蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

働く人々 カンボジア編

2007年03月29日 | 安曇野を離れて
ツアだと「やっぱ自由気ままとはゆかない」 当然だけど・・・・

カンボジアはインドほどではないにせよ、格差社会が厳しそうというのが感想です

朝焼けに浮かぶアンコールワット


カンボジアではアンコールワット他世界遺産めぐりだが、入場カードを40US$/3日間を提示して見学するのだが、その割には保存管理が乱雑に思う。もろそうな石を自由に触れ、歩き回れる。

いちおう禁止警告措置はあります
Tシャツマークは、袖のあるシャツを着てね。アメリカのお姉さんみたいにグラマな胸と肩は遠慮して・・・・  (大声で)喋らないでというのもある

役人らしき人が各遺跡のゲートでバスを止め、車内に乗り込んで我々が掲げるカードを「よしよし」と見回して降りてゆく



数年前、日本の石工棟梁が弟子たちとともに遺跡に派遣され、修復を現地の若者に指導したはずだが、その後生かされているのだろうか?
若い現地ガイドは、何のことかさっぱりわからないという。日本人観光客が多いのだから、勉強して喜ばせてほしいなぁ。
写真右は幹が銀色に輝いて見える大ガジュマルの木

料金を聞きそびれましたが、上空から遺跡観光というのもあります



そうでした。ベトナムで買ったあの傘を登場させなければ。
写真左:妙に似合っているベトナムの日よけ笠、雨にも強い・・・たぶん。2$なり
写真中:ワット第3回廊(3階)への階段はテスリなし、勾配はたぶん70度
写真右:下りはテスリあり、へっぴり腰ながら35段を無事完降

余裕のある衣服を着用しているので、非常に太ってみえますが実物は8割くらいです、念の為言い訳を
かなり暑いと予想されていましたが、35度は思ったほどではなかった

アンコールの写真はホームページでた~くさん紹介されているので、ここもやはり働く人々をとりあげます
写真左:石造の阿修羅にそっくりなセキュリティ係りのお姉さん
写真右:日陰で絵を描き売る青年。内戦による障害を持つ人は出入り出来営業活動が許可されているという。彼は声を失い筆記だった

他に、5~6人で楽器演奏をし、喜捨を受け取る集団も何組かありました。

写真左:遺跡内でも住居や土産屋があり、母親にせかされ営業する少女
写真右:しばらく売り歩いていた少年が、池を見つめて寂しげな佇まい

ホテル近辺の露地では
写真左:自転車のリヤカーに載せて売り歩くアイスクリーム屋の青年
写真右:おいしそうなコッペパンにアイスクリームをはさみ、色付けした何かをトッピング

タイでも同じようなアイスクリーム屋さんがいて何回か食べたが、お腹具合は自己責任だから、ツアでは遠慮しガマンガマン

早朝の托鉢中の僧侶に喜捨し、祈りを受ける住民。かがんで受ける姿勢は上座部仏教の習慣だと思う。
日本でも托鉢修行はあるんだろうけど、最近はこういう光景は見ないなあ。


動物だって・・・
写真左:遺跡めぐりの像タクシー
写真右:ココナッツジュースの飲み方を教える親鶏


こうして事故も病気もなく8日間は終わったが、一人の紳士の財布がスリの被害に遭った。ウエストポーチからだという。たぶん写真を撮っている時だろう。彼等は単独でなく数名で連携プレーをすることが多い。いかにも善人そうな老紳士で、喜捨したと思えば・・・と温和なことをおっしゃる。
これから日本の団塊世代が余暇を謳歌し海外へ脱出すると思いますが、どうかスリには気をつけて。アジアだけでなくイタリアでもアメリカでもイギリスでも多いようですよ。

厳しいアジアの途上国に行くことは、改めて日本を見つめなおす機会だと思う。「世界遺産をめぐる旅」で○○へ行った▲▲を見たという自慢話だけでなく、日本を見つめ、忘れがちな集団行動のマナーを堀りおこさねば。年齢とともにあつかましくなる。自戒をこめて・・・
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働く人々 ベトナム編

2007年03月26日 | 安曇野を離れて
ベトナムは想像より豊かだった。ほんとの意味で発展途上国だと思うし、あのベトナム戦争の悲惨さを全面に出していないのが不思議だった。むしろ若者はアメリカへ憧れの眼差しで見つめている。戦後の昭和の日本に似ている。
外国人年配観光客も多く、アメリカ人だったら、あの戦争に巻き込まれた人もいるはずだろう。十数年前、ニューヨーク・ブロードウエイのミュージカル「ミス・サイゴン」を鑑賞した時、後ろ席のいかついおじさんが鼻を啜っていたのを思い出した。
日本の紳士方が期待するアオザイ女性はレストランや土産屋などのサービス業と高校生の一部くらいだった

ハロン湾に浮かぶ奇岩(ニワトリ形)あいにくの曇天&小雨

写真左:小さいボートの親子が近寄ってくるのが見える
写真右:湾の船室で食事中ボートから這い上がってバナナを売る少年

写真左:喧騒の町中ではオートバイが数珠繋ぎ、職場へ向かうカップルか?
空気が悪いので月光仮面のおじさんやおばさんやお姉さんがいっぱい走っている
写真右:ベトナムならシクロ体験でしょう。自由時間を利用して20分くらい乗る
自転車タクシーだが、乗る前に行き先と値段を交渉しておいても、降りる時にはもっと出せと粘ること粘ること。おばはんだと思って甘くみちゃいけないよ!インドで経験済みだい、その手にはのらないぞ。ってことで適正価格ではないが、約束価格で楽勝。
”微笑みのベトナム”なんぞ都会の道路にはない!

写真左:街にはサイゴン川が流れ、遠くに有名企業の看板がならぶ
写真右:そして不謹慎だが住宅の彩りが、ちょっとまずいホテルにそっくりな建物が・・・

色はともかく鉛筆のような建て方と奥行きの長さは地価の関係からか伝統的なものらしい。隣同士がくっついているので、大方の建物は正面だけを色彩している。通勤圏では建設ラッシュの様相だった

それでも人々は喧騒のなかで働いている

写真左:朝食は屋台で・・の習慣だそうで露地では店が軒を連ねる。炭で炊くご飯屋さん
写真右:懐かしい路上散髪屋さん

写真左:托鉢の尼僧は裸足だった
喜捨すると手振りで”あなたが幸せであるように・・”。と祈ってもらったと勝手に納得する
写真右:すぐそばで厚揚げ豆腐を揚げて売っていた
長い中国の統治時代を経験しているベトナムではあれやこれや中国文化がてんこ盛り

アジアでおなじみのドラゴンフルーツ。この婦人は3種類の商品だけを販売
カットしてもらって部屋で食べました。な~んだホテルの食事によく出たものじゃないか!

実は働く人々のなかに撮影できなかったシーンがあります。
ベトナム戦争時、アメリカの枯葉剤投下によるハンディキャップを持つ多くの人々が刺繍や石工や縫製技術を学び、生活の糧としているセンターがありました。


沙羅双樹の花を見たことがありますか?
これです。開ききってますが、仏教聖木の一つで平家物語の冒頭の「祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響きあり,沙羅双樹の花の色・・・」寺院の庭に落下した花をこっそり持ち出し、笠に入れて撮影したものです。この笠はカンボジアで大活躍します

以上移動中のバス車内・船内からと、早朝のホテル近辺散策での報告でした

おまけ:添乗員さんのお薦め土産
   《VietNam JackFruit chips》 
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花の目覚めは

2007年03月17日 | 庭まわり
ここ数日の午前6時の外気温がー3℃続きです。
近場散歩中に見つけたなごり冬
写真左:用水路の清流と藁についた氷
写真右:霜柱はなんと7センチくらいある

長い眠りから覚め始めた我が家の花を探索してみました
一番気になる日本水仙は?よしよし気合充分だ


写真左:昨年咲かずに沈没したスノーフレークは・・・・おう!咲くつもりのようだが、これでいいのか?
写真右:オキナグサよ、昨年は翁になるまでご苦労さんだったなぁ、今年も待ってる



写真左:ショウジョウバカマ 冬の間も枯れず、落ち葉の下で小さな寝息をたてていたのを知っている
写真右:新芽ばかり探していたら、ヤママユが落ちていた

写真左:去年の枯れ茎を押しのけて現れたオダマキ
写真右:まだまだ寒そうなネコジャラシ

寒そうな廃屋にも春よ来い



ヤマボウシやウルシやベニドウダンツツジ・アジサイなどはまだまだ冬眠中
昨年秋ばらまいたレンゲは、小ぶりながら葉がでてきている
ちょいヤボ用で26日ころまでブログは休眠中となります
その頃になれば花色つき写真がup出来るかな?無理のような気もしている
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安曇野にチターの音色がよく似合う

2007年03月15日 | 安曇野とその周辺
内藤敏子さんのチター演奏を”ビレッジ安曇野”で聴いた。鳥肌が立つほどの感動だ。
表題は内藤さん自身の演奏会でのことば-----------同感
当日はまったくもって青い空、白い雲、白い山々でした

実は昨年第三の男をチターの生演奏でを急用のため聴き逃しているので、待ちに待った機会だった。
チターといえば「第三の男」という認識くらいで、国内での奏者が少なく内藤さんはその普及と後進育成にも尽力されています



では教養講座を・・・
○2000年の歴史をもち、ドイツ語圏の人々には大変親しまれている楽器である。
○教会ではオルガンの代わりに賛美歌の伴奏もする。ではなぜ日本では馴染みがうすいのか?
○ヨーロッパからクラシック音楽が日本に伝わって来たとき、チターがオーケストラに所属していなかったのが大きな原因である。
○楽器の構成は伴奏部分とメロディー部分の弦があり、まるで数人が合奏しているように聴こえます。
○プログラムの『我、夢の街ウィーン』の作曲家R・ジジンスキーは、この曲1作品のみ残したが、ドイツでは大人も子供も親しんでいる曲です(いかにもドイツ人らしいと思った)
もっと詳しくは内藤さんが会長である日本チター協会
立派な肩書きですが、面立ちも話し方も実に柔和な方で演奏にもお話にも引きずり込まれました

10分の休憩をはさんで全13曲、そのうちエーデルワイスには会場の雰囲気を汲み取り3曲を加えたメドレーに・・と2時間はあっという間でした。
●映画「第三の男」鑑賞の知恵
 100分の映像にハリーはわずか7分の登場、オーソン・ウエールズの存在感
 ハリーが登場するときはハリー・ライムテーマが流れる
 ジープに同乗の警察官が米、仏、露、英の4人。制服がそれぞれのお国のデザイン
 ハンナを連行する部屋での4カ国の警察官の対応を見比べると面白い
 映画「第三の男」でのチター演奏は、日本の弦楽器・津軽三味線の奏法に近い
よしもう一度見直してみよう

安曇野でのコンサートのしめくくりには『早春賦』と『ふるさと』がよく似合う
小ぶりな会場に100名ばかりの聴衆が春を待つ2時間でした

おまけ
11日のテレビ「題名のない音楽会」で映画音楽30のなかで第三の男はたしか18位でした。18日に後編がありますよ
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ピックアップトラック

2007年03月14日 | 安曇野とその周辺
ピックアップトラックの定義は
『トラックの一種で、乗用車の後部座席以降(トランクなど)の部分をそのまま荷台に置き換えたボディ形状の自動車である』だそうだ。

薪運びに軽トラックでは足りないし、X-TRAILでは可哀想というので、ピックアップトラックならどおだ?
かといって買い替えや増車は財政上出来ないなぁと・・・・・

そういえば、穂高の大型農道沿いに見目麗しい車を見かけたぞ、と途中下車。
ある地元企業の駐車場だ

三頭身かと思ったら



八頭身ナイスガイでありました。荷台容量がたっぷりで4ドアだ



TOYOTAのロゴが見える。近くに居た男性が
「たぶん社長のです、たぶんアメリカからの逆輸入車でしょう」聞きもしないのに説明する
社長が材木運ぶのかなあ?それとも会社のインテリア?
形が美しいだけでなく、ボディも質実剛健そうな肉厚車体でありました。ロールスロイスと同じで狭い街中では似合わないが、この地ならOKだぜい・・・
遠くに常念岳を背負った写真を撮れれば絵になりそうだ

下衆の勘ぐりだけど、いかほどしますでしょうか?
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みちのく:続五能線~信州へ

2007年03月12日 | 安曇野を離れて
温泉へ飛び込む前に、前ページの忘れ物を追加

津軽鉄道・金木は太宰治の出身地、彼はいわゆるええとこ(大地主)のおぼっちゃまです。明治40年、日本三大美林のヒバを使い建てられた「お屋敷」は生家~旅館(当時の金木町長が私財で買い上げ)~太宰治記念館「斜陽館」(町が譲り受け)として現在に至る。ガイド青年の話では、おかげさまで入場者数はまずまずとのことでした。

この田舎町にこの建物(津島家)はやはり財力の証だった。元貴族院議員で金融業。
しかし借り手への取立ては穏やかだったと説明があり、”越後屋~”ではなかったのだ
写真左:1階土間際の美しい格子窓
写真右:西洋からお取り寄せでなく純日本製の応接セット。低い椅子は和装の女性が正座すると、通常の椅子に座る人と目線が揃うようになっている

写真左:手入れの行き届いた見事な廊下
写真右:左から2枚目の襖の前に太宰少年の勉強机があり、そこに書かれている漢詩に「斜陽」の文字を見て育ち、小説の題名になった。ユニークな欄間のデザイン

ランチを何処で・・・来る時、通りかかりの地元赤鼻3人(昔)娘に尋ねると「あややがいいべ」
ありがとう、見つけた店は「田舎路あいや」寒い体に鍋焼きうどんは美味しかったですよ
駅前商店の無残さは、斜陽館のあとに見るのは辛い


五能線乗り換え五所川原駅では吹雪となり、コートなしの地元の高校男子生徒がホームでたむろしている。期末試験中の彼等は「寒くないべ」と平気な顔で言う
   深浦へ向かう五能線の乗客になる

さあいよいよ不老ふ死温泉に浸かります
写真左:旅館内から利用の露天風呂。岩肌が粗く触れると痛いほど。
     ぬるくてぶるぶる震えるが、圧巻”(ひたすらじーーーと浸かっていれば大丈夫)
写真右:旅館の露天風呂だが海岸にもっとも近いため大荒れの波を被って、本日入浴不可
     混浴と女性用があるが、どうも脱衣場は不完備のようだよ

寒いの寒くないのって・・・・。湯船から体を出すと震えが来る。湯温はたぶん30度そこそこかな?じーーーーーと30分浸かっていても出てすぐはやはり寒い。でも後はじわじわポカポカ
荒削り浴槽なので皮膚がヒリヒリしますが、あれっヒリヒリは泉質のせいかな?

夕日の美しい海岸ってことで深浦周辺には温泉宿がいくつかある
この宿では面白企画中で(今月中?)105円×51歳からオーバーの年齢分を値引きサービスです(行ったつもりで各自計算してみて)

翌日は宿の最寄り「艫作(へなしと読む)駅」8時発で五能線の終点東能代まで約3時間の鈍行。東能代へも五所川原へでも、1日5本の発着です。
奇岩が続く海岸線で、夕日100選スポットだが
突然現われるウエスパ椿山駅から直結遊園地。昔の奈良ドリームランド風? 繁盛しているのかなぁ
  「リゾートしらかみ・くまげら」号の存在理由がここにきて判明

写真左:山の中腹を、道路と海岸線を見下ろして走る   
写真右:鯉側駅は映画ET似のシェルターつき。駅⇔陸橋⇔道路側施設を結ぶ顧客サービストンネルだ
きっと陸橋での風速が凄いのだろう

東能代駅到着、昼飯を探す。駅売店に1個残る駅弁は『鶏めし』(¥850)
写真左&中:比内鶏を使った超メジャーな駅弁だそうで、ラッキー
写真右:駅弁ついでに、先回りして仙台の名駅弁も紹介しよう
往路の売り切れ駅弁『南三陸海宝弁当』(¥1000)
秋田新幹線に乗車直後の車内販売嬢に予約できたのだ。行きの仇は帰りで・・・。今夜の夕食は駅弁ぞ
実に美味しかったです。牡蠣、いくら、鮭、アナゴがほどよい醤油味。デパートの駅弁大会で見つけたら、早めに出動して是非ご賞味あれ!幸せの太鼓判(ただしパッケージには季節限定の表示あり)
裏事情説明:フリー車内誌で写真を見つけたとき一目惚れ。帰りは必ず・・・の成果だよ

東能代駅ホームに見つけた街おこし看板
 ボールは落ちてこないから心配無用
能代工業高校バスケット部は全国大会で何度も優勝している強豪だそうだ
1時間の待ち合わせ中、(待合室の隅の壁のコンセントから)携帯電話の充電をさせていただきました。FOMA1期品で、古くなると電池の消耗が早いので困る
12時2分発秋田新幹線にむけ在来線で   よっこらしょ

帰路新幹線(秋田~盛岡~大宮)
雪たっぷりだが、安曇野の平野とは景色が違うなぁ。広すぎるのか?

角館は風景が今までとちがって、しっとりとしている。蔵も見えたし、かいま見だが駅のポスターの掲げ方もほのかに色気があった。
直感だけど角館駅~奥羽本線・鷹ノ巣駅を走る秋田内陸縦貫鉄道(JRではない)に興味がわいた
このあたりの線路図を見ると『阿仁マタギ駅』があります。信州・秋山郷のマタギはここらの出自ではないかという説があると、以前聞いたことがあった。
(後日検索:秋山郷の温泉は、江戸時代に秋田のマタギが発見したと伝えられていました)
五能線とはまた一味違う秋田内陸縦貫鉄道もなかなか面白そうです

余談
■長野新幹線と東北新幹線はトンネル新幹線ですね。”最短最速距離を走る”コンセプト・トレイン?
■おっと忘れていました「津軽三味線発祥の地」金木の津軽三味線会館で15分くらいのビデオを一人で鑑賞(失礼ながら女性の生演奏より観光ビデオのほうが秀逸)
貧しく苦しかった生活から生まれた津軽三味線は3人「神原の仁太坊」(金木町出身)門下の「嘉瀬の桃」「白川軍八郎」により津軽三味線の基礎が築かれた。
津軽では小学生から部活に三味線を取り入れており、こうして伝統は継がれる

到着長野は曇天雪なしやや寒し。
みちのくは遠く美しい鉄道旅でした。亡妹に感謝  みちのくシリーズ完結

追伸
今朝の報道で東北地方が大雪。私には適量の雪景色だったので、申し訳なくて美しいとかラッキーなんて言ってらんないね
昨日のアクセスは通常数でしたが、ページ閲覧数が600弱あり、腰をぬかしそうになった。駄文におつきあい頂いた方がた、ありがとうございました。そしてお疲れ様でした
(運営gooの機能事故だったりして・・・・ひょっとして今日お詫びコメンがくるかも?)
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みちのく:有料特急&津軽鉄道~五能線

2007年03月11日 | 安曇野を離れて
友人が東北にゆくなら是非と勧めてくれたストーブ列車と五能線。鉄道好きにはたまらないよと言う。
そこで五所川原から津軽鉄道で金木(かなぎと読む)まで出る
9階の窓から見えた、弘前駅を出る特急列車?


東北新幹線
往路の大宮~盛岡までの列車名がふたつあったのは何故か?
2列車”はやて”と”こまち”が連結していた。新幹線車両の連結って想像できますか?西洋人のような鼻の車体が連結だよ・・・
①大宮→八戸へは”はやて”で座ったままOK(だから座席指定は必須だったのか)
②大宮→秋田方面へは盛岡で後方列車”こまち”を切り離す・・・なるほど納得。
仙台の駅弁・海宝弁当の車内販売は売り切れ、残念

有料特急(JR東日本の努力はここにも)
写真左:この表示はなんだ!  写真右:自由席に座った前に別室がある
写真右:飛行機のファーストクラスのように豪華ではないが、明らかに普通座席とは違う
写真左:熱く語ってくれた年配のレイルマン(この方も退職後の・・・たぶん)
出発の際、窓の外からじっと見送ってくれました。敬礼でお別れ
新幹線以外の有料特急は1車両内にグリーン&自由席をセパレート利用しているんだって。
ご存知ですか?知らなかった・・・・です。
国鉄から民営化(JR)される直前に総裁が決定したとのことです。つまりスリムにしようということ。じゃぁ東日本だけではないかも???

津軽鉄道がんばる
昭和5年11月開業の20キロばかりの小さな私鉄だ
レールオーナーになりませんか?やイベント列車など頑張っている
○往路:五所川原→金木駅までの走れメロス号  金木は太宰治のふるさとだもんね
    歌手の吉幾三氏もここの出身
  走れメロス号車内に本棚がある
車内で読む、また帰りの列車で返還でもOKだが、太宰治の本はなかった。返ってこないんだって
○復路:金木→五所川原はストーブ列車。計画中は雪なしだった。が「3月いっぱいは雪なしでもストーブは焚きます」・・・との返事で時刻表とにらめっこ。なんせ本数が少ないので、東北の旅は苦労だ。がそこんとこが愛しい

前夜のライブ居酒屋のコマイ2尾を残して、ストーブで焼いた。そばの婦人3人組と4人で半身づつぱくついた。記念だもんね。彼女達は、JRびゅうバスをチャーターしてこのストーブ列車に乗り、五所川原でピックアップしてもらうことになっている。大型バスに3人・・・・・唖然。そこまで合理的にはなれない。

五能線の女になる?
五所川原から本日の宿、深浦まで日本海海岸線を走る。もちろん鈍行
五所川原発13時46分 深浦着15時30分
海岸線を走るからこの景色の連続だが飽きない
写真右は一番海岸に近い駅「驫木(とどろきと読む)駅」黒い野原の1メートル下が海岸だって。

ネットで偶然見つけた「不老ふ死温泉」  こんな生き方は希望しないが今夜の宿とした 
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みちのく:雪舞う夜の津軽三味線

2007年03月09日 | 安曇野を離れて
6日夕方青森県弘前市に到着した時は吹雪だった。「1ヶ月ぶりの雪」と地元の人は話す。
出発前に検索した三味線ライブ居酒屋「山唄」にどうも気のりせず、呼ばれていないと感じた。HP内容を見る限りメジャーすぎるのだ。そこで駅の観光案内所とJRびゅうプラザへ立ち寄り情報収集する。
どちらも若い女性だったが、私の感想に小さな声で「有名すぎます。○○○はいかがでしょう?」
・・・でしょう、やっぱり
でホテルから遠くなるが、○○○に行く。マイクなしの同目線ライブハウス

演奏時間以外はジャズが静かにながれています

客はまばらで、とりあえず居酒屋だからオーダーする。一日中座りっぱなしでお腹がすかず、地元わかめの酢の物やホタテ貝焼きみそやコマイの干物を囲炉裏で焼いてもらった

8時頃には人が集まり始め、囲炉裏の前で演奏が始まる。本日の演奏者は、昨年NHKで紹介された若手のホープ(と店の主は胸をはる)小山内薫君。他に3名のポートレートが張ってあるが、しかしこの夜の演奏は彼が一人だけだった(実はスケジュール表によれば今日は彼が当番なのだ)

繊細そうな面立ちに似ず、力強いバチさばきだ。演奏中は霊気さえ感じられる

亡き妹の写真をテーブルにおいて一緒に聴いた。きっと喜んでくれただろう。店の主が帰りぎわ、彼等の師匠である多田あつし氏のCD-R(25分)をプレゼントしてくれました。今パソコンで再生しながら書いています。
↑上記URL内にも無料で聴けるサイトあります。システムがよくわからなかったが、こうした店が若い演奏者を育てているのではないかと思う

嬉しくないおまけ
■みちのくの 雪としゃみの音 亡き妹へ
■バチ重し ずしんずしんと 雪の舞う
■みちのくの もどりし雪に 歓喜なす
    
翌日は津軽鉄道の五所川原⇔金木を往復。津軽三味線発祥の地であり、太宰治の故郷でもある金木では時折吹雪だった。戻るときはストーブ列車も体験す

余談
□弘前市では、ねた、青森市ではねたと表現する
□ホテルの売店婦人は、「スキーシーズンの白馬の山小屋へ3ヶ月手伝いに行ったことがある」と懐かしがる
□一説では長野県の松本市と長野市のように昔はあまり仲がよくなかったそうだ。
ねぷた祭りにもあらわれているらしい
弘前は優美で厳かな雰囲気を、青森は武者者ものなど立体的動きがあるという
そんな違いは知りませんでした。写真はいずれも弘前のホテルの展示ねぷた。
弘前の人は、青森のねぶたは後出しだと言う。津軽藩主が始めたというから、そうかもしれない

□店や街でもゆらゆら揺れている金魚は、子供たちがちょうちん代わりに下げ持ちねぷたの後を練り歩くそうだ。楽しそう・・・・↓こんなものです。インテリアなので実際より大きい(ライブハウス「杏」)
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みちのくひとり旅

2007年03月06日 | 安曇野を離れて
津軽三味線のライブを聴きに行きます。お目当てはここの予定
昨年急死した妹と、いつか津軽のライブハウスに行こうと約束をしていた。
1周忌までの雪深い津軽へ・・・3月と決めていたのにこの暖冬だ

「大人の休日倶楽部」の『3日間、特急ほかJR東日本・北海道乗り放題12,000円』の企画もの利用です
せっかくだからと明科~弘前~五所川原⇔金木~五能線~秋田経由で明科駅の3日間とした。
窮屈なので指定席なんぞとったことがないのだが、予約時の駅員が「この時期特急は混むだで」のアドバイスにより、1時間以上乗るものだけ座席指定したが、混まない気がするし、まっ当日変更だって出来るし・・・・

  小百合嬢はいつまでも若く美しい
同年代とは思えない、しかもこのCMではふっくらさせているところなんかさすが!

月刊誌が届くが、えせセレブ風の内容には無縁
安く楽しく気ままに鉄道が利用できれば、それでいい。年会費を負担しても、大阪へ行く、東京へ出る、気まま旅に遊ぶ・・・と私には重宝だ

ほんでもって9日くらいまで休刊です
本日の天気予報-------今夜は冷えるって。天をも味方につける強運な私?
美味しい情報のコメントください。携帯電話で対応できます、ハイ
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路面電車

2007年03月05日 | 駅&鉄道
午前8時の外気温12℃、寒くはないが風の強い日だ。
午前6時の障子がうっすら赤く燃えている。すわっ朝日だ!カメラ!準備中に赤は消えた

自宅窓からの撮影で、木々の配置や電線に不都合な真実が見えるが、今回はまずまずで嬉しい2枚

しつこいが嬉しさ余って何とやらでご勘弁を・・・




さて本日の表題「路面電車」(写真拝借)
BSテレビのヨーロッパの電車紹介があったフランス・ストラスブール(ドイツに近い街)のトラム



ヨーロッパの人々に愛され続けている路面電車・トラムが、最近復活している。交通の利便性と環境保全やバリアフリーに見直されているという。

長野県では遠い将来でも望めないだろうシステムだけど・・・・
旅の記憶では
インド・カルカッタ(いまでも走ってるかいな?)
サンフランシスコ(身を乗り出して・・・)
オランダ・アムステルダム(航空会社の乗継不良のおまけ滞在)
ミラノ(スイスから鉄道で乗り入れた街)で乗車した。時間帯フリーチケットなんてのもありましたっけ

国内なら
かつて京都市にも大阪守口市にも高知市にも広島にもあったが、今は?
あっ守口市はトロリーバスだったかな? 日本の路面電車
強風で乱れる映像を見ながら、ヨーロッパの電車に乗りに行きたいなぁ~~~

おまけ
JR北海道の救世主となるか?あるときは鉄道に、あるときはバスに・・・・
デュアル・モード・ビークル

路面電車で遊んでいるうちに飴が振ってきた、じゃなくて雨が落ちてきた
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