先日ある会社で人に会ったところ、その方は布製のマスクをしていました。
「布マスクなんですね」と言うと、「もう使い捨ての紙製マスクが手に入らないので窮余の一策です」とのこと。
マスクを手に入れようにも何しろ自分の欲しいときのタイミングでは売っていませんもんね。
今手持ちのマスクを大切に使わなくては。
またこんな話も。
「会社の上からのお達しで、社員の半分は時差出勤をするように、と言われているんです」
そろそろ北海道にはもうコロナも広がらないのじゃないか、という現状への慣れと安心感と油断のような雰囲気が生じつつあるような気がします。
手洗いなどはしっかりやっているつもりですが、緊張感を高めるためにも、思い切り新しい発想の刺激を与えるのもよいかもしれません。
東京とその近隣の県では週末の外出と移動の自粛要請が発せられていますが、感染元がたどれない事案が増えているということで、やや油断したのかな。
いつだったかちょっと遠くへの出張があった際に友人から「そこまでどういう交通手段で行くの?」と訊かれたので、何気なく「え?会社の車を自分で運転していくよ」と答えました。
すると彼は「あ、そりゃそうだよね。コロナ騒ぎでバスや電車なんかの他人が乗っているものには乗らない方が良いもんね」と納得の様子。
こちらは何も考えていなかったのですが、確かに自分一人の車は一番安全な移動ツールに違いありません。
一両で大勢を運ぶ都会の効率性は、ひとたび感染症のような事態に襲われると極めて危ない環境に早変わりするという脆弱性にあらためて考えさせられます。
都会もぎゅうぎゅう詰めにして効率性を求めるにもある程度抑制的な『程の良さ』が考えられないものかと思います。
都市公園などはそういう意味で、土地から最大限の利益を引き出そうとする経済活動に対するゆとり面からの答えなのです。
さて、今回のウィルス騒動から人類はどのような歴史的教訓を得て、どのようなポストCovid社会を作れるのでしょうか。