蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

ミルフォード・トレック 思い出話2

2018年04月05日 | 海外旅日記
孫娘の襲来にやっと手があいた昨日。
杏の花が咲きました


カビが生えそうなブログ更新。
ニュージーランド旅に戻ろう。
まごまご、ドキドキだったニュージーランド旅だったが、
楽しい話、驚きの新発見などがありました。

帰路の深夜ニュージーランド空港にて。
よくある電光掲示板に当該フライトの詳細がなかなか表示されない。

欠航表示はないので、果報は寝て待て・・・
2人組の母娘らしき方を発見。
旅から帰る中年婦人と実家へ一時帰国の留学生でした。
まずは驚くほどの美人で、北国の大学の水産学科の学生ですと。
「うなぎの養殖」なる研究のためニュージーランドの大学に、教授からの推薦で留学中の由。

「うなぎの養殖」と言ってもそこは学術的な範疇であり、
まぐろの養殖で今ではブランド化した、近畿大学が有名です。
うなぎ大好きの私は、「生きているうちに是非成功させてほしい」と懇願したのは当然のなりゆき。

出発時間少し前にやっと電光掲示版に示された。
座席シートは予約時に指定したので、中4列の通路側。
空席だらけで、離陸前にはぞろぞろと近辺席に人が流れてきた。

左右の3人席を見て驚いた。
座席の面積が広がり、まるでベッドです。
子供や大のおとなが、毛布をかぶって横たわっている。

え~なんてこったと、手すきの乗務員さんに確認。
座席の下からシートを引っ張り出して設えるとベッドになる。
予約時に「スカイカウチ対応席」を指定すれば良いらしい。
ニュージーランド航空のサイト参照してください。

今回は空席が多かったので離陸後、利用できた方々がいたということです。
私はあいにく知らなかったが、それでも自席を含めて通常の4席で睡眠がとれました。

早朝の羽田空港へ着陸。
またもや災難。都心の鉄道で人身事故のため交通が混乱とのニュースです。
空港レストラン街の最奥にある麺の店でのんびり時間待ち。

よっこらしょと帰宅しました。




 
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ミルフォード・トレック 思い出話1

2018年02月20日 | 海外旅日記
風邪で隙間が空きました。
繋ぎにメモをはさみます

トレッキングと言っても、北アルプスのような縦走では全くない。
マイペースで自由に散策でき、
途中の池で水遊びしようが、川べりの砂地で昼寝しようが自由気まま。
この自由度には大いに感激した。

3日目のマッキンノン峠越えが一番の難所だったかな?700m登り900m下ります。

頂上にてガイド氏撮影

ショートカットしたのは、3日目の帰着後自由参加の「サザーランド滝」の見学。
それなりの凸凹道を往復2時間ばかりといことだったが、帰着時間16:30までなら受付可。
一人参加は”余裕を旨”として断念した。

そして4泊5日のトレッキングツアとはいえ、最終日はミルフォード・サウンドに宿泊し
出発地へバス移動だから、実質歩いたのは4日間。
とは言え、53.5Kは結構歩いたー。

バス移動で出発地に戻るのは、全員だと理解していたいたので眠りこけてしまい、
人の動く気配にあわてた目覚め言葉は「アイスクリーム?」
美味しいアイスクリームを食べられる店があり、一時停車かと寝ぼけていた。

クイーズタウン空港でした。
そういえば、バス乗車の際、ザックを3か所に分別したっけ。
これに似たアホぶりはままありましたが・・・

帰路の空港にて
ニュージーランド航空の国際線と国内線の乗換えが面倒です。
空港ビル内または隣接しておらず、シャトルバスか
徒歩10分離れています。
深夜のビル内で国際線乗り場を探すも、見当たらず。
結局グリーンラインに沿って10分を小走りで到着。

国際線も面倒でした。
電光掲示板にゲート表示がない。
直前にやっと。
慣れた人には何でもないことだろうが焦った。

しかしその待ち時間に楽しい会話ができた。
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美しい散歩道へ4

2018年02月08日 | 海外旅日記
25日 夕刻クイーンズタウンのビルで事前説明会
26日 バスで9時発。トレッキングスタート地点テ・アナウに向け出発しました。


30日 4泊5日のトレッキングを終え、ミルフォード・サウンドのホテルを出発。
バスで5時間かけ、出発地のビルへ向かう。
途中クイーズタウン空港で停車し、欧米やオーストラリアからの参加者は
それぞれの国へ帰国して行きました。

私は初日のロッジからバゲッジを引き上げ、当夜宿泊のモーテルへ。タクシースタンドから移動。
こちらはやっとキープできた部屋なので仕方ないが地下階だった。
ご夫婦と、食堂からのロケーションはなかなかのロッジでした。




翌日は湖畔を散歩しながら街へ繰り出した。

次頁からトレッキングあれこれ。
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美しい散歩道へ3

2018年02月05日 | 海外旅日記
クイーンズタウンの空港へ到着。
成田発の欠航による1泊分が減ったのは残念だが、気持を切り替えてスタート。
市内への交通手段はタクシーや一般路線バスもあるが、ホテル前に行くシャトルを利用する。

数人の客が集まったところで出発。
$20で ローモンドロッジLomond Lodge Motel & Apartmentsへ。


車と泊まる「モーテル」。設備はシンプルながらミニキッチンがあり、角部屋でかなり快適だった。




なによりフロントの若い女性が、はきはきゆっくり話してくれるので、とりあえず会話は成立していました。黒人の方でしたが、かなりの美人でありました。
トレッキング帰着日の夕刻までバゲッジを預かってもらう。

このホテルと最終日のホテルは、この街の観光案内所
QBOOKさんにお世話になった。
中心地から少し外れるが湖畔に近くしっかりした土産物屋や飲食店が多く、ぶらつくには良い場所だった。

何よりメールも電話も日本語対応。
そしてハイシーズンの予約が難しかった時期にもかかわらず、きめ細かい配慮を頂いた。
ありがたかったです。
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美しい散歩道へ2

2018年02月04日 | 海外旅日記
出直しフライトは、成田発10時。
フライト名NZ6070  つまり臨時便です。


空港は閑散としていた。

結局トレッキング前の、クイーンズタウン滞在初日のホテルはキャンセル。
サマーシーズン中やっととれたのに・・・もちろん返金なし。う~

席前の画面もすっかりスマホのように指でスライドです。


深夜に到着のオークランド空港では、ニュージランド航空手配のバスが待機。
4時間ばかり休憩ができるホテルと翌日朝発の国内線ターミナルへ運んでくれるって。

ドライバーは今では珍しい顔に彫りのある、誇り高いマオリ族です。
結局彼はホテルの敷地内で車内睡眠し、われわれ日本人観光客16人をサポートしてくれました。


クラブツーリズム社の元気な女性添乗員さん。
このメンバーはクイーンズタウン到着後、別のトレッキングツア(ルートバーン・トラック)に行きます。

追記
予約している航空会社に事前登録すると、欠航や遅延など情報をメールで知らせてくれるサービスがあるそうです。
詳細はまだ確認していませんが・・・・
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美しい散歩道へ1

2018年01月22日 | 海外旅日記
世界で一番美しい散歩道と言われる
ニュージ-ランド
ミルフォードトラック

35年越しの夢の実現へ。
これを最後に大きな山も厳しい海外旅行もスパッと終わる!

つもりの大仕事

一人参加なので海外ツアを選び「google翻訳」の世話になりながら申込み、
23日にスタートします。

今日22日は前泊日として、上野の西洋美術館へ。
明日午前中は渋谷ユーロスペースで上映中の映画「世界でいちばん美しい村」
を観賞して空港へ。

長野(21日)で見逃した映画を、偶然拾うことができました。

美しくないおなごが、美しづくしの旅に出かけます。
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緊急渡印・さようなら

2016年12月09日 | 海外旅日記
ホテルで待機中に、
バラナシ在住の女性から「23日午後3時にお亡くなられました」とメールが来た。
そして
「乗る飛行機がキャンセルになったことが、なんだか必然的だったように思えます」とも。

ご臨終には立ち会えませんでしたが、インドの空を見上げてお見送りができました。

そして
24日の葬送の様子も知らせてくれました。
「午前中プージャーには沢山の人が集まりました。
みんなの見送りの中、花で飾り付けられたトラックに乗ってサルナートなどを巡り、
火葬場へ向かいました。50人以上の人達が燃えていくのを最後まで見守りました。
ご住職の身体はすっかり燃え尽くされてただ真っ白な灰だけが残っているだけでした」

帰国後
24日に活動仲間だった方からメールをいただきました。
「地方紙に訃報記事が掲載された」と、現地の知人からの転送メールでした。

「地元紙が訃報記事を書くほどの存在感だったのだなとあらためて思っています」とも。

私も同じ思いです。
(12/13下記一部訂正と補足)
曹洞宗の僧侶からインドへ渡り40数年。
小さいながらお寺を建て、貧しい子供たちの日曜学校とお菓子やパンの施食行。
寄付を集めながら宗教・身分にかかわらず、寺子屋のような無料中学校を始めたのが1993年。
私がインド旅行2回目にご住職に出会ったのが1994年。
()

今では立派な中・高等学校になっています。
滞在中のある朝、懐かしい学校へお寺の小坊主君の登校について行きました。
相変わらず大勢の朝礼風景


校内を案内してくださった先生は「タウザンド○○ムニャムニャ」と説明。
私の知る限り解散前2013年は800名ほどだったので、またまた増えているのだ。

一緒に登校したノマージ君の教室の前にて


お寺にいる小坊主君は3名。
地方からやってきて、修行しお手伝いをしながら中学校へ通学させてもらっているのです。
彼らは食事も自分たちで作っていました。

【さようなら ご住職】
長年の愛車。2度の転倒から体力を落としてゆかれた。


2010年テレビ東京系列「世界を変える100人の日本人」の一人として紹介されました。

「教育は一生の宝となる」が口癖でした。

中学と高校が落ち着いたころから、
貧しい子供たちを対象に無料の小学校が、お寺の中の教室で始まりました。

年齢はバラバラ。

今も続いていました。
この子達に幸あれと祈る
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緊急渡印・出国騒動

2016年11月27日 | 海外旅日記
日本国内なら日程変更は簡単だが、海外はそうはいかない。
後ろ髪を引かれる思いで、バラナシ空港へ送って頂いた。
小坊主も来てくれて、手を重ね『Good Luck』
Sayonara!

エアインディア便22日バラナシ16:50発 デリー18:30着。
乗換え
エアインディア便22日デリー21:15発、成田23日08:00着
と段取り良いチケットだった。

ところが機体不良かシステムトラブルか?デリー行きは飛ばないだと。
オフィスに詰めかける中に日本人男性4人がおり、合流し数の力で担当者に談判するも
ラチが開かない。デリーのエアインディアへいってくれと。

結局バラナシ16:50発はなし。代替フライトも絶望。
当然デリー21:15発成田行きもない。

その後1名の男性も加わり、深夜まで彼らと話ながら提供された夕食を頂き、
23日明け方のやっとデリー空港に到着。

その後のフライトは各人様々なので、それぞれの道を歩み始めた。
私はエアインディアのオフィスで成田行きの対応を粘る。
この粘りは大切だ。引いたら負け。
代替フライトだけでなく、ホテル1室と朝食&昼食、空港間のタクシー送迎・・・を獲得
フライトは「JAL 22:20発 成田24日07:20着。
ちゃっかりJALのマイレージも付けたもんね。
しかも携帯電話に記録している会員番号の提示でね。ラッキー!

丸1日遅れたことになる。
ところがANAで成田へ向かう青年は、どうしてもエアインディア側がダメというのである。
スマホに記録しているe-チケットを見せてもNO。
がんこ親父め!と悪態ついても、
結局マイレージを貯めた特典チケットだったから、代替フライトは無理だったのだ。

私をエスコートしてくれた方だったので立ち去りがたくも
お別れした。
後で自前のチケットでホテルの斡旋もなく、帰国するとメールを頂いた。

彼らは学生ではなく一般社会人の若者でした。
食事をしながら又は時間待ちの椅子席で、
仕事の話やデリーの町でだまされた話、アメリカで起業した話など私は聞き役だったが
思わぬ異業種交流の場となりました。

インドが嫌いにならず、また来てくれるといいな。







  
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緊急渡印・お見舞い

2016年11月26日 | 海外旅日記
寝たきりの病院では24時間付き添いが必要なため、お寺の小坊主4人が交代で常駐し世話をしていました。
バラナシに到着して2日後の夜、ご住職は退院してお寺の自室に戻られました。

小坊主たちに折り鶴を渡すと、彼らも見様見真似で古新聞紙で大きな鶴を折っていました。
すると細い針金とマッチの軸でぶら下げようと提案して来た。

ゆらゆら揺れる鶴を見つめるご住職


褥瘡がひどくて、確か1日おきに体の清拭と褥瘡の手当に看護士が来ていました。
眠っているときは呼吸に合わせたようにタンがからまり、辛そうでした。

話しかけるとうなづく程度となり、
間もなくタンのからまりがなくなり、
『ミズ』の要求も少なくなり
『さむいさむい』とうわごとのように囁かれるように。
足をさすると少し冷たくなってきていました。覚悟の時がきたな。

帰国までの2日間は、小坊主や留守番の人(日本語が分からない)がいない時に、
お里帰りの旅の話や、富士山と紅葉の写真を見てもらったり・・・・
唱歌ふるさとを出身地土浦バージョンで歌ったり、

『もう頑張らなくてもいいんですよ、私と一緒に土浦へ帰りましょ』

22日夕刻、バラナシを離れデリーへ向いました。

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緊急渡印・入国

2016年11月26日 | 海外旅日記
緊急には予想外のトラブルがつきもの。

初体験の「アライバル ビザ Visa On Arraival」日本人旅行者のみ適用のサービス。
受付カウンターに担当者が来ない。
本日の申請者は4人。1番乗りの私。
30分は待っただろうか?
提出書類はパスした!写真2枚は必要なかった

支払いは2000ルピーや日本円やドルでもOKのはずだが、クレジットのみ。
そうか先日発表の高額紙幣入れ替え作戦の影響かな?
再度申請窓口へ戻り、支払いが証明されると初めてパスポートにスタンプ。

1ケ月間有効である。

手続きを終え、バゲッジを取りにターンテーブルに行くと見当たらない。
荷物預かり所に保管されていた。

教訓1.預け荷物タグは絶対紛失しないこと
教訓2.スタンプされたページを覚えておくこと。いつものビザとちがうので、ホテルや両替などで
パスポート提示を求められた時、彼らはそのページを見つけられず質問が飛んでくる。

到着時に空港で両替した時は、1万円分すべて100ルピー札(これは旧札です)でした。
ずいぶん並んで私の後ろで「終わり!」と宣言され、怒る旅行者続出。当然です。

教訓3.初心者の旅行者は、旧500ルピー紙幣をつかまされないよう注意してください。
町中の「Exchange」の看板には特に注意!
かといってデザインの違いは分かりにくいですが、500ルピーはピカピカの新札ですからね。

デリーで1泊して翌朝ローカルのバラナシ空港に着きました。
お寺の方と滞在中の日本人女性が迎えに来てくれていました。

早速入院中のご住職を訪ねましたが、見る影もなく絞んでおられました。

翌日、町中の銀行ATMには庶民が列をなし、1人1回新札の2000ルピー1枚のみ出金。
2000ルピーで買い物できる店はほとんどない、つまりおつりが出せないのです。





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