北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

【アジアウォッチ】然るべき理由

2009-05-29 23:42:14 | Weblog
 誘いを断るときはいろいろな理由をつけるものですが、その付け方についてもお国柄があるようです。

 さらっと行けばよいような気もしますが、気を遣わなくてはならないこともあるようで…。


---------- 【以下引用】 ----------

 

中国式「言い訳」テクニック:常に「しかるべき事由」があるのが礼儀  2009/05/29(金) 14:21
 MAO的コラム 中国語から考える 第81回-相原茂
  http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0529&f=column_0529_004.shtml


  中国人が日本人を誘ったとする。一杯飲むのでも、お茶でも、日曜日の買い物でも何でもいい。日本人のほうが断る。

  「あっ、ちょっと用事があるから、ごめん」

  これには中国人は怒る。「ちょっとの用事」で私の誘いを断るのか。「私」と「ちょっとの用事」をはかりにかけて、「私」よりも「ちょっとの用事」をとるのか。

  これが「メンツを傷つけられた」ということだ。

  だから、日本人が「あっ、ごめん。家に帰って犬に餌をやらなきゃならないから」などと言おうものなら、これは絶交ものだ。「あんたより、犬が大事」と宣告されたのだから。猫でも金魚でも同じだ。

  日本人は人を人として扱わない、そういう思いが中国人の心の中に広がる。

  では中国人が人からの誘いを断るときにはどうするか。相手の誘いへの誠意をみせなければならない。どうしてもやむを得ない、という理由をあげるのだ。たとえばこうだ。

  「すみません、行きたいのはやまやまなのですが、その日は母親を連れて病院に行くものですから。もう予約してあるのです」

  「ああ、残念です。中国から友だちが来るので、成田に迎えに行きます。日本が初めての友人なので私が行かなければなりません」

  「これから帰って、今日は私が食事の支度なのです。そのうえ、恩師からの電話がある予定で、今度の学会発表についてのコメントをお願いしてあるものですから。本当にすみません」

  ああそうか、それなら仕方ないと思わせるような理由を述べる。これが中国式である。

  つまり、私はあなたの誘いをとても嬉しく思います。しかし、どうしてものっぴきならない事情があり、残念ですが、今回はお断りしなくてはなりません。こういう特別な事情があるのでお許しください。決してあなたを軽んじているわけではありません。

  こういうふうに対応してこそ、相手を尊重し、相手のメンツを保つことになると中国人は考えるのだ。

  中国人と日本人が待ち合わせる。中国人が遅刻したとしよう。すると、「なぜ遅刻したか」、その理由を会うやいなや述べ始める。決して「寝坊した」わけではない。渋滞に巻き込まれたとか、出がけに大切な人から電話があったとか、それなりの理由を挙げる。寝坊とかうっかりど忘れなどと言おうものなら、相手を軽視していることになるし、なにより「自己責任」にもなってしまう。だから、中国人は遅刻すると、現場に到着するまでに「それらしい言い訳を考えながら」行く。これが礼儀なのだ。

  遅刻にしろ、誘いへの断りにしろ、いつも本当に「しかるべき事由」があるわけではないだろう。時には、あるいはよく、ウソをつくこともある。ウソをついてでも相手への敬意を表す。これは「善意のウソ」である。中国人はそう考えるが日本人は「ウソをついてごまかしている」と考える。

  こういうことは生活のいろいろな局面で見られる。携帯に出そびれた。日本人なら「さっきはごめん、出そびれた」とか「テレビ見てた」などで済む。中国人なら、やはりそれらしい話を作り上げる。それが礼儀なのだ。そして、常にそういう意識で生きているわけだから、ウソとか話を作り上げるということについての意識もわれわれとは違う(もちろん、非常に親しい友だちなら日本と同じで素直にわけを話す)。

  簡単にどちらが良いとか正しいとは言えない。こういう話は実は拙著の中で、何度か述べていることだが、日本人と中国人のあいだにあるちょっとした、しかし重大なズレに思え、この場をお借りして改めて記しておくのも無意味ではないかと思った次第。乞う、ご寛恕。(執筆者:相原茂)

---------- 【引用ここまで】 ----------

 日本人だったら、ありきたりの理由で断れても半ば嘘を言われていることが分かりつつ、あうんの呼吸で(断りたいんだな)と分かりそうなものですが、その理由に然るべき理由を求めるとなると面倒ですね。

 身内に入院させたり殺したりするわけにも行きませんし。

 あまり大仰な理由を述べ立てると、それが嘘だったと分かってしまった時には、そんな嘘をつかなくちゃならないと分かってもらえない自分だと思われているのか、と逆におかしなことになるのではないかと心配です。

 ほどほどに正直な方が良いと思うのですが。 
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小田原の偉人教育

2009-05-29 23:33:40 | Weblog
 調べものをしていて、教育再生懇談会のホームページを見ていたら、懇談会メンバーによる全国各地の視察報告が載っていました。
 http://www.kyouiku-saisei.go.jp/

 


 この中の視察学校の一つに小田原市の桜井小学校の例があり、そこでは地域が生んだ偉人教育として二宮尊徳が取り上げられていました。

小田原市桜井小学校視察報告
 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku_kondan/genti/sakurai-e/index.html

---------- 【以下引用】 ----------

 

 小田原市では、教育委員会が郷土の先哲である二宮金次郎(尊徳)を物語化し、冊子の配布等を通じた偉人教育の取組を行っています。今回の視察では教育再生会議のフォローアップ事項として、物語冊子を実際に作成された先生による授業を見学しました。

 1年生及び4年生の授業では、二宮金次郎の幼少の頃の苦労や、基本理念である"積小為大"の言葉、勤労や倹約の大切さに関するスライドを交えた説明に、児童たちは聞き入ったり、自分たちの体験に重ね合わせて考察を深めていました。続く意見交換の中では、教職員の方々から以下のお話を伺いました。

 ・国語や社会、総合的な学習の時間や道徳など、様々な授業と関連付けた指導を行っている。

 ・小さなことを積み上げ、大きなことを成し遂げる"積小為大"という金次郎の言葉を学び、児童には長期にわたったり、苦手なことであっても、最後までやり遂げるようになって欲しい。

 ・校内の二宮尊徳像が何者かに汚され、6年生の全児童が怒る姿を見た時に、偉人教育を通じて深まった先人への想いを知った。

 ・子供がみんなで守っていきたいルール、身につけて欲しいことなどをまとめた「おだわらっこ子の約束」の中にも、生きる上でのお手本として、二宮金次郎の教えが入っている。

 ・「尊徳学習」についての地域の人との協力関係を、更にダイナミックなものへと発展させていくため、今後も力を入れていきたい。

---------- 【引用ここまで】 ----------

 二宮尊徳先生のエピソードの中で薪を背負って本を読む姿くらいは有名でも、「積小為大」という言葉や意味を小学校で学んでいるところはなかなかないでしょう。私のパソコンでも変換出来ませんでしたから。

 青年になってからの尊徳先生、財政立て直しを命ぜられた小田原藩で、飯を炊く釜のススを徹底的に磨きました。

曰く、「これがついているから飯を炊く時に余計に薪を食うのだ」

 こうしたことの積み重ねでもって藩の武士たちに節約の心構えを訴えたのです。これはケチと言うことではなくて、この小さなことを一つずつ着実に実行する心構えを訴えたもの。

 皆さんの地域には自慢出来る偉人はいますか。

 
 
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