蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

秋野菜順調か?

2020年10月31日 | わいわい農園

まずまずといったところです。土が良くなってきたらしくミミズが太って!上がミミズです

懸案だったニンジンはとりあえず"顔を出した。問題は土中の長さだ。覗くのは怖いからやめておく

 

ダイコンも懸案事項。久しく太く長くならない年が続いている。

総太りという品種。成長しているが太くない。

自然農法で購入の固定種「ふじ宮重」やはり力強い感じだ。

 

白菜もまずまず順調かな?

 

虫よけにかけていた寒冷紗をはずして、寒さに打ち勝つ野菜に成長させたい。片付けができていないのは、支柱などを整理整頓させる簡易な棚を作ろうと計画中。お手本はこれ

お借りしたホームページを失念しました。

 

余談1:最近友人からビーツを頂き、かなり栄養価があると評判だそうです。

買ってみました。11㎝×.7.5㎝ 料理はこれからです

レシピあり(大町市 自然健康食品の店わかばさんにて)

 

余談2:たくさん残った青トマト(未熟トマト)をピクルスや炒め物に使えるそうです。私は黒糖煮にトライしています。

 

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秋冬野菜の始動と来春栽培の予習も

2020年10月19日 | わいわい農園

葉が茂りすぎのニンジン。肝心の根は成長しているのか?

ニンニク。まずまず順調に

ダイコン タキイの種の総太り

ダイコン 自然農法の種から

同じ時期に撒いたが、葉の勢いは自然農法種のほうが元気そうです。

蕪は2種類。赤かぶと紫かぶ

ほうれん草は毎年うまくゆかないので、冬の葉物にお初の「かき菜」を準備した。やや太い茎に脇芽がどんどん出てくるらしい。

 

キャベツ(キュウリの畝地後)と、

白菜は順調に育っている。白菜とレタスはベストコンパニオン。

 

タマネギの畝は枝豆の後に確保し、自然農法への心積もりでごくごくわずかの施肥とした。大丈夫かいな。下旬の植え付け予定でチャンスは1年に1回きり。

収穫までもう少しの落花生。土の中でどんな顔をしているのか楽しみ。 葉っぱや茎の部分が少し枯れて、黄色くなってたら収穫のサインだそうです。

 

ずいぶん役に立ったツルムラサキ。来年も育てるには実が黒くなるのを待ち保存するらしい。

 

枝豆はちょっと寂しい出来だったが、最後の庄内茶豆5号はよく頑張った。撮影時期は10月3日だからすでにおなかに収まています。

 

今秋のハイライトは、頂いた苗で収穫できたサツマイモ。施肥なしでよく育ちました。

このサイズ👆がほぼ標準で、品種はシルクスィートです。

小さいものは4個まとめて1として19個を収穫出来ました。

ほくほく。

直ぐに食べず、新聞紙に包み段ボール内でデンプン質が糖分に変わるまで待つ。苗を頂いた友人からのアドバイスです。因みに彼女は画像を見て「うわー立派!」とほめてくれました。嬉しい。

おまけにツルにある葉柄を佃煮風に煮てみた。いける!

 

来年の栽培に向けて少し予習をしました。芽出しは時期の温度が問題のようです。これを機に他の野菜も採種癖をつけようと思うが難しそうです。

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アベノマスクの利用法

2020年10月18日 | 暮らしの積み木

とうとう朝夕冷えてきて晩秋に突入。北アルプスは初冠雪

 

かのアベノマスクは使わないまま引き出しの中。

マスクは使い慣れると意外や意外、鼻先の冷えをふさいでくれることが分かってきた。

手製の薄手コットンマスクでは、冬の寒さには対応できないな。

ウールで新作を用意しようと思ったが・・・

ここでアベノマスク登場。耳掛け紐の二重はまずい。

 

紐を外すといい感じ。しばらくこのままで使い、ズレがひどければ極小さいスナップを両耳側に1個ずつ設け、取り外しできればアベノマスクだけ洗えるし。

しかし夏になれば残るスナップが肌に違和感となる。まっその時はまた考えよう。

ちょっと厚め過ぎる感はあるが、冬用なら重宝かも~

不評だったマスクに光を!

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念願だった唐松岳へ

2020年10月10日 | トレッキング

またしても我がままの虫が頭をもたげる。

登山を始めたきっかけは移住後2年の年「松本市制100年記念 常念岳登山」で62歳でした。自宅近辺や散歩道や農免道路から見える北アルプスの山を登ってみたいと、ぼんやり考えていた。

その後、13年をかけて南から蝶が岳・常念岳~燕岳・有明山・爺ケ岳・鹿島槍ケ岳・(唐松岳)・白馬三山(白馬槍ケ岳・杓子岳・白馬岳)と連なる山を登った。

残ったのは大滝山・餓鬼岳・五竜岳。大滝山はまだ望みがあるかもしれない。

そして唐松岳へ。有明山と雲の平でお世話になった川口ガイドさんにお願いをしました。ポピュラーな山という印象だがそこはそれ北アルプスである。昨年9月からコロナ騒動もあり全くトレッキングをしていない。思い切って最後の御嶽山を決行した勢いで念願の唐松岳へ。

10月5日 穂高6時30分発 8時過ぎ発の八方ゴンドラーリフトーリフトで登山スタート地点へ。宿泊の唐松岳頂上山荘へは14時までに到着を目指した。

御嶽山から下山(9月29日)後の翌日も翌々日も筋肉痛はなく自身でも驚く。結局風と雨の中でも順調に、岩場をこなせた。

まもなく男性3人が身支度しながら大声で「ウルトラマン〇$▲&&・・・」と、聞こえた。3人は久しぶりの登山に歓喜していたのです。少年隊と名付け、抜きつ抜かれつで楽しみました。彼らはテント泊。

そうそう画像はほとんどガイドさん提供です。とほほ雨天ではスマホがうまく使えない。

 

ハイマツ地帯に入り期待通りライチョウに出会う。悪天候時は天敵に狙われにくいので、ハイマツから出てくる確率が高いのだそうです。

いました!しかも初めてのツートンカラーです。

まもなく頂上小屋へカーブを切るあたりで、ガイドさんが私にカラビナとロープでサポートしてくださった。崩落があり迂回路を設営された岩場です。このような修復も小屋や登山案内人組合などのボランティアで行われます。県からの補助金はあるかと思いますが、大変なご苦労の上に我々は安全に楽しませていただいているのですね。

無事14時前に小屋に到着。早速ガイドさんはお湯でインスタントのコーヒー(いつも紅茶やお汁粉を持参)を作ってくださり、冷えた体も心も温まります。

小屋は美しく整備されており、雨の中にやってくる登山客の誘導に加えてスタッフは、コロナ感染予防対策にも気を使っていました。大阪からの3人組の男性が、お約束のビール乾杯に盛り上がり声も大きくなってきた。食べたり飲んだりだから当然マスクなし。

とうとう「館内のお客様から恐怖を感じるとクレームが出ています」と注意を受ける。のんき者の私は、体調万全の上で登山にきているだろうし、では就寝時は個室で1人を確保しているかといえばそうではないしなぁ。山でクラスター発生のニュースも聞かないし。案の定同室だったガイドさんは「大声の雑談にまた注意されていた」とのことでした。

夜中の暴風に翌朝の登頂は思いやられるかと思ったが、ぐっすり眠り結局霧ではあったがリュックをデポし7:00 いざ!

見事なハイマツ

 

マスクをしているのは鼻先の冷え対策。胸からおなかあたりの膨らみは、防寒対策に手持ちの衣類をすべて着込んだため。

 

30分ほどで到着~。踏ん張り方がいかにも素人っぽい

 

山小屋の上のほうにかすかに富士山(八ケ岳の右側だけど)も見えました。この画像は私撮。

 

五竜岳は手が届きそうに近いお隣さん

圧巻の五竜岳(これは私の7:38撮影分)

復路で見た唐松岳頂上。凛々しく美しい!やはりエイヤッと来てよかった。

 

右へ白馬連峰方面

 

左の3ツこぶの右側切れ落ちているのが有名な不帰キレットですって。時に墜落事故があるところ。(これは6日9:30私の撮影分)

 

リフト近辺の、昨日より一段と進んだ紅葉。私へのご褒美とありがたく頂きました!

はい無事に予定通りの時間に下山し、リフトとゴンドラを乗り継ぎ大町へ。ランチは青木湖畔にある「らーめんはうすゼーブリック」へ。私のお勧めはネギラーメン。コロナ禍では定休日他要確認。現在禁煙です。外テーブルありました。

絶品ネギの下に厚めの柔らかいチャーシューが潜んでいます。しつこさのない半透明の汁で黒コショウがばっちりです。外食でラーメンを頂くことはまずないのですが、ここは特別。

 

余談:小屋館内のトイレ入口の張り紙

  

HAT-Jとは・・・私は田部井淳子さんを通じて知りました。

山と人の間には沢山の問題が起きています

かつて、内外の観光地には、ゴミがあふれ、トレッキング客で賑わうヒマラヤ山麓は薪を取るせいなどで森林破壊もおきました。高い山に登れば、遠征隊が残した装備や、酸素ボンベが氷雪の中に無惨な姿をさらしています。このようなことは、自然の景観を損なうだけでなく、地域に暮らす人々の生活環境を脅かすことにもなります。

ゴミ問題への取り組みは進みつつありますが、人の移動が増え続ける中、トイレの問題やペットの帯同、野生動植物の生態の変化など、温暖化も加わり、山岳地帯の自然への負荷が心配される状況は残ります。

 

13年間の登山経験は私の人生を豊かにしてくれました。登山を通じて知り得た方々も忘れ難い人ばかり。75歳の今 もう高い山は卒業して、里山ともうちょい高い低山にシフトしてゆこうと思います。

昨年も宣言したが、現況のていたらく。『女性は嘘をつきます』(笑)

 

付録:ガイドさん情報

信州の登山ガイド・ヤマンザイ

日本アルプス、信州の里山をガイドいたします。山岳遭難捜索、山岳調査を行なっております。

YAMANZAI MOUNTAIN GUIDE AND WORKS

 

 

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3度目の御嶽山へ・・最終日

2020年10月09日 | 安曇野にオオルリシジミを

29日(火)朝、見慣れた八合目の風景にお別れを告げる

名残惜しくロープウエイ乗り場へ向かう。ロープウエイは現在水曜日と木曜日が休業。7合目の「行場山荘」は休館になっていました。途中で出会った青年がそれと知らずに水を求めるには8合目まで頑張らねばならない。私の残った水をお分けする旨伝えたが頑張ります!と上がっていった。山に水は最重要アイテムです。

下り終えて、いつもはすぐロープウエイ乗り場に行くのだが、時間がたっぷりあるので左へそれて付近を散策した。

展望台にもしばし滞在。ここは標高2150m。

御嶽山の標高3067m。頂上までは917m登る。

二ノ池ヒュッテは2895mにあります。

頂上まで登ったのは2018年の1回目だけ。あと2回は745m登っただけです。

いえ今回は摩利支天乗越の標高2936mまで標高差41mへも登りました。

 

でもいつも仰ぎ見て冥福を祈ることは、忘れませんでした。

 

展望台には四角い部屋のようなものがあり、4面が鏡になっている。鏡に向かい撮影する私を撮ると、背後に御嶽山が映る。

山並みは北アルプス。左の前穂や明神は手に負えないが常念や蝶なら飛び越えられそう・・・・なーんて

 

木曽馬の里へ立ち寄り、日帰り温泉に浸かり夕刻に安曇野市へ戻りました。

好きな山へ複数回登るのも、お気に入りの山小屋巡りをするのも結構いいもんですね。御嶽山へは今回で卒業する予定だけど。

 

 

 

 

 

 

 

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3度目の御嶽山へ・・2日目

2020年10月07日 | トレッキング

今日もいい天気。晴れ女はお得がいっぱいです。

朝焼けはややぼんやりながら、好きな景色です。

早朝立ちの方を送り、京都から来ている方と二人でコーヒーを頂きながらのんびり時を過ごし、

噴火時に石が天井を突き抜けた部屋を撮影し

今期薪ストーブが設置されていたが、滞在中は燃えませんでした。10月の宿泊者には披露されるでしょう。

 

友人からのプレゼントだそうで、麻のような暖簾から「いないバー」よろしく顔を向けるオーナー。

 

さて今日のスケジュールはあってないようなもんですが、美しい三ノ池を通り『摩利支天』まで行きたいとスタートしたが

結局行き着かず、乗越から引き返しました。ここから摩利支天までが岩場となるそうです。

下山途中で、昨日からヒュッテに滞在の”NHK小さな旅”撮影隊メンバーに会いました。放送日はいつかな?放映を見つけられるといいのだが。

ヒュッテに戻り美味しい担々麺を頂き、少し時間の空いたオーナーの高岡さんから、山小屋を立ち上げ時のご苦労や3年目の思いなどを伺うことができました。私はおそらく来年の再会はかなわないだろうと考えていたので、お元気で活躍されることを伝えました。

2時半頃に出発し今夜の宿、八合目「女人堂」に向かい下山しました。

途中九合目の「石室山荘」内に登下山道の通路があり、トイレ休憩やお茶タイム・お土産を購入するなど結構人がたむろしている面白い山荘1階になっています。

さらに下り

女人堂へ到着

室町時代に参拝登山が盛んになり明治時代初期まで女人禁制であったので、女性はここで留め置かれて滞在した宿です。

平日とはいえ大きい広間に3人の登山客で食事をするのは寂しかった。

 

29日(火)にはいよいよ下山です。

朝焼けはイマイチでしたが、雲海は見事!ちょいボケぎみですが・・・

 

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三度目の御嶽山へ・・1日目

2020年10月01日 | トレッキング

へ~3回も?と驚くのはまだ早い、なんの20回続けておられる男性に会いました。2020年9月27日、山小屋「ニノ池ヒュッテ」夕食後の団らん時でした。

実はこの方は、2014年の噴火当日頂上におられたが祈祷所(?)の庇の下にいて、難を逃れたそうです。しかし目の前に多くの亡くなった犠牲者がおられ、地獄の中を誘導されて下山したそうです。そして2018年から小さな花束を持ち、慰霊登山を続けておられます。

噴火以前、「ニノ池ヒュッテ」として再開前の山小屋へ毎週土日に京都から来てスタッフとして働いていた、という女性の話も聞けました。今でも当時の石の案内ペイントを残している。

これほど濃い会話ができたのは、私はその日とは記憶がなく9月27日(日)~29日の晴天狙いの登山だったのです。のんき者!

 

早朝自宅を出て御岳ロープウエイ8時半頃発でスタートしました。

残念ながら紅葉は美しくない。

開山の祖とされる覚明行者の霊廟碑。以前からあったのでしょうが、今回初めて気が付きました。

3回目ですから、しんどいとは思うものの先が読めるのでまずまず楽な登山でした。

午前11時51分にサイレンが鳴り、今日が2014年の噴火当日であることを知る。52分その場で全員が立ち止まって黙祷を捧げました。

登山を続け、今夜の宿舎「二ノ池ヒュッテ」到着手前にて尺八を吹く男性がいました。

標高が高いせいか音が出にくいとのことでしたが、さわやかな澄んだ空気の中で気持ちよく聴かせていただきました。

意気投合し、ヒュッテ内のカフェコーナーでコーヒーを飲みながらしばし歓談。今夜は九合目の「石室山荘」に投宿とのことで下って行かれました。

 

ヒュッテの裏がすっきりきれいになっていました。今季のスタッフさんがマメな方であちらこちらが片付き、オーナーは喜んでいました。

 

やがて夕食となり思い出深い一夜となったのです。

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