p.70 がんと聞けばだれもが自宅でもベッドで横になっている姿を
想像する・・・・・(中略)
確かに常識では、「病気=安静」が当たり前になっていますが、
そこが病院と在宅の大きな違いでしょう。
確かに夫はがんという深刻な病をかかえているものの、
夜は充分に寝ているし、安静にしなければならないほど
衰弱しているわけでもなく、横になりたくなるほど体調が
体調が悪いわけではない。
著者の夫君は引退されたお医者さんで、蓄積された豊富な経験があり、
医療を知り尽くしていた方です。自らが認知症となり、がん患者となっても
医療とのかかわりは、自ら納得し、選択して決められた方針にゆらぎは
なかったそうです。
p.73 食道患部がふさがって思うように栄養をとれない情況になって
いるにもかかわらず、水分の点滴だけは受け入れていますが、
高カロリー輸液を入れることは(直接、胃に栄養を入れる胃ろうは
いうに及ばず、太い血管から入れる中心静脈点滴でさえも)承知
しません。高齢者の行き過ぎた延命治療を否定してきた夫らしく、
自らも延命処置につながる医療は受けないと決めているのです。
誰でも、満腹で何も食べたくないときに、無理やり栄養成分を
押し込まれたり、水分をとらされたりするのは嫌な筈です。
でも、栄養不足で干からびていく病人を見ることは辛いので、
「せめて点滴だけでも・・・・・」となってしまうらしいのです。
この辺のことは、しっかりと、書面にしたためておく必要がありそうです。
しかし、医療技術は日進月歩ですから、「良かれ」という情報の
取捨選択、または拒否する信念はとても大切なことのようです。
p.99 私たちは症状が改善されるなら治療は受けたい。
しかし、最後は病気との闘いに敗れて亡くなるのではなく、
できるだけ穏やかで自然な最期を迎えたいものである。
そのためにもふだんから「病」とその先にある「死」への
心構えは重要である。「死」を見据えたうえで、どこまで
医療と関わるのか。大事なのは医療の限界を知ること。
医療は「死」に対して無力であることを肝に銘じ、それを
忘れたときに医療は有害にもなりうると理解するべきなのだろう。