快晴の下、今日は釧路へ日帰り出張。現地にいるよりも往復の電車の中の時間の方が長いのはもちろんです。釧路は遠い。
【出張の友】
釧路出張の理由は、環境省の釧路自然環境事務所をお訪ねして知床での課題解決を始め、道内の観光地に関する情報交換の場を作りませんか、という提案をすることでした。
釧路自然環境事務所の側も異論はなく、知床に関してもいろいろな問題意識を教えていただきました。お互い立場が変わると背負っているものが微妙に違います。それらを尊重しながら、連携して課題の解決に当たろうという前向きな気持ちでは一致しましたので、これからが楽しみです。
ところで、この事務所にはかつて私が東京で勤務したときに環境省から人事交流で派遣されてきていたA君が赴任していたことが分かりました。向こうは私の存在を知っていたらしいのですが、私の方は全く知らずにいて、今日会って驚きました。
しかしそういう人脈があると実に話が早いものです。多少突っ込んだ話なども出来て、やはり持つべきものは人脈なのだ、ということを改めて実感しました。さらに連携を深めて参りましょうね。
* * * *
ところで、出張の友と言えばやはり本です。長い移動時間は読書に極めて有効な時間なのです。
最近読んでいた本は以前「王陽明」でご紹介をした東洋思想の碩学、安岡正篤先生の「先哲が説く~指導者の条件」(PHP文庫)です。
タイトルは指導者の条件となっていますが、日本の古典による政治問答集なのです。中身は二部構成で、第一部は「水雲問答を読む」で、第二部は熊沢蕃山の語録からの解説です。
「水雲問答」とは上州安中の藩主・板倉勝尚(かつひさ)(号は綽山・しゃくさん)とその師事した幕府大学頭・林述斎との間で行われた往復書簡による問答集です。
板倉綽山が白雲山人と呼ばれ、林述斎が墨水漁翁と呼ばれたことから、両者の一文字ずつを取って『水雲問答』と呼ばれたものです。
この水雲問答、実は幕末の名君として知られる備前平戸の松浦静山(まつらせいざん)候の名著『甲子夜話(かっしやわ)』の中に収録されているもので、これ自身が既に名著でありながら、そのなかでなお異彩を放っているのがこの『水雲問答』というわけです。
もっとも、この問答そのものはもちろんのことですが、解説を加えている安岡先生の考えがなお面白いのであります。
たとえば安岡先生は、「水雲問答などを読んでいると、古人がいかに心術・識見を磨いたかということを深く感じるのです」とおっしゃっています。
「『識』には三つある」と安岡先生はおっしゃいます。
「その一つは『知識』これは一番つまらんし、値打ちがない」
「人間には単なる知識ではなく『見識』という価値判断が大事である。見識がなければ語るに足らん」
「ところが見識があっても、どうかすると、その人が臆病である、あるいはずるかったり軽薄であるということになると、その見識も何の役にも立たん。いかなる困難があってもやりとげるのだ、という実行力・度胸を伴った知識・見識を『胆識』という。見識があっても胆識がない人はたくさんいるのです。しかし人間は、胆識があって初めて本当の知識人なのです。これは東洋の知識学というものの根本問題であります」
本の始めの20ページあたりにこのような下りがくると、もうそれだけで感心してしまって、なかなかページの先に進まないくらい考えるところが多いのです。
本の中身は古文とそれを解説した中身が続きます。
(雲)「後世に至りて節義の風おとろえ、俗に申す、鼻まがりても息さえ出ればと申す風にて、慨嘆つかまつり候。この弊風いかがして矯正つかまつるべく候や伺いたく候」
(末世と言われる今日は、一貫した人間のあるべき道…節義の風が衰退して、俗に言うように鼻が曲がっても息さえ出来れば良いではないかという情けない風潮で、実に嘆かわしいことです。この悪風をいかにして矯正することができるかご意見を承りたいと存じます)
(雲)とあるのは板倉綽山の問ということで、このような質問に対して林先生が一つ一つ意見を述べるのです。
(水)「節義の風衰えて、しこうして淟澱(てんでん)の俗興る。上の人以て誘う所有るに由るなり」
(まさに節義の風が衰退すると、世の中には垢で汚れ、悪酔いしたようなだらしない風俗が流行するものです。それというのも上に立つ為政者に節義、万事に筋を通すという風がないので、その風潮に誘われて下々までその悪風に染まるのであります)
というのが墨水先生の答え。
こういう問答がつぎつぎと続くのですが、まさに目からウロコが落ちる思いですし、その解説に出てくるのが古今の古典を縦横に飛び回っての紹介。ちょっとした単語の深い意味なども知れて、もう1ページ読んではため息をつきながら読み通しました。
本を尋ねて尋ねて、このなかで更に紹介されている本を読むべきであるというところにやっと達したのか、という思いに満たされました。
タイトルは「指導者の条件」となっていますが、これは一人一人の生き方の問題を鋭く指摘し、鼓舞してくれる内容が満載。しかもそれをごく平易に読ませてくれると言う意味で、実にありがたい本との出会いでした。
これだけの内容をたった650円で買い求められるとは日本の豊かさを実感します。ありがたやありがたや。
【出張の友】
釧路出張の理由は、環境省の釧路自然環境事務所をお訪ねして知床での課題解決を始め、道内の観光地に関する情報交換の場を作りませんか、という提案をすることでした。
釧路自然環境事務所の側も異論はなく、知床に関してもいろいろな問題意識を教えていただきました。お互い立場が変わると背負っているものが微妙に違います。それらを尊重しながら、連携して課題の解決に当たろうという前向きな気持ちでは一致しましたので、これからが楽しみです。
ところで、この事務所にはかつて私が東京で勤務したときに環境省から人事交流で派遣されてきていたA君が赴任していたことが分かりました。向こうは私の存在を知っていたらしいのですが、私の方は全く知らずにいて、今日会って驚きました。
しかしそういう人脈があると実に話が早いものです。多少突っ込んだ話なども出来て、やはり持つべきものは人脈なのだ、ということを改めて実感しました。さらに連携を深めて参りましょうね。
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ところで、出張の友と言えばやはり本です。長い移動時間は読書に極めて有効な時間なのです。
最近読んでいた本は以前「王陽明」でご紹介をした東洋思想の碩学、安岡正篤先生の「先哲が説く~指導者の条件」(PHP文庫)です。
タイトルは指導者の条件となっていますが、日本の古典による政治問答集なのです。中身は二部構成で、第一部は「水雲問答を読む」で、第二部は熊沢蕃山の語録からの解説です。
「水雲問答」とは上州安中の藩主・板倉勝尚(かつひさ)(号は綽山・しゃくさん)とその師事した幕府大学頭・林述斎との間で行われた往復書簡による問答集です。
板倉綽山が白雲山人と呼ばれ、林述斎が墨水漁翁と呼ばれたことから、両者の一文字ずつを取って『水雲問答』と呼ばれたものです。
この水雲問答、実は幕末の名君として知られる備前平戸の松浦静山(まつらせいざん)候の名著『甲子夜話(かっしやわ)』の中に収録されているもので、これ自身が既に名著でありながら、そのなかでなお異彩を放っているのがこの『水雲問答』というわけです。
もっとも、この問答そのものはもちろんのことですが、解説を加えている安岡先生の考えがなお面白いのであります。
たとえば安岡先生は、「水雲問答などを読んでいると、古人がいかに心術・識見を磨いたかということを深く感じるのです」とおっしゃっています。
「『識』には三つある」と安岡先生はおっしゃいます。
「その一つは『知識』これは一番つまらんし、値打ちがない」
「人間には単なる知識ではなく『見識』という価値判断が大事である。見識がなければ語るに足らん」
「ところが見識があっても、どうかすると、その人が臆病である、あるいはずるかったり軽薄であるということになると、その見識も何の役にも立たん。いかなる困難があってもやりとげるのだ、という実行力・度胸を伴った知識・見識を『胆識』という。見識があっても胆識がない人はたくさんいるのです。しかし人間は、胆識があって初めて本当の知識人なのです。これは東洋の知識学というものの根本問題であります」
本の始めの20ページあたりにこのような下りがくると、もうそれだけで感心してしまって、なかなかページの先に進まないくらい考えるところが多いのです。
本の中身は古文とそれを解説した中身が続きます。
(雲)「後世に至りて節義の風おとろえ、俗に申す、鼻まがりても息さえ出ればと申す風にて、慨嘆つかまつり候。この弊風いかがして矯正つかまつるべく候や伺いたく候」
(末世と言われる今日は、一貫した人間のあるべき道…節義の風が衰退して、俗に言うように鼻が曲がっても息さえ出来れば良いではないかという情けない風潮で、実に嘆かわしいことです。この悪風をいかにして矯正することができるかご意見を承りたいと存じます)
(雲)とあるのは板倉綽山の問ということで、このような質問に対して林先生が一つ一つ意見を述べるのです。
(水)「節義の風衰えて、しこうして淟澱(てんでん)の俗興る。上の人以て誘う所有るに由るなり」
(まさに節義の風が衰退すると、世の中には垢で汚れ、悪酔いしたようなだらしない風俗が流行するものです。それというのも上に立つ為政者に節義、万事に筋を通すという風がないので、その風潮に誘われて下々までその悪風に染まるのであります)
というのが墨水先生の答え。
こういう問答がつぎつぎと続くのですが、まさに目からウロコが落ちる思いですし、その解説に出てくるのが古今の古典を縦横に飛び回っての紹介。ちょっとした単語の深い意味なども知れて、もう1ページ読んではため息をつきながら読み通しました。
本を尋ねて尋ねて、このなかで更に紹介されている本を読むべきであるというところにやっと達したのか、という思いに満たされました。
タイトルは「指導者の条件」となっていますが、これは一人一人の生き方の問題を鋭く指摘し、鼓舞してくれる内容が満載。しかもそれをごく平易に読ませてくれると言う意味で、実にありがたい本との出会いでした。
これだけの内容をたった650円で買い求められるとは日本の豊かさを実感します。ありがたやありがたや。