蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

バヌアツ共和国ってご存知?

2005年11月22日 | 海外旅日記
朝6時の外気温が0℃前後になってきた
室内はかろうじて13℃。いよいよ薪ストーブの登場だが、一日中焚いていると
一冬もつのか心配である。今のところは床暖房(灯油)と併用している。
このところの石油価格高騰で薪ストーブの人気急上昇中とか・・・・

と意気盛んですが、12月5日まで南太平洋
「バヌアツ」へゆきます

友人のご亭主がJICAシニアボランティア2回目の赴任地がバヌアツ。
私達が今後旅行で行くことはまず無かろうと、訪問することになった。
石原氏は高校の熱血物理教師からの転進である。
同じ道を目指そうとしている方は是非ジャンプしてみてください。
「石原武司の第二の人生バヌアツ編」

■バヌアツはバンジージャンプ発祥の地といわれている。
■日本語読みで「エロマンガ島」なる島を有する国として有名。
■通貨は1バツが約1円とわかりやすい
この程度の知識で成田発カンタス航空 ブリスベン経由で出発します

こんな旅行をしているのはこれが初めてではありません
興味ある方は、インド・モロッコ他アフリカ・タイなど暇つぶしにどうぞ。
「ふらり・ふら~り旅ごころ」

安曇野からの通信はしばらく休みますが、関連することや是非伝えたいこと
などがあれば、現地の通信事情次第でお知らせします
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安曇野の宝「残月集」

2005年11月18日 | 安曇野とその周辺
11月18日の写真追加のため更新

早朝 まさしく朝焼けの有明と残月、残月集の世界を撮影できた


惚れた弱みの有明山考
移住の決め手にもなった有明山の風景に神社が絡むのは当然であるが、
私にとっては宗教的にどうとか山岳信仰崇拝者とかではなく、ほとんど
成り行きだった。
神社は有明山の麓にあり、有明山をご神体とする山岳信仰神社である。
山頂には奥社があり、中岳本社に手力雄命 大己貴命 八意思兼命の三神を、
南岳本社に天照大神、天細女命 金毘羅大神の三神が祀られています

ずっと古くから別の地にあった(第8代天皇の時代に造営された)神社を
明治21年岡村阜一氏が再興したのが現在の有明山神社である。


■有明山神社再興記念の和歌「残月集」のあゆみ

歌人・矢野口保邦のお孫さんの恂氏が、現在も当時の地所にお住まいです
話を聞くことができました

手作り文集「残月集」  明治30年8月1日発行。
発行者 岡村阜一(南穂高村)、
編纂者 歌人・矢野口保邦(有明村)・林親良(豊科村)の三氏だった。
おそらく企画から発行まで8~10年くらいがかかっていると思われます。
全国各地の高位高官や歌人から「有明山」「ありあけ」にちなむ和歌を収集し、
編集発行した文集である

茶色の和紙表紙で、毛筆の筆跡は保邦氏と確認されています
歌人として冷泉為紀に師事した縁もあり、信州歌壇の先駆けだった
矢野口保邦氏の功績は大きいでしょう。
それにしても通信手段や時代背景から考察して、宮中や高位高官(男爵など)
はじめ全国から収集されたのは大変なことだと察せられる。
ハガキで募集し、矢野口家に郵送されてきた色紙・短冊が1200余首。
中にはお断りもあったろうし、返信なしもあったでしょうから発送はがきの総数は・・・・。

・明治30年発行の文集(穂高図書館でコピーしたもの)

  
自費出版(おそらく3氏の)だったという。
明治20年代にこれだけの事業(収集と出版)ができたのは、他には伊勢神宮だけしか
考えられないと、関係者の間では驚異的なことと言われています。

送られてきた色紙・短冊の原本は有明山神社に奉納され、京都で表装された「残月集」は
社宝として保管されていました。

それを目にしたのがきっかけで、立派な平成15年版「残月集」は発行された


その過程で、締め切り後に郵送されてきた短冊を、矢野口氏宅で預かっておられた
80首の存在も明らかになりました。
新発見の短冊は寄付され、現在は有明山神社に奉納されています。

現在平成15年発行の「残月集」は穂高の図書館で借りられますが、手作り文集
「残月集」は禁持出文書扱いです

矢野口氏宅前から見る安曇野と有明山は、明治30年当時とあまりかわらない風景かもしれない




毎年7月中旬頃、有明山神社主宰(安曇野の各地区が年番で開催準備し引率してくれる)
の登山と頂上にて祭礼が行われている。
祭礼とは直接関係ないが、「有明山登山」の参考にしてください。きっと山に登りたくなるサイトです
コメント (1)
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里山歩きの楽しみ 講座案内

2005年11月17日 | 安曇野とその周辺
11月17日午前6時の外気温1℃
写真左:昨日に続く冷え込みで有明山も冠雪したが、雲がどっかりと動かない
写真右:晩秋の里山


当BLOG、11月13日発行「安曇野の宝 残月集」内で
有明山登山の参考にしてください。きっと山に登りたくなるサイトです

と案内したサイト作者の講演会があります(安曇野市広報11 No.3から抜粋)
「一山百楽」講和 第1回
一山百楽(いちざんひゃくらく)とは田淵行男の遺した言葉。
その言葉にちなみ、現代のアルピニストや写真家を招き、
登山の楽しみや自然環境保護の大切さを学ぶ講座です

■日時  12月4日(日)午後1時30分から3時
■場所  豊科公民館講座室
■講師  中嶋 豊さん(長野県飯田警察署副所長)ホームページ「信州山歩き地図」
■参加費 無料
■その他 ・参加者の皆さんの中から抽選で「里山マップ」プレゼント
■問い合わせ  「田淵行男記念館」(電話0263-72-9964)
     ★市外の方ももちろんどうぞ!とのことです
    
余談
田淵行男は豊科在住のアルピニストであり写真家でした。
またチョウのカラー細密画でも有名です。
春、豊科に仮住まいをしていた時の散歩道沿いにやや古い家があって、
表札に「田淵行夫」としるされていた。
やはり田淵行男が昭和34年~昭和58年まで、ここに住まい著作活動をしていた家だった。
当時は大きな建物がなく、この家からも北アルプスがよく見えた。
この地域「見岳町」の命名は田淵行男だそうです(田淵行男記念館スタッフ談)
すぐそばの日赤病院で平成元年亡くなった

有明山の麓、中房温泉へ続く県道(宮城~温泉)が25日(予定)から
冬期間通行禁止になります。私もいよいよ初めての冬支度開始の時がきたようです
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古民家解体現場をゆく

2005年11月15日 | モダン古民家建築記
11月8日午後
棟梁の好意で、小谷村中土の民家解体現場へ行く。標高700メートルくらいだろうか
我が家の梁も小谷村青鬼の民家からの移築再生である。
この家も築100年以上の民家で、もともとは茅葺屋根であった。何らかの事情で
トタンをかけたのである。



写真左:トタン屋根を外す        写真右:藁を落す

写真左:藁がそっくり無くなった   写真右:屋根部分の拡大。ここを再生利用する

秋真っ盛りの中、作業は進む(しかし午後から冷たい雨が・・・)



写真左:1時間かけて、強い水圧で煤を洗い流す  写真右:材木をブラシで洗うと光ってきた

解体前に、後で組み立てに必要な記号をつけてゆく
残念ながら現場は遠いので、その作業をみることは出来なかった

解体までに出た
竹はすべて保存し、今後の利用を待つ
その他の材木の一部は近所のお宅からの要請で謹呈、残りは防寒焚火と廃材に
トタン板は????
では、あの大量の藁はいずこへ? 
実は若棟梁の提案で、近くの栂池スキー場の花畑の肥料として再利用されることになった。
2トントラック満杯で21回往復したという。まるで藁畑である



ゴミにならずスキー場も経費節減になり、リサイクル上手となりました。
しかしそんな大量の藁が屋根に載っていた事に、改めて驚いた。木の家はすごい!
そしてこんなご苦労のおかげで、我等夫婦は日々快適に暮らしているのである。感謝

もうひとつ感謝
実はその家の庭に、すでに割ってある薪が残されていました
2トントラックにスリキリいっぱいの薪を頂き、(写真右)ごちそうさまでした。

60~70束くらいはあったようです。試しにストーブにくべたけどしっかり燃えました
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不揃いの美 つるし柿

2005年11月12日 | 安曇野とその周辺
初めての経験である
大阪で渋柿を買ったこともない

渋柿を甘くして食べるための方策に、ふた通りの方法を教わった
その渋さは一口かじっただけで口が曲がりそうなほど・・・・
しかし渋ければ渋いほど甘くなるらしい

その1
傷のないものは、皮を剥かずにジュクジュクに熟すまで、
新聞紙を敷いて室内で自然乾燥させる(22個もありました)

その2
これが楽しいのである

①柿の付け根の枝を、ぶら下げる時に便利なようにすこし残して切ってある(写真左)
②包丁でひらひらのヘタを取り除き、ぐるっと一周の皮を剥く
 ピーラーで縦向きに皮を剥く(写真右)


③タコ糸で茎をひっかけながらぶら下げる。我が家は高さがないので5~7個にする
  玉暖簾のようだ
④風通しのよいところで、約2週間干す(合計90個に)


渋の成分タンニンは干すことで封じ込められるという

ここから先はまだわかりません
・乾燥したら、ポリ袋にいれておくと白くなる
知人の話では、
・「乾いたらひとつずつ優しく撫でると(間をあけて2回がベター)白い粉が
  出てきて、さらに美味しくなる」 ホンマかいな
ネット参照すると
・水分がきれたら、さらに室内乾燥すると白い粉が出て甘みが増す

白い粉は糖分の結晶で、外側はやや硬く中はとろとろの果肉となる
昨年の干し柿の冷凍ほどきを食したが、まさに絶品!まるで和菓子のようだ



たくさんの柿を頂戴した豊科の婦人お勧め「干し柿レシピ」
★柿巻1
 ①乾燥したら縦にわり広げて種を除く
 ②6~9個を少しずつ重ねて並べる
 ③詰め物は、刻みくるみ、土しょうがのみじん切り、ゆずの皮の千切りなど
 ④②に詰め物を載せ、巻きすできっちり巻く
 ⑤輪切りしてお茶請けに
 ⑥ラップで包み両端を飴のようにねじり、冷凍保存可

★柿巻2 縦長の柿の袋状を利用する
 ①種も、小さいヘタも外し、袋の中の果肉もすこし取り除く
 ②袋の中に、茹でたうずらたまごを縦型に詰める
 ③堅めのてんぷら衣にくぐらせて揚げる
 ④輪切りにすると美しいので、お正月おせちの一品にgood! 
 
皮を剥いて1個だけ裏庭に放置してみた
さすがに鳥も猫も食べにこない  
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炎の魔力  薪ストーブと南部鉄瓶

2005年11月10日 | 暮らしの積み木
鉄瓶到着で更新

炎は魔物かも。
不謹慎ですが、放火犯の心理がちょっとわかるような快感である

ストーブはいきなりガンガン焚いてはいけない
車のならし運転と同じように、ならし焚きをする
ここでまず防火の神様にお祈りを捧げる(ストーブ設置業者さんからのお勧め)
米、酒、塩をお盆に載せ、ストーブの上において2礼 2拍手 1礼で終わり
安全に快適にそして火事を出さぬよう・・・・



ダンパーを全開し火室内に丸めた新聞紙 小枝 着火材 やや細い材木 大きい薪の順に載せ
新聞紙に点火すると、思ったより簡単に燃え始め、7分くらいでもう燃え盛る
温度計が200度を指せばダンパーを半分ほど閉める。ここからゆっくり炎を鑑賞することが出来る
パチパチ・・・
メラメラ・・・

なるほど幸せな時間と空間ではある。2時間くらい燃やして1回目終了
翌日2回目の2時間でならし運転じゃなかったならし焚きは完了。
ところが思いのほか薪の消費が早い
これでは200束の薪では一冬を越せないのでは?と心配である。

さて、室内の薪収納ラックは、買えば格好いいものがあるのですが、頂き物の木箱を洗い、
磨き、足をつけて再利用しています


箱はかなり古いらしく、大日本帝国小笠原島産 [GREEN TURTLE]と刻印があり
昔、緑亀の缶詰製造会社が父島にあったようです
ネットで調べましたが、その会社は現在存在しませんでした。

イギリスのアンティークショップなどにある小さい木箱などにも
刻印があり、それがおしゃれで日本の骨董市でも見かけます。
こちらの箱は横430 縦330 高さ260ミリで薪いれにピッタリ!!!

灰とりシャベルは古い園芸用スコップを、薪挟みはU字型炭挟みで、灰落しブラシは
食卓用清掃ブラシを応用し、ロンググローブとともにペール缶に放り込む。
なんとも不細工な話だが、現在ストーブ愛用中の人も元ペンション経営者からも
「雑誌にあるようなアクセサリーはいらん!」と進言された。
夫からは「う~ん格好も大事だけどぉ」と不満の声しきり

ネットで見つけた南部鉄瓶が届いた
かなりマイナーなデザインで、業者さんは「当社お勧め商品」と、選択に太鼓判。
「川添竹材商店」は竹だけの販売ではない

実はネット上の写真は漆黒に近い黒色であった
(写真の色は実際はもう少し黒いかも)


「う~ん」写真と違う!と一瞬ひるんだが、
①やはりひとつひとつ手作りであり、手作りの妙かもしれない
②今まで見たことのないデザインであり、スペースの小さい我が家のストーブには
ピッタリの形である
③じっと眺めていると、単純でない縦じまに味わいがある

結局お気に入りとなった
本格焚きに備えて、使用前の注意事項に目を通しているところであるが、
生き物を扱うような配慮を必要とするところが、また味わいがある

南部鉄瓶の出来るまで(封入冊子抜粋)


(1)木で型を作る  
   上半分(上型)と下半分(下型)を別に作る
(2)鋳物土を押しあてた内側に文様を施し、これを炭火で焼きしめる
   鋳物師の腕の見せところ
(3)中子をつくり、湯(溶けた鉄)が流れる隙間をつくる
(4)鋳込み  細心の注意をはらって溶けた鉄を流しいれる
(5)釜焚き  鉄瓶を800~900℃の炭火で約1時間加熱(鉄瓶内にサビをつきにくくする)
(6)着 色  漆を焼きつけて特有の色合いをだす。つるを取りつける

80の工程を経て完成となる
凝固材を混ぜて型をつくる「生型製法」は量産がきくが、
南部鉄瓶は伝統の手作り「焼型製法」である  
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手作り”さるなし”のジャム

2005年11月07日 | 暮らしの積み木
サルがないとは?
11月7日(月)霧のち
面白い名の木”さるなし”の実でジャムを作った

「さるなし」
いつもの堀金物産センタに、生の実が¥200/250gで販売されていた
さくらんぼと似た形状のグリーンの実である
柔らかいが、形と色はオリーブにも似る
あっちでもこっちでも採れるというものではなく、いまでは貴重品らしい。

生食すると、キウイフルーツの味がする
以前瓶詰めジャムを買ったことがあるので、早速自宅でジャム作り



(1)実は洗って、茎と底についているひげを取る
(2)材料は240グラムになったので、砂糖は50%で120gにした
  (使わないヨーグルトに添付されている砂糖を利用)
(3)鍋の中で実をザクッとつぶす
(4)砂糖を加えて、ことこと煮る
  (白いアクを掬い取る)
(5)レモン汁を加えてさらにゆっくりと煮詰める
(6)あら熱を取ったあと、熱湯消毒した瓶(直径65ミリ高さ75ミリにピッタリ)に
詰めて出来上がり


酸味を少なくするなら砂糖を増量し、粒々を残すほうが食感は良い
パンにもクラッカー(塩味薄めのほうが美味しい)にもgood!

今朝は裏庭でジコボウが始めて1本とれたので、記念撮影後、昼食のぞうすいに。。。。

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花林糖・かりんとう

2005年11月06日 | 安曇野とその周辺
11月6日(日)午後
「花林糖」は当て字かと思っていたら辞書でちゃんとひける
英語では fried dough cookies と「三省堂エクシード和英辞典」にある

かりんとうといえば「新宿中村屋」ときまっていた
とにかく好きだった。ただただ美味しかった。濃密な黒糖はもちろん
サクサクした歯ざわりも・・・・
封を開けたが最後、袋の底のくずまで食べ尽くす
しかし安曇野に移住するまで、創業者相馬愛蔵が穂高出身で、碌山はじめ
多くの文化人・芸術家を支援し育ててきたことは知りませんでした。
穂高の研成義塾しかり、新宿本店の中村屋サロンしかり。

インドが好きで、当然カレーも好きでと通販の中村屋インドカリーも食していたにも
関わらず、である
住宅建築の単身赴任住居近辺の大型スーパーで、中村屋の専門コーナーがあるのが
「何故か?」と関心を持つきっかけだった。
地元紙「市民タイムス」とあれこれ読み始めた郷土関係の本、
臼井吉見記念館で見た小説「安曇野」などが情報源です

大工さんたちは、「松本にもおいしいかりんとがある!」と胸を張る。
それが久星食品の花林糖だった。3時のおやつに大工さんたちと
ぼりぼり食べました。中村屋のよりややあっさり系だ。

6月25日豊科に「蔵久」が開店した。7月上旬に訪ねた時は忙しいさなかで、そうめんを食べ、
出来立てかりんとうを買っただけだった。
5日、改めて訪問した
もともと1810年建造の造り酒屋の星食品4代目若社長が今風に展開している。
以前この屋敷は映画「犬神家の一族」やモノクロ映画「姉妹」のロケ地にも
なったことがあるそうです

商品販売は勿論、重厚な本棟造りの建物、食事が出来る和座敷、
立派な日本庭園、和座敷にある古い家具を再利用した赤い漆塗の衝立と、
間接照明を施した同仕様の床の間の掛け物が素晴らしい(写真右)

母屋と別棟の間に水を配し、ミニライブが出来る外カフェでは、
オープニングはじめ何回か催事があったと紹介されている
ここのデザインは橋本夕紀夫氏だとスタッフから聞きました


なかでも別棟の揚げ立て花林糖実演販売はなかなかのアイディアだ
写真右:出来立てほやほやのかりんとうは一袋100グラムで300円

黒糖カレーは好評と聞いています
大型観光バスが乗りつける観光スポットにならないことを願う

ついでといっては何ですが、途中スイス村の一角にある自然食品店で
「あずき(北海道産)入り完熟花林糖」を買いましたが、甘すぎて
”とろけるおいしさ”はやはりかりんとうには無理だった
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八坂村の「郷土かるた」

2005年11月03日 | 安曇野とその周辺
10月26日
郷土かるたの存在を知ったのは安野光雅著「安曇野」P36の紹介で、
かるたが出来たのはたぶん40年くらい前の話です

八坂村教育員会発案の「郷土かるた」を穂高出身の当時の美術教師・井上武美さんが
生徒に作らせた版画である。
詞句は村民から公募、八坂中学校生徒の版画がいい味わいの絵です。

そのコンセプトは「豊かな自然の中で、時には厳しい自然とのたたかいを経て、
幾世代にもわたって育まれてきた、村の生活や文化遺産を大切にして、その上に
さらに新しい伝統を加えていくこと、それが現在に生きる私達の務め」
(安野光雅著「安曇野」から転載)

八坂村の郷土かるたは今でも八坂村役場(電話0261-26-2001)で販売している。
1700円
役場の職員は一呼吸し気の毒そうな声を出した。ちょっと高いな!を電話口で読まれたみたい。
因みに18年1月1日をもって大町市と合併になるので、「八坂村かるた」は今年中に
買いたいものだ。と考えていたら、追いかけ「新そば祭りに来ませんか?11月6日までです」
女性職員のSさんはなかなかの腕っこき職員のようです。
会場は村内の「明日香荘」 そこではかるたは販売していません!
見るだけならどうぞと、八坂中学校。

八坂村を安曇野として紹介するのは少し方角が違うという意見もあるかもしれないが、
大目にみてほしい。このあたり一帯を支配した仁科氏が南下して安曇野を開拓したという説も
あるのだから。手に入り次第写真紹介します。まずは行ってきます

11月1日霧の朝、後

初めて霧の朝を迎えて(写真:最寄り駅午前7時40分)大町へ向かう


坂また坂の山の中「八坂村」は大町市から車で15分くらい(大町駅から村営バスも運行)にある。
八坂村は紅葉真っ盛りで、行き交う人も少ない静かな村です。
のどかな山の村役場     


写真左:コミュニティセンター アツキ全体(村民や観光客向けの情報センター)
写真右:ドーム部分拡大

ドーム部分の下は図書館になっていて、広いガラス窓から紅葉の谷あいが見えました。
木と石を使った立派な建物です

かるたを買ってきました
どの絵柄も詞句も良くて選別に困ったので、とりあえず「あ」と「わ」を紹介



「赤々と 天を焦がして どんど焼き」
 今は焚き火も禁止になりましたが村ではどうだろう?勢いのある炎がいい

「私らは 村に残ると 若夫婦」 
 櫛の歯が抜けるように過疎化が進む村だったのだろう。
 村に残ってくれる若夫婦を誇らしげに詠った老親の様子が目に浮かぶ

やはり紹介したいカードが・・・・


「炭やいて この谷老ける 人もなく」
 現在の炭ブームを予見したかのような一句
 防湿・防カビ剤 香料 石鹸 木酢液etc

「雪深し 明日は楽しい うさぎ狩り」 
 躍動感いっぱいの元気なうさぎが素晴らしい。作者はきっと生き生きとした中学生なのだろう

文化芸術の質の高さに唸る
残りわずかの「八坂村の郷土かるた」は、売り切れごめんの貴重品です。
 
9月1日現在の人口が、1,128人 男女の比率があまり変わらない。
バランス感覚のよい村のようです
もっともっと紹介したいのだが、スペースの都合上ここまで

平安時代創建とされる「藤尾覚音寺」
金太郎とその母大姥様が棲んでいたという「大姥山」などなど観光名所もあります
金太郎さんは大姥と有明山の八面大王との間に生まれた力持ち坊やという伝説の子。
わが有明山と因縁浅からず・・・が面白い

つい最近、あの懐かしいアニメ「まんが日本昔ばなし」が再放送されています
TBS系、水曜日18時55分から30分
坂田の金時も、龍の子太郎も、伝説だからきっと似たような話は全国にいくつもあるのでしょう

山村留学で話題になった村でもあります
当日の夕焼けは、朝方冷え込みのプレゼントでした
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