北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

真剣な対話を

2011-01-03 23:51:04 | Weblog
 世間の多くは明日が御用始め。五日が仕事始めとなる私は明日釧路へ帰省することにしていて、今日は自宅で過ごすお正月最後の一日です。

 子供達もまちなかで友達と会う約束をして遊びに出かけ、私の方は札幌へ帰省している中学校の同級生のA君と数年ぶりにお酒を囲みました。

 年明けの休日にどうしても出なくてはならなかったA君は、中学校の同窓会にほとんど出たことはありませんでしたが、「最近はさすがに年かさが上がってきたので、部下が『Aさん、僕たちでやりますから出て頂かなくても結構です』と言われるようになったよ。そろそろ同窓会に出られそうなので、情報があったら教えてくれ」とのこと。

 これも歳を取ることの効用でしょうかか。次回の同窓会ではA君とも会えそうです。

    ※    ※    ※    ※

 都会の公教育の姿に絶望した彼は、子供さんを私学の学校に入れました。

「その学校では、運動会の昼休みに子供達をクラスに集めて給食を食べさせて、午後はまたプログラムに戻るんだけど、親たちがお弁当を作るのは無し。それは『お弁当を持ってこられない親御さんもいるから』というのが理由だと言うんだよ。これにはまいった」
「本当かい、初めて聞いたよ」

「昔だったら、お弁当を持ってこない子には回りが気を遣って、『これ食べる?』なんてやったものだけど、そういうことにはならないんだな」
「親の状況も一様じゃないからなあ…」

 行き過ぎた平等意識がときどきでるような公立学校だったらしく、「どうしても行かせたくなかった」とのこと。今でもそんな学校があるのでしょうか。

 互いの違いを見えなくすることで問題が解決するとは思えませんが、違いをそのままにすると現実的にイジメに繋がるという意見もありそうで難しいところです。

 声の大きい人がいると言うことかも知れませんし、それぞれの地域性によるところも大きそうです。地域全体で問題を共有しようにも、貧困や格差という根っこのところは公教育が担うにはあまりにも重すぎることでしょう。

 しかしそれでも、親たちと学校との間で対話を繰り返すしか健全な関係性を作り上げる術はないようにも思います。

    ※    ※    ※    ※

 ことは教育を巡る学校と親だけの問題ではなく、普段の行政においても客観的なデータを共有してそこからマスコミや市民を大いに巻き込んで価値観を巡る対話を広く繰り返すのが、健全な行政への一番の近道だと思います。

 うむ、御用始めに向かって気が引き締まってきました。

 今日という一日に真剣に向かいあいたいものです。
コメント
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