蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

石垣から与那国へ2

2016年04月30日 | 安曇野を離れて
石垣島に入島した日の午後、縁あってカヤック乗船体験ができた。
ペンションマリンの浜辺で営業したばかりの、若い青年だった。
数分間レクチャーがあり、早速漕ぎだす。
一人でも大丈夫とのことだったが、お初だったので同舟をお願いした。

マングローブの森に沿って上流へゆっくりと漕ぎ、森の中では下船して泥の上を散策しながら
花やカニやトビハゼに挨拶する。

のんびりした速度で1.5時間ほど遊んだ。

水がかかるので自身でのカメラ撮影はできず、若いオーナー君にお任せ。

偶然とはいえ装備万端


まずは海に向かって・・・下るので楽々。その後ターンして上流へ進むので、ちょっと力こぶ!


マングローブの森を眺める


泥の上でハゼが跳ねている。

参考
「マングローブと生きた物たち」http://www.kaiyo-net.com/mangrove/index.html
「マングローブってなに?」ttp://www.kaiyo-net.com/mangrove/whats_mangrove.html

今回はここの河口付近でちょっと遊んだのです。
石垣島宮良川

ナイトツアやロングコースもあります。
料金など問合せ先は上平さん。
choro.ishigakijima@gmail.com

自宅から1時間ほどの青木湖でもカヤック体験は可能だが、いつかいつかと10年がたっている。
あののんびり加減はクセになりそうです。

おーりとーり(いらっしゃいませ)

にーふぁいゆー(ありがとう)
コメント (2)
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石垣から与那国へ 1

2016年04月23日 | 安曇野を離れて
20年来の懸案だった与那国島へ行こうと思い立った。

インドがらみの友人が、そのころ「石垣島に滞在しているから」というので、
石垣島に立ち寄り、一緒に与那国島へと計画を立てた。

友人は諸般の事情で不参加となり、結局一人旅を決行
4月14日、早朝の羽田から石垣へ・・・・ANAの早割お得チケットにてスタートした。

どうも天候が芳しくない。基本"晴れ女"も時々晴れ間を見る程度の石垣島入りだった。
予約していたレンタカーは、外付けNAVIの調子が悪く地図を頼りに移動する羽目に。
道路地図は無し、観光地図ではおぼつかない。

少し早いランチを「島野菜カフェ」にて。
いかにも県外者らしいスタッフと設えでした。

若者向きではあったが、浜辺に近く木の香りが漂う私好みの建物でした。
ドリンクサービス付きの島野菜カレー・・・あれ撮影忘れ





私の席が46番。この貝をもってレジへ行く
 

さらに市街地方面へR390を南下し、宮良川の「ペンション マリーン」へ向かう。
「ペンション マリーン」は、高校生から幼児までの子供を含むファミリー経営ですが、
だらだらしたところがなく、広い部屋は清潔で居心地満点。


肝っ玉母さんとの会話が楽しく「スタッフと地元のおいしい定食屋さんへ夕食に行く」ことを
提案頂いた。

 がや家さん

オーダーは店主おまかせ
いくつか並んだ中で、
定番のゴーヤチャンプルー


ふーチャンプルー

車麩を水でふやかして絞り、卵液に浸しスクランブルエッグの要領で炒める
定番の豚肉や野菜炒めに加えたチャンプルーでした。

生のパイナップジュースもとってもおいしかったです。
スタッフさんとも和やかに話が弾み、思い出深い一夜となりました。

ペンション敷地内の390号線に面した建物は、私が離れるその夜に開店の居酒屋「えん家」
このおかみさんならきっと商売繁盛間違いなし!


翌朝、長い時間をお見送りしていただいて、鍾乳洞経由で今夜の宿川平湾を目指しました。

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引き算

2016年04月01日 | 暮らしの積み木
3月7日のアップ以来、かくも長き不在ブログ。
今日「ずいぶん長く記事がないから、どうしてるんかと・・・・」と
ありがたい電話をいただいた。

先年、九州の肥薩線の旅をご一緒した学生時代の友人から、メールも電話もはがきも音沙汰なし。
メールは届いているはず。自宅も携帯も電話のコール音はしている。
出たくても出られない状況なのか? 話をするのが辛いのかしらん?
悲しい。

待つしかない。

娘時代の職場の後輩。ずいぶん会ってはいないが、2年前から年賀状が来なくなった。
お付き合いの断捨離というか、年賀状だけの交信はそろそろ身辺整理をしてもいいかなと
思うことがある。
結局彼女は難しい病気で、昨年1月に亡くなっていたことが分かった。
元気溌剌だったのにと友人が残念がる。

加藤登紀子さんの言葉に
「会えるときは一生懸命に会う」
インド在住45年の日本人僧侶は、脳梗塞で寝たり起きたり。もう4年になるが
「人は死にます。その覚悟を肝に、気持ちよく日々を生きる」

そうだねぇ、会っておこうよと友人たちが納得した。
これからの人生は引き算なんだ

昨日久しぶりに受信したメールには
「メールアドレスを変更することになりました。よろしければ変更願います」と
ご近所の神社境内のニリンソウの画像が添えられていました。








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