Nack5スタジアム)によく出かけるからでもあるのですが、私にとって大宮公園と氷川神社はおなじみの地です。大宮駅から歩くと、まずは氷川神社の参道のケヤキ並木が目につきます。大宮駅から歩くと、その参道の途中に出るのですが、一度、この参道の入り口から歩いたらどんなものだろうと思い、さいたま新都心に行った帰りに、新都心脇の入り口から歩いてみました。(かつては中山道から分かれている分岐点のそこが、氷川神社の入り口でした。)

確かに、その入り口からケヤキ並木は続いています。終戦直後の物資不足の時代に、一度まきにされるために切られてしまったそうですが、それでも終戦から今までですから60年以上です。こんな巨木は、ご神木として切れない神社の木しかありえません。ただ、歩くには向かないです。

理由は、この参道が車道になっていて、人が歩く為の歩道がないからです。車が来るのに気を使いながらの歩行では、どうしてもリフレッシュにはならないでしょう。ただ、さいたま新都心のビルから見ると、「あの緑の帯は何だろう」という疑問があり、それが氷川神社の参道だったのには納得しましたが。

大宮サッカー場の脇は大宮公園という、広い公園です。桜の名所として有名で、春のお花見の季節はレジャーシートが所狭しと並びます。アルディージャの試合の日と、桜が満開の日が一致することはめったにありませんが、数年に一回、実現したら大宮公園を隅の方まで歩いてから帰ることにしています。

大宮公園は、今でこそ桜の森という意識しかありませんが、少年時代は小さな遊園地と動物園が楽しみな地でした。当時の記憶はだいぶ薄れていますが、動物園で父の背中を見失って、見知らぬ人を父と間違えて声を掛けてしまったことだけは、今でも恥ずかしい思い出として残っています。
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サイドの攻防(10/13川崎F対横浜FM)

2007-10-13 21:07:47 | 他チーム
レッズが休みの今週末は、川崎サポの友人と会う目的もあって、等々力までナビスコ杯の準決勝、川崎F対横浜FMというカードを見に行っていました。両チームとも、浦和戦のアウェーゲームも見に行ける距離ですから、年に最低2試合見ている訳で、ある程度知っているチーム同士の対戦です。

まず、第1戦で1-2とリードを許した横浜FMは、いつもの積極サッカーで来ました。河合の1ボランチに、中盤をダイヤモンド型に組む4-4-2で、サイドからの攻撃を主体にするサッカーです。浦和と対戦したときも、サイドハーフとSBの上がりでサイドを崩し、結果は敗戦だったものの積極サッカーを展開しました。

これに対する川崎Fの対策が注目だったのですが、その対策は4バックでした。ただ、普段は3バックの川崎Fは、本職の左SBはいません。そのため、普段の3バックを左にスライドさせて伊藤宏樹を左SBに置き、右SBに森を置く4-4-2にしてきました。ただ、一般的に言われるSBに求められる資質は、背は高くなくていいからスピードがあって、相手のサイドアタッカーとの1対1に負けないことが必要とされています。

伊藤宏樹は、この試合を見る限り、どうやらスピード型のDFではなさそうです。横浜FMの攻撃は、ロングボールにサイドMFやFWが走り込む形です。横浜FMはどうも伊藤宏樹のサイドを狙っていたようで、先制ゴールはドリブルで清水が伊藤宏樹を抜いて、センタリングを大島が合わせるものでした。

その後も、横浜FMは右サイドを狙って攻め、SBの那須も積極的に上げてきました。どうやら、川崎Fの左MFの久木野は、あまり恐れるに足りずと思っていたのでしょう。実際、立ち上がりの久木野は、相手サイドハーフへの守備を意識し過ぎて、少し消極的でした。しかし、その横浜FMの隙を久木野は狙っていました。

次第に試合の流れに慣れていった久木野は、中村憲剛からのパスに走りこんだりして、直接クロスには行かなくても、ボールをキープしてくれるようになりました。この久木野のボールキープで、急造左SBの伊藤宏樹も、攻撃参加できるようになりました。同点ゴールは、久木野のシュートが相手DFに当たったこぼれ球を、伊藤宏樹が受けてロングシュートを放ったものです。

この同点ゴールが効いて、自分たちの流れを取り戻した川崎Fは、この試合を4-2で勝利しました。やはり、不慣れな選手が守っているポジションは、その自信の無さを相手は利用しようとして、警戒を怠ったりします。この試合は、川崎Fが意図的に久木野を利用したからできた勝利でしょう。途中交代した久木野ですが、この試合に関しては「good job」と言っていいと思います。
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