北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

人に会うか、本に会うか

2006-08-27 23:32:00 | Weblog
 もう秋かと思わせながら、今日の昼間は暑かった。札幌の最高気温は30.1℃だそうで、夏の最後の粘りのよう。
 でも夕方の雲はもう秋を思わせます。季節の変わり目、風邪には注意しましょう。

【出会いを求める】
 天気がよいので、思い切って地域の勉強に行こうかとも思ったのですが、朝いろいろな事をしているうちに中途半端な時間になってしまい、遠出は断念。

 「真狩のユリは週末で終わりかも知れませんよ」と知人からメールも入っていて、見に行ったり人に会ったりしたかったのですが、まあこんな日もあるでしょう。そんなときに妻と娘が「まちに買い物に行く」というので、一緒に行くことにして本屋さんへと向かいました。

 本屋さんをぶらぶら歩いていると、実にいろいろな本があるのですが、これらの中から手にとって目に触れ、お金を出して買って、著者の気持ちと本当に触れあう事が出来るというのは、実に稀な事だとよく分かります。

 これだけ数多ある本の中から数冊の本を手にすると言う事はまさに偶然の出来事なのかも知れない、と思いつつ、逆にその偶然に思える事こそ必然なのかも知れないとも思うのです。

 自分は今この本に会うために、今という時間をここで過ごしているのかも知れないとさえ思うのです。考えてみれば、一年に何冊の本を読めるでしょうか。週に一冊として、年に50冊しか読めません。あと30年生きるとしても1500冊です。

 年に新しい本が何万冊も出されている事を考えると、本当にわずかなことでしかありません。

 しかし本は出会ってからも大変です。人に会うのはわずか数分から2~3時間のことですが、本と本の著者と出会うのには、読むという忍耐が必要です。

 教育改革の議論の中で、幼いときから英語を習わせるべき、という声と幼いときには読書をさせるべき、という両方の議論がありますが、両方が出来ないのだったら私は後者の「読書派」に共感します。

 日本語の本に慣れ親しむということから、日本語が身近になり、さらには読書という忍耐力が身に付くと思うからです。そして良い内容に触れて、少しでも幼いときから良い人格に育って欲しいものだと思います。

  
 さて、今日は4冊の本を買いました。古典の部類では勝海舟の「氷川清話」を買い求めたので楽しみです。

 そろそろ季節は読書の秋。人生の残り時間に光を灯すような読書をいたしましょう。
コメント
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