蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

10月後半の安曇野

2005年10月26日 | 安曇野とその周辺
10月23日有明山神社内のオブジェ(記念碑)更新しました

「八坂村の郷土かるた」を11月3日の新タイトルに移動しました

21日
老舗の和菓子やさん
穂高富田信号(広域農道)の近くに個性的なロゴの「丸山菓子舗」があります。

先日来客用にと店に立ち寄った折、ショーケースに「矢村の矢助」なる和菓子が
目にとまったのは、最近伝説本「安曇野に八面大王は駆ける」(中島博昭著)を
読んだ中で見かけた記憶があたったためです。
「この和菓子に関するパンフはありますか?」と聞くと
よくぞ聞いてくれました!の雰囲気で別コーナーへと誘導する。

丸山菓子舗では以前から、安曇野を紹介し郷土を大切に守るために、
安曇野にまつわる名を冠した和菓子を作っておられたのを、
「店内にそのギャラリーを設けませんか?」と勧められたのがきっかけとか。
写真左:紹介パンフ  きりえ制作は やまぐちひろみさん(もう故人になられたそうです)
写真右:銘菓 矢村の矢助

この他に民話の里シリーズとして、八面大王、有明山、御船だいこ、安曇野風土記などなどあります
このギャラリー開設を提案したのは、またしても登場の「中島博昭氏」ですって。
犬は歩くと棒にあたりますが、私は訪ねると中島博昭氏にぶつかります。
安曇野が狭いのか、縁が深いのか?


この店を初めて知ったのは、住宅建築のため大阪から上棟式の準備にやってきた今年2月です。
内祝用の注文でお世話になりました
そのときの対応がよかったので、その後建築に参加するための私の単身赴任中にも何回か
買いに行っていましたが、
ある日
農道を走っていた時、一転俄かに掻き曇り、それこそバケツをひくりかえしたような
大雨に遭いました。トラックのはね散らした水をかぶるわ、免許とりたてで雨中走行は初めてと、
散々な目に・・・・
ちょうどさしかかった広い駐車場に、緊急停車の判断は正解
傘をさした若いスタッフがドアの側で「どうぞ雨宿りしてください」と
誘導してくれました。

無料の休憩コーナーもあり、セルフサービスでコーヒーがいただけます
雨でなくても、穂高散策の休憩にどうぞ


2回の誘導にノックアウトです
明治42年創業の老舗にあぐらをかかず、完璧なCS(顧客満足)を実践している。
和菓子だけでなく勿論洋菓子だって負けていません!

またまた散歩中に・・・・
豊かな水路が幾筋も北アルプスや有明山を水源に流れてきます、よく澄んだ水です。

脇の畦道で、まるで春の若葉のような柔らかい蓬(よもぎ)を見つけた。
そうだ!お正月のお餅にまぜよう(臼でなく電気餅つき器ですが)
洗って干したら70グラムもありました。充分な量です


せせらぎを聞きながら散策していると、こんなロマンティックな橋もあります
橋自体はそれほどロマンティックではありません。
しかしその先の養護老人ホームの看板はすごいです「お年寄りの地上の天国」
私は「お年寄りの地上の楽園」のほうが素敵だと思うのですが、命名者にもきっとそれなりの
思いがあったのでしょう



有明山が好きで、いつか山に登りたいです。まずは手始めに有明山神社を散策

21日の朝6時の外気温9℃ 室内14℃ 久しぶりに有明山がくっきりみえます
有明山の麓にあり、手力雄命(たちからおのみこと)ほか三神をまつり有明山を信仰する
山岳信仰神社である。

鳥居を過ぎ裕明門をくぐったすぐ右手にまだ新しい石のオブジェがあります。
およそ古めかしい神社に似つかわしくない感じがしたが、よく見るとなかなかユニーク

写真上右:西面に「吉呼員和」(喜びを集めて和やかに)
写真上左:東面に「吾唯足知」(分に安んじて貪らない)
石の真ん中の口を上下左右につけて読むと、写真説明の「」になる仕組みです



"開運招福の石"と名付けられており、直径2.55メートル 厚さ0.3メートル 重量2.4トン
有明山神社々務所の立て札の説明によると
百拾有余年前に、全国から集められた和歌が、神社の社宝として保管されていたのを
「残月集」として発刊した記念碑だそうです。
この四角(□)をくぐりぬけて、吉運を集めてくださいとのこと。
日本に一つしかありませんとも書いてありましたので記念にくぐりぬけました。

帰宅後「残月集」を編纂したのは誰で、何処へ行くとそれを見ることができるのか?
このオブジェの作家はどなた?など疑問が沸々と湧いてきました。

まずは穂高の観光課へ・・・・電話口の担当者は????
ではと、穂高ならお任せのJR穂高駅前「ひつじ屋」さんへ電話すると
うちの大家さんならきっとご存知です・・・・・・

大家さんとは矢野口まことさん。
矢野口さんは「残月集」発刊関係者のお孫さんであることもわかりました。
今日はここまで。しっかり調査して確実な情報をお伝えしますので、乞うご期待!

では神社に戻りましょう
鳥居手前の坂道を登り山門をぬけて東へ、小さい石仏の並ぶ細い山道を5分くらい歩くと、
「魏磯鬼窟(ぎしきのいわや)」古墳がある。
坂上田村麻呂に討ち取られた、あの伝説の大王が最後に棲んでいたとされています



鳥居へ行く道の角には、そば処「くるまや」 水車小屋が目印です
ここは美味しくて安いよ!品切れごめんの大繁盛でした
競合店なしの店ならもっと高いはずなのに。。。嬉しい誤算でした
回りのテーブルを見渡すと、追加一品のグリーンの小鉢が並んでいます。
モツ煮ですって 信州ですから勿論馬モツでした

10月23日午前9時
久しぶりの快晴。ここ2日の冷え込みで燕岳も白馬方面の山も初冠雪(写真右)
写真左:有明山の左にほんの少し白く見える。しばらくして池田町のクラフトパークへ撮影に走るも、雲の中でした

さて、石のオブジェの後日談
有明山神社の宮司(等々力満)さんからオブジェについて聞くことができました

・これは宮司さん自身の発案である
・「吾唯足知」は「京都・龍安寺」のつくばい(茶庭などに据える手水鉢)から拝借 
(水戸黄門からの寄進とされており、本物は未公開の茶室にある)
・「吉呼員和」は宮司さん考案
・文字は石川さん(どちらの方か聞き漏らしましたが、おそらく残月集編集関係者ではないか?)
・御影石は中国産というより中国で制作され、運ばれてきた
以上がオブジェの成り立ちです。

11月5日:スイス村(豊科)内自然食品店の奥にあったタペストリーには

吾唯足知 下に龍安寺のサインが見えます
「友人からのプレゼント」とのことでした。


平成15年発行「残月集」は図書館で借りてきましたが、
縦305ミリ、横234ミリ、厚さ33ミリ、重量約3キロ、重いぞー

由緒ある方々1200余名の有明山を詠った色紙・短冊の写真入り和歌集です
当時収集された短冊や和歌を、明治30年小冊子にして発行編纂された矢野口保邦さんのお孫さんが、
上記の矢野口まことさんでありました。
これは安曇野の文化芸術の質の高さを知る貴重な事柄で、もっとゆっくり調べたいと思います


すっかり秋なのに
畑にはサトイモととうもろこし(さすがに実はありませんが)並列しています
その間にはマネキンかかしが立っています(写真左)
北アルプスはもう初冠雪だというのに、まだコスモスががんばっています
茶色に見えるのは蕎麦の実(写真右)

信州の季節感は面白いです

24日 6時の外気温9℃ 室内15℃
たびたび登場の堀金物産センターで商品名「本かりん」を買いました

5個で500円、1.5キロあります。
ずっと以前に梅酒を作って以来の果実酒つくりに挑戦します
同封のレシピから転載

カンタンかりん酒のつくりかた
【用意するもの】
かりん  1キログラム
氷砂糖 100~200グラム
ホワイトリカー 1.8リットル
【作り方】
かりんをよく洗い水分を切り(管理人補足:右端のように柔らかいモゲモゲの薄皮があります)
輪切りにし、つけます(管理人補足:漬け込む容器の水分を充分に除くこと。カビの原因になる)
1カ月すれば飲めます。
1年たったら実をとりだします

ほら作り方もレシピもカンタンでしょ
1カ月先から飲めるなら1年も実は残ってないと思う。。。。
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折込広告のパチンコ屋さん

2005年10月18日 | つれづれ思うに
久しぶりに朝から快晴
5時半まだ暗い中、静かに車でやってくる新聞配達員さん。ご苦労さまです

8~9月中旬までは4時半頃でした。
大阪時代と同じ5大紙の一つだが、朝刊のみで、夕刊は希望しても配達がありません。
住宅密集地ならともかく、山側はちらほらの軒数だから・・・・
ただし地方紙「信濃毎日新聞」はここへも朝夕刊の配達があるそうです。
因みに毎日新聞社とは別会社です

新聞の折込広告の多さに大阪時代は挿入を拒否していました。
今は地域情報仕入れのため折込広告を入れてもらっているが、やはり多いです。
住宅関連 スーパー 通販 ホームセンター 車販売などなど
ところが今日は違う!

たった4枚の折込紙、しかもそのうちパチンコ店のが3枚。笑っちゃいました。

以前から主要幹線道路(国道・県道・広域農道)で看板をよく見かけるし、
その駐車場の広さにも驚いていました。
たしかに都会に比べて遊びスポットは少ない。
エネルギーをもてあます若者達は何をして夜を過ごしているんだろう?
やはりパチンコにカラオケに居酒屋さん?
しかし見渡したところカラオケボックスはあまり見かけません。
ゲートボールのようなマレットゴルフ場は結構あります
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10月の安曇野 拾ケ堰見学

2005年10月17日 | 安曇野とその周辺
ようやく秋の気配が

堀金物産センターにて
朝早く出かけないとお目当ての品がなくなる大盛況ぶり

今月の月刊誌「KURA」は道の駅特集
堀金物産センター女性群の笑顔が紹介されています
大阪では見なかった地方誌ですが、信州のことならお任せである
(一部の紀伊国屋書店にはあるそうです)

シールに「甘柿」○○作とある
すぐ隣の婦人に
「これはどうして食べますか?」
「このままかじって!農薬かかってないよ」
「ん?」
「これ私が作ったの。もう一袋あげます」と私の手提げ布袋にいれてくれたが、
二人家族には多いし、レジで困るよなあ。
結局その農婦人は私が1袋分の支払いが済むまでじっと見守ってくれました

直径5センチ、長さ5.5センチ。艶よし。
可愛い柿は小さいだけに種が邪魔ではありますが
おつまみのように、美味しくいただいていま~す。



10月11日
拾ケ堰見学&レクチャーバスに、押しかけ便乗しました
堀金物産センターから14:30発車を待ち構えて見学バス便乗を交渉する
アジア(カンボジア他)からの研修生一行約20名のプログラムのひとつを
JAあづみがサポートした研修ツアである。
講師は中島博昭氏

先生が日本語で説明すると、通訳二人がアジア言語と英語で伝えるのだが、
時々二重奏になる
    写真:表情豊かなアジアの若者達


(1)安曇野の豊かな水はどこからくるのか?
北アルプスの山から幾筋もあるが、扇状地に地下浸水してしまうので、
農業には不毛の土地だった。
江戸時代後期(1816年)農民達の手で治水事業が始められ、拾ケ堰ができたという。
北アルプスは曇天で全く見えず、研修生は想像で聞いていたことになる。

(2)戦争の頃、山の木を伐採したため大雨が降ると拾ケ堰は氾濫した。
10年前に川の幅を広げてコンクリートで護岸工事をし、ミニダムをつくった

写真左:堀金の取水制限システム  写真右:緑豊かな農作物をバックに写真撮影する研修生

以前写真でみたような緑豊かな川ではなく、想像とは違っていた
おまけに下車した時、プ~ンと臭い、流れに草やゴミが浮かぶ。
すでに稲の刈り取りが済んでおり、流水を制限しているためだった。
田に水を送る時期はもっときれいだと・・・・説明があった
せっかくの見学に時期が悪かったなあ、残念
全長15キロでしょうか、全域がコンクリートになっているのか?
一部でも緑地帯の箇所があるのか?いつか探しに行きたいと思います

(3)奈良井川の取水制限システム
「南安曇郡(現安曇野市)拾ケ堰土地改良区」なる看板のある建物で
コントロールされているダムである。
山から流れる水が不足した場合、ここから安曇野へ水がおくられる。
約1000ヘクタールをまかなえるという。
写真左:取水制限ダム  写真右:熱心に説明を聞く研修生たち

(4)ポイントは標高570メートル!
拾ケ堰は南から北へ流れています、つまり安曇野を横断して水を供給している。
奈良井川の取水制限ダムから平行に、つまり標高570メートルを横断している。
そこで研修生の一人が「ん?」と疑問顔。
そうです、ある地点(地名がわかりませんでした)を境に標高570メートル以下にできているのです。
先人の知恵と技術もすごいが、あの時間内の説明でこの疑問をぶつける研修生もすごい!
こうしておいしい安曇野米は、県下でも優秀な量と品質を誇っています。
西山から東へ、温泉観光 りんごや米 わさび栽培と今の安曇野を形成したのです。

バスの中では中島先生が「安曇節」を熱唱しやんやの喝采を浴びる。
細い道にバスが通りきれずバックするやら、見学地へ行く時間が不足したりで、
ちょっとマネジメントに難はありましたが、無事終了となりました。

研修生達からお別れの「バイバイ」を頂いたり、堀金物産センターの
ライスクラッカーをプレゼント(ほんの少し)したりで、3時間の押しかけ研修がおわり、
夕暮れの中を家路につきました。
JAあづみさん、コーディネーターのHさんどうもありがとうございました
アジアの人々が、自国でこの経験を活かし活躍されることを願っています。

後記
北野 進著「安曇野と拾ケ堰」(平成5年4月発行)の写真には護岸工事前の緑豊かな水べりを
見ることができます(分厚過ぎて完読は無理かもしれない



拾ケ堰の拾は当時の安曇平10ケ村を表し、工期は3ケ月の突貫工事であったという。
当時の土木技術から察するにその意気込みと努力がうかがえます。

最後に、著者の「あとがき」より転載します
=====================================
安曇平のルネサンスの原点には「拾ケ堰」があったといってよい。中略・・・ 
安曇平に今も点在する道祖神には江戸時代後期以降に造立されたものが多い。
これは、産業技術史的にみて、「拾ケ堰」が開墾と農業生産拡大という
発展段階に無関係でないと考えている。
このような視点に立てば、安曇平の道祖神も芸術も文化も「拾ケ堰」の
水の流れとともに四季折々に育ってきた。
若き日の荻原碌山や山本安曇などの心をはぐくんだ安曇の自然と風土の中には、
万水川、乳川、中房川、烏川の自然の流れのほかに「拾ケ堰」が、豊かな水量と
緩やかな流速をもって美しい田園を潤していた。
=====================================
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薪ストーブの準備着々

2005年10月15日 | モダン古民家建築記
10月15日更新しました

10月10日午前中に薪小屋完成

10月3日の工具・資材購入から雨天をはさんで1週間かかりました。
ストーブの機種はヨツールF3号。
本音をいえば「ベートーベン・ジュニア」が欲しかったのだが、在庫なしとのこと
サイズ、デザイン、もちろん機能面が我が家にピッタリでした。残念無念・・・・



男のロマン代は高くつきます
まずは薪小屋を作らねば。幅:3.6メートル 奥行き:0.9メートル 高さ:2メートル

材木の調達(これも再利用材)、刻みと墨付けは棟梁が、組み立ては私達がすることになり
「小屋をつくることから始めれば、愛着も湧こうというもの」との棟梁の暖か~い配慮です

写真左:材木が届く     写真右:組み立てに必要な工具類

工具・資材類:
ショベル     ・・・・石の多い地面の整地のため
脚立(足場大) ・・・・長さ1メートル 高さは2段階調節
ドライバードリル・・・・材木の組み建て用
ブロック 10個 ・・・・土台 床材を載せる
水平器      ・・・・まっすぐに立つよう土台で計る(棟梁から拝借) 
一輪車     ・・・・材木を載せたり工具を置いたり。今後も必需品
木槌       ・・・・柱と梁をかみ合わせる
のこぎり     ・・・・材木をカットする
隅金物(J型)12個 ・・・ 転倒防止のためより頑丈に柱と梁を固定
波板  7枚    ・・・・(ポリカーボ)連結傘釘で山にとめつける
連結傘釘    ・・・・150個使用
かすがい    ・・・・突風で柱が浮かないよう土台材木と固定
コースレッド(ネジ)・・45ミリ・65ミリ
水性塗料(約800cc)  防虫、防腐のため

写真左:記号をあわせて底部を組み立てる(ここで水平器が活躍)
写真右:夫が書いた製図をもとに、左右の細い柱や垂木をカットする

写真左:底部、柱、梁が組み合わさって建前終了(家の建前の大変さをつくづく実感する)
     今夜からの雨予報にブルーシートをかけておいた
写真右:雨続きで、数日後波板を載せるための垂木の取り付け(9本)

みごと完成
仕上げに防虫防腐のため塗料を塗る(垂木は工作前に塗っておく)
中央のパテーションは、大阪のマンション・ベランダで使用していたものを再利用
ぴったりサイズに大感激


薪はストーブを設置してもらった「ウッドストーブ彩紋」さんに依頼しました
薪は1年分を春には用意をし乾燥しておくのだそうだが、
今年はすでに丸太で乾燥済みの物を分けてもらいます
来年からは「柴刈十字軍」に参加して確保するつもり。

今冬分として200束(200そくと読む)必要ですが、とりあえず第一弾50束を
15日に松本市の倉庫へ買いにゆきます
1束とはワイヤーで輪にくくられた単位で、太さでも本数でも重量でもない規格です。
面白い

1束価格調査 
ホームセンターで¥500(丸太を1/4~1/6くらいの太さにカットしてある) 
NPO柴刈十字軍で¥200(丸太) う~ん、ひと冬分は? 恐ろしい

さて丸太の薪割りがうまくゆくんかいな?
友人からの応援メッセージ
1.薪を割る
2.薪を部屋に運ぶ
3.焚いて部屋と心を暖める
3回も暖めてくれます・・・・


10月15日が降ったりやんだり

「NPO柴刈十字軍」の薪置き場へ行ったが、あいにく時折雨が落ちてきた
それでも初体験に心は躍る

連絡の手違いがあってか担当者の姿が見えない。探索していると、どうも奥にある
かごに詰まれた薪が50束分くらいだと見当をつけていたら、大当たり
料金を払ってX-TRAILに積み込む。ブルーシートを敷き詰め、後ろ座席を倒し、
目いっぱい押し込んで帰途につく。
先日テレビで紹介されていた「寿司あっちゃん」松本市村井店
(長野県松本市芳川村井町653 0263-86-0360)
横を偶然に通りかかったので、久しぶりの重労働のご褒美に頬張った。



回転すしは嫌いです。なんだか皿に載ってぐるぐる回るあの景色が哀れで仕方ない。
しかし番組につられて・・・・  だから今日が人生で3回目の回転すし体験。
ネタは新鮮で、注文できるメニューもあり、なかなかでした。
ただし味噌汁のアサリが、蜆より小さくてすこし悲しかったが味はまずまずでした。

往復2時間 積み込み1時間 昼食30分 荷おろし30分で本日は無事終了しました
次回はいつかな?今度は軽トラックを調達したほうがいいかもしれません。車が可哀相。。。
写真左:窮屈な荷台。丸太だと思っていたが、太いのは割ってありました
写真右:小屋の左半分の容量半分が50束分なので、ひと冬200束は収納OK

やれやれ大騒動でしたが、先日報道の長期予報では、今冬は暖冬とか、とほほほ・・・
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栂池自然園へ秋を探しに

2005年10月14日 | 安曇野を離れて
10月13日のち
長い曇天と雨天から開放されて、今日は晴れると予報があり、
「栂池自然園」を歩く

まずゴンドラ乗り場にて
ゴンドラ15分+ロープウエイ5分+自然園入園料=3,300円/人
高いなあ、特典を探すと前の婦人がJAF会員安いよ!と教えてくれる。
結局
乗り物往復3,000円が1割引で2,700円
入園料            300円
合計            3,000円(団体割引料金になる)
となりましたが、眺めのよさ、起伏に富んだ3時間のハイキングコースを考えると
安いと思う。



平日にも関わらず大勢のハイカーやカメラマンで大賑わい。
たぶん8~9割が中高年男女(重そうなカメラ背負ってガンバル初老の女性も多い)
荷物の重量割り増し設定料金があるようだが、事業活性化ならJAF割引だけでなく
シニア割引を設定すればいいいのに。

写真左:ゴンドラ内のアナウンスによると、
先端の松ぼっくり鈴なり状態は、昨年の気候不順の影響か、
今年の天候不順の来年への事故防衛か二説あるらしいが、
とにかく10年ぶりの景色だそうです。

写真右:湿地帯の水面に映る木々と雲
そばで撮影中の男性が、きれいに撮れるレクチャーをしてくれた作品


写真左:ダケカンバのおじいさん
写真右:湿地帯にひっそりと小さい赤い実が・・・


道行く人達が、「今年は綺麗じゃない!」「紅葉が遅い」などとつぶやきます
きのうまで雨だったから、今日はまだ寝ぼけているのかもしれない。明日ならきっと!
写真右:雲が上昇してゆくと、別の雲が蟹のように移動してくる
自然園出口近くになって、やっとうっすら見えた子蓮華岳


写真下:帰りのゴンドラ乗り場で窓越し撮影
はるか遠くに、左から「白馬鑓ケ岳」「杓子岳」が見えました。
スタッフの説明では1週間ぶりだそうで、ラッキー



所要時間は標準コースで3~3時間半、標高差200メートルの行程です。
雨天の翌日などは特に、後半はかなりの泥々コースになります
しっかりしたハイキングシューズを履いてお出かけください。

好天ならロープウエイから、遥かかなたに浅間山も見えますよ
早く見つけないと、まもなく手前の山々に遮られてしまいます
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10月の安曇野 「そばサロンいとう」と「美容室Dep」

2005年10月12日 | 安曇野とその周辺
10月12日

林の中の「そばサロンいとう」
うわさは聞いていた
散歩の途中に発見。住宅に人影が・・・入って話を聞く。
オーナーの奥様は大阪人で、さすがひとなつっこい。 偶然私と名前が同じで
より親しく話が盛り上がりました。
オーナーは蕎麦打ち40年のベテランで、2年前からここ穂高有明の林の中で
営業されていますが、一見普通の住宅である。
写真左:見つけるのが苦労かも  写真右:暖簾の奥がサロン

実は松本出身のUターンで、元ビジネスマンでしかも有名人であるらしい。
日に数組のお客にとことんこだわりのおいしい蕎麦とお料理を奥様と二人で提供する。

あづみ野ゴルフカントリーや穂高ビューホテルに生そばを納入し、
年末の宅配先がそうそうたるメンバー。
「うまいといわれるのが嬉しくて素人で始めたら、蕎麦をつなぎに人が人を呼ぶんですね」と
伊藤さんの言葉(「安曇野サテライト通信」から抜粋)

要予約 電話:0263-83-4791 ランチ 2000円 夕食は蕎麦懐石。
お料理の他そば湯と抹茶で作ったゼリーのデザートも好評とか。
当日はオーナーが不在でしたので、いずれ楽しみに頂きにあがります。 


10月14日のち

この看板と建物で何屋さんか分かりますか?

主要地方道51号線「池田町ハーブセンター」(道の駅)2軒南の奥まった所に、
この八角形の建物があります

美容院Dep.の看板(北方向から走ってくると見落とす)

建物の面白さだけでなく、窓から見えた客の座る椅子がすばらしいのも目を引いた。
オーナーは若い女性で、以前喫茶店だったのをリフォームして美容院として開業。
すでに7年たつという。
今どきの、大きなコンクリートの箱にいくつもの椅子が並ぶ美容院のつくりは、地方でも花盛り。
大阪でそうだったから、「安曇野!おまえもか」の中で紹介された店を、気に入ってます。

オーナーは美容コンテスト入賞のご褒美でフランスでの修行を経験しています。
椅子はフランスから取り寄せたそうで、どうりで・・・・
店内中央にある120度づつカーブした3面の鏡は、外見の建物ともマッチしており、
座った時に隣の人の顔が鏡越しに見えないのも新鮮である。
3席と入れ替わりのない男女スタッフ2人、ひとつのシャンプー台(これもデザインがGood)
こじんまりとした静かな空間です。
要予約 電話:0261-62-8454

店を出て振り返ったら、遠くに有明山が・・・・

出来すぎのシチュエーション(大好きな山からまっすぐ東にこの店はあったのです)
そしてブルーのVWはオーナーの愛車だって、ウヮーォこれも出来すぎ~
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あぶない聴講生

2005年10月07日 | つれづれ思うに
10月4日
「豊科近代美術館」で「片岡鶴太郎展」が10月16日まで開催されている

ずっと以前に観光で来た時、穂高駅隣のギャラリーで数点鑑賞して以来である。
その頃は、よくある有名人か芸能人の絵かと思っていたが、なかなか私好みで
あったのを記憶しています。
今回は桜が主テーマのようだが、私には予想どおり気に入らなかった。
彼の真髄は魚と野菜と果物に尽きる!
ルオーや佐伯祐三の画風に似ているのが好きな理由です。

常設展示のなかで、高田広博厚の彫刻はほとんどの作品がここにあるという。
荻原碌山のように、ここ安曇野にゆかりがある作家ではない。
作家の全体像を提示する目的と作家夫人の好意による賜物だと思うが、
導入時の住民の熱意はどこまでだったのだろうと少し気になった。

同じロダンの影響を受けながら、碌山のゴツゴツとした逞しさと激しさに比べ、
高田博厚の作品群は柔らかく気高さを感じた。
世代の違いや過ごした青春、短く生きた碌山とその3倍近くを生きた高田博厚・・・

2階の企画展へ
「階段は静かに」より嬉しい




美術館は天井が高いから。勿論近くにエレベーターがあります
最近の公共トイレに「綺麗に使ってくれてありがとう」と同じ逆説的手法ですな
美術館さんへ。美術作品は撮影しておりません。ご安心ください

10月6日午前中ときどき
「安曇の歴史」講座を聴講

美術館となりに南安曇教育会館があり、講師は「中島博昭氏」(市民タイムスから)。
つい最近図書館から借りた伝説本の作家の名前だったので、講座の主旨など
理解しないまま参加した
会議室には約30名ほど。講師の「どちらから参加ですか?」の質問に
茨城 埼玉 奈良 四国からも・・・・。ずいぶん遠くから来てるんだなあ、
そういえば部屋の隅にバゲッジがいくつかあったのに、それでもまだ気づかない
いつものアワテモノ。
私に質問がきたら「大阪から8月に穂高へ転宅して来ました」と答えようなどとのんきに考えていた

後でわかったのだが、豊科近代美術館と京都造形芸術大学共催の
通信教育部・スクーリング授業だった。どおりで遠くから・・・・
5年目だそうで勿論、地元や県外の当講座のみ参加もOKです。
今年度は3日間6講座とおして受講料500円 1講座ごとの聴講も可 500円/講座
(講座内容はホームページ参照)

講義内容(抜粋)
安曇は高峻なアルプスから東山へむかってのびる複合扇状地であり、
荒い石や土による地下浸透のため、古来不毛の地であった
 (管理人感想:下って江戸後期、この地の農民たちの汗と努力による
治水事業=拾ケ堰がつくられ、今は安曇野米、豊かな農産物の生産地となっている)
写真:偶然にも美術館からの帰りに撮ったもの(三郷にて)


○古代
漁業・船舶運輸にたけた北九州の安曇氏がはるばるこの地方へやってきて、
干拓事業、国をつくりをし、朝鮮国との交易から先進的文化・芸術の素を持ち込んだ
(管理人感想:ひょっとして「穂高神社」の「御船まつり」はその由来か?)
穂高神社は父・綿津見命と子・穂高見命を祀る
○中世
仁科氏が大町東部に拓いた領主時代に京文化が導入された
 (管理人感想:鉾が7基、各地区を練り歩き八幡神社に集結する隣の池田町
   の祭ー写真下2枚ーが京都の祇園祭の縮小版に見えたのは、あたらずとも遠からずか?)

○近代
臼井吉見の長編小説「安曇野」により安曇野に集う人々の「自前の自由と平和」精神が広く披露された
さらに新宿中村屋の創業者 相馬愛蔵(穂高出身)・黒光の日本初と言われる「中村屋サロン」
「男女平等」「自由と平和」に目覚める芸術家その他の人々が集まり、彼らを援助した
○もっとさらに「きけわだつみのこえ」(特攻隊員の遺書・所感)の上原良司が穂高出身で、残した所感は
「全体主義はいかん」「人間は自由であるべき」だった
「あゝ祖国よ恋人よ」2005.5 信濃毎日新聞社刊で中島博昭氏も執筆参加しておられます。

こうして安曇野には古代から脈々と豪快 自由闊達 自立の精神と反骨精神が培われているようです
ちなみに、東京大空襲を危うく逃れた私が生まれた日から1ヶ月半後に、
上原良司は22歳で日本を憂いながら、沖縄の海に没したことになる
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安曇野市誕生へのカウントダウン

2005年10月06日 | 安曇野とその周辺
9月30日夕方
5町村合併により、あすから安曇野市になります
そのイベントがスイス村で催行されるというので参加することにしました
一生のうちにもう経験することは無いだろうとボランティア募集に応じた。
が期限がきても通知が来ないので確認すると、応募者が足りず検討中との事。
当日現場でわかりましたが、出演や出展・出店参加者が多くて
「こりゃ、ボランティアどころではないわ!」
結局私は役に立たないボランティアでお茶を濁してしまいました、とほほです。

豊科町 穂高町 明科町 三郷村 堀金村の合併で人口が98,922人、
長野県で6番目に大きい市になりました。
「安曇野市」

おそらく全国どこの市も町も村もそれぞれ豊かな文化・伝統・芸術を有し
素晴らしい農漁業産物を生産していると思うのだが、あわせて歴史も観光も
となると安曇野はやはりピカ一だろう。

ではイベントの内容は
開会宣言
小学生による金管バンド
民謡「安曇節」ほか舞踊
筝 琴 太鼓ほか演奏
ストリートダンス バンド演奏
(かなりのボリューム音にもめげずご年配者も赤ちゃんも着席していたのが印象的)
安曇野吹奏楽団演奏
人前結婚式 午後11時00分~
(親戚友人だけでなく、一般参加者おそらく500人くらいが立会人)
その間に5町村からリレーされたトーチが、会場で5つの灯りとして燃えている

0:00 
5つの灯りをかざした5町村長が一つになって点火、クス玉炸裂・花火打ち上げ
太鼓演奏でフィナーレ




翌10月1日
真っ青な空を期待したのだが、今日も曇天
自慢の常念岳や有明山は墨絵の中です。

9時からイベント再開
安曇野市誕生オープニングセレモニー 旧町村長紹介、来賓挨拶など
屋外では賑やかにヨサコイ踊り
舞踏 合吟 筝演奏 津軽三味線(各町村のクラブや社中)ほか
HONDAロボット「ASIMO」が11時と13時の2回の実演
(しぐさのカワイさにおとなも子どもも思わず微笑み、手を振ってさよなら・・・)
千人コンサート 
150人合同演奏と会場参加者とで合唱したり
未来に向けたメッセージが書かれた紙飛行機が会場いっぱい飛び交い
フィナーレとなりました

写真左:ASIMO君   写真右:ヨサコイ踊りのたぶん最年少君

ストリート・ヨサコイ踊りがこんなに盛んだとは知りませんでした


中ホールで同時開催
名誉市民紹介 アート展 安曇野の四季写真展 企業紹介 
SONYのロボット「ORIO」が子どもと遊ぶ ガラスやキルトの販売

屋外スペースでは
「無料そば」ふるまい
定番の屋台と旧町村自慢の物産店ブース 
「信州あづみ野穂高温泉旅館組合」 青年部主催の足湯ステージ
(無料で配布していた「あづみ野伝説絵巻物」は青年部の手作り。なかなかの力作です)

実行委員のみなさま 会場整理や清掃のボランティアさん 警察 消防関係者さん
お疲れ様でした
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