北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

人はいる。知らないだけ

2005-12-21 23:57:56 | Weblog
 今日はやたら走り回る一日。こういうことの中で見えてくる現実もあるんです。やっぱり現場を見て、現場の人の声に耳を傾けたいものです。

 さて今日は
■美瑛町のこれから
■とにかく出会うこと の2本です。

【美瑛町のこれから】
 国土施策創発調査という長い名前の調査を美瑛町を対象として行いたいというお話を受けて、私が委員となって参加する事になった。委員会は美瑛町で行うというので昼の電車に飛び乗って午後の委員会に飛び込んだが、年末だけに慌ただしいスケジュールである。

 調査のパートナーとなる市町村には長岡市と合併した旧山古志村も入っている。この旧山古志村はもともとが地滑り地形だったことに加えて秋の長雨で大地が水をたっぷり吸っていたところへ直下型大地震が発生したために、地表面が大規模に地滑りを起こし、道路も集落の家屋も棚田も、全てが壊滅的な被害を被ったのだ。

 もともとこの調査もそういう山古志村に代表されるような人口減少に悩む中山間地に住み続けられるようなまちづくりを模索するものなのだとか。

 長岡市からは地域振興対策室長のK室長がお見えになって挨拶をされていたが、「こんな姿になって住民は離散状態ですが、それでも大半の人たちはやはりこの地に住みたいという意向なのです。しかし地滑り地形をぎりぎりに使っていた棚田も崩壊し、道路や家屋も失われています。復旧事業はたくさんつぎ込まれていますが、本当に生活を支えるのは生計を営める生活基盤です。その復興の目標に向けてがんばりますのでよろしくお願いします」というご挨拶があった。

 公はこういう民間や個人の財産の補償に対しては限界があって、一見冷たく見えるものだ。こういう地域の悲しみへの共感と推譲を呼び起こすような活動を続けて、国民もそれを自分の親戚と同じくらいの痛みとして分かち合えるような連帯を果たして欲しいものだ。

    *   *   *   * 

 さて美瑛町では、「日本で最も美しい村連合」という自治体連携を提案し、浜田町長が会長、美瑛町が事務局を担っている。合併をしない自治体で、人口1万人以下などといった条件を定めてこれに意気投合する町村が7つ集まって、連合を結成したのだそうだ。

 すでにNPOの申請も終えていて来年2月頃に道の認可が下りそうだという。地域の誇りをまちづくりに活かそうという例は枚挙にいとまがないが、「最も美しい村」という発想が面白い。もともとはフランスの取り組みだというが日本ではどんな形になるか楽しみである。 

 委員のお一人には地元の農協の方がいたので、「地産地消という事が良く言われますが、大規模農業を行うところほど、『売り物としての農産物』であって、そういうスローガンと縁遠くなるのではありませんか」と訊いてみた。

 すると「まさにそうなんです。私たちはどうしても農産物は大ロットでホクレンなどの系統に売る事で頭がいっぱいですし、逆に地域への観光客の数はこの広大な畑で取れる作物を消費するにはとても少なすぎます。しかし農家への日本型直接補償制度が導入されるのを見越して、我々農協も生き残りをかけて地域ブランドの確立や販路拡大に努力するつもりです」とのこと。

 美瑛のように地域の名前がこれだけ通っているように思えても、それをお金に換えるシステムはなかなか難しい。「観光と農業」と切り口は見えていても、それをどうやってやるかの具体的なやり方が見えない。

 委員会はあと2回。逆にもっと美瑛の事を教えてもらおうと思うのだ。

【とにかく出会うこと】 
 美瑛の委員会を終えて、今度は札幌で異業種交流の集いに遅れて参加する。毎年年末に行われるこの会に5年前に最初に参加し、それ以降は途絶えていたのだが、今回はなんとか顔を出す事が出来た。

 この会はとにかく札幌近傍に在住の、面白い熱い人たちが集まる会で、紹介しつつされつつ、いろいろな世界の話が聞けるのが面白い。しまいには地元の国会議員まで顔を出すくらいで、こういう人たちが近未来の北海道を支えるのだろうな、と頼もしくなる。

 知人も結構いるのだが、誰かに紹介されるたびに「小松さん?ああ、掛川の助役に行っていらした方ですね」と言われる。さすがは掛川と言うべきか。おかげでだいぶ立場に下駄を履かせてもらっている感じだ。

 某醤油会社の広告企画をしているきりっとした美人の女性がいた。

「醤油の世界って最近はどうなのですか?」
すると「最近は食卓から醤油が消えているんです。そもそも家庭で料理をしなくなったという事が一番大きいのですが、健康志向で塩分がスケープゴートになってしまったということもあります。その反動でお酢メーカーは売り上げを伸ばしているんですけど(笑)」とのこと。

「醤油って日本の味覚文化なんだと思いますけどね」
「メーカーも考えて『めんみ』なる調味料をつくっています。これがまた北海道人の舌に合うようにつくられていて、そのまま薄めればたちまち煮物なんか美味しくできあがるんですけど、今は煮物なんかもつくらなくなってきつつあるんです。食育の危機ですよ、本当に」

 家庭料理の崩壊は親の忙しさが原因だろうか。ご飯とみそ汁とおかずという食事の基本ができていないと、つい味付きの「おかずご飯」に流れて一食をごまかしてしまいがちだ。

 空腹をなだめるにもなだめ方があるんだな。

    *   *   *   * 

 札幌市のフィルムコミッションで活躍されている若手もいた。「是非開発局さんも施設を撮影に使う事を許可してください」というので、思わず「何かあったら窓口は私がやりますから」と答えた。

 彼は映画に地元が登場する事の経済的効果やうれしさをとくとくと語って聞かせてくれた。「最近では『交渉人真下正義』で札幌の地下鉄駅を使ったり、地下鉄と俳優がすれ違うシーンも撮れました。札幌市交通局も協力的でしたよ」とのこと。我々開発局が管理している施設だってもっと使ってもらって良いはずだ。これもまた観光の一助になるのだろう。

 この日はこうした刺激的な出会いのオンパレードでとても全てを書ききれるものではない。一人一人と深く話したい一方で、多くの人と話もしたい。なんとももったいない時間だった。

 この日はとうとう家に着いたのが朝3時。こんなに遅くまで話し込んだのは本当に久しぶりだ。世の中には人はいるもので、問題は自分が知らないということ。
 そういうことを思い知った一日だったのである。
 
 
コメント
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