北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

人工衛星擬人化展示室

2008-12-22 23:08:00 | Weblog
 面白いサイトがありました。「人工衛星擬人化展示室」
 こちら → http://teardrop.weblogs.jp/photos/yard/index.html

 このサイトでは、これまで日本が打ち上げた人工衛星をキャラクター化して、物語を語ってくれます。無機質な機械のはずの人工衛星が、こうすることでとても身近な存在に思えてきます。
 同時に、それに力を尽くしている日本人宇宙開発技術者たちの思いが伝わってきます。隠れたところで日本の頑張りに少し涙目になりそうです。
 ご覧ください。


    ※    ※ 【引用開始】 ※    ※



 かぐや姫はいいました

 「私の願いを叶えてくれた方に、私はお仕えしたいと思います」

 彼女は石作皇子に壊れない推進系システムが欲しいといいました。
 車持皇子には「月の裏側から通信が出来るシステムが欲しい」と。
 つづけて右大臣阿倍御主人には複雑な月軌道の熱条件でも耐えられる熱防御系。
 大納言大伴御行には3トンの衛星を月に打ち上げられるロケット 。
 中納言石上麻呂には38万キロ彼方との通信が可能な超長距離通信アンテナを作ってくだされといいました。

「出来ないはずがないでしょう」かぐや姫の言葉に公家達はあきれてしまいました。
 それら皆この世界に存在しない伝説のものばかりなのですから。

 そうは言ったものの、それでもなお彼らは考え続けます。

  「彼女をモノに出来ないのなら生きている意味も無いと」


  -----------------------------------------

 「かぐや」は今この瞬間も月を回っている月周回衛星。全長4.8m重量3トンという大型の船体に15の観測装置を搭載した「かぐや」はアポロ計画以降の月探査プロジェクトとしては最も大掛かりなものです。搭載された様々な観測装置は月の謎を過去のものとし、彼女に託されたハイビジョンカメラは日本人のみならず世界中の人々の「月のイメージを」を塗り替えました。現在縦横無尽の活躍を続ける「かぐや」ですが、実はその生い立ちは決して恵まれたものではありませんでした。


 彼女がこの世に生を受けたのは1990年代後半のことでした。「LUNAR-A(ルナA)」計画の次なる月探査計画、「SELENE(セレーネ)」計画として開発が認められた「かぐや」。初期案の彼女は、規模でこそ現在と替わりませんが、その設計は船体後部に月着陸船を備えた意欲的なものでした。全体が人工衛星特有の金色の断熱材で覆われており、その構成は子衛星1+本体+着陸船という3位合体衛星。なんともバブルな雰囲気を漂わせる探査機だったのです。

 しかし月の女神の名前を冠した「SELENE」計画といえど世俗の流れと無関係とはいきませんでした。2000年前後にたて続けに発生した大型衛星の喪失や打ち上げの失敗が彼女の運命を大きく変える事になります。当時のNASDA(宇宙開発事業団)では大幅な組織、計画の見直しが行われ、リストラの手は「かぐや」にまで及びます。「かぐや」自慢の着陸船はリスクが大きいとして計画から外され、その代わりに子衛星を1機追加。この見直しにより彼女の容姿はほぼ現在の姿へと落ち着きます(この着陸船の廃止があったからこそ、彼女へのハイビジョンカメラ搭載の余地が生まれたわけですから世の中分からないものです)。

 設計の見直しが行われスリムとなった「かぐや」ですが、実はプロジェクト自体、あまり良い状況では有りませんでした。アポロ計画が終了した今、月探査の必要が認められないとして彼女は総合学術会議で酷評されるほどの状態だったのです。減らされた予算を嘆き筑波宇宙センターのクリーンルームから月を見上げる「かぐや」。しかし失意の姫君に対して、唐突に救いの手が差し伸べられます。2004年1月に発表されたアメリカの新宇宙探査計画の中で、彼の国はアポロ計画以来の有人月探査構想をぶち上げたのです。世の流れは変わり、ここに第二次月レースが始まりました。

 前回の「The Moon Race」は米ソの二カ国でしたが今度は状況が違います。アメリカ、ロシア、中国、インド、ヨーロッパ、そして日本。現在は様々な国が星の世界へ手を伸ばす手段を獲得しており、各国各様に月を目指し始めたのです。開発の遅れや国内の無理解からノロノロとしか進んでいなかったSELENEプロジェクトが、「かぐや」が、一気に先進国で行われる月レースのトップランナーに躍り出ることになったのでした。彼女は驚きます、プロジェクト中止をおびえていた自分が、いつの間にやら世界の天文学会の注目を集める存在となっていることに。


 2007年3月26日、午前零時、筑波宇宙センター。育ての親たるスタッフが見守る中で、「かぐや」を乗せた車列がしずしずと動き出しました。みんなが寝静まった町を、大型のトラックを何台も従えて、彼女の月への旅がはじまります。

 「かぐや」の旅は順調そのものでした。9月14日に地球の重力を飛び出し月へ向けての2週間の航海。10月4日6時20分、彼女はついに月の軌道に到達しました。日本最古の物語といわれる竹取物語に登場する「なよ竹のかぐや姫」。自らを月の都の人と名乗った彼女の物語が、1000年の時を経てようやく現実のものとなったのです。一つ残念なのは、その偉業を報告すべき詠み人が誰であるのか現在では誰にも分からないということ。

 「かぐや」は現在も世界中の天文学者の夢と羨望を抱えて月の観測任務についています。託されたハイビジョンカメラで生まれ育った地球を撮影しながら、彼女は何を思うのでしょうか。



    ※    ※ 【引用おわり】 ※    ※


 中学校時代から星が大好きになった自分を思い出しました。新聞配達のアルバイトをして天体望遠鏡を買った時の嬉しさ。

 星の話題で夜空を眺め、すごいと前評判の高かったジャコビニ・ジンナー彗星の評判倒れに苦笑い。

 何冊も宇宙の本を読み、天体写真の本を買ったものです。今度は少し星と宇宙の魅力を語りたくなりました。 

    ※    ※    ※    ※

 それにしても、この絵といい物語の文章といい、サイトの主催者の才能はすごいですね。こんなところでひっそりとクール・ジャパンを紹介するとは。このサイトには、もう二つの物語が載っていて、どちらも泣けるお話になっています。

 良いものは良いっ! 
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発達障害の子どもたち(2)

2008-12-21 22:28:29 | Weblog


 さて、発達障害については、いろいろと思いこみや偏見があります。これが問題解決を難しくしていることはあきらかです。

 ではこの発達障害に関する誤解と偏見について、これから進学を控えた子どもを持っていると仮定して、以下の考え方に対して○×を自信を持って答えられるでしょうか。まずはこれから試してみましょう。

①発達障害は一生治らないし、治療方法はない
②発達障害児も普通の教育を受ける方が幸福であり、また発達にも良い影響がある

③通常学級から特殊学級(特別支援教室)に変わることはできるが、その逆はない
④養護学校(特別支援学校)に一度入れば、通常学校には戻れない

⑤発達障害児が不登校になった時は一般の不登校と同じに扱い、登校刺激はしない方がよい
⑥養護学校卒業というキャリアは、就労に際しては著しく不利に働く

⑦通常の高校や大学に進学ができれば成人後の社会生活はより良好になる


 次に、幼児期の発達障害の子どもさんのご両親からしばしば伺う意見についてです。親御さんのある種の思いこみです。

1) 発達障害は病気だから、医療機関に行かないと治療はできない
2) 病院に行き、言語療法、作業療法などを受けることは発達を非常に促進する

3) なるべく早く集団に入れて普通の子どもに接する方が良く発達する
4) 偏食で死ぬ人はいないから偏食は特に矯正をしなくて良い

5) 幼児期からの子どもの自主性を重んじることが子どもの発達をより促進する

 いかがでしょう?あまり考えたことがない問題かも知れませんが、つい「そのとおりだろう」と思うような問いもありそうです。しかし著者の杉山先生の考えは、すべて誤りか、あるいは条件付きでのみ正しい見解であって、一般的にはとても正しいとは言えないのだとおっしゃいます。

 そして知能であればIQテストなどにより数直線上の数値として結果が出るために、優劣の比較となりやすいのですが、発達障害を全般的に眺めれば、それはレーダーチャートのようにいくつもの項目ごとにできることとできないことが凸凹に現れてきます。

 この全体を見た上で、矯正の優先順位をつけて対応をする必要がありますが、日本の30人学級で先生一人というのは、発達障害の子どもさんがいると対応に限界が出てきます。まだまだ日本の教育現場も発展途上のようです。

    ※    ※    ※    ※

 特に最近は、子ども虐待と発達障害の複雑な関係が見られるといいます。杉山先生が外来で診断した子ども虐待の中にはかなり高い確率で発達障害の子どもが見られ、それも知能が余り低くはない経度の発達障害が虐待の高い危険因子となっているようだ、というのです。

 親からの愛着形成に支障が生じると、愛着障害となり対人行動が不安定になるのですが、それがまた虐待の呼び水となりかねなく、常にニワトリと卵の論争になりかけるのだとか。

 杉山先生はこうした場合、積極的に親(母親が多い)の側への並行治療も行うのだそうですが、親の側も自分の不全感を感じていることが多いようで、かなり良い成果を出しているといいます。

 しかし実際には虐待による発達障害とADHDを見分けるのはかなり難しいようでやはり専門家による診断が大事なのですね。


 最後に、歴史学者である市井三郎さんの言葉が紹介されています。

『歴史の進歩とは、自らに責任のない問題で苦痛を受ける割合が減ることによって実現される』

 そして先生は「発達障害とは、明らかに自らの責任で子どもたちが受けたものではない。それをきちんとサポートすることこそ、歴史の進歩である」と結ばれています。

 こういう知識と考え方をもっと当たり前にしたいものです。ぜひご一読をお勧めします。 
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発達障害のこどもたち

2008-12-20 23:45:31 | Weblog
『発達障害の子どもたち(講談社新書)』という本を読みました。小学校の先生になった娘が買った本で、妻が借りて読んでいたのをさらに奪ってきたのです。



 世の中の子どもたちの現状として、ADHDやアスペルガー症候群、学習障害、自閉症など、さまざまな問題と思われる単語が氾濫していますが、それらは実際どのようなもので、それを巡る教育あるいは医療現場の現状はどのようなものなのでしょうか。このことは以前から社会人の常識としていつか勉強したいと思っていたので、匿名での具体的な事例紹介の多いこの本は格好の参考書となりました。

    ※    ※    ※    ※ 

 この本の著者は杉山登志郎さんという、あいち小児保健医療総合センター保健センター長をされているお医者さん。児童青年期精神医学がご専門で、長い間何百例にもわたる発達障害の子どもたちを見てきてこられている方です。

 実は杉山先生には、『発達障害の豊かな世界(日本評論社)』という発達障害を巡る話題に触れた著書があるのですが、その後も障害児とその両親と会話をするうちに、本当に必要なことがきちんと伝わっていないといういらだちを覚える場面が何度もあったのだとか。

 発達障害に関する重要な情報が正しく伝えられて誤解と偏見が解ければ、そのような子どもたちの社会的な適応はきっと改善するだろうし、子どもたちとその両親にとっても好ましいことでしょう。
 ちなみに著者の杉山先生が働いているセンターが抱える新患受診の待機リストは三年先まで(!)あるのだそうで、それを少しでも解消したいという思いも強いのでした。


 【発達とはなにか 障害とはなにか】

 発達についてはいくつかの領域に分けて考えることができます。以下に発達の領域と、その内容、その障害に対する医学的診断名を書いておきましょう。

Ⅰ)認知の発達…「周りの世界を知り、理解する。また言語を覚え、言葉を用いて考えるといった基本的な認知の発達」…(その障害は精神遅滞と診断される)

Ⅱ)学習能力の発達…「基本的な認知の力を踏まえて、文字を読む、書く、計算をするといった学習能力の発達」…(その障害は学習障害と呼ばれる)

Ⅲ)言語能力の発達…「言葉の発達、言語の理解など言葉の発達の障害」…(その障害は発達性言語障害と呼ばれる)

Ⅳ)社会性の発達…「親子の信頼と絆に始まり、他人の気持ちを読むこと、さらに他人とのつきあい方や社会のルール習得の発達」…(その障害は広汎性発達障害・アスペルガー症候群と呼ばれる)

Ⅴ)運動の発達…「歩く、走るといった体全体の運動の発達」…(脳性麻痺や筋ジストロフィーなど)

Ⅵ)手先の細かな動きの発達…「ものを持つ、スプーンを使う、字を書くといった指の細かな運動の発達」…(発達性協調運動障害)

Ⅶ)注意力・行動コントロールの発達…「認知の発達と深い関係にある、注意力や集中力、行動コントロールの発達」…(注意欠陥多動性障害・ADHD)

    ※    ※    ※    ※

 一般に「普通の」といわれる子どもたちもこれらの領域をなんとか乗り越えることで成長をしているというわけで、普通でいる事って結構大変なんだと思わざるを得ません。

 さらに、これらの領域の発達障害は重なって現れることがあるので、さらに問題は複雑になります。発達障害という単語でまとめられる問題の中身は実に複雑な様相を呈しています。

    ※    ※    ※    ※

 また、「障害」という言葉にも注意が必要です。著者は「この『障害』という日本語は著しく断定的なニュアンスを持つ」と嘆いています。

 この元になった英単語は"development disorder"というもので、disorderとはdis=乱れ、order=秩序ということ。つまり、日本語の発達障害の意味は、「発達の道筋の乱れ」、や「発達の凸凹」という意味なのです。

 何かの機能が決定的に欠落して取り戻せないというような意味ではなくて、広い意味の個性とも言えそうですが、社会の一員として生活をして行く上では訓練したり練習をして矯正をする方がよい個性でしょう。こうした先入観に影響されるところは大きいでしょう。
 
 さて、長くなりますので今日はここまで。改めてこうした問題に関してうろ覚えで先入観に捕らわれている自分が分かりました。明日はもう少し中身に触れてみたいと思います。

 皆さんのご意見もお聞かせください。


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その差は大きい

2008-12-19 23:44:42 | Weblog
 今週は怒濤の5日間で、毎日忘年会が続きましたが、やっと今日で全て終了。生きながらえることが出来て良かった。

 最後の今日は一次会の忘年会の後に、遠方から来た知人たちと呑んだのですが、「最近のブログは小市民的すぎる!」と批判されました。

「少し前に足温器のことを書いていたでしょう?それに対して『足温器なんてどうでも良いんです!』って言った知人がいましたよね。私も本当に『そんなのはどうでもいいんです!』って書きたかったですよ(笑)」

 まあまあ、そうは言っても、ご意見をくれる方々の好みも結構幅が広いものですから…。

    ※    ※    ※    ※

 そんなわけで、今日は少し硬派で参りましょう。相変わらず連日世界的な景気悪化のニュースばかりが飛び交いますが、かつてそれを味わった日本がそれをどうやって耐え、それは世界の処方箋としてどう見られているか、についての記事がありました。

 書いているのは野村総研のチーフエコノミストであるリチャード・クーさんです。

    ※    ※ 【以下引用】 ※    ※

【聖杯は何処に】日本の経験伝え恐慌防げ 野村総研チーフエコノミスト リチャード・クー
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/081216/trd0812160255005-n1.htm

 ここ数カ月の各国経済の落ち込みはあたかも、全世界が大恐慌に向かって突き進んでいるようだ。

 米国はもとより、欧州も景気が大幅に悪化。中国でも不動産バブルが崩壊した。日本でも11月の新車販売台数が前年同月比27%も落ちたように景気が後退している。

 日本は国内にそれほど大きな問題を抱えてはいないが、外需に偏り過ぎたため、輸出先の米国や中国、欧州の落ち込みのあおりを受けている。小泉純一郎内閣のころから内需拡大をなおざりにしていたツケが表面化した形だ。

 過去を振り返ると、同じことが全世界で起きたのは大恐慌が始まった1929年ごろまでさかのぼらなければならないだろう。

 世界経済の急激な落ち込みを引き起こしたのは、いくつかの国で起きた住宅バブルの同時崩壊だ。

 住宅バブルが崩壊すると、逆資産効果だけでなく、住宅を借金で買った人たちや彼らに金を貸した銀行のバランスシートが壊れてしまう。借金は残っているのに、それに見合う資産がなくなっているからだ。

 そうなると民間は一斉に利益の最大化から債務の最小化、つまり、貯蓄を増やし、借金を減らす方向に動く。これは個々のレベルでは正しい対応だが、みんなが同時に同じことをすると、民間の貯蓄と借金返済分を借りて使う人がいなくなり、それがデフレギャップとなって総需要が減少する。29年に始まった大恐慌では、この減少に歯止めをかけられず、米国の国内総生産(GDP)が4年間で46%も消滅する事態に陥った。

 今の世界はまさに大恐慌の入り口にさしかかり、市場も企業も、消費者も真っ青になっている。

 ところがここに一縷(いちる)の希望がある。日本がこの問題に対して答えを出したからだ。

    ※    ※    ※    ※

 90年代の日本は、バブルのピークから商業用不動産の価格が87%も下がった。株や土地の下落によって1500兆円もの国民の富が失われた。企業は95年ごろから多い時で年間30兆円の巨額の借金返済に動いていた。

 それでも日本のGDPは18年間、一度もバブルのピークを下回ることはなく、失業率も5%台で好転した。これは大変な成果である。

 では、なぜ日本は恐慌を防ぐことができたのか。

 政府が民間の貯蓄と借金返済分を借りて使うことを十数年間やってきたからだ。財政赤字は大きくなったが、その結果、国民所得(=GDP)は維持され、民間はその所得で借金返済を続け、2005年ごろからバランスシートはきれいになった。日本はどんなに資産価格が下がっても、正しい財政政策で国民所得を維持できることを人類史上初めて証明したのである。

 ところが、ここ十数年の日本の財政政策を評価しない人たちが内外を問わず大勢いる。彼らは「あんなに公共事業をやっても日本の経済は成長しなかった」とたたいている。しかし、この種の批判には実は暗黙の前提がある。


 「政府が財政政策をとらなくても経済はゼロ成長だった」という前提だ。「何もやらなくてもゼロ成長なのに、あれだけの公共事業をやっても成長しなかった。だから無駄なモノに金を使った」と批判する。だが、当時の日本は民間のデフレギャップ(貯蓄+借金返済)がGDP比で10%近くあり、数年でGDPが半分消えても不思議ではない状態だった。目前の大恐慌を防げたのは果断な財政政策をとったからなのだ。

 1930年代の大恐慌で米国が失った富はGDPの1年分といわれる。バブル崩壊後の日本では、株と土地だけでGDPの3倍もの富が吹き飛んだ。われわれが受けたダメージがいかに大きかったかがわかる。にもかかわらず日本は国民所得を維持することができた。この教訓を世界が学び、日本の成果を世界が理解すれば、危機に苦しむ各国国民の気持ちがどのくらい楽になるだろうか。

    ※    ※    ※    ※

 くしくも現在の日本の総理大臣、麻生太郎氏は日本経済が抱える問題の本質を当初から完全に理解していた数少ない政治家であった。

 麻生首相は、もともと経営者なので、バランスシートの問題を理解している。借金返済の苦しさもその恐ろしさも理解している。また、民間が債務の最小化に向かっているときは中央銀行の金融緩和が効かなくなることも分かっている。だからこそ、麻生首相は財政出動の必要性を訴えているのだ。

 しかも外需が激減した今の日本は、少なくとも真水10兆円の政府支出の拡大が必要だ。減税をしても借金返済や貯蓄に回って景気対策にならないからだ。

 11月に行われた主要国と新興国20カ国による緊急首脳会合(金融サミット)でも麻生首相は日本の経験を訴え、財政出動に反対だった米国のスタンスを変えた。首脳声明にも財政出動の必要性を明記した。麻生首相は極めて重要な日本の成功例を必死で海外に伝えているのである。

 海外もようやく日本の成果に気付き始め、日本から学ぼうとしている。以前はあれだけ日本の公共事業と銀行への資本投入をたたいていた欧米諸国が、今やすべてこれらの政策を採用している。中国も57兆円もの景気刺激策を決めた。われわれはずっと正しいことをやってきたのだ。

 麻生首相は国内で、失言したとか、字を読み間違えたとか、想像もできない低次元の問題でたたかれているが、海外では中国の胡錦濤主席も米国のブッシュ大統領も必死に麻生首相の話を聞いて参考にしようとしている。日本の総理の話がこれだけ世界で注目されたことが過去にあっただろうか。

 日本にも優秀な政治家は多数いるが、海外に日本の経験を自身の言葉で、そして英語で話せる政治家はそう多くない。麻生首相は日本が世界を正しい方向へ導くためには不可欠な人物なのだ。

 字を読み間違えたくらいで、政権をつぶしてしまえという今のマスコミ世論は正気の沙汰(さた)ではない。

    ※    ※ 【引用おわり】 ※    ※

 ある友人は、世界の国々を航海途中の船にたとえると、それぞれがものすごい暴風雨に突入してしまった豪華客船のようなものだ、と言っていました。

「舵取りに失敗して沈没した船もあれば、しかけている船も多いよう。そんな中で、客室の中で客たちが「どうも船がものすごく揺れているが、これくらいの天気でこんなに船が揺れるのは船長が悪いのではないか。船長を変えた方が良いのではないか」と言っているが、こんな暴風の時に船をどうやって操縦するかは乗客には分からないんだよね。

 国民は漢字が読めるから、麻生さんの読み間違いを笑うけれど、政治が読めない国民には、政治が読めているかどうかが分からない」

    ※    ※    ※    ※

 私も昔スキーを始めた時にスキーの参考書を何冊も買って勉強しましたが、それを読んでもどうやればよいかはなかなか分かりませんでした。しかしある時滑れるようになってから参考書を見ると、まさにその通りのことが書いてあるのでした。

 同じ参考書でもこんなに見え方が違うのか!と目からウロコでした。分かると分からないの差は大きいかった。なんでも一生懸命に勉強して分かる人になりたいものです。

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リスクの分散

2008-12-18 23:45:26 | Weblog
 夜に中部地方の某市の市長さんとの懇談会に参加しました。

 これからのまちづくりのキーワードとして「健康と安心」ということを掲げているのだけれど、具体的にどのような展開があるか、という話題で、全部で4人での懇談会。なかなか興味深い話題となりました。

 市長さんの悩みの一つは「日本中が経済問題や雇用問題で右往左往している時に、健康などというテーマは脳天気と思われるのじゃないかなあ」ということ。

 それに対して回りからは「健康と言っても、それは人間の身体の健康だけではないでしょう。今は経済の健康が損なわれている状態ですし、環境の健康だって問題です。健全な状態からはずれていることを健全に戻すことを健康と考えることで、様々な行政分野で健康を目指す施策は行うことが出来るでしょう」という意見が出ました。

 まさにそのとおり。健康は厚生労働省だけの行政用語ではありません。地方行政にあっては、多くの分野を真面目にコツコツやることで市民の幸せを求めることが大切なのです。

 ところで、この市長さんの町は企業の工場が多く進出していて地元経済はそこそこ良いのですが、昨今の経済状況が少し心配です。

「市長さん、世界経済危機で日本経済も苦境に陥っていますがそちらの企業状況はいかがですか?」
「ご心配をありがとうございます。おっしゃるとおり決して良くなるわけはなくて、法人市民税も30%くらいは下がるだろうと覚悟しています。しかし当市の企業のバラエティを改めてみてみると、全てが自動車や電化製品などの外需に依存した企業というわけではなくて、薬品や身の回り品などの内需製品を作っている工場も多いのに気がつきました。自動車の企業城下町だったらさぞ大変だったろうなあと汗が出ますよ」

「なるほど、財産を投資する時に株や債権など、分散して投資するポートフォリオのようなものですね」
「そうそう、そうなんですよ。地域経済の屋台骨を背負ってくれる企業があるというのは心強く思いますが、いざこういう時代になると、かえって多様な企業さんがいてくださるのが良いのだなあ、と思いましたよ」

 財産を投資する時も、国内株や海外株、外貨など単品に全財産を預けるのは危険で、リターンが少なくなるのは覚悟の上で安全な資産運用ということを考えると分散してリスクを少なくするのが常道です。

 もっとも、来ようとする企業を選んで、「もうその分野の企業さんはいるので来なくて結構です」と言ったわけでもないでしょうから、あくまでも結果論と言うことでしょうけれど。

 企業に来て欲しいと思う自治体は沢山あるので贅沢な感じもしますが、ちょっと考えさせられることでした。
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あかぎれ?いや…

2008-12-17 23:36:47 | Weblog
 同僚の接待を兼ねたカラオケ忘年会。同僚が連れてきた外部の知人と会わせて男女5人で盛り上がりました。

 日頃の憂さを忘れて、古い歌から新しい歌まで歌いに歌いまくったのですが、こんなに精魂込めて歌いまくったのは何年ぶりだろうか、と思うくらい真剣な時間を過ごしました。

    ※    ※    ※    ※

 今朝起きてみると、右の親指の第一関節の内側がヒリヒリします。ありゃりゃ、これはまた冬になってあかぎれになったかな、と思いました。乾燥肌系の私は水仕事をするとときどきあかぎれになるのです。

 しかし痛いところをよく見るとどうやら切れてはいないよう。うーん、なぜだろうと考えて気づきました。

 タンバリンの叩きすぎ!

 どうやら痛みの原因はそれだったようです。我ながら笑ってしまいました。

 ひー、痛ててー! 

 
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24回目の結婚記念日

2008-12-16 23:53:38 | Weblog
 夕方、忘年会の飲み会に向かう途中でうちの奥さんからメールが。

 「今までありがとう!これからもよろしく。すっかり忘れてました(>_<。) 記念日帰ってきたらお祝いしようね」

 そう、今日は我々夫婦の24回目の結婚記念日なのです。

 私も朝までは覚えていたのですが、日中はすっかり忘れていました。手帳には書いていたんだけど…。

 札幌にいた時は外で食事などをしていましたが単身赴任となるとそれもなかなか難しくなりました。

 いよいよ来年は銀婚式ですか。早いものです。

 夫婦なんて、結婚してから最初の一年のルーチンができるとあとはそれを繰り返しただけのような感じ。子育てもあっという間に最終局面になってしまいました。もっと楽しめば良かった。なんだか寂しい気もします。

 今年一年もありがとう。これからもよろしくお願いします。 

 
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低炭素暖房器具~ハクキンカイロ

2008-12-16 00:37:32 | Weblog
 単身先の職員宿舎にはご丁寧にも、ガス床暖房と壁掛けの電気エアコンがついています。

 そろそろ寒い季節となりましたが、北海道ほどではないにせよやはり部屋は寒いもの。しかし、たった一人の生活のために部屋中の温度を上げるというのはなんとももったいない話です。私だけが我慢すれば誰も文句を言わないのですから。

 最近は足温器という超強力な助っ人が登場しましたが、まだそれでも上半身が温まりません。

 寒ければまずは暖かい格好をすればよいというわけで、基本的にはマフラーとフリースを二枚重ね、そしてウィンドブレーカーの上下というのが部屋の中での姿です。これでかなり寒さは防げます。

 そして下半身用の足温器に対して、上半身用の暖房用具と言えばやはりこれ、ハクキンカイロです。もう何年もお世話なっている日本が生んだ名器です。



 そもそもカイロとは懐炉と書くれっきとした日本語だし、ハクキンというのは白金で、プラチナによる触媒作用でベンジンを二酸化炭素と水に分解して熱を発するという画期的な発明なのです。

 私の場合、これを二つ使って、一つは背中に入れ、もう一つはポケットに入れて冷たい手を温めるともうポカポカしてきます。

 一回の燃料代はベンジン20ccほどで20円~30円くらい。これを考えると灯油やガスを使うなんてアホらしくなってしまいます。

 低炭素社会の実践って、ようはこんな感じなのではないでしょうか。

■ハクキンカイロのホームページより
 
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低炭素暖房器具~ハクキンカイロ

2008-12-15 23:37:51 | Weblog
 単身先の職員宿舎にはご丁寧にも、ガス床暖房と壁掛けの電気エアコンがついています。

 そろそろ寒い季節となりましたが、北海道ほどではないにせよやはり部屋は寒いもの。しかし、たった一人の生活のために部屋中の温度を上げるというのはなんとももったいない話です。私だけが我慢すれば誰も文句を言わないのですから。

 最近は足温器という超強力な助っ人が登場しましたが、まだそれでも上半身が温まりません。

 寒ければまずは暖かい格好をすればよいというわけで、基本的にはマフラーとフリースを二枚重ね、そしてウィンドブレーカーの上下というのが部屋の中での姿です。これでかなり寒さは防げます。

 そして下半身用の足温器に対して、上半身用の暖房用具と言えばやはりこれ、ハクキンカイロです。もう何年もお世話なっている日本が生んだ名器です。



 そもそもカイロとは懐炉と書くれっきとした日本語だし、ハクキンというのは白金で、プラチナによる触媒作用でベンジンを二酸化炭素と水に分解して熱を発するという画期的な発明なのです。

 私の場合、これを二つ使って、一つは背中に入れ、もう一つはポケットに入れて冷たい手を温めるともうポカポカしてきます。

 一回の燃料代はベンジン20ccほどで20円~30円くらい。これを考えると灯油やガスを使うなんてアホらしくなってしまいます。

 低炭素社会の実践って、ようはこんな感じなのではないでしょうか。

■ハクキンカイロのホームページより
 
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淡々と誠実に

2008-12-14 23:53:47 | Weblog
 すっかり快調になったパソコンで昨日今日と年賀状作りです。

 年賀状作りの一番のポイントはなんと言っても住所録のメンテナンスです。これを怠ると、手戻りが多く発生して効率が悪くなるのです。

 私の場合は年賀状をもらった段階で送った住所と照合をして年明け時点での住所整理を行います。そのうえで、年末に送られてくる各種の住所録を参考にして、年内に転居した人の住所をチェックすれば数はそれほど多くはありません。

 同年代の友人たちも、そろそろ終の棲家を決めている人が多くなったので、勤め先の転勤は多くても帰省先は変わらない方ばかりです。

    ※    ※    ※    ※

 住所録のメンテナンスが約2時間で終わった段階で、今度は文面の作成です。私は文面よりは一言に重きを置いているので、できるだけ簡便に済ましています。文面作りは約1時間で終わりました。

 もうここまで来るとあとは印刷ロボットであるプリンターの登場です。

 今年の年賀状は約400枚ですが、文面の印刷指令を出すと淡々と、そう淡々と印刷を繰り返してくれます。

 

 昨年までのプリンターは、いまいち調子が悪くて結構ダメが出たのですが、昨年新しく購入したものは、本当に忠実に誠実に命令をこなしてくれました。

 文面印刷に1時間、そして宛先の印刷も1時間でできてしまいました。

 子どもの時の木版画に始まって、プリントゴッコ、そしてパソコンのプリンターと進化してきた年賀状印刷ですが、この効率性は、ついに技術もきわまった感があります。プリンターの性能に一人感動をしていました。

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 そこからは一人一人の顔を思い浮かべながら一言メッセージの書き込みです。これがなんと言っても一番時間がかかります。忍耐と継続しかないのです。

 昨日の夜から始めた一筆添えも、今日の夜にようやく終わりました。なんと実質1日半で400枚の年賀状作成作業を終えることが出来たのです。

 今年の歩留まり上の失敗は、住所チェック漏れが1枚あっただけという好成績。うーん、感動です。

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 スローライフを実践されている方のなかには毛筆で書いたり、丁寧な版画で作成をする方もいますが、私はどちらかというと、高率を追求出来るものは追求した上で、時間を余らせてスローライフを楽しむのが好きで、それもまたスローライフなのだと思っています。

 最新に機会のお陰でスローライフが楽しめる。生涯学習の眼目の一つは
新しい時代について行くため、ということです。私にも結構生涯学習が身に付いてきました。 
 
コメント
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