蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

もう一度雲の平を目指す 最終章

2019年09月30日 | トレッキング
やっと終わるのかい?と言われそうなダラダラ日記。
実は急きょ「蝶が岳」へ行くことになり・・・行けることになり、
9月28日~29日決行。
この顛末は、当分先の後日に。

烏帽子小屋からの朝焼け
ありがたやありがたや。下山日の朝には”終わりよければすべてよし”とする


ピストン山行ですから往路ほどの勢いには欠けますが、とにかく終わらねば。
いつまでも苦手なはしご


ほぼ中間に9時到着 


10時半 懐かしい出発地高瀬ダムがまじかに見えて

このシャツは雲の平山荘にて購入。

一目で文字に惚れこんだもの。山荘入り口の看板と同じ文字です。


伺うと、書家の片岡紫翠氏のオリジナル作品。胸にはおなじみのmont-bell
片岡氏は国内よりヨーロッパで人気の書家だそうです。
(mont-bellの店頭では購入できません)

※書道家は近年呼ばれる、書家の異称です。

登山口11時40分


好きになれない丸太橋(板張つきだけど)11時45分

ここからタクシー乗り場へ徒歩20分程。
幸い待機中のタクシーをゲットできました。

七倉山荘で大盛のかき氷を頂き、
駐車場で8日間も留守番してくれたガイドさんの車で、集合地の西友穂高店へ。

後日談
◆ガイド氏のコメント
「ゆっくり行けば遠くへ行ける」を見事に実践できました。お疲れ様でした。
70代はまだ現役!」

「ありがとう」

◇私のコメント
「一生の思い出です」

「私にとっても忘れられない8日間になりました」

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もう一度雲の平を目指す 7日目

2019年09月23日 | トレッキング
こんなにのんびりと歩いていたら、帰るのが嫌になってきたよ~。

スタート後、最初の小屋となった烏帽子小屋へ向かう、朝5時半
野口五郎小屋からの朝日


6時にはスタート
標準歩行タイムではここから、今夕には自宅へ戻れるコースです。

まもなく槍が見え、ひとっ飛びで頂上へ行けそう。
いつみても幸せな気持ちにしてくれる山よ


と感動したり、往路よりは楽に歩けるようになったが、
”小屋泊まりクセ”なる心理状態に。
つまりのんびりが体に染みついたような・・・


晴天にバンザイ


てっぺんが燕岳山頂の風景に似る


往路は巻コースだった。お花畑どころではなく強風雨に耐えていたっけ。
復路の今9時過ぎは、晴天なので稜線を行く


青屋根の烏帽子小屋が見えた


遠くに懐かしいスタート地点のダム湖


烏帽子小屋到着の手前で、散歩に出かけるハッサン君とばったり。
休憩時間のようだ。
”え~まだここにいるの?”と言いたげな笑顔で迎えてくれた。

イワギキョウ

再会を祝って?ランチはカレーを。山にはカレーがよく似合う


15時ころの小屋前から。シラビソが美しく映えるはずが・・・曇天に


小屋のオーナー氏が窓のガラス拭きをしておられた。
穏やかな優しいまなざしの山男です。

明日はここから高瀬ダムに向かって下山です。
登りに苦労したことなんぞ忘れている呑気者である。


夕食はシチュー。今後この夕食を頂くことはきっとないだろうな。

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もう一度雲の平を目指す 6日目

2019年09月14日 | トレッキング
偶然の面白写真がある。

後日ガイドさんから送って頂いた写真の中に、オレンジ色の帽子を冠っている女性が私。

水晶小屋に到着後、私が小屋の外で風景を撮影している。8/23 13:30。

ガイドさんが裏手の丘の上で山並みの撮影をしているのを、私が撮った写真は8/23 13:33。



さて本題
小ぶりでほっこりする水晶小屋を離れ、野口五郎小屋へ向かう朝、
スタッフさんの見送りを受ける。
”さよならの鐘”と呼ぼう


朝日を浴びて・・・わーい


へっぴり腰の岩場シーンばかりだったが、ここで決めた1枚(ガイドさんから)


小屋が見えた、ガンバ


難所の稜線を越えて野口五郎小屋へ戻ってきました


夕食は、山では珍しい天ぷら。オーナー自ら揚げてくださるとのこと。
無事到着!に持参の赤ワインを添えて。


余談
野口五郎岳の名前の由来(Wikipediaから)
「山頂付近は大石が堆積していて、灰色で茫洋とした山容が特徴的な山である。 名前の「野口」は、この山が属する長野県大町市の集落「野口」に由来し、「五郎」とは大きな石が転がっている場所を表す「ゴーロ」の当て字である。 歌手の野口五郎(本名:佐藤靖)は岐阜県美濃市出身であるが、芸名はこの山に由来する。」


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来年の9月7日 そうかもねぇ

2019年09月13日 | つれづれ思うに

久しぶりの八ケ岳サービスエリアにて
出口に近く、並ぶ施設やトイレの真ん前に



先日家族が「こんな記事があります」と。

来年の9月7日から始まる〇〇

来年の今日。
2020年9月7日。

この日は、日本にとって、とても大きな節目の日であると思う。

その前日、2020年9月6日に東京パラリンピックの閉会式があり、東京オリンピック・パラリンピックの全日程が終了する。


その閉会式の翌日が9月7日だ。

この日まではわりとイケイケというかアゲアゲというか。
多くの人が上を向いているし、なんとなく浮かれている。

世界一のお祭りが行われるのだ。
そりゃウキウキもする。せっかくだから楽しもう。それはそれでいいことだ。

ただ、閉会式の翌日から、文字通り「祭りのあと」がやってくる。

ただでさえ淋しい。
吉田拓郎だって歌ってる。

♪ 祭りのあとの淋しさが
いやでもやってくるのなら


日本の場合、その淋しさだけではない。

オリンピック・パラリンピックというお祭りに向かってなんとなく目を背けてきた「課題満載の
現実」を、イヤでも直視しないといけなくなる。


その境目が、来年の9月7日なのである。

来年の今日から、我々はいきなり現実を突きつけられるのだ。


まず、世界でも類を見ないほどの人口の激減。

日本の人口は、40年で4000万人減る。
2060年には8674万人と推計されている(2017年現在1億2680万人)。

4000万人って言われてもピンと来ないかもしれないが、カナダ一国分(現在3700万人)の
総人口が消えてなくなる、ということだ。

つまり、計算上、カナダ一国分のマーケットが消滅する。


出典:週刊現代(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/31783)


40年で4000万人減るということは、平均で言えば、日本の人口は毎年100万人ずつ減っていく、
ということになる。

100万人都市である千葉市や仙台市がたった1年でまるごと消滅する、ということ。

150万人住んでいる京都市や福岡市が1年半で消滅する。
200万人住んでいる札幌市が2年で消滅する。
というか、北海道全体(530万人)が5年ちょいで消滅する。
東京都も10年ちょいで消滅する。

そのくらいな勢いで人口が減るのである。

え? 高齢者がたくさん亡くなるんでしょ、って?
いやいや、若者も毎年30万人ずつ減っていく。ただでさえ母数少ないのに。

つまりは顧客が物理的に減っていく。
マーケット縮小の衝撃は我々の予想を超えるだろう。


総員、衝撃に備えよ。


次に、ウルトラ高齢社会。

2020年には女性の2人に1人が50歳以上になり、今からたった5年後の2024年には3人に1人が65歳になるのが日本の現実だ。
(出典:「未来の年表」講談社現代新書)


未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (講談社現代新書)amzn.to
400円(2019月09月09日 18:24 詳しくはこちら)


とはいえ、シニア世代はお金をもっているからマーケットとしては期待できると言われてきた。 年金もたっぷり出るしね。

でも。
リンダ・グラットンのベストセラー『ライフ・シフト』が出版されて以来、「人生100年時代だ!」と数年前から政治家たちが言い出してしまった。

お金をもっていると言われるシニア世代が、「え、人生100年時代? もしかして私たち100歳
まで生きるの?・・・そ、それなら話は別だ」と、財布の紐を締め始めている。

100歳まで数十年。
自分の健康不安、老老介護の現実、自分の介護費用準備など、お金は果てしなく必要な気になってくるよね。仕方ない。

こうなってくると、好調な「シニアの旅行ブーム」だって、いつまで続くかわからない。
そうなったら伸びると期待されている観光業も大打撃である。


そして、世界でも類を見ないウルトラ高齢社会は、税金を払う人が減る社会でもある。

人口が増えると言われている東京でも、「人口は増えるけど、税金を払う人が減るので、    水道や下水などのインフラがもたなくなる」と言われている。

いったいどんな社会になるんだろうね。

総員、衝撃に備えよ。


※私が管理している母の今後の生活資金を、国や銀行から安全に守れるかが目下の心配事です。
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もう一度雲の平を目指す 5日目

2019年09月11日 | トレッキング
素晴らしい山岳写真は、インターネット上にも写真集にも溢れている。
凡庸な私の写真を何枚連ねても、そろそろ飽きてくる。

小屋で話す登山客たちは、重なる山も眼前の山々も名前をあげながら
お互いに体験談を話す。

私は、ランチを頂いたりガイドさんの作るコーヒーや紅茶を飲みながら
傍らで武勇伝を聞く。

きょうから天候は安定し、晴れ間も覗くようになり、早めに水晶小屋に到着。
先の小屋までの所要時間を考えると、ここで泊まるのが賢明と判断した。

小屋前から槍ヶ岳が見える


水晶岳と右手奥に登山口の高瀬ダム。(あっていると思うんだが・・・)


遠くに前日滞在の雲の平が見えて、今日であればゆっくり散策しより一層楽しめただろうな。
 9/14画像追加
愚痴は言うまい

明日はこの左手をくだり野口五郎小屋へ行く。


丘にあがって水晶小屋を眺めると、結構大きく頑丈そうだ。

ヘリコプターが止まる空間ですが、へりは着地せずスタッフがロープとフックで荷揚げ荷下ろしする。
窓ガラスはかなり揺れそうだなぁ。

これにより小屋運営はかなり楽になったでしょう。
しかしかかる経費はいかがなものかと案ずるが、小屋の修繕にかかる木材運搬他など総合的に
考えると、歩荷さんたちの費用とあまり変わらないことからヘリの運用が急速にすすんだという。

伊藤正一著「定本 黒部の山賊 アルプスの怪」に、
当時のエピソードや山賊のその後について知ることができます。

夕食は名物「お肉と野菜ごろごろカレー」でしたが、
翌日の朝食は連泊の方がおられたこともあり、メニューを変えてくださいました。

お心遣いありがとうございました。

※ガイドさんのランチは「力汁」。お餅2個入りで美味しかったそうです。
※このコースはシーズン中はかなりの混雑のようですが、幸運にも連日一人ふとんです。
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もう一度雲の平を目指す 4日目

2019年09月09日 | トレッキング
雲の平山荘は水晶小屋からは近い。
天気もやや回復し順調に歩行。祖父岳(じいだけと読む)を越えれば下りです。

晴天ならもっと嬉しいが、希望が叶い神にも仏にも感謝です。
おっと面倒なゲストに優しく対応してくださったガイドさんにも・・・・
祖父岳(9時半に頂上着)から眼下に雲の平が見える


目を流せば、鷲羽岳(だったと思う)がうっすら。


ここから下ると標高2600mに広がる雲の平に突入する。


スイス庭園に行く道が見えた。中央のややくぼんだ道を右へ


予定から一日遅れで山荘に到着しました。


この建物は大変素晴らしく、今見る画像は曇天のガスの中。
なんだこの程度のところか?と思う向きもあろうかと思うが、
到着した喜びが勝る

 HPから

館内
トイレ脇の洗面台。山荘とは思えない


食堂には
豊富なメニュー


ランチは「〇〇店のライ麦パンと自家製ベーコン」


3時のカフェはドリップコーヒー
インドフリークのクマさん(私がつけたニックネーム)が丁寧に淹れてくれました。


一息ついて散策へ
チングルマが美しかった




8月22日はそろそろ秋色です


高原に広がる池塘


帰り道


夕刻

談話室の壁に

山荘を継いだ次男の伊藤二朗さん「伊藤正一という道 告別の詩」全4枚の1ページ
2016年に亡くなった父 正一さんに捧げた尊敬と感謝の一文です。

談話室にて
宿泊者であるようなないような、小柄で品の良い婦人がおられました。
故伊藤正一さんの奥様でした。
7月に三俣山荘にも滞在したお話しなど、貴重な時間を得ました。

夕食は大きな土鍋に石狩鍋

具だくさんで美味しかったです。

悪天候のおかげでゲストが少なく、ゆったり一人ふとんです。
本来なら満員御礼状態の時期でしょう。

窓から笠ヶ岳


参考まで
伊藤新道の歴史と現在

伊藤新道が開通の暁には、今より楽に行けそうだが
きっと高齢化が邪魔をする。

『ななかまど』三俣山荘便り 第20号(今号で休刊)なる冊子を購入して読みふけり
ますます雲の平・三俣山荘・故伊藤正一さんとご家族が好きになりました。
頑張って登って来て・・・・・
  
バンザイ
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もう一度雲の平を目指す 3日目

2019年09月08日 | トレッキング
昨夜の夕食メインは天ぷらでした。山では珍しいのでしょうね。
親父殿手作りで美味しかったです。
みそ汁は2杯頂くようにして、水分塩分補給に心がけます。

さて3日目も天気は芳しくなくどんより。
今日の稜線歩きは大風や大雨の名所?です。

6時、小屋前から野口五郎岳目指して歩き始めたが
頂上通過後あたりから雨が降り始めました。
お約束の強風。谷から吹き上げる風に撃たれた雨は横殴り。

ちっこい私は立って歩けません。
谷側を背に大きな岩をストッパーに、ストックを揃えて両手で押さえ
両脚は肩幅ほどに開き踏ん張ります。

写真撮影どころでなく帰宅後、上記文のようなタグづけで調べると

よくわかるイラストに納得

今日の風速は10mから15mくらいかなとガイドさん。
鼻水が横殴りの風に撃たれて飛んで行った。
色気なし!
三ツ岳近辺の岩ゴロにも時間をとられ、今夜は水晶岳に泊まる。
小ぶりですが、趣は私好みです。


ここでもスタッフは素晴らしい。
三俣山荘、雲の平山荘の系列です。

温かい餅入りおしるこがおいしかった。
夕食は名物の「お肉と野菜ごろごろカレー」

2階への踊り場にあるふとん割り掲示板は、刺し子風の布製でした。

私は今夜も一人ふとんですが、混む時は1枚に2人・2枚に3人もあり。

水晶小屋について、小屋主伊藤 圭さんの手書きメモ。



撮影不備ですが、思いを伝えたくて・・・

いつも感じます。
どの山にも歴史と文化があり、小屋にも歴史とオーナーの想いが詰まっています。

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もう一度雲の平を目指す 2日目

2019年09月05日 | トレッキング
今回のコースは (山と高原地図「槍ヶ岳・穂高岳1:50.000」)転載


シンプルに表現すれば、
右上の大町高瀬ダムから左下の雲の平へ
北アルプス裏銀座コースと言われている一部の稜線を歩いたのです。

このコースは健脚者なら3泊4日コースです。
いや2泊3日組もいるでしょう。
しかし岩場の連続、天候は暴風雨もありのコースなので、余裕をもった日程が推奨されています。

当初の私の日程は
1日目  ダム湖から烏帽子小屋へ
2日目  烏帽子小屋から水晶小屋(地図では水晶岳の下)へ
3日目  水晶小屋から雲平へ
4日目  雲の平から野口五郎小屋へ
5日目  ダム湖へ下山
でした。

ところが秋雨前線による大雨・暴風雨、加えて私の登山技術や体力を考慮し、無事に
下山するべくガイドさんは延泊を決定。
無理をすれば1泊延長でも可能だったかもしれませんが、小屋には遅くとも3時までには
到着すること。小さな小屋では夕食(17時か17時半)が頂けないかもしれない。
お蔭で行程中、雲の平山荘を除き烏帽子小屋・野口五郎小屋・水晶小屋は2泊づつ
訪問できました。
スタッフのご苦労や、旅行社のグループツアの面々・ご夫婦・一人旅の男性や女性
二人連れの若い女性・テント泊の昔青年など見つめられました。

さて2日目スタート
烏帽子小屋(標高2550m)を6時に出発


遠くに有明山が見える


出発地点の高瀬ダムが見える


1時間が過ぎたころ、振り返ると烏帽子小屋から登れる烏帽子岳が聳え立つ。
普通の登山者なら小屋にリュックを置いてこの山に登る。
三角錐の美しい山です。


時期を過ぎたコマクサ。いつみてもその健気さにうたれる 


白い花


三ツ岳あたりから大きな岩場に難儀した。
へっぴり腰スタイル(ガイドさんから。現場と違うかも?)イメージ図?
帰路に向かう頃からはもう少しスマートに歩けたと思うけど・・・・


14時半頃、やっと野口五郎小屋に到着しました。標高約2,870m
やはり歩行時間は長すぎる。

いかに暴風雨にさらされるのか一目瞭然


荷物を降ろしひとまず衣類を乾燥室へ。

16時頃、玄関前から遠くに連なる常念山脈を眺める。

あの山々の向こう側に安曇野が広がっており
私が普段眺める燕岳や大天井岳と反対の景色で連なっているのです。

明日はここから野口五郎岳に登り、稜線に出て三俣方面(水晶岳小屋方面)へ


どうも晴天は望めないようだ


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もう一度雲の平を目指す 1日目

2019年09月01日 | トレッキング
8月19日
天候の心配は少しあったが、行けると判断しガイドさんとスタート。
今回はブナ立尾根という北アルプス三大急登の一つを越えて縦走路に立つ。

5時半七倉山荘駐車場に到着し、ここからは特定のタクシーで高瀬ダムへ向かう。


トンネルを越えて
吊り橋


 ガイドさん撮影
太い丸木に板張りの橋を恐る恐る通過。
このあたりで標高1270m地点。

登山口標識。

登山口は12➡9権太落とし➡6ほぼ中間点で長い休憩に➡4三角点➡0烏帽子小屋
大方の人には目安となるのでしょうがが、精一杯登っている私はまだか?まだかな?でした。

やがて”くの字型”ジグザグと高度を上げる短管パイプと網状の階段は、見上げるほどにぞっとする。
一人づつ通過すること。

権太落とし

サイトで調べると、むかし学生のパーティで皆のお金を預かった人が
ここでサイフを落としたとか。とても拾いに行ける場所ではござんせん。
この後どうしたんだろう?

樹林帯の中だが、岩ごろ道に閉口


ここで11時ころ


こんな平道もたまにはあるので、私なりにややスピードを上げる努力をする。


やっと烏帽子小屋に到着 標高は2520m.標高差1200m ひぇ~・・・

素朴な小屋です。
小屋前には青色のイワギキョウがたくさん咲いていました。

小屋に入ると あら?Hassan!
吸い込まれそうな目力の若者。ここのスタッフです。
紺色のバンダナを巻いていたので、かつてモロッコの砂漠で会った民族衣装の青年にそっくりでした。
彼のあだ名は「ハッサン」となり本人も喜んでくれました。

実はこの小屋には明日の宿泊予定だったのですが、私の体力と明日からの行程を考えて
今夜はここで。
夕食はボルシチ。大変美味しかったです。


ごちそうさまでした。

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