蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

走行100キロの免許更新

2007年02月27日 | 温泉へ行こう
平成16年7月に取得の初回免許更新のため塩尻へ出向く
走行地図を手書きし予習したおかげで、自宅から1時間で到着。センターは満員の大盛況である

1.5時間の講習を受ける。あと3年を無事故なら次は30分の講習で済むという。
2階の教室の窓から見える山はまるいのが大滝山、その右の△はやっぱり常念岳だった
「常念を見よ」と子らが育つ松本平、安曇野平はさすがである
写真右は教室のいす用座布団、さすが寒い地方の配慮だ。色とりどりは仕方ないか

来るとき19号線でチラッと見た「崖の湯」の看板
以前別の温泉で、超グラマーな婦人が是非!と教えてくれたはずの名前である
昼食を終え、行ってみよう・・・・・と

探し探し行くこと30分、標高1000mの地に湧く湯だった
一番手前の宿がここ茜宿(日本秘湯の会の看板あり)

『明治時代、傷ついたサルの入浴が発見されて以来の名湯。北アルプスや松本平を一望する眺望がすばらしい』と案内文

写真左:通路の途中に懐かしい卓球台とジュークボックス
若い人が読んでるブログとも思えないが念のため解説をつけると
ジュークボックス=硬貨を入れて選択ボタンを押すと自動的にレコードがかかり、好きな曲が聴ける装置
写真右:あなどれないアプローチ

脱衣室には湯上りの婦人がひとり「貸切ですよ~」と声をかけてきた
大阪からの3泊4日の3人ツアーで松本空港と宿とは送迎してくれる
上の安い宿に泊まってここ茜宿のお風呂につかる。さすが大阪人・・・やってくれますねぇ
写真左:内湯から露天風呂と北アルプスを見る  写真右:ヒノキと石の露天風呂
期待通りの絶景といいたいところだが、雲がかかって北アルプス一望とはいかなかった

湯上がり後ロビーに立ち寄ると、重厚な家具があちこちに配置されている
100年前の旅館で、最初はもっと上にあったがアルプス眺望のここへ移築したそうです。大正解
おそらく温泉街とまではいかないが、賑わった時代があったのだろう。
付近の林や道路わきの景色から廃れた印象は否めない

のんびり湯浴みした帰りは、道を間違え大まわりしたため走行100キロの更新旅行になりました

余談:暖かい配慮はここにも
先日寄ったアザレアギャラリーにはさりげなく膝かけの用意がありました
↑入口の暖簾は、白州正子が愛でた藍染作家・菅原匠氏の作品です

  ガラスの向こうには小鳥がえさを啄ばみに来る

物欲を捨てたつもりだが1枚欲しいな、でも怖くて値段聞けない
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本格味噌作り

2007年02月26日 | 暮らしの積み木
いやぁ参りました、私の軽率には
結局は良い経験をさせていただいたのですが・・・・

【総論】
①こうじを米から作る(市販品でもよ良いのだが)
②豆は各家庭から持ち寄り、それぞれ分けて蒸してつぶすので各々の味噌になる
  (私は米も豆もリーダーから援助してもらった)
③こうじ・豆・塩を攪拌し、樽につめて、ねかせると10月頃から食べられる

大阪時代から手前じゃなかった手作り味噌を作ってみたいなぁと思っていたが、ここ信州ではホントおだし不要なくらい味噌が美味しいんです。
しか~し、柿や梅や燻製の未経験手作りを習った勢いで「よっしゃ、味噌だ」とばかり電話したのがいけなかった。
ことの顛末は・・・・
”道の駅vif穂高”ではなにかと手作り講習会の案内があるので、「味噌講習はありませんか?」
一呼吸あったあと元気な婦人が電話口で、「もう締め切りすんだけど、20日でよかったらあるよ」でラッキー!決定! 

【各論にはいる】
あれこれ考えずに約束の時間と場所へ出向く。”加工所”の看板が架かっている

え~何が始まるんや、と理解しないまま事が進みお邪魔虫の様相
米72キロ 大豆?十キロ と聞こえる。どひゃ~である。
つまり数家族で米や大豆や塩を持ち寄り、1年分の味噌を”米こうじ”も作る本格的な全工程3日間の味噌作りだったのである。大道具小道具ともまるで味噌工場かと思うくらいだ。
■第1日目  午前11時~午後2時
 ○米こうじを作る
写真左:米を蒸す準備  写真右:大鍋に収めて点火スタンバイOK

米とこうじ菌を混ぜる作業は2回。すっきり粒々になるよう手でかき混ぜる
酒蔵でもかぐいい香りがする。もう一晩ねかせてじっくり発酵

 ○同時進行で大豆を洗い2倍の水に漬けて本日は終了。手順がよめないのでマゴマゴした1日目だった
 


■第2日目  午前9時~午後2時(弁当持参)
 ○もう一度こうじをひっくりかえしながら、パラパラにし発酵する
 ○大豆を圧力鍋で蒸してつぶす。 ミンチ製作器みたいで豆がモンブランケーキの山のよう
 大豆が多いので繰り返し作業が多く作業種類は少ないが、用具の洗いものが多くて午後2時まで

第3日目
 ○米こうじはこんな状態に。米粒が綺麗にばらけている。上出来だそうだ
  各家庭分ずつ計測する
「ぼうずとって」と言われて???  ボール状のお玉でした

 ○さて最終工程。こうじ・塩・ミンチ状の豆を攪拌する

 ○仕込み
写真左:攪拌された味噌タネを丸めて、樽の中へ思い切り投げ入れる。
     拳骨で体重をかけておしつけ、隙間なくつめる(ストレス解消にはもってこい)
写真右:平らになるよう表面をスリスリし、余分な味噌タネを取り除く(防カビ)
     ここは大切な行程なので私の出番なし。しかし自宅用だけ無理にさせてもらう(因みに我が家分はこの写真の半分です)

アルコール消毒しながら作業するので、まずカビはでないそうだ
ポリ袋をきっちり結び、蓋をして午前11時に無事完了。
我が家へ運ぶ。その2日後、からだの節々が少々痛くなってきた

 加工所の窓からもわが有明山が一望

いつもこうだ。よく考えないうちに事が進む。
しかし邪魔しながら、メモしながら、そうブログのネタを考えながら3日間はあっという間に過ぎた

付録-------出来上がり20キロのお味噌は
  材料  米:4キロ  大豆:6.5キロ  塩:2.5キロ
  経費  材料代:3775円  加工所使用料:880円    でした

因みにVif穂高で販売のとうふ・味噌・りんごジュースはこの加工所で作られている

これから
■子供の頃味噌壺をあけると白いカビが生えていた。最近は真空パックでカビなんぞ見たことがない
でもここでは衛生管理がしっかりしているので、保存料などいっさい加えないがカビはでないという
■9月いっぱいまでは南側の倉庫でも保管は可能だし、むしろよく育つらしい
■10月にはいれば食べ始められるし、その頃からは涼しいところで保管する
我が家なら階段下の収納庫だ

余談
味噌作り0年の私が紹介する、味噌つくり100年の丸井伊藤商店(茅野市)の本社工場にユニークな貧乏神神社があります
ここは災過転福のご利益あり!
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ギメとシラス

2007年02月24日 | 安曇野を離れて
ギメとはフランスのギメ東洋美術館
シラスとは白洲次郎
本日の共通点はただ訪ねた場所が関東、それだけ!
7時34分穂高発のあずさ6号の甲府付近は雪景色


太田記念美術館で開催されている(25日まで)「ギメ東洋美術館所蔵 浮世絵名品展
この美術館は人通りの多い原宿の駅前から一本裏に入っただけなのに、とても静かで雰囲気の良い美術館でした。あいにくの雨模様だが行列が出来るほどの盛況だった

目玉はギメでの偶然の発見から、北斎の
『虎図』(太田実術館所蔵)と『龍図』(ギメ東洋実術館所蔵)が100年ぶりに再会したのだ
北斎90歳の最後の傑作でよくぞよくぞ・・・・
表装の布模様と落款サインが同じだった(双幅)から判明したのだが、発見した学芸員の興奮ぶりが想像されますね。
拝借サイトの写真を見てもらえばわかりますが、虎の目と龍の目は斜め一直線上にある。
当然腕をかざして確認
北斎の画人生最後にして最高の本領発揮だろう。写楽や春信や歌麿の浮世絵も展示されているのだが、
デザイン性にすぐれているのはやっぱり北斎がピカイチ・・・・・だと思っている

子供様用パンフあります、受付まで   の張り紙
「お子様じゃないけど欲しいんですが・・・・」「はいどうぞ」

  浮世絵ってどうやってできるの?がわかりやすくイラストで解説
受付嬢はにっこり。とにかく対応の美術館スタッフ達は素晴らしかった

余談
この美術展は4月10日から大阪市美術館で開催予定です。←サイト内に入場割引券あるよ。
そのあとフランスへ・・と聞きました
日本の芸術の素晴らしさを早くから高く評価した欧米のコレクターは凄いね

さてシラス
白洲次郎と正子が農家を改造しながら過ごした旧白州邸で「武相荘」
次郎が無愛想だったから自分で命名したそうです

町田市鶴川は、新宿から小田原線で20分。このまま乗車して行けば箱根に着く
しかし悲しい。バスを降りて”この角を曲がれば旧白州邸”のアプローチにはユニクロと色とりどりの新興住宅が建ち並ぶ。
が、曲がると眩しい景色が飛びこんでくる

早い段階で(第2次世界大戦)戦争に負けると予見し、きっと食糧難がやってくると東京から程よいこの地に別荘を持った
母屋(展示室)入口にあるハンドタオルは何故?  雨に濡れた衣服を拭くため
なるほど心憎い配慮。ここにある用具は全て木・石・つる篭などの自然素材でした

その端正な建物(最近屋根のかやを葺き替えたばかり)と石畳に見とれるばかり

緑鮮やかな竹林

納屋には彼が好きだった大工道具や農機具が残っている。「シラス」と穴をあけているのは工具箱か?

こまごまと用具を入れてあるだろう重厚な整理ダンスをみても、そのこだわり様がわかる

見事な書画・骨董、家具・着物が展示されている中で、別室書斎の本棚は棚板が薄く満載の書籍で弓なりになっている。書籍をインテリアとは扱っていなかったことが窺えて印象的だった
もし・・・ればはせんないフレーズだが、今の日本に彼が存在していれば日本はもっと違う方向に向かっていることだろう

日帰り旅の夕方は、美しい夕焼けを追いかけながら午後5時新宿発のあずさ27号で帰る


北斎と次郎に共通なのは、真髄は真剣に情熱的に、そして遊び心を忘れないことだろう。北斎の絵に、次郎の人生にそれを感じる

おまけ
表参道の一等地に大きなブティックに代わりこんな光景が・・・・

全フロア携帯電話のみ。資本にモノを言わせた商法にはちょい食傷ぎみ
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「信州上田の魂を比叡山に移す」

2007年02月21日 | 安曇野を離れて
朝日新聞長野版から
『別所温泉常楽寺の半田住職(89歳)が天台宗(総本山・比叡山延暦寺)の第256世の座主になった。天台宗の全国約3千のトップだ
というわけで2月4日に、生まれ育った上田温泉を離れ京へ向かった半田住職の残した言葉』が、今日のタイトルです
常楽寺は北向観世音の本坊であり住職も兼務で、節分には千代の富士(当時)他有名人の豆撒風景をテレビで見た人もいるのでは?

そして上田も比叡山も懐かしいので、上田温泉へ向かう私・・・
”上田温泉の三楽寺”といい常楽寺・安楽寺・長楽寺があったが、長楽寺は消失して再興できぬまま、標識だけが立っているという

常楽寺へ昇る階段のすぐ下の道路わきに、ブルーシート内に大きな道祖神があり、近所から笛が聞こえる。この地区の子供の祭りだという。それにしても簡易ではあるがブルーシートとはなあ・・・・

さて気をとり直して常楽寺から歩こう

歩く順序は常楽寺→安楽寺→北向観世音
常楽台寺の表札(正式な呼び名がわからない)天台宗のお寺だから?
まず重厚な印象で「人懐っこいおっしゃん(和尚さん)」といわれたわりには、近寄りがたい雰囲気を醸しだしているお寺だった。しかし形の美しい建物ではある

安楽寺へ向かう途中の細道に赤くない石のポスト???
その先にはメットを被った仏像・・・いったい何なんだ!
さらにその先に墓石屋さんの看板がありました・・・納得

八角三重塔で有名な安楽寺に到着、なぜかあったかい空気だったような気がする
さあ行くぞ!のアプローチの先には64段の石段。登りきると右手に立派な鐘楼
あらっポスト? 違った

正面の本殿と右手に庫裡  いずれも端正な建造物だ


ここは曹洞宗の禅寺です


そして4つの屋根があるのに、八角三重塔(詳細は安楽寺HP参照してください) お見事!

そして・・・北向観音へ。人ごみで写真は撮れずじまい
『南向きに建てられている善光寺に詣で「未来往生」を、北向きに建てられてる北向観音にお参りし「現世利益」を願わなければ、片参詣りと言われている』

冷えた体を温めに3つある日帰り湯のひとつ大師の湯へ。
浴室からガラス戸越しにロッカーが見える安全・安心の入浴料は150円
見上げれば、そのまんま鬼瓦

余談
■上田電鉄丸窓電車は運行時間帯が合わず断念。そのかわり横川の釜めしをランチに


■近隣鉄道会社数社協賛のポスター。デザイン好きです


■別所温泉駅の名物制服の冬バージョン


付録
文中の丸窓電車や駅制服などは、暇つぶしに当ブログ別所温泉駅へプレイバックしてみてください。
ホンマ我ながらしなの鉄道沿線が好きやなぁと感心する
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ヤマガラの愛嬌写真

2007年02月20日 | 庭まわり
燕岳の白が目に眩しい晴天だけど、午前9時の外気温2℃。空気が冷たい

どうでもいいんだけど、ひとりで笑ったよ
2007年1月13日にこんな↓写真撮りたい・・・と借用掲載した

 

実は2006年11月23日の水のみ場の紹介画像の中に類似写真があったのだ
しかもその後画像に文字入れの練習に使用しているにも関わらず!である
あーあいよいよ鈍化が進んできたのか、というより本領発揮のドンクサさ

  少々役不足はお愛嬌で


おまけ
我が家の小鳥達は元気に飛び回り、10羽くらいが低空飛行・乱舞しながら餌をついばみにやってくる

相変わらず、シジュウガラ、ゴジュウガラ、ヤマガラ、カケス、ヒヨドリ連中だ
左:ゴジュウガラ 右:カケス

庭で写真を撮っていても、作業中でも平気で私の頭上近くの枝にとまる
ほれほれ~~~とおちょくられているような気分だ



散歩がてら林から失敬してきたつるで、篭(直径33センチ、高さ50センチ)がひとつ出来上がり
長い取っ手は太いつるをそのまま止めつけただけ・・・でも
乱雑ながら自然の造形美、なんちゃって

  下げて重いもの載せると落ちそう

春から田舎暮らしを予定の友人へ、元手ナシのぷ・れ・ぜ・ん・と
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2006~2007コハクチョウ日誌

2007年02月17日 | 安曇野とその周辺
昨夏の大雨で犀川が大荒れした
その結果、今年の白鳥飛来が心配されたが改修工事が進み、
■2006年10月14日に初飛来が確認された。今年は23年目になる
■2006年12月15日現在 安曇野には343羽で、2005年12月27日には約1,000羽だったのに比べるとやはり少ない。

災害復旧工事のため、御宝田遊水池(明科)のみ見学できる。
午後3時頃まで穂高の狐島の田圃へ遊びに来ている

穂高の田圃にて

ここは田圃の持ち主が水をはり、遊び場の提供をしています。人々がいたずらしないせいかゆったりと滞在している。
3時前から2羽3羽5羽と連れ立ち、夕餉の明科に向かって飛びたつ

自宅から車で15分の田圃で白鳥が遊んでるなんぞ、なんと贅沢なんだろう
■2007年2月16日 安曇野滞在に別れを告げる日がきた
 結局今年は704羽の飛来が確認されたそうだ
数羽づつ北帰行が始まる・・・・・3月下旬までの予定とニュースは伝えている
昨年最終の4月24日と比べると早い。暖冬の影響もあるのかな?

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春一番が吹いても

2007年02月16日 | 安曇野とその周辺
今朝7時の外気温-3℃
昨夜の降雪3ミリくらいが残っている。春はまだまだ

全敗かも?成長していない!
これで作物として成立するんだろうか?ひとくちでも食べたいものだとは思っている
寒冷紗に守られた細大根(左)とほうれん草(右)

  防寒したのにおまえさんもか!・・・・ラディッシュよ
 ↓
 ↓
 ↓ しか~し希望の☆もある

山梨県から嫁入りのイチゴだ。
丹精込めて作られたいちごを株分けして頂いたのだから当然といえば当然

  寒冷紗+プランター栽培

写真左:12株の水仙畑
写真右:ん?覗くと・・・・スタンバイOK!のようだ

昨年秋に来客の彼女が「大好き、来年春見に来るよ」と、植える力をくれたレンゲは

  どうやら雪にもめげず元気らしい

春よ~  童謡か? ユーミンか?
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風の舞う日

2007年02月15日 | 安曇野とその周辺
庭の雪はすっかりとけ、今朝7時の外気温は3℃
小雪がちらつき、風の冷たい朝だったが、朝日が真っ赤に焼けている
食事もそこそこにカメラ抱えて数分駆け足。。。。。。
特に中央の樹の間はもっと赤いのに、この程度しか撮影できない。たぶん赤色表現の選択操作があるんだと思う。とほほ・・・・



気分を変えて数日前の写真だけど、晴天の近所(ここへは車で5分)の風物
写真左:柿でなくのこり栗
写真右:こんな土蔵を見るとウキウキしてくる

写真左:道路わきにひっそり立たずむ古くて小さいおじぞうさん  に見えた
写真右:今まで存在に気づかなかった彩色道祖神
安曇野にいくつかあるのだがたいてい濃い水色が施されているのに、これはパステルカラーだ

裏を覗いたが制作年が読めなかった。が
ひつじ屋さんの「安曇野道祖神図鑑」を拝借で『慶応3年(1867年)酒器像』と判明

おまけ
そうそう先日編んだつるかごに「オキザリス」の鉢を置いてみた。ピンクの花が咲く予定
けっこう絵になってるじゃん


・・・・・・・・・・・・・・・と、とりとめのない本日のアップでした
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松本押絵雛

2007年02月13日 | 安曇野とその周辺
松本は城下町。いいものがたくさん残っています
まもなく雛節句ですが、おそらく他にないだろう押絵雛もそのひとつ

3年くらい前、松本の町をぶらついていた時通りかかった人形店は、まるでタイムスリップしたようなお店だった
そこで見つけた人形が可愛くて、携帯電話で撮った画像がずうっと保存されたまま
 いたずらっ子そうな表情だがタイトルは「恋ごころ」

先日ベラミ人形店を訪ねるとあのいたずらっ子がいない!
オーナー夫婦もさてどうしたものか?と思案していたら、別の棚の箱に写真が貼ってある・・・
これは木目込み人形で、材料の箱でした。価格は出来上がりだと材料費の2倍になる。う~ん、う~ん
よし自分で完成させよう(因みにこの人形はベラミのオリジナルではありません)

さてベラミ人形店は超有名で、この時期になるとテレビや雑誌社が取材に来るそうです(地元でも知らない人がいるそうですが)
伝統の松本押絵雛の市内唯一の製作者だそうです。
明治から大正にかけいったん廃れた松本押絵雛を、夫婦で復活させて40年。今では立体のブランド物が主流なので、若い方には馴染みがないし人気もないだろうと想像はできる
できたてほやほやの雛は絵をご主人が、顔(浮世絵風です)を描くのは奥さんが、制作は息子夫婦の4人経営です
後ろに竹串をあてて台の上に立っています。奥行きは2センチくらいでしょうか

このアトリエから美しい人形が生まれます


額に収めたり段飾りにすると押絵雛はこうなります

「現存する最古の押絵雛は江戸の文化文政年間の作といわれる。
この古作は最盛期の明治時代の作と思われます。
台に立った武者(左上)は『川中島の戦』における上杉氏と武田氏」
と説明文にある。鮮やかな色合いではないが気品漂う人形です

  

ほかにもいくつかの古作雛やユニークな七夕人形が処狭しと飾ってあります

おまけ
■ハイカラな店名は、昭和32年の開店当時はフランス人形なども扱っておりオーナー夫人も若かった
店舗主面のショーウインドウには押絵雛と対照的な大きいキューピーが鎮座している


■私が買ってきた木目込み人形の材料
着物の型紙はあるけど、作り方の説明図はない! とほほ
行き詰まったら遠慮なく店内手芸教室へ来てくださいとの和子夫人の言葉に納得した

  できれば世話をかけずに仕上げたい

余談
北信須坂市の「世界の民族人形博物館」にて
旧家や民家から集められ所蔵雛もあわせて、年代ごとに展示している初の30段の雛かざり展が4月10日まで開催されています。一見の価値ありそう
3日がかりで段の制作と飾りつけをしたそうです。テレビに映った大工さんは「もう、いやじゃ」と正直な感想を吐露していましたが、完成後はきっと大喜びだったに違いない
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安曇野の適塾?

2007年02月11日 | 安曇野とその周辺
ここが塾にみえますか?○○館です



大阪淀屋橋と北浜の間にある適塾も風情はこんな感じだったと記憶している
R147沿い旧道の交差点そばにある、築100年以上の民家です
反対側からも1枚!

  狭い道に車の往来が多い沿道

  だからか・・・・かなり目立つ看板です  

  玄関横のガラスケース

覗くと建物に不似合いな英文とお洒落なイラストが飾ってある
こども対象の英数塾ではなさそうなので、帰宅後聞いてみました。
主に大人の方で海外生活のための基本から英検受験、論文まで書けるような高度の個人指導塾でした

ほっ・・・建物につられ慌てて申し込みに行かなくてよかった
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