北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

昨年から1年後の大腸内視鏡再検査

2024-06-06 23:51:20 | 健康

 昨年ちょうどこの時期に大腸内視鏡の検査を行いました。

 事前にドクターからは「もしポリープがあって取れるようなら取りますか?」と訊かれたので、「ぜひ取ってください」とお願いをしたところ。

 結果はポリープが二個あってどちらも取ったのですが、ドクターからは「一応念のために来年の同じころにもう一度様子を見せてください」と言われていました。

 そこで意を決して、一年経った先日に再度ドクターの問診を受けて内視鏡の再検査を予約してきました。

 今回も「もしまた出ているようなら取れるものを取るので良いですか」ということでそれはもちろん了承です。

 で、内視鏡の日を予約することにしたのですが、昨年と違ったのは「ポリープがあって内視鏡で取るときに腸に大きな傷になるようだと即入院になります。なので、予定の入っていない時期を選んでください」と言われたこと。

「予定は2~3日空いているような日程で良いのですか」と訊くと、「いえ、最大で2週間は空いている日程でお願いしたいです」とのこと。

「2週間!」あらら、最悪の場合は2週間の入院までありえるとのことで、これは昨年には聞かなかったことです。

 手帳と相談して、7月の中旬に検査の日程をいれて、前回と同様に検査の前に飲んで便を出す経口腸管洗浄剤をもらってきました。

 前回は麻酔で眠らせてもらった中で検査を行ったので、今回もそれをお願いしたところです。

 高齢期になると何年かに一度は大腸カメラをすることをお勧めします。

 健康は自分の意思で守りましょう。

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前田正名とグンゼ

2024-06-05 22:30:08 | Weblog

 報徳の歴史を学んでいると、ときどき知った人が登場します。

 今回は阿寒・釧路の恩人である前田正名(まえだ・まさな)さんのこと。

 前田正名(1850-1921)は明治時代の官僚で、明治政府の殖産興業政策を立案・実践した人物です。

 1881(明治14)年からは大蔵省・農商務省の大書記官になり、在職中に国内産業の実情を調査して殖産興業のために力を尽くしました。

 前田正名自身は報徳を推進した側の人物ではありませんが、彼が活躍した当時、報徳では岡田良一郎という掛川出身の

 後年の前田正名は、1898(明治31)年に釧路市で最初のパルプメーカーである前田製紙合資会社を設立、今の釧路東IC近くの天寧地区に工場を建設します。

 しかし会社そのものはパルプの販売不振が続き、富士製紙の支援を得て北海紙料株式会社に改組されました。

 しかしその後も経営が大幅に改善しないままに、火事により工場が全焼、この工場での総業は断念されました。

 その後は樺太工業が富士製紙と合併し、その富士製紙の手によって釧路市の西部の鳥取地区に新たな釧路工場が操業を開始、これは後に王子製紙→十條製紙を経て日本製紙の向上となりましたが、この火も2021年に消えたのでした。


       ◆



 そんなわけで釧路を製紙業の町として殖産興業に貢献した前田正名ですが、1906(明治39)年に阿寒地域で国有未開地の払い下げを受けて牧場としての開拓を始めました。

 しかし阿寒の風景を見た正名は湖畔からの景観に感銘を受けて、「この山は伐る山から観る山にすべきである」と語ったと伝えられています。

 彼は全国で地方産業の模範となるような農場経営や山林事業を興しましたが、その事業体は彼の座右の銘である「ものごと万事一歩が大切」から、「前田一歩園」と名乗りました。

 『前田家の財産は全て公共の財産となす』という家訓により、彼の思想を受け継いだ3代目園主であり前田正名の妻であった前田光子は、生活拠点を東京から阿寒に移し、地域の人々と共に山林経営や環境保全に務め、この阿寒の自然を後世に残したいと前田一歩園の財団化に尽力され1983(昭和58)年に財団法人が設立されました。

 この間、昭和9年にはこのエリアが阿寒国立公園に指定され、環境と景観の保全には大きな後ろ盾ができています。

 今の阿寒湖の景観と自然が今日まで守られたのは大地主の大いなる公共精神があればこそで、阿寒国立公園と釧路への前田正名の貢献は計り知れません。


      ◆


 それと余談ですが、前田正名が農商務省の大書記官時代に、全国を行脚して殖産興業を奨励していた時代のこと。

 京都で彼が遊説をした際に「今日の急務は、国是、県是、郡是、村是を定むるにあり(今日求められていることは、国民の一致した方針である国是、県民の一致した方針の県是、郡民の郡是、村民の村是を定めることである)」と発した言葉に、聴衆の一人であった波多野鶴吉は感銘を受けました。

 波多野鶴吉は、「そうか、何鹿(いかるが)郡の発展のためには農家に養蚕を奨励することが郡の急務であり"郡是(グンゼ)"なのだ」と一念発起。

 彼は地元で養蚕業の進行を目的とする会社を立ち上げましたが、これが「郡是製紙株式会社」であり、その企業経営思想には報徳の思想の影響が強く感じられます。

 今もあるグンゼ株式会社ってそういう会社だったんだ、と思うと下着類を購入するときもちゃんとメーカーを見なくては、と思います。

 なんだかんだで、歴史上知っている人物が報徳の歴史としても登場すると嬉しくなります。
 

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初めて父の髭を剃る ~ なぜか心が揺れました

2024-06-02 23:07:48 | 介護の世界

 今日も実家へ行き買い物サポートをしてきました。

 しかし母は疲れ気味で、「昨日は疲れてずっとソファで横になっていた」とあまり元気がありません。
 
 それに比べると父の方は元気です。

 ちょっと認知症の気があるのですが体の方は全く問題がありません。

 さて、じゃあ母を車に乗せて買い物に行こうと思ったところで母から思わぬ指令が出されました。

「そうだ、あんた、お父さんの髭を剃ってくれない?」

 なんと父の髭を剃ってくれというのです。

「なんで?自分じゃ剃れないの?」
「いやあ剃ってるんだけど、剃り残しが多くて気になってさ。あんたも普段から髭を剃っているでしょ、ちょっと剃ってやって」

 すると父も「そうか、剃ってくれるか、そりゃありがたい」と私が剃ることを全然気にしません。

「え~~~?」

 まさか自分の父の髭を剃ることになるとは思わず、ちょっと動揺しました。

 行きがかり上の流れでやらざるを得なくなり、父を洗面台の前の丸椅子に座らせて、顔を湿らせてシェービングフォームを塗り立てます。

 私も普段は二枚刃のカミソリで髭を剃っていますが、父から4枚刃の剃刀を渡されてこれで顔を当たることに。

 自分の顔なら怖いことはありませんが、人の顔を剃るのは何しろ初めて。介護の実習でも経験はありません。

 渋々やりながら、内心は(確かに介護の現場なら高齢者の髭を剃るというシーンがあるかもしれないな)と良い経験になるかもしれんと思い始めました。

 それにしてもやはり顔を切りはしないか、と身内とはいえ怖さがあります。

「父さん、普段はどれくらいで剃ってるの?」
「うーん?一週間に一度は剃っているよ」

「あ、そうかい」
「でももう外に出て人に会うこともないからな」

 しかし後から母に聞いたら「いや二日に一度は剃っているんだよ。でも全然剃り残しだらけなのさ」

 私も髭の伸び具合が一週間にしては短いな、と思っていましたが、二日に一度剃っていてももう父はそのこともあまりはっきりと認識していないのだと感じました。

 
      ◆



 床屋さんで髭を剃るときって、椅子の背もたれを後ろに倒して寝た形で剃りますね。

 それだと剃る方も剃られる方も楽なのでしょうが、椅子に座って直立の姿勢で髭を剃るというのは案外難しいと思いました。

 これも何度もやれば慣れるのでしょうか。

 
      ◆



 髭を剃り終わってから母に、「電動シェーバーで剃るのじゃ駄目なの?」と訊きました。

 すると母は「いや、電動シェーバーもあるのさ。でも本人は気に入らないんだね。それで髭を剃ろうという気にはならないみたいで、剃るときは剃刀を使うのが習い性になっているんだよ」

 安全もお金で解決できることに一つですが、それも本人に意思がなくては始まりません。

 自分も普段の剃刀での髭剃りをいつか電動に替える時が来るのだろうか、と思うと、その踏ん切りはどういうタイミングで発動するのかな。

 父の髭を剃ることになるとは思わず、ちょっと動揺した日曜日でした。




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思い込んだら試練の道を…

2024-06-01 22:54:37 | Weblog

 家のベランダの修繕をするのに大工道具が必要になりました。

 確か長女の高校時代に買い揃えた大工道具セットがあったので、妻に「××(長女)の大工道具セットはどこにある?」と訊きました。
 
「子供部屋の納戸の棚にあるよ」「あ、そう」

 ところが棚を見てもそれらしき道具セットがありません。

 確か白い麻布でできた工具袋に入っていたはずなのですが、見当たらないのです。

 孫のぬいぐるみなどを横によけつつ、奥を見てみますがありません。

 「おっ、これか?」 白い布を見つけて周りを広げるとそれはシーツでした。

「うーん…、ないよー」「そんなはずないよー」

 しびれを切らした妻がやってきてかかっている子供の服を除けて奥を探すと…、「これじゃない、どこを見ているんですか」

 ありました。

 しかし、私が思っていた白い布の縦長の袋ではなくて、黒い横長の袋でした。

「あれー、これか。そういやそうだった」


 ようやく前回使った時のシーンを思い出しましたが、そういえばこの黒い袋でした。

 どうして白い麻布の袋が頭に浮かんだのかわかりませんが、思い込んだ姿と違うものでは、目の前にあってもそれだと思わないものです。

 まさに「思いここにあらざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず」です。

 原文の古典『大学』にはさらに、「食らえどもその味を知らず」と続きます。

 予断を持たずに虚心坦懐に素直な心で見ることの大切さを痛感しました。

 思い込むって駄目だなあ。

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