北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

蕎麦イベントのご褒美は

2019-09-08 22:07:26 | Weblog

 蕎麦打ち仲間では、9月になると各地で蕎麦イベントが開かれて、毎週のように体力勝負が続くので、「魔の9月」という人もいます。

 私の場合は、毎年参加する蕎麦イベントは第一週の幌加内新そば祭りとこの空そば祭りの二つだけ。

 幌加内で大いに体力を使うので、翌週もつらいところですが今日もてんぷら揚げを頑張りました。

 今日の岩見沢は天気が良いのは幸いでしたがなにしろ気温が高め。

 しかも蕎麦を売るブースでてんぷらを揚げる場所では、茹で釜などの火元に囲まれていて、暑い暑い。

 お茶など水分を十分に取りつつのてんぷら揚げ仕事でした。

 
 今日は私のフェイスブックを見た釣り仲間や、岩見沢在住の友人たちが何人も訪ねてきてくれて、励みになりました。

 たかがてんぷらですが、タネの中の水分を油に交換するというだけの調理で、焦がさず揚げ過ぎず揚げ足りずという絶妙のタイミングを出てくる泡の状態だけで計るのが大変です。

 カボチャは下茹でをしてあるのですが、ちょっと厚みのあるカボチャでは芯まで火が通っていません。

 自分で何個も揚げたカボチャ天を試食して、芯まで油と熱が入ったかどうかをチェックしました。

 こういう見極めの眼力も人生の勉強でした。

 わざわざ訪ねてきてくれてエールを送ってくれた皆さんに感謝です。


   ◆


 蕎麦イベントが終わった後って、捨てるには惜しい余った食材を皆で分配するのですが、今日は隣のブースで蕎麦を打っていた美唄「匠の会」さんから、商売で売っていた美唄もつ焼きを差し入れていただきました。

 家の食卓で美味しくいただいてラッキー。

 友達に会えるのと、こういう余禄がご褒美です。


 

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岩見沢駅前での「空そば祭り」 ~ こちらにならんでください…ん?

2019-09-07 21:49:47 | Weblog

 今日と明日は、岩見沢駅前広場を会場にした「第8回空そば祭り」。

 空知地域は道内でも有数の蕎麦どころということがあって、もともとは空知振興局の肝いりで蕎麦振興のためのイベントを開催するというものでした。

 ところがこうしたイベントって、最初の何年かは補助金が出るものの、そのうち振興局の担当者が変わり、岩見沢市の担当者も変わってゆくなかで、資金的には厳しいものになりかけています。

 今年も当初は開催が危ぶまれたのですが、関係者一同「まあ続けてみよう」ということで、我が北海道そば研究会も出店することにしたものです。

 まあそんな経緯のあるイベントですが、やると決めたからにはしっかりと蕎麦を打って茹でて、てんぷらを揚げてしっかりと美味しい蕎麦を食べていただこうではありませんか。

 ただ、この「空そば祭り」は知名度が幌加内ほどではないので、どうしても客足は幌加内よりは少なくなってしまいます。

 幌加内では初日に(少ないなあ)と思っても600食以上を売り上げたのに対して、今日は250食ほど。

 幌加内を経験してしまうと、とても楽に感じてしまいます。


    ◆


 蕎麦を売るブースにはいろいろなグッズがありますが、長蛇の列ができたときに最後尾を示す看板があります。

「俺、これを見るといつも『これはだれが作ったの?』と思うんだよね」とその看板を取り出しました。

 それを見ると表にはちゃんと「最後」と書かれています。


 
「表はいいのさ。問題は裏なの」
「へ?」

「これ見てよ」
「これは…ぷっ」

『こちらにお並びください』と書くつもりがどうしたことか『こちらにお列びください』と書いてしまっています。

「つい筆が滑ったんですかね」

 現場にはいろいろな失敗がつきものです。

 明日も朝10時から営業開始です。
 

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良い縁はさらに良い縁を導いてくれるものです ~ 縁尋機妙 

2019-09-06 23:35:12 | Weblog

 昨日会った大学の後輩との会話の中で、彼は「今回の出張では不思議な引き合わせがあったんです」と言い始めました。

「へえ、どういうこと?」
「実は島牧村へ出張に行く直前に、大学時代に一緒にサッカーをした友達と会ったんです。そこで彼と話しているうちに、彼のお爺さんの出身が北海道だと知りました。『あ、そう、出身はどこなの?』『小樽のずっと西の、岩内町のもう少し西』『どこさ』『知らないだろ、島牧村というところさ』『ええ?今度そこへ出張に行くんだよ!』 そういう会話があったんです」

「なんとまあ偶然だね」
「はい。そして、その彼のお爺さんというのが、島牧村ではその昔漁業振興をするうえで地域にとても貢献した方で、ずっと慕われている有名人だったんです」

「なるほど」
「今回の出張では村長さんたちともお話をさせていただきましたが、『私の友人の祖父がこの町出身だそうでして…』と話すと、地元の方は皆すぐに『その名前じゃあ、あの方のご子孫ですね』と分かってくださいました。その話題で最初に盛り上がったので、その後の会話が実にスムースに進みました。本当に久しぶりに会った大学の友人だったので、なぜ今この時に会う事ができて、しかも話題の中に今度行く島牧村が登場することになったのか、不思議でたまりませんでした」

 縁というのは不思議なものですが、これなどは、もう何か見えない力が働いて引き合わせてくれたのだろう、としか思えません。

 でも人生を長くやっていると、ときどきそういう不思議に出会うことが増えてきます。世の中は、そういうことなのです。


    ◆

 

 ただし、一生懸命に良く生きようとしていなければそういう出会いにも導かれないような気がします。

 手元にある、「人生手帖」(安岡正篤著 致知出版社)のなかに、「縁尋機妙 多逢聖因(えんじんきみょう たほうしょういん)」という言葉がありました。

 「縁尋機妙」の意味は、良い縁が良い縁につながって発展してゆく様子のことで、「多逢聖因」は、良い人に交わっていると良い結果につながる、ということだそう。

 人は良い場所で良い人に会う事が大切で、しかもその出会いをお互いに良いこととする努力が欠かせません。

 目には見えないけれど、自分を超越した力を感じるセンスを磨いておくことは大切だと思います。

 それに助けられたと感じたときに、その直感はさらに磨かれることでしょう。

 


 

 

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もっと地方を見て欲しい、感じて欲しい

2019-09-05 23:23:27 | Weblog

 

 数日前に、20歳以上若い大学の後輩から「札幌へ出張で行く用事があるのですが、よろしければ夜ご一緒できませんか」という誘いがありました。

 彼は日頃からフェイスブックを読んでくれていて、ちょうど用事もなかったので快諾をしてまちなかのジンギスカン屋さんで待ち合わせをしました。

 おそらく直接会うのは10年以上ぶりです。

 中央省庁に努める彼が北海道に出張ということで、「どこでどういう用事だったの?」と訊くと、「昨日から島牧村に行ってきました」と言います。

 なんでも、「島牧村から『介護事業所の規制の明確化をしてほしい』という施策提案があって、書類や話だけだと分からない部分があったので、現地を視察してみようということで、やってきました」とのこと。

「島牧村って新千歳空港からはだいぶ遠いけれど、どうやって行ったんですか?」と訊くと、「空港からJRで長万部へ行きさらに黒松内まで行きました。黒松内からは公共バスを乗り継いで現地まで行きましたが、その遠さを実感しました」という返事でした。

「実際に訪れてみてどうでしたか?」
「書類には書かれていたことも、実際に現地を見て関係者にお会いすることで、理解できたことが多かったです」

 
 実に良い心がけだなあ。

 役人の仕事って、資料はよくできていてそれだけで検討を進めることもできるはずですが、やはり現地へ赴いてそこの土地を見て、人に会い、背景を深く理解することで、提案に至った本当の気持ちが理解できるはずです。

 その姿勢はまさに生涯学習的アプローチ。

 どれだけ都会から離れたところの人たちがどのような思いで提出した提案かに思いがいたれば、これから内部で説明をするときにも力のこもり方が変わってくることでしょう。

 中央省庁には、このようなものの見方ができる人がもっと増えて欲しいものですし、彼らにもっと地方を見る余裕と予算を与えてあげて欲しいものです。

 島牧村の海産物は美味しかったかな。

  

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札幌では知られたゲストハウスWAYAを訪ねました ~ コミュニティづくりが面白い

2019-09-04 23:33:21 | Weblog

 札幌でもう5年営業しているゲストハウスWAYAを訪問しました。

 地方都市では悩みの種の空き家問題を解決する一つの手法として、それをリノベーション(改築)して新しい機能や魅力を付加することができるだろうか、という問いに対する答え探しの一環でのゲストハウス訪問。

 今回は、ゲストハウスのなかでもよく知られたWAYAをようやく訪問することができました。

 こちらを案内してくれたのは、こちらを経営・管理している、合同会社staylinkの共同代表である柴田涼平さん。

 彼は「学生時代から、起業したいという志を立てて、現実にそれができたのがゲストハウスでした」と言います。

 場所は豊平区豊平という、すすきのから豊平川を渡って歩いても20分くらいの、まちなかから至近の場所と言えます。

「最初は空き家らしき家を見つけても、その持ち主にたどり着くのも大変でした。今の建物も持ち主の方にたどり着いてお話を聞いてもらって、壊さずにこの良さを生かすという思いを理解していただいて、格安で借りることができました」
 
 WAYAは、一階部分にバーカウンターとラウンジがありますが、日中はここにカレー屋さんが入っています。

 建物の奥はトラベルラウンジになっていてここで宿泊者同士や地域の人たちとの交流が行われます。

 柴田さんは、「ここで飲食物を売る、ということも考えたのですが、お金で差がつくのがなんとなく嫌で、"シェアラウンジ"という形で、一定のお金(月額1100円、一日500円)を払って『持ち込み可』のスタイルで賑やかにやりたい、と考えました」と言います。

 私には、彼の視点に「ビジネスよりもコミュニティを作りたい」ということがあるように思えます。


    ◆


 宿泊部屋は、男女混合のドミトリー(二段ベッドの大部屋)が8人、女性専用のドミトリーが8人、そして3人様の個室一部屋で、計19人が宿泊できる形。

 実はこのWAYAから徒歩2分ほどのところに、別な空き家を改装した「WAYA ANNEX」というゲストハウスも稼働しています。

 こちらは二人部屋、三人部屋で一室のお値段で利用できるという個室タイプの宿。

 現在WAYAでは全部で6つの家でゲストハウスを稼働していて、「今の周りにも空き家と思しき物件があるので、それらも利用できれば地域が面白くなると思うんです」とのこと。

 さらに「建物を新築するにはとても資金がありません。こちらも僕たち若者3人が集められる資金でははじめは一階をいじれなくて、二階の宿泊部分だけで始めざるを得ませんでした。実は内部の改装もたくさんの仲間たちが手作りで手伝ってくれてできたものです」とも。

 どんな施設ができるか、ということよりも、どうやって仲間たちで作り上げるドラマにできるか、ということの方が大事なのかもしれません。

 柴田さんに、「ここまで5年間やってみて、困っているようなことはありますか」と訊いてみました。

 すると、「ゲストハウスの認知度が上がってきて、今までこういう施設を使ったことがないような方が増えていると感じています。そのため、『こんな施設だとは思わなかった』と言って、ホテルだと勘違いをしていたお客様とのトラブルも起こるようになりました」とのこと。

 しかしそれも、利用者の裾野が拡大した証かもしれません。

 ただそのことで、「コミュニケショーンなど求めない」という客層も増えるかもしれません。

 ビジネスとコミュニティの活性化とのバランスはどうなるでしょうか。


    ◆

 
 ちなみに、昨年9月の胆振東部地震によるブラックアウトの際、ここWAYAでは、とにかくたくさんの人を受け入れました。

 結果的に停電はその日の15時ほどで解消されたのですが、ホテルの中には「サービスができないのでお泊めできません」というところがあった中で、「やれる範囲のサービスしかできないけれど、それでよければ受け入れます」という柔軟なオペレーションができたのは、ホストの側にもゲストの側にも「それでいい」という暗黙の了解があったからでしょう。

「停電の際には、周囲の仲間が食べ物を次々に持ち寄ってきてくれて、食べきるのに三日くらいかかりました(笑)」とも。

 私も、宿泊しなくても英語の勉強のために夜だけ参加してみても面白いかもしれません。

 こういうニーズが確かにあると思いました。  

 

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人の移動をサービスとして考えるMaaS ~ 天塩町での学生ゼミに参加して

2019-09-03 23:52:32 | Weblog

 先週の金曜日、幌加内町での新そば祭りに参加する前日ですが、天塩町に行っていました。

 天塩町の友人から、「8月後半に筑波大学大澤義明教授の研究室(以下「大澤研」)の学生さんたちが天塩町を拠点に、夏合宿に来るのですが、その調査研究の発表会でコメンテーターをお願いしたいのです」という要請があり、それに参加してきたものです。

 大澤研には4年生まで学生さんのほかに社会人大学院生の方たちもいて、8月20日から9月2日までの予定で滞在。

 天塩町はもちろん利尻島なども訪れて、現地を見る、人に聞くことで、課題を感じ、解決の提案を考え、プレゼンテーションをするというゼミになっています。

 またその一方で、地元の中学生や高校生の人材育成や地域の魅力想像を図る「中高大連携事業」という取り組みを行っています。

 元々は、天塩町が始めた、地域の公共交通がカバーしきれない住民の交通ニーズを補う「ライドシェア」事業に興味を持った大澤先生が、二年前に訪れたことが縁になったもの。

 このような縁で、筑波大学の学生さんたちが北海道の北部地域を訪れて、この地域に土地勘と友人ができるというのは素晴らしいことです。

 私が聞かせてもらった調査研究発表も、よそ者と若者らしいフレッシュな感性にあふれていました。

 短時間での調査期間ゆえに踏み込みに物足りない部分もありますが、普段は触れることのないであろう様々な課題に真摯に取り組んでくれた姿勢には、心から敬意を表したいと思います。


    ◆


 さて、私自身もいろいろと勉強になった発表会ですが、最後に私とともにミニ講話をしてくださったのが北海道開発技術センターで交通計画を専門に調査研究されている大井さんでした。

 大井さんは、「北海道の地域課題とMaaS」というタイトルで日頃の研究成果の一端を紹介してくださいました。

 「MaaS」というのは、"Mobility as a Service"の頭文字を取った造語で、「サービスとしての移動」という意味です。

 具体的には、インターネットなどのICT技術を用いて、マイカーだけではなく公共交通はもちろん、とにかく動いている交通手段をつないで、移動したいという人たちのニーズに応えようというサービスの考え方です。

 大井さんは、そういう取り組みが必要な背景として、①一般のドライバーが高齢化して来て、高齢化に起因する事故が増えていること、②人口減少で公共交通の需要量が減ること、に加えて、③公共交通のドライバーの高齢化と急速な担い手不足がある、と言います。

 特に広い地域に人々が散居している北海道では公共交通が成り立ちにくく、そろそろ本気で対応を考えなくては地域の暮らしが成り立たなくなるかもしれません。

 そもそも天塩町では、その一つの答えとして、70km離れた稚内市までの相乗りをマッチングするサービスを試行したもので、それが大澤研との縁でもありました。

 
 さらに大井さんは、「MaaSにはそうした日常生活の中の『生活MaaS』に加えて、外からの観光客へのサービスとしての『観光MaaS』がある」と言います。

 地元の交通事情に疎い観光客に対して、移動にストレスを与えないようなサービスを行おうと思うと、鉄道事業者(JR)やバス事業者、タクシー、さらには荷物だけを運ぶ輸送会社などとの密な連携が必要になるでしょう。

 北海道の日常の暮らしと共に、稼ぎの手段としての観光について、安定的な移動を保証するような全道的な取り組みが必要です。

 さて、自分が歳を取ってもう車の運転ができなくなるころには、どのようなサービスができているでしょうか。

 課題先進地としての北海道の悩みは、我が国全体の先進的な悩みです。

 


 

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ゲニウスロキが旅に出た ~ 地方都市商店街でのゲストハウス

2019-09-02 23:25:11 | Weblog
 前回は「民泊の勉強」と言いながら、ゲストハウスについてのレポートを書きましたが、今回は江別市で事業が始まろうとしている小規模のゲストハウスを訪問しました。
 
 今回訪問したのは「ゲニウスロキが旅をした」という名のゲストハウス。
 
 
 
 
 
 何やら哲学的な名前ですが、「ゲニウスロキ」というのはローマ神話の土地の主語精霊のことだそうで、土地の魂を大事にしたいという意味が込められているそうです。
 
 こちらはコモンズファン代表の林匡宏さんがプランニング中のゲストハウスですが、林さん自身はデザイナー、イラストレーター、景観アドバイザー、公園整備アドバイザー、ランドスケープアーキテクトなどなど、いくつもの顔を持つ方。
 
 一言でいうと、行政や地域にコミットしながら理想の形を実現するプランナー、という印象の、とても魅力的な若者です。
 
 ゲストハウスの場所は、江別市大麻東町にある大麻銀座通りという200mほどの商店街の一角で、林さんはここでこれから13人が宿泊できるゲストハウスを開きたいと、店舗を一店買い取って現在はここを改装中。
 


 しかしこちらの商店街は、一本北側には道道の太い道路があって、そちらには24時間のディスカウントショップがあったり大手の薬局チェーン店があり、ご多分に漏れずシャッターのしまったお店の多い商店街になってしまっています。
 
 
 どうしてこの場所を選んだのか、と林さんに聞いてみると、「もともとは大手の建築コンサルタントに務めていたのですが、北海道勤務になったときに札幌の大学院で勉強をすることになり、その時に選んだフィールドが江別市の商店街でした。それで人の縁ができて、『こういう商店街をなんとかしてみたい』と思い立ったのだそうですが、やがて、江別のまちづくりを考える仲間や外の若者が次々と起業していた大麻銀座伊商店街さんと縁ができて、丁度良い物件も出るということでこちらにやってきました」とのこと。
 
 林さんに、「なぜここでゲストハウスをしようと思ったのですか」と訊いてみると、「僕は地域が元気になるモデルを見つけてみたいと思っているんです。でもそれは理屈ではないので、まずは実際にやってみてそこからいろいろな学んで見たいと思っています」という答えが返ってきました。
 
「実は札幌市内南部の商店街でも、そこをフィールドにして地元の高校生と大学生を対象にセミナーをしているんですが、そこは高校生の反応が良くて、空き店舗を使って起業してみたい、という子が出始めています」
 
 こういうところから、地方の知恵が出てくるのかもしれません。

    ◆

 ゲストハウスの建物は、もともとは呉服屋さんだったという建物は一階が広いスペースになっていて、ゲストが寝泊まりするのは二階です。
 
 林さんは、「この一階のスペースは地域の出会いの拠点にしたいと思っています。この界隈のお母さんたちに就業とのマッチングをしてもいいかな、と。例えばちょっとしたプログラミングを覚えてもらったり、エクセルに慣れてもらえれば、『ネットで2~3時間手伝ってほしい』というような細々した仕事をネット経由で手伝えるんじゃないかと。そうすれば、母親が正規に雇用されて一日を拘束されるのは無理だけれど、やりたいときにやれる範囲で社会の手助けをするという労働もあるのだと思います」とおっしゃいます。
 
 新しい社会の到来を感じますね。
 
 二階の寝泊まりスペースは、一人部屋、二人部屋、三人部屋がありますが、基本は和室で布団を敷くタイプで、仕切りはせいぜいカーテンがあるだけ。
 
 
 
 トイレとシャワー室、お風呂はユニットタイプに入れ替えてあります。
 
「水周りだけは清潔感を出そうと思いました。でもやってみて気が付いたのは、古い家のために水周りの管を交換しないといけなかったことで、これは予想外の出費でした」
 
「仮オープンということですが、もう宿泊者はいるのですか?」
「まだネットでの募集もしていないのですが、ゲストハウスを始めたことを聞きつけた地域の方たちから『泊めてほしい』という要望があるんです。例えば、『親戚が来るので泊めてほしい』とかね。先日はお母さんたちの集まりがあって、夜遅くまでにぎやかに飲んで語って泊まっていきました。これなんかもやってみて初めて分かったことでした」
 
 日本国内の若者の旅人や外国人観光客がターゲットなのかと思いきや、実は地域の中にも家から離れる宿泊需要があるとは思いませんでした。
 
 大きな流れだけを追うのではなく、小さな需要をコツコツ拾うのもまた地域の中の拠点のあり方なのかもしれません。
 実は林さんは、東京でも渋谷区の公園利用アドバイザーという嘱託職員でもあるのですが、会議などはリモート参加を認めてもらったので、札幌や江別市で仕事をすることと何とか折り合いがついている、と言います。
 
「ネットで会議に参加しながら、ゲストハウスのシーツにアイロンをかけたりしています(笑)。こういう働き方ももっと開放されて良いように思います」
 
 林さんは今は札幌に住んでおられるということなので、こういう地域でのトライアルを重ねてゆくのでしょう。
 
 一つの場所でずっと暮らして一つの仕事に邁進するという生き方が刷り込まれている昭和生まれの自分には、こうした場所を変え、移動しながら数多くのビジネスに携わるという生き方が正直言ってなかなか理解できません。
 
 しかしネット環境の深化などで、自分の才能を生かして細々した時間をつなぎ合わせながら、今を渡り歩いて夢を実現していくような生き方がこれから増えてゆくのかもしれないと感じました。
 
「ところでなぜまだ仮オープンなのですか」と訊くと、「ネットのWifi環境が整っていなかったので仮にしていました。ようやくそれも揃いつつあるので、9月末を目指して本格オープンする予定です」
 
 札幌市内でもなく、周辺都市の商店街の店舗活用のゲストハウス「ゲニウスロキが旅をした」。
 
 林さんのこれからの活躍も含めて、フォローしておきたいと思います。 
 
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幌加内新そば祭り無事終了 ~ 今年は千食超えました

2019-09-01 23:01:37 | Weblog

 幌加内新そば祭りが無事終了しました。

 このイベントの時は、たいてい金曜日の夜に幌加内町に乗り込みます。

 幌加内町の中でわがチームが借り上げている宿泊場所に転がり込んでそれから二泊して早朝からイベントの準備をするのです。

 今回も初日、二日目と朝4時起きで蕎麦打ち部隊は5時から蕎麦打ち開始。

 我々売り子の部隊は、5時半くらいから汁や種物の準備を行います。

 私は今回も二日にわたってカボチャのてんぷらを揚げまくっていましたが、学園祭のようなノリでまあそこが楽しいのです。


 ところが今年は天気に悩まされました。

 ここ幌加内町は、時折南西から北東に向けて強い雨雲が移動する通り雨が発生するのですが、この土日もその通り雨がやってきました。

 ひどい雨がザッと来たかと思うとそれが止み、(にわか雨が過ぎたか)と思ったらまた雨が来る、という悩ましい天気です。

 蕎麦売りのスペースは大きな三角屋根のテントを横に二つ並べてスペースを確保してくれているのですが、ちょうど真ん中の部分は三角屋根の雨が集まってくることになります。

 雨が作業台の上に落ちると衛生上も問題ですが、てんぷらでは油が跳ね上がって危険です。

 そこでてんぷらを担当する私のてんぷら師匠は、透明パイプを半切りにした雨どいを持参しています。

 天気が悪くなることは予想しても、ここまで気を使って準備をしているところは他にないのじゃないでしょうか。

 今回も、テントの真ん中に集まる雨をしっかりとコントロールして床に置いたバケツに導くことができます。

 今日の日曜日も午前に時折ものすごい雨が降って大変だったのですが、雨を無事に防ぐことができました。

 てんぷら師匠は機械系の会社の社長さんなのですが、「今までも用意していたんだけれど、今回くらい的確に雨どいが効果を発揮したのは初めてだわ」と笑っていました。

 技術屋さんはやはり備えの気持ちと準備万端です。


    ◆


 お昼くらいからは天気も晴れあがり、ようやく客足も一気に集まって蕎麦待ちの長蛇の列ができました。

 結果的に、初日は660食とちょっと期待外れでしたが、今日の日曜日は1015食を売り上げたそうで、久しぶりの1000食超えとなりました。

 てんぷらは今日だけで600食を超えたそうですから、私もかぼちゃのてんぷらを600個以上揚げたことになります。

 朝5時半から3時までほとんどすわることのない立ち仕事で足腰ががくがくですが、チームで何かを成し遂げるというのは楽しいものです。

 友達も何人かやってきて声をかけてくれました。

 ありがとうございました。


 

  

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